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9 悲鳴を上げよう!

 恐くて恐ろしくておっかない(あれ?全部意味が一緒だ)お姉さんに、困ってる様子なのに爪の先程も困ってるように見えない顔で見つめられて、あたしこそ心底困惑しております!

 助けてくれと周囲に視線を飛ばすが、情けなくも薄情な男共は協力する素振りすら見せやしない。

 こうなりゃあれよね、姫呼ぶとかっていう最終兵器的奥の手を使ってもいいわよね?そんであたしだけ脱出して連中全部置いていこう、そうしよう。


 さっさと心に決めてさあ呼ぶぞと意気込んだところで、へちゃっと何かが顔にひっついた。


「ちょ、何?!」


 毛っぽくて足っぽいのがあって所々つるつるして。

 丁度顔の大きさと同じくらいのそんなもんに張り付かれたら、呼吸さえもままならないんで手探りで引っぺがそうとしたんだけど、触った感じが何というか…不吉。これって、生で見ると絶対悲鳴を上げちゃう物体だと思うんだけどさ、あのさ。

 嫌な予感しかしなくとも、このままはもっと嫌だから思い切って括れたとこもって引っ張って、


「んっぎゃーっ!!!」


 正視して、絶叫した。

 ついでに手をぶんぶん振り回して、うっかり持っちゃった感触を断ち切るために手近にあったもの(鴉)を力の限り殴りつけて。


「なんと乱暴な!」

「喋んなっ!!!」


 生意気にも人語を話した節足動物を、怒鳴りつける。

 …そう、節足。あたし、エビ・カニなんかの美味しい彼等以外は、基本的に嫌いなんだわ。ムカデとかサソリとかダメ。

 中でも一番嫌いなのが蜘蛛。その辺にごろごろいる量産タイプからアマゾンの奥地に根付いてる毛の生えたタイプまで、ありとあらゆる奴らが嫌い。

 口にするのも目にするのもおぞましいが、洋物の毛が生えた奴が、さっき顔にいたの!手のひらサイズより大きい、顔の表面積サイズで肌に張り付いてた!!


「いやーっ!!クモやだ、クモ嫌い、クモ死んじゃえ!!」

「死…随分な言い様…」

「口きくなって言ってんでしょう!!」

「落ち着いて、朝霞の君」

「無理、今無理、そして3分先も無理っ!」


 えぐえぐ喚いていた暴れん坊のあたしを力尽くで腕に閉じ込めた泰紀さんは、穏やかな声で根気強く宥めてくれた。

 いつまで経っても消えない毛むくじゃらと、むにっとした柔らかいのと堅いのの中間みたいな感触を思い出す度、半泣きで着物に顔をこすりつけても怒らずに、大丈夫を繰り返して背中を撫でてくれる。

 宣言通りそれは3分じゃ収まらなかった…気がするけど、時計がないからハッキリしない。ともかく、随分騒いで、いい加減自分が恥ずかしくなった頃合いでそうっと周囲を窺うと、青さんが見慣れぬ若い男を拘束して、赤くんがこの世から消滅して構わない物体を吊り下げて、心配顔をこっちに向けてくれていた。


 …因みに、東宮はまだ奥さんの機嫌をとっている。こんだけ騒いだって言うのに…ある意味すごいな。

 鴉はいないけど、どこいったんだか。


「朝霞、もう平気?」


 大きな体してそんな不安そうな顔されると、アンバランスさにちょっと可笑しくなったんだけど、さっきまで赤くんより恥ずかしい真似をしていた身としては、笑うどころではない。

 熱を持った頬を隠すように泰紀さんの袖に潜りながら、見えるように頷いた。


「平気…下らないことで、大騒ぎして、ごめんね」

「気にするな。誰しも苦手の一つや二つあるものだ」

「そうそう」


 右腕で知らない男の人の首を締め上げながら朗らかに慰めてくれる青さんも、ぶんぶん節足動物振り回しながら笑ってくれる赤くんも、すっごくいい鬼だ。

 おかげでとっても心が軽くなったって言うのに。


「やめろ、小僧!目が、回る!!」


 余計なものが喋るから、うっかりそれに視線をやっちゃって、あたしは再び悲鳴を上げた。


「あれ、顔!節足動物に、ちっちゃいおっさんの顔!!ありえない!!バカじゃない!!」

「主殿、もっと上手く隠さねば、不快なものが朝霞に見える」


 ノートの大きさの蜘蛛に、ちょび髭のおっさんの顔がついていたら、大抵の女子高生は悲鳴を上げてパニクると思う。更にそれが喋った日には、当然全力疾走でその場を離れるで決まりだ。

 な・の・に。

 あろう事かあたしはその物体を顔に貼り付けた挙げ句、手で感触がわかるほど触っちゃってるんだよ。そんで、見ちゃった。二度も見ちゃった!

 当然のように喚き始めることアゲインなあたしを、赤くんとの視界を遮る位置に翼を広げて立ったカラスが、苦い顔で見下ろしていた。

 そうして泰紀さんに苦言を呈しながら、彼の腕からひょいっとあたしを持ち上げて、くるりと羽毛でくるんでしまう。


「カラス、あれやだ!あれといたくない!家に帰る!」


 毛むくじゃらのぞわりとした感覚を思い出して、泣き付いたのを宥めながら、彼は申し訳なさそうに首を振った。


「まだいかん。色々とやりかけでここを離れても、また出向く羽目になるだけだ。こうして土蜘蛛を見えぬようにしてやるから、もうしばらく我慢してくれ」

「土蜘蛛!!マンガで読んだよ、糸吐くでしょ、糸でぐるぐる巻くでしょ!想像するだけでチキンになった!!」

「また意味のわからんことを…糸がイヤなのか?」

「糸やだ!つーかもう、蜘蛛がでっかいだけでやだ!いや、蜘蛛もやだ!」

「わかった、わかった。糸にも触れさせんから、我慢しろ」

「やだ!!同じ部屋で同じ空気吸うのがやだ!」


 うっかり遠足で蜘蛛の巣に顔から突っ込んだときのこと、思い出しちゃったじゃんか!全部合わせて怖気立つんだって、既になにについて騒いでるんだかわからなくなるくらい、内裏の中心で蜘蛛嫌いを叫んでるんだよ、あたしは!

 肩で息をしながら帰らせろと暴れて、どうにもならないとわかっているのに抗議し続けるのって、端から見たらすごくイタイ女だと思うんだ。


 理解しているのに我慢できないって、どういうことなんだろう?

 さすがに自分で自分行動を訝っていると、不意にカラスの翼がバサリと開く。


「浄・風」


 冷たい手のひらが、背後から目を覆った。

 見開いていた視界を撫でるように、小さな泰紀さんの声に呼応した風が目の表面を滑っていく。それはどんな仕組みなのか、グルリと眼球を回って体の隅々まで巡る感覚をあたしに与えながら、体内を浄化して唇から抜けていった。


「…あ、れ…?」


 同時に、自制できないパニックもあっさり収まっていた。

 当然蜘蛛はまだ嫌いだし、赤くんが持ってると思うと怖気が走る。でも、それだけだ。こんなに人がいる前で恥も外聞もなく騒ぎたくないし、子供のように我が儘を通す気にもなれない。

 ごく真っ当に本能を理性で抑えた、大人の反応ができるじゃないか。


「考えなしに、朝霞の君を抱いていたわけではないんです。取り上げないで下さい」


 不快を滲ませた声で鴉に抗議した泰紀さんは、再びあたしを抱き取って元の場所に座らせると、自分も隣に腰を下ろした。

 ここからは、赤くんとおっさん顔の蜘蛛がよく見える。最悪のロケーションだ。


「あの妖の毛には、興奮作用があります。ただ喚いているだけなら可愛いものなのですが、次第に理性を失わせて自我を奪いとるという質の悪いものでしてね…貴女は思いきり触ってしまいましたから、どうなのかと様子を見ていたんですが、やはりだめでしたね」


 対応が遅くなったことを謝る泰紀さんに首を振って、自制できない興奮状態は、あの悪しき節足動物のせいだったのかと納得した。

 やっぱり碌な事しないな、蜘蛛。毒ある奴もいるし、昆虫なのかそうじゃないのかはっきりしない足の数だし、糸吐くし、巣は気持ち悪いし、卵最悪だし、何より見かけが悪いし!

 改めて奴らへの憎悪を新たにしたあたしは、赤くんに当社比百%増しの笑顔でお願いした。


「排除して。生死不問で」


 即座に悲鳴が上がってましたが、虫…違った、無視よ。


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