8 敵を見極めよう!
しばらく睨み合う状態は、高揚している気分のままに結構楽しめたんだけど、不意に途切れる瞬間が来る。
「成る程、ね」
厳しかった表情を消し再び笑みを口元に刷いた東宮が、先程まで発していた威圧感を霧散させたのだ。
「…なにが、成る程?」
緩んだ空気に気が抜けたのはあたしだけじゃない。
イロイロやる気満々だった赤くん青さん、それに背後のカラスまで怪訝に顔を歪めたんだから。
しかたないんで代表して口を開いたんだけど、東宮さまは相変わらず人を食ったニヤニヤ笑いで実に楽しそうなんである。
「笑ってるだけじゃ意味不明なんですけど?説明してよ」
自己完結してんじゃねぇって無言で圧力かけると、爺さんは控えよとか騒ぎ始めるし、泰紀さんはやれやれと溜息をつくし、大分通常モードがお帰りのようよ。
「これならばその力、帝に仇成すことにはなるまいという意味の、成る程、だよ」
「………はあ?」
たっぷり三秒はかかったから、東宮の言ったことをかみ砕くのに。おまけに完全に理解はできていなくて、もしやという思いの裏をとるために泰紀さんに視線をやると、彼はちいさく頷いた。
「人の悪いことに東宮さまは、我々をお試しになったようで」
心底うんざりって表情を見るにつけ、泰紀さんも知らなかったようだ。
そうだよね、最初はこの人出てくる予定なかったんだし、いきなり場所変えたり、帝を引っ込めたり、仕切り始めたり、偶然あたし達に出くわしたにしてはあまりに予定調和な場面が多すぎだもん。
「…主殿、せめて一太刀、いいだろうか?」
「構わないと思いますよ」
「わーい!殴っていい?」
「蹴るのはどうだ?」
「殺さない程度の重傷ならいいよ」
「僕、偉いんだけど?」
この期に及んでも振りかざすつもりの権力に、誰が屈服すると思ってるんだかね、この兄さんは。
全員に睨み付けられた東宮さまは、それでも肩を竦めただけって腹の据わり具合を見せて(爺さんは縮み上がって声も出せずにいた)なぜこんな人の神経を逆なでるような真似をしたのか、簡潔に説明してくれた。
それによると。
帝は想像通り、興味半分、利用できるなら取り込みたい下心半分だったらしい。もちろんあの場にいた貴族の大半もそんなおばかさんばかりだったけど、中には状況をきちんと判断できる立派な人物もいたようで、その人から報告を受けた東宮さまが実は国家転覆を謀るのも夢じゃない危険人物を、見定めに出てきたんだとか。
「我が父ながら帝は、いい加減だし、女にだらしないし、考えなしだし、政を取り仕切るには不足がありすぎの人物でね、周囲の者も甘言を弄す愚か者ばかりだから、実質実権を握っているのは僕なんだ。君の報告は受けていたけれど、後見になっているのが泰紀だというし、町中でも騒ぎが起きているわけでもなかったから捨て置いたのだけれどね…またあれが余計なことを…いや、呼びつけてしまったと言うし、ならば良い機会だから、為人を見極めさせていただこうと思った次第だ。礼を欠いた真似をしてすまなかったね」
あーあのちょい悪オヤジね、そんな感じそんな感じ~…と納得しながらも、最後の謝罪でチャラになる程度の話じゃないから。その、謝ったんだからもういいよね的な顔、止めてもらえない?
の言葉を何とか飲み込んだのは、泰紀さんがこめかみを押さえて扇の影に隠れちゃったからだ。
いつもの毒舌を欠片も発揮せず、溜息つかずに項垂れたのはイロイロ我慢してるんだろうなぁ。辛いよね、お役所勤め。わかるよ、いつも担任が愚痴ってたもん。教頭にも父兄にも言いたいことは山ほどあるのに、言えないんだよって涙目だった。
そんな家主様の苦労がわかったんで、赤くん達は文句言うだろうけどここは穏便におさめてあげようじゃないかって、上から目線の恩赦を出してやる気満々だったって言うのに。
「ところで朝霞、出仕する気はない?妖込みで。僕の子供を産んだら大出世だよ」
内緒話でもするみたいに声を潜めた東宮を、本気で殴ろうとしちゃったよ。結局利用する気なんじゃんか、あんた!
羽交い締めで諫めてくれたカラスと、咄嗟にあたしの前に出た泰紀さんがいなかったら危うく不敬罪で極刑に処されるところだった。危ない。マジ危ない。
寸でで止めてもらったはいいけれど、このままにするのも癪なんですが、と怒り収まらないままでいるあたしと赤青コンビは、その後、家主様の恐ろしさを身に染みて知ることとなった。
「東宮さまがお見えになった時点で、そう仰るんではないかと思いましてね、お呼びしておいて良かったです」
「本当に。女の方に手がお早いのところは、帝によく似ていらっしゃるんですから」
華やかな十二単(だと思う)に負けない美貌の(姫には負けるけど)お姉さんが、泰紀さんの声にこたえるように廊下に現れて、どう聞いても好意的には聞こえない声音で東宮さまを糾弾する。
この突然の登場に、成り行きがわからずぽかんと見上げたあたし達部外者と、対照的な反応をしたのが東宮さまだ。それまで余裕で微笑んでいた顔が、明らかに引きつって腰が引けている。
「これ以上、妃が必要ですの?」
額に青筋が見えそうなお姉さんに、東宮さまはぶんぶん音がするんじゃないかってくらい激しく首を振った。
「いや、とんでもない。私には貴女一人で十分だよ」
「あら、一人ではないでしょう?そんなことをおっしゃっては、他の妃方に失礼ですよ」
…面白い。イヤー実に面白い。砕けてた口調まで改まっちゃって、まるで浮気が見つかった亭主のようじゃないの。
なにより、その浮気亭主の上を行く迫力で、帝をも凌ぐ権力者を一瞬で震えがらせた女性がもっとおもしろい。きっと立場的に、あれですよね。
「ねね、泰紀さん。あれ東宮の本妻だよね?」
「ほんさい、とは?」
「…またか…えーっとなんていうんだ?奥さんも違う…北の方だ!」
「ああ、はい。東宮妃の事ですね。そうです」
「あ、まんまなんだ」
古典の知識とマンガの知識がこの世界に当てはまるのか知らないけれど、少なくとも今は通じた。
でもついでに思い出した記憶と併せて考えてみると、東宮さまの怯えっぷりってちょっとおかしいと思うんだ。この時代、権力者の嫁って複数いて当然な気がするんだけど、なんで奥さん一人に怯えてんだ、あの人。
「あら、それでしたら先ほどそちらの方に何故、子を産めなどとおっしゃいましたの?」
「…っ、それは、ほら、常に美しい貴女を見ていると、凡庸なものをつまみ食いしたくなるというか、ね?」
必死にご機嫌取りに走る東宮さまは面白いが、引き合いに出したあたしを貶すのにめちゃめちゃ腹が立つんですけど?十人並みの容姿なことは否定しようのない事実だけど、何故夫婦げんかのダシに使われなくちゃなんないわけ。
「ねえ、あれ殴っちゃダメ?」
「お気持ちはわかりますが、堪えてください」
自分的最上級の笑顔で聞いたら、泰紀さん的最上級の笑顔で即却下された。
ちっ!
「褒めていただけるのは嬉しいのですが、他の女性にそのような言い方をなさるのはよろしくないと思いますわよ」
「え?!あ、ああ、そうだね。すまなかった」
「謝る相手が違います」
物言いは優しいのに、どうして背中に嫌な汗をかいちゃうんだろう?美人は迫力があるからだろうか?
「すまなかったね」
「本当に、ごめんなさい。東宮さまのおっしゃることは、本気にとらないでいただけますよね?」
素直に謝る東宮さまの横で、可愛らく首をかしげながら問われて、すぐに疑問はとけたよ、とけましたとも!
こーわーいーっ!アホ東宮のうかつな物言いのせいで、ライバル視されてるよ!全然まったくその気がないのに、嫉妬の対象になってるとか怖すぎる!
「絶対本気になんてしません!寧ろ迷惑です!」
「…まあ、せっかく東宮さまに目をかけていただいたのにそんなおっしゃりようをなさるなんて…」
怒られた!いらないって言ったのに、怒られた!
取扱い難しいよ、このラスボス!




