閑話 悲劇と喜劇は一字違いで大違い
少々長めです。
門を守る妖から客が誰であるかは聞いていたが、実際車から本人が降りてくるのを見ると泰紀の視線ははすぅっと冷たくなる。
よくも恥ずかしげもなく、我が屋敷の敷居をまたげたものであると。
「本当にお越しになるとは思いませんでしたよ」
その気分のまま、温かみの欠片もない声で、しかし笑みを浮かべて慇懃無礼に迎えてやると、弟の悪意にだけは敏い雅高の肩が跳ね上がった。
「お、お前が自分の目で確かめろと言ったのだろう!では、屋敷まで出向くしかないではないか」
怯えながらも下手に出るということを知らない兄は、どこまでも尊大に自分より優秀な弟に強がって見せたが、いかんせん腰が引けているから迫力が足らない。
当然それに気づいている泰紀は、この調子ではあの連中と渡り合うなど到底無理だろうと、扇の陰で吐息を零した。
「それで、霞の君の紛い物は、いずこにおるのだ」
「…早々に失言をなさいますね」
「紛い物と言ったことか?仕方なかろう。姫の中の姫であった霞の君と、猿にも劣る娘では比べようもない。いっそ紛い物であると思えば、少しは寛大になれるというもの」
「彼の方たちも、そのように寛大なお心でいらっしゃってくださればよろしいですがね…」
小さな呟きは雅高には届かない。
もちろんそうだとわかって放った言葉なので泰紀は全く気にしていなかったが、この屋敷の中で起きたことは全て鏡の姫に筒抜けなのだと思うと、安易に相手の失敗を喜んでばかりはいられない。
「まあ、あの目も当てられない対面からずっと、朝霞の君とお会いになる機会はありませんでしたからね。兄上の誤解も仕方ないことなのです」
故に何処にいるとも知れない館の最高権力者に、事情説明という名の言い訳をしたのだが、
「そうだっ仕方がないと、そなたも思うであろう!…ところで、まさかその似合わない名は、あの猿娘のものか?」
どうやらこの男、命が惜しくないらしい。
一瞬で冷えた周囲の空気に泰紀の神経が悲鳴を上げたことも気づかず、どこ吹く風で朝霞の居場所を聞いてくるのだから。
「殺すときは、屋敷の外でお願いしますね」
もう庇いきれない。
せめて私に火の粉がかからないようにお願いします、との思いを込めて、再度泰紀は呟いた。
愚かで迂闊で考え足らずな男でも、悲しいかな雅高は半分血の繋がった異母兄で本家の嫡男なのだ。
もしもうっかり異母弟の屋敷で死なれた日には、こちらの命が危うくなる。息の根を止めるならば、是非ともここから遠く離れた場所を希望する。
返事は緩やかに揺れた、気配だった。
どうやら泰紀の心の内まで読んだ姫は、この願いがいたくお気に召したらしい。
機嫌が直ったのなら何よりだと彼は口角を引き上げて、ともかくこの厄介な客を少しでも早く追い払うため朝霞の下に急いだのだが。
「誰だっけ?」
猿とはいえ相手は女性、男が不用意に近づいてはまずかろうと、雅高にしては珍しくまともな気を使ったと言うに、幼き娘を侍らせて、初めて会った頃に比べると衣装も姿も遙かに美しくなった少女は、本気で首を傾げてみせた。
「なっ!お、お前!私を忘れたというのか!!」
魂だけでなく姿形まで霞の君によく似ている娘に、ひととき目を奪われていた雅高は、この無邪気な一言に声を荒らげた。
誠に勝手な言い分ではあるが、彼にしてみれば、朝霞は己が何処の世からか喚び出してやった存在であるのだ。それが召還主への感謝を忘れて、弟の屋敷でのうのうと暮らしているなど到底許せるはずもない。だから怒りが沸き上がる。
爪の先ほども朝霞の心を慮ることのない、阿呆の言い様だが雅高はこうした考えが許される家に生まれ、生きてきたのだと思えば理解ができないこともない。
だから敢えて泰紀は口を挟まず、成り行きを見守ることとした。
さて、我らの道理が通用しない娘は、この男にどう対応するのかと。
「やーねー、冗談でしょうが。誰の顔を忘れても、あんたの顔だけは忘れないわよ」
言いたいことが言葉にできず、口ごもった雅高を面白くもなさそうに見やって、朝霞は呆れたように鼻を鳴らす。
泰紀であればこの反応で彼女の機嫌がよろしくないことに気付いて上手く立ち回っていたのだが、そんな観察眼の持ち合わせがない男は額面通りにセリフを受け取って満足そうに頷いた。
「そうであろうな、そなたも私に会いたくて一日千秋の思いでいたのであろう」
「はぁ?バカ?あんたなんか一生会いたくないリストのトップに決まってんでしょ。顔を覚えてるのは、あたしをこんな目に遭わせたサイテ-野郎だからなんだけど」
そして調子に乗ってふんぞり返って、手ひどいしっぺ返しを喰らう。
まさか自分に少しも感謝していないのかと、冷たく言い放った朝霞を見れば、顔を嫌悪で歪ませて雅高を睨み付けているではないか。
「何という言いぐさだっ。貧しき暮らしをしていたお前が、貴族の屋敷で何不自由なく暮らせるのは誰のおかげだと思っている。全てここに喚び出してやった、私のおかげではないかっ!」
荒ぶる感情そのままに高飛車に怒鳴れば、表情を消した朝霞がすっと立ちあがった。そのまま大股に雅高の元まで来て、姫に…いや、女にあるまじき乱暴さで彼の胸元に掴みかかる。
「誰が貧乏暮らししてたって?この世界での暮らしの何倍も、不自由なく暮らしてましたが、何か?なんでもかんでも自分の都合良く解釈するの止めなさいよね。あたしは元いたところに帰りたいの。味覚的嗜好は満たされないし、情報は欠如しているし、人種差別は横行してるし、お風呂はないし、文明が後退してるのよ?それなのに現代日本より古代日本がいいとか言うわけないじゃない。物語ならエアコンなくても携帯なくても我慢できるでしょうけどね、現実になったらすっごいストレス!」
迫力に怯んだのは一瞬で、それでも言われっぱなしを良しとしない雅高は、彼女を貧しいと判じた理由を口にする。…少々声は小さかったが。
「しかしっ!お前の姿はとても見窄らしかったではないか。若い娘があのように色目も気にせず、一枚しか纏わぬのは、着物に金をかけられないから」
「そんなわけあるか!あれはパジャマよ。多少くたびれちゃいたけど…だからって他に着るものがないとかあり得ないし。だいたい着物なんて普段着にする時代じゃないんだって。洋服が主流」
皆まで言わせず彼には所々意味のわからない単語を並べ立てた朝霞は、何やらどこまでいっても平行線、決して相容れない相手との会話を長い長い溜息で諦めると、胸元を掴んでいた手を離して控えていた泰紀に視線を向ける。
「…ね、この人何しに来たわけ?わざわざあたしを怒らせるために、じゃないよね?」
ここまでの流れを見れば、もっともな疑問だ。
苦い笑みを浮かべた泰紀は違うと思うんですけれどね、と曖昧に答えを濁して兄が訪れる理由となった数日前の出来事を掻い摘まんで朝霞に説明した。
複数の妖と連れだって朝市に現れる娘、の存在が人々の口に上るようになったのは、数ヶ月前のこと。
過去、自分の誓約した妖を周囲に見せつけ、金づるになりそうな輩を物色するために同じようなことをした妖術師がいなかったわけではない。だからその噂だけならば、たいして珍しくもない風景の1つ、だったはずなのだ。
しかし、たかが小娘を取り囲む妖が、有名すぎた。
十二単でふわりと宙に浮き、浮き世離れした美貌を誇るのは鏡の一族。滅多にお目にかかれない高位の妖である。
修験者姿に身の丈と同じ大きさの黒い翼、鉄仗を携え一本足の下駄姿と言えば武術に長けたカラス天狗だろう。
人嫌いで有名な青鬼が、子連れの番で都を歩いていることなど滅多にないし、同じく人に寄りつかないはずの赤鬼の子供が、笑顔で同行しているなど目を疑う光景だ。
幼い娘も2人混じっていたが、女官姿で妖達と対等に話す様子から、彼女達も妖だと判断するのが妥当だと思われる。
これらの者達が、明らかに妖術師ではない娘と楽しげに市を練り歩く。
商人や村の者と話しながら品を買い、やいのやいのと娘を構いながら、まるで人間のような行動を取っているのだ。
これは、事件である。
噂は瞬く間に都中を駆け、遠からず貴族の耳にも届いた。ありがたくないことに真実を含んだ憶測と共に。
「泰紀、お前の屋敷にいるという妖を侍らせた娘というのは…もしやあの時の、か?」
屋敷の出入りは見とがめられぬよう細心の注意を払っていたのだが、人の口に戸は立てられぬと言うことかと、職場までわざわざ訪ねて問うてきた兄を見やって吐息を零した。
「ええ、そうです」
「そ、そうか。お前が雇ってやっているのか」
「いいえ?雇ってなどいませんよ」
「なにっ?!ではまさか、あのような者をその…その様に扱っているのか?」
「…その様がどの様かは敢えてお聞きしませんが、兄上の想像できる範疇での取り扱いとは違う、とだけ申し上げておきましょう」
「ま、待て待て!気になるからきちんと教えぬか」
面倒でかなり狭量な考えしかできない兄に愛想を尽かして踵を返した泰紀は、下世話な好奇心丸出しで引き留めに来た雅高を振り返り、決してできないであろう方法で朝霞の現状を確かめる手立てを投げてやったのだ。
「でしたら我が屋敷においでになればよろしいのですよ。百聞は一見にしかず、と申しますしね」
人の悪い笑みでそう勧めてやったは、確かだ。
「本当に来るほど厚顔だとは、思いもしませんでしたがね」
「なんという言い草だ!」
「なるほどね」
どれほど雅高が居丈高に怒鳴ろうとも、弟の嫌味を馬鹿正直に受け取ってのこのこやってきた事実は変わらないし、それによって朝霞に鼻で笑われたのも現実だ。
現状が憤死するほど恥ずかしい訪問者は、いっそ逃げ帰りたい衝動と闘いながら、だがこうなればここにいる目的だけでも果たそうと周囲をぐるりと見回した。
「それで、お前が使役している妖共はどこにいる」
「…どこにいたって、あんたに関係ないでしょう」
室内の雰囲気が一変するのに、充分な一言だった。
元から友好的とは程遠かった朝霞と2人の幼い女官は、殺気のこもった視線で雅高を睨みつけてくるし、相変わらず笑顔であるものの、泰紀からは底冷えのする冷気が流れてくる。
どうして高々妖のことを聞いた程度でこうまで命の危険を感じなくてはならないのか、疑問ではあったが口にしたらさらに状況が悪くなる気がして、懸命にも雅高は口をつぐんだ。
「まさかとは思いますが、朝霞の君の様子を気にかけておられたのは、妖が原因で?」
「もちろんだ。少しはお前との関係に興味もあったが、高位の妖どもが関係していなければ思い出しもしなかった」
だが、やはり口は滑る。
うっかり本当のことを零した後に、しまったと扇で口元を隠したって遅いのだ。
「もういいでしょ。これ以上我慢させるなら、街で別の妖術師、狩っちゃうけど?」
「八つ当たりはさすがにまずいんじゃないか」
のそりと廊下から現れたのは、本日は大人の姿をとっている赤鬼と、いつになく楽しげな青鬼だった。
2人ともに妖術師とは並々ならぬ因縁があるせいか、排除が決定している雅高に対して遠慮しなくていいという現実に、いささか浮き足立っているようだった。
「我慢はしなくて構いませんが、ここで殺すのは止めて下さいね。私にいらぬ疑いがかかりますから」
出迎えてすぐに庇い立てする気をすっかり失っている泰紀は、冷たい。
喜ぶ鬼達と少し驚いた風の朝霞に微笑んで見せながら、無能な身内と共倒れは御免ですと雅高にきっぱり言い切った。
「無能とは、あ、兄に向かって!」
「自分より官位が低い兄を、無能と言って何が悪いのでしょうか?」
二の句が継げない状態というのを、朝霞は初めて目の当たりにして、思わず拍手をしてしまった。
泰紀の舌鋒の鋭さも感嘆に値するが、雅高の墓穴の堀具合もなかなかに上級者の風格だ。
「己を知るって大事だよ、おじさんっ」
そして、とどめ。
勝手に永遠の愛を誓っている霞の君、彼女と同じ魂を持った娘に、似た顔で笑いながら『おじさん』呼ばわりされた雅高はその後、悪戯好きな赤鬼の提案で化野に捨て置かれても呆然とした態を崩せなかったとか。
蒲生 雅高 26才。代々優秀な人材を輩出する妖術師一家の嫡男でありながら、希代の妖力を誇る異母弟に妖術の頭の地位を奪われ、更には初恋の君も奪われた悲劇の人である。
ただし、言動を見るにつけ、周囲の人々は『喜劇の人』の間違いなんじゃないかと囁くとか囁かないとか。
不毛な操立てを未だ貫いているせいで、独身。今後も結婚の予定はない。
あんまりいらない補足
化野=京都で平安時代初期まで風葬していた場所。パラレルではもう少し時間が経っているけれどその設定をお借りして、野ざらしのご遺体がある場所、として登場させています。時代的に合わないじゃんと思った方、パラレルです。ご都合主義です。お許し下さい。もし京都に行くことがあっても、興味本位でこれらの場所に行かないでね。結構本気で不幸に見舞われます。
大変お待たせ致しました。
脱線しましたが、なんとかリクエストの骨格の一部くらいは残っているのではないかと…つまり別物になってしまいました…ごめんなさい!!




