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閑話 姫と温泉は何故か心裡の水鏡

笑いはありません。

書き上がったら何故か姫が独白していた不思議。

 鏡の一族は、妖の中でも古い血筋を誇る存在だ。

 秘めた妖力の強さと反比例して個体数が減る妖において、十指に足りるほどしか同族を持たない彼等は頂点とされ、寿命も長い。

 鏡華裏きょうかりも自分がいつからこの世に存在するのかはっきりは覚えていなかったが、数百年は記憶があるからきっと、その程度は生きているのだと知っている。退屈な退屈な記憶だ。


 初めの頃は短命で欲に塗れた人間を見て暇を潰す事が好きで、よく人里で人に紛れて生活をしていた。

 しばらくするとそれにいて、中央の政に関わる要人の前に気まぐれに降り立ち願いを叶えてやるようになるが、諍いが起き争いが絶えなくなると、渦巻く腐臭に耐えられなくなり鏡の世界に籠もった。

 その後、どこから居所を聞くのか、度々彼女を呼び出す人間は皆一様に妖力が強く、野心に満ちた面白味のない者ばかりだった。

 時に力を貸してやり、気に入らなければ喰らい尽くし、何人そうしてやり過ごしたか、あるとき相手をするのも面倒になって己で己を封じてしまった。


 鈍色の闇で揺蕩う時間、鏡華裏は幸せだった。だが同時に、煩わす者がいない時間は退屈に過ぎる。

 だからといって自分で封を解く面倒を冒すつもりもなく、ただゆらゆらと漂っていたある日。


 力ずくでこじ開けられた鏡の道の先、少年がにこりと笑っていた。

 小さいくせに内包する妖力は呆れるほど強大で、うっかり妖かと勘違いするほどの存在。

 目を眇めて自分を値踏みする鏡華裏に、子供はこう言った。


『契約をして下さいませんか?』


 強制的に彼女達を縛り付ける誓約と言わなかっただけ賢いが、鏡の一族に契約を望むほどには愚かな彼が、気に入った。だから彼の願いが自分の興味をひいたなら助けてやると、約束をくれてやったのだ。

 それからの日々は、鏡の裏から少年の屋敷を覗くことが日課になった。

 相変わらず滅多なことで外に出たりはしなかったが、年に数度、力を貸してやっていると鼻の利く小物共が寄ってくるようになり、それなりに楽しく過ごせていたのだ。


 朝霞が現れるまでは。


「本当に入るわけ?」

「いかんか?」


 初冬、雪こそないが山の上の秘湯は冷える。

 すっかり鏡の道にも慣れた朝霞に、風呂までの通行が1人でできるすべを教えてからというもの、自分では来ていなかった湯の前に鏡華裏はいた。

 毎日お気に入りの娘が通うここに興味が湧いたというのが半分、寒さに負けて市に付き合ってくれなくなった彼女に意趣返しをしてやるつもりが半分。

 どのみち退屈が紛れるのなら、何をしても構わないのだ。


「でも、姫がそれ脱ぐとかちょっと想像できないんだけど」


 眺めていても面白いわけではないと、一緒に湯に浸かると言いだしてからずっと、朝霞は渋い顔をしている。今だって鏡華裏の衣装を理由に、なんとか彼女を諦めさせようと必死だ。

 くふふと檜扇の奥で含み笑いを漏らす妖は、この態度こそ朝霞が彼女を飽きさせない理由なのだと、教えてやるつもりはなかった。

 人が妖を恐れるのは、本能だ。里で人間に紛れて暮らしていた時でさえ、周囲は鏡華裏の異端を見抜き疑い、必要以上に近づいては来なかった。


 なのにこの娘ときたら。人間相手には疑り深く、十分な警戒をしているというのに、何故その過ぎた用心を妖相手には出来ぬというのか。


 うっかり真名を漏らした愚かな人間に、鏡の姫が真っ先に抱いた疑問だった。

 あまりの間抜けさが憐れになり、どのみち早死にするであろうからと契約してやった娘は、彼女が気まぐれな約束をくれてやった少年──泰紀に匹敵する妖力を持ちながらもそれに頓着しないおかしな人間だった。

 妖力は人の社会で力を手にするには不可欠で、妖をどれだけ従えられるかが愚かな彼らのすべてだ。

 なのに彼女はそれらに興味を示さず、自分に害がないのなら溢れ出すだけの妖力を妖が喰らっていようと気にしない。それを餌に取引を持ちかけることもせず、かといって人に利用されることも良しとせず。


 人間と妖の狭間が実に広く曖昧な娘は、己の幼い正義感に叶えばどちらの味方にもなる潔さで、変わり種を好む妖を引きつけてやまない。

 だがそれは、矜持が高く異端を忌み嫌う人から、時に想像を絶する悪意を投げつけられる原因となろう。


「やっぱさ、やめた方がいいって。この時代の鏡って銅鏡じゃなかった?あれ、変質するよね。この温泉が硫黄泉だか単純泉だか知らないけど、温泉は塩入ってるの多いしやめた方が無難だよ」


 鏡華裏が危うい人の子を案じていると、隣で件の娘もまた自分を案じてくれていたらしい。

 先ほど笑った妖に堂々と意見する型破りそのままに、何やら理解できない言葉を連ねて必死に鏡華裏が風呂へ入るのを止めようとしているではないか。


「10円なんかいい例でしょ。あんな綺麗でピカピカなのにちょっと流通しただけで酸化?は錆?忘れたけど、姫が錆びるとか…ちょっと想像したくない。緑になるの?あれやなんだよね、もこもこぼこぼこ表面も気持ち悪いしさ…ともかく、鏡は錆びるから温泉に入ってはいけませんてことで」


 独自の持論は独自の解決をみたらしい。

 鏡華裏を置き去りに、また背後で控えていた花の妖娘にも同意を取らないまま、入湯を禁止してきたのだ。

 どうやら得意げに胸を張る朝霞は、大きな勘違いをしているらしい。

 今日も変わらず面白い事だと笑いながら、だから鏡華裏は教えてやった。


「そなた妾が鏡でできておると思うておったのか。おかしきことを」

「…ちがうの?!」


 一拍置いて、本気で驚いているところをみると、大いに勘違いしていたらしい。

 その様に全部顔に出すでないと咎めながら、鏡でなどあるものかと続きを語る。


「あの鈍色の世から生まれ落ちたのは確かであろうが、妾は朝霞と同じ実体を持つ妖よ。だって考えてもごらん、鶸と桃のように草木を写した妖が、宿主が枯れ落ちたといちいち死んでいてはおかしかろう?妖力を得、この世に現れ出でた時点から、付喪の我らは器を得るのよ。その性質は己を作り出した物に多少の影響は受けようが、基本、人とあまり変わらぬ」

「へ~ま、そっか。触れるし見た目…美醜以外は人間と一緒だもんね」


 聞き終わり気の抜けた顔で頷いた朝霞に、鶸と桃が嬉しそうな笑みを零した。もちろん、鏡華裏も扇の奥で口角を上げている。

 人と妖を同一視して、不快を表さぬ人間などいないと知っている彼女らにとって、やはり朝霞は新鮮だ。


「やはり…長生きは難しそうよな」


 だからこその不安を紡いだ一言に、当の本人は嫌そうに眉を寄せるとまたそれかとぼやいている。


「それってストレスで早死にってなら、大いに賛成。なにしろ溜息量産機の家主の元で、フリーダムな姫に振り回され、いたずら好きな赤鬼を怒って、惚気に来る青鬼をいなす、ついでに鴉の小言に耐えて、それを楽しそうに眺めてる小学生コンビに脱力する毎日じゃ、溜まるねストレス!」

「すとれすとは、なんじゃ?」

「いーの、知らなくて!」


 やけくそ気味に叫んだ朝霞は、そのまま姫はやっぱり入浴禁止と言い捨ててさっさと着替えるため岩陰に消えた。

 残された妖達は、どの辺りが朝霞の怒りのツボであったのかがわからず、ただ首を捻るばかりなり。


「ふむ。あの異端は…人からこそ隠さねばなるまい」

「そうですわね。妖を友としているなど、危険すぎます」

「なにしろ朝霞の君を取り巻くのは、何れも名のある大妖たいようばかりですし」


 こぞって無知な娘を操ろうとする姿が目に見えるようで、鏡華裏は己の内に隠し込んでいた凶悪な感情が、ぞろりと這い出して来るのを感じた。

 愚かで汚らしく腐臭を撒き散らす者達は、遠い昔に鏡の姫が次々殺した過去共だ。あの頃のように何もかもを消してしまっては、朝霞は喜ばぬ気がする。何よりあれの陽気な怒声が失われるのであれば、千の命を奪う意味すらなくなってしまう。


「さて、面倒なこと…いっそあの子の大切なものだけ、どこぞへ移してしまおうか」


 本気で部分移住をさせて、都を破壊する計画を鏡華裏が練っている頃、裸になった朝霞は心の底から願っていた。


 どっか行って下さい。お風呂入りにくいんで。


 それは遠い未来の殺戮計画より、余程近くて簡単な朝霞の希望であった。


 

 

 

リクエストを頂いていましたが、なにやらずれにずれたような…すみません、陽気な雰囲気がないです。そしてどこか2部へ繋がる予感の文になってしまった。

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