19 泣いた赤鬼、泣かせたあたし
「ならば、死ね」
ふわりと風を伴って、一気に間合いを詰めた赤鬼の爪が、喉を襲う。
ちりっと皮膚を裂いた痛みに、このままつっ立ってたら死ぬと理解はできるんだけど、悲しいかな人間の反射神経じゃ(あくまで人間ね、あたしの、じゃないわよ)反応することすらできない。
それじゃ、せめてもの抵抗に最後の最後まで目を逸らしてやるものかと、ぼやけるほど至近距離の紅を気力の限り睨み付けた。
「…恐れは、ないのか」
「恐くないほど愚かじゃないわ」
愉悦を含んだ声を耳元に吹き込まれて、不快感でいっぱいになりながら吐き捨ててやった。
力が全ての妖と、彼等を利用することで成り立つ人間と、単純すぎるパワーゲームが支配するこの愚かな世界に生まれつかなかったあたしは、それだけで死亡フラグが立ってたらしい。
常識を知らず、いりもしない妖力とやらを持ってるくせに使えないせいで、ここに来てからさんざんだ。
この短期間に一体何度、命の危機に直面してるだ。しかも今回はマジでヤバイ。本気で殺される。既に爪が食い込んでいる。
だから元の世界に還してくれと言ったのに!
「祟ってやる!楽に死ねると思うなよ」
こんな場所にあたしを喚んだ馬鹿男を筆頭に、様々な物に対しての悪意ある呪詛を吐いて、用意は調った。さあ、いつでも殺すがいい!
そうして一矢報いる事もできず散っていく自分のを憐れんでいたってのに、一向に痛みは増さないし世界が暗転することもない。
まさか赤鬼が仏心でも出して見逃してくれたのかと、ぼやけた視界をクリアにするため一歩後退しようとして壁に当たった。いや、壁なんかない。ここは往来のど真ん中じゃないの。
「鴉?あれ、青さんも」
そろりと振り返ったらあたしの背後から赤鬼の腕を掴んで止めてる鴉と、真横からこれまた赤鬼の腕を掴んで止めてる青さんが視界に入ってくる。
「動かないほうがいい。まだ爪は皮膚に食い込んでいる」
「う、うん」
いつも奥さんにデレてる青さんが真剣な顔してるとこ初めて見た…じゃなくて、あたしを助ける気なんかないと思ってた青さんに、助けられてる!
「わぁお。本当に契約してたんだねぇ」
驚天動地な出来事に万感の思いを込めた声を上げると、訝しげな視線が返った。
「信じていなかったのか」
「うん、あんまり」
「…なのに妖を食わせていたと?」
「ま、友達だからね」
「………」
「え、そこ黙るとこ?」
自分が友人だと思ってた相手にそういう態度取られると、ちょっと虚しくてかなり恥ずかしいですけど?
びっくり顔で無言の青鬼と、少し離れた場所で同じ顔してる奥さんに訴えてみるが変化はない。寧ろ、ニヤニヤしてる姫とか鶸ちゃん達まで見えて、羞恥倍増なんだって!
「理は理解して、契約しただろう?」
ああよかった。口きいてくれたよ。
ほっとしながら、さっき赤鬼に絡まれてるときに誰1人仲裁してくれなかったから、てっきり契約してても助ける気はないと判断したんだと思ったって話したら、怪訝な表情をされてしまった。
「命の危険がないのに、手助けはしない。特に他の妖が相手の場合は、そいつを捕らえる為の交渉を邪魔することにもなるからな」
「いやいやいや、どんな勘違いよそれ。あたしがこれ以上、妖と契約するわけないじゃん。間に合ってるから」
青さんの余計なお世話的親切に、思わず頭抱えたくなっちゃったわよ。
毎日振り回され、説教され、惚気られてる現状で、既にオーバーフローだっての。この上新たな厄介事なんて御免被る。お断りです。
「そうか…誤解したようだ。すまなかった」
「おわかり頂けて幸いです」
だから次回はきっちり助けて下さいの意味を込めて頷くと、気づかぬうちにちょっぴりあたしから引き離されていた赤鬼の笑い声が響く。
少し離れたってまだまだ至近距離、そう大声出されるとうるさいんだけど?
「なんかおかしい?」
「ああ、笑えるな。それほどの妖力を持ちながら、他に手持ちの妖などいらんだと?強き者を手足のように使っておきながら、友などとそれで懐柔したつもりかっ。いかにも小賢しい人間のやりそうなことだ」
芝居がかって見えるほど嘲笑されても、痛くもかゆくもない。嘘をついたわけでも、隠した本音を暴かれたわけでもなければ、人間結構冷静にいられるものだ。
ほっとくといつまでも笑ってそうな赤鬼を止めて、さっさとこの見世物状態を脱したいあたしは、面倒なんで彼の言うことを全部肯定してあげることにした。
「だね。嘘をついてごめんなさい。貴方の言う通りです。あたしはもっと力のある妖をいっぱい手に入れたいし、その人達を上手いこと操って面白おかしい人生を送ろうとしていました。もうそんな野望を捨てますから、どうぞお許し下さい」
若干棒読みなのはご愛敬だ。背後から「真実味が足りない」と呟いた鴉もエルボーで黙らせといたし、己の主張が通れば赤鬼も大人しくどっか行ってくれるだろう。
多大な希望を込めて敵を見上げると、なぜだか眉根を寄せて不機嫌に表情を曇らせている。
「心にもない謝罪などいらない。お前は本当に彼等を友と思っているのだろう」
そう来るのか。そう来ちゃうのか。
「面倒くさいな、もう。なんなのあんた、いきなりいちゃもんつけてきて肯定されたら否定って、かまってちゃんか!」
ドラマの主人公並みに質の悪い自己陶酔に、キレちゃった。相手なんてしたくないけど、中途半端に放り出して後々ずーっと絡まれても困るんで、作戦変更で徹底的に応戦ことにする。
睨み付けると案の定、びびったようにひいてる赤鬼にイライラが募った。
いるよね、こういう奴。正義のヒーローぶっちゃって、自分の見たいことしか見ないの。物事の表面だけ撫でて、深部まで理解した気になるんだから、腹立つったらない。
さては子供の姿で出てきたのも、姫にごりごりごま擦ってたのも全部芝居か。最初から計算ずくか。
なら、手加減なんかしてやらない!
「契約したからって、いきなり生命の危機に晒されるような生活してないんだから、基本、妖の出番なんてないのよ。でも姫は毎日あたしの傍にいてくれるし、青さん家族もしょっちゅう遊びに来てくれる。一緒にご飯食べていっぱい喋って、笑って怒って呆れてを繰り返して。これってもう、友達でしょう?みんながどう思ってるかは知らないけど、少なくともあたしにとっては友達なの。契約内容だって死なないように守ってくれる、だけなんだからあんたみたいに鬱陶しいのに喧嘩売られててもマジ命の危険的状況が来るまで放置…なんかこれまずい気がするんだけど。ひーめー!次回からこういうのが近づいたら強制排除とか、できない?青さんも、ねえ!」
「せぬ。この程度であれば、退屈しのぎに丁度よい」
「敵意のある妖と、そうでない妖の区別がついたらな」
「…あーそー」
話の途中だったけど、気になったんで確認したら速攻却下か。青さんはともかく、姫の理由にはむかつくけど、抗議したってしょうがない。彼女が己の欲求に忠実なのは、今に始まったことじゃないんだから。
脱力したけど端から大して期待してなかった分、落胆は少ない。少ないがないわけじゃないんで、一応目の前の人物に八つ当たっておくことにした。
「あんたさ、小賢しい程度の人間にこの連中を手足のように使えるとか本気で思ってんなら、頭悪すぎ。ついでに友達だって言ったくらいで懐柔できるなら、万々歳よ。下手すりゃおこがましいって殺される危険があるっての。あたしがそんなバカに見えるってなら、侮辱よ、侮辱」
人の苦労も知らないでなんてことを言うんだと怒りをぶつけると、大人しくなっちゃった赤鬼は途端に顔つきを幼い子供のそれに変え、気味が悪いかな大人の顔でぽろぽろと涙を零し始めたじゃないの!
「だって、だって、羨ましかったんだ…っ」
え、なに?これってあたしが泣かせたの?!あたし、悪者?!
うわっ、めんどくさっ!