閑話 稀なる娘の取り扱い
夫の無事を祈らない日はなかった。
私の出産に立ち会うため、帰路を急いでいた彼が複数の妖術師に縛られとの知らせを受けたのは、娘が無事に生まれた後のこと。
仲間が必死に探してくれているけれど、長老様からは『万一の覚悟』を常に説かれているのが現状だ。
それが、ある日、朗報に代わる。
満身創痍ではあったけれど、鏡の姫君に連れられ戻った夫は、涙にむせぶ私に信じられないことを言った。
『人に助けられた』と。
あり得るはずがない、騙されているのだと叫んでも困り顔の夫は取り合わず、鏡の姫は鷹揚にその娘の人柄と善意からの行為を肯定するだけだ。
そんなまさかと疑いながら、けれど己の判断が正しいと言い切れるほどの材料もないまま会った朝霞は、なるほどにわかには信じがたい性格をしていた。
無欲で無頓着で、良くも悪くも公正。
本人に言わせれば、
「あたしルールで納得できないものが悪、納得できたら善」
という、聞きようによっては非常に独善的な考え方ではあるのだけれど、どうも変わった考え方の御世から来た娘のようで、根底に流れる道徳観が都のそれより圧倒的に公平公正であるのから、種族が違えど悪いことは悪いと言い切ってしまう。
人間であるのに妖に対して偏見も嫌悪もないのはそのせいみたいだけれど、これは言う場所出す所を間違うと自分の身が危険になる考え方なのじゃあないか、そう眉を顰めていると鏡の姫がいたずらに笑った。
「だから妾がおるのよ。あれを害する全てから、一族の名に懸けて守ってやろう、とな」
成程、妖一の守護力を誇る姫になら、朝霞を守ることもできるだろう。
頷きながら、けれどと考えていた。
彼の方の目が届かない場所で、強硬手段をとる愚か者が相手ならどうかと。荒事にならば、姫より青鬼の方が一日の長がある。
「ねえ、あなた。朝霞に借りがあるのでしょう?とても大きな借りが」
人間でありながら人間らしくない娘に会った、昼。寝床に潜り込んだ背中に、決意を含んで声をかける。
「…ああ、ある。あの強く脆弱な娘に、返しきれない借りがある」
こちらにころりと転がった夫は、私の顔を見て探る瞳を泳がせた後、にやりと笑った。
夫婦とは面白い。話さなくても思いは通じたらしい。
「それなら、返しましょうよ。彼女と契約して外敵から守るのよ。貴方と私、2人で。いずれは夏も含めた3人で」
「朝霞は厄介ごとを好まないと、鴉殿に聞いたぞ。ただでさえ鏡の姫と契約なんぞと、前代未聞のことをやってのけたんだ。この上、青鬼とも契約など厄介この上ないと拒絶されるのがおちだろうが、どうする?」
「姫に頼むわ。あの方ならば朝霞の扱いに長けていそうだし、きっと良い知恵を貸してくれるでしょう」
これはいい考えで、妖力提供を口実とした姫のこじつけ提案にあっさり納得した彼の娘に、私は更なる不安を抱えてしまった。
(学がないとか己の意見がないのとは違うんだけど、どうしてこう単純なのかしら。これじゃあ狡賢い人間たちに、騙され放題じゃない!)
そう、妖はいい。私たちは一部の者を除き、意外に正直で真っ直ぐな性根の物が多いから、わざわざ人間の小娘相手に策を弄そうなんて考える事はほとんどない。
だが、人間は違う。役立ちそうなもの利用できそうなものを見つけては、あの手この手で取り込もうと躍起になる。
「朝霞、一人で館を出たりしたら、ダメよ?」
夏を抱いてあやしながら庭をうろついていた娘に、思い出した不安をぶつけると、当然ながら、はぁ?!と怒り交じりの声が返ってきた。
「自由、ないでしょうが!どうやって一人になるのよ。四六時中誰かがあたしに引っ付いてて、ほぼ当番制でしょう、これ」
これ、とは一日を通して朝霞と誰かが一緒にいる状態のことだ。
何時は誰と決めたわけではないけれど、暗黙の了解で彼女が一人にならないよう付き添う者がいる。結界の張ってある館の中でこれなのだから鬱陶しいのだろうけれど、これには護衛以外の理由もあるのだ。
「だって、朝霞ってば何もできないから。着替えも食事の支度も明かりを灯すのも」
「教えてくんないでしょうが、だーれも。覚えりゃなんとかなるもんなのよ、そんなのは」
「まあ、不器用でなかなか上手にこなせないってこと、忘れちゃった?」
「…っ…覚えてるよ!」
彼女が一人になれない表向きの理由は、膨れながらも理解できたようで、ぶつぶつと不満を漏らしながらも夏をあやすことに意識を戻していく。
納得できないことには絶対に首を縦に振らない朝霞を丸め込むには、花の双子が考えたこの言い訳が最適だった。
複雑なようでいて根が単純で思考が意外に善良な彼女は、妖が人間という生き物をどれほど警戒しているか知らない。
本来なら彼女だって忌避される存在であるのに、さまざまな要因と理由が重なっていつの間にか妖の保護下に入ってしまったものだから、余計に人というものの汚さ、醜さを目の当たりにすることなくここまで来てしまった。
本人に言えば知っていると怒り出しそうだが、彼女が見知ったことなどほんの一欠けに過ぎない。禍根は根深いのだ。
だからこそ、青鬼たちは朝霞が人に惑わされることがないよう、穢されることがないよう、過保護なほどに構い守護しているのだから。
「まーったく、鴉だけじゃなくて奥さんまでおかんになっちゃって…夏、あんたからも言ってよ、あたしは赤ちゃんじゃないって」
「…あーちゃん?」
「………うおっ!?奥さーん!夏がしゃべった!!」
「昨日もしゃべったわよ?」
「え?!すごい、天才?!この子、ジーニアス?!」
肌も髪も目も、人間とはあまりに違う子供の成長を手放しで喜べるこの娘を守りたい。
朝霞の言ではないが正に母の気持ちで、彼女は思った。
閑話ばかりがシリアスになる不思議。
すみません、リクにちっともお答えできてない気がします…ごめんなさい。




