11 背後から落とし物
姫が連れてきてくれたのは所謂温泉宿じゃなくて、天然岩風呂、露天風呂。現代日本でもてはやされる秘湯の類いだった。
当然、着替えをするための建物とかって気の利いたものはないけど、山の中のお風呂に入りに来る物好きはいないって姫のお墨付きをもらい(どうやら彼女、ここに来たことがあるらしい)、本当なら警戒すべき男性である泰紀さんに『お前なんか興味あるか』って目で見られたら、すっぱり思い切りよく脱いで、すっきりお湯に浸かりますともさ!
「いや~最高だね、露天風呂!」
午後の日差しは初夏の色が強くてちょっぴり紫外線の敵意を感じるけれど、気にならないくらい久々のお湯は気持ちいい。
「朝霞の君、何か不自由はございませんか?」
「手が必要であれば、遠慮無く申しつけて下さりませ」
「大丈夫だよ~全く問題ないから」
傍に控えてるだとか、お手伝いをとか、にこやかにごり押ししてきた桃ちゃんと鶸ちゃんを必死の説得で岩陰に追いやったあたしは、のんびり入浴タイムを邪魔されまいとノープロブレムを強調する。
だってね、一緒にはいるならともかくだよ、しっかり着込んだままの女の子達に付き添われて、リラックスできるかっての。トイレとお風呂は究極のプライベート空間なんだから、放置して貰っていいんだって。
姫は『湯浴みをする気分でなはい』とかで泰紀さん連れてどっかいっちゃったし、こうなったらとことん、久しぶりのお風呂を楽しむのさ。
そんなわけで、念願叶った天然温泉に喜々として髪を洗い(米ぬかでだけど)、体を洗い(ぬか袋でだけど)、肩まで浸かってハッピーと、鼻歌が出る寸前だったんだよね、ほんの数秒前まで。
『ガサ・ドサッ』
大きな岩がある背後で、草を乱暴に掻き分けた音と、何やら質量のありそうな物を落とした音が聞こえて振り返る。
お風呂の四方は、50センチ前後の岩数個に囲まれているんだけど、背後は大きな一枚岩で高さは1メートル近かったはず。姫曰く『獣も易々とは飛び越えられない』からここに背中を預けて入るのが1番安全だって言われたんだけど、それでも挑戦した無謀な獣でもいたんだろうか?
暢気にそんなこと考えてたあたしは、目線の高さに落っこちてた物に、ぱかっとだらしなく口を開いてしまった。
青い、んだけど?それもさ、手とかほっぺとか足とか腕とか背中とか、あり得ないとこが全部青いんだよ。そのあちこちに傷があったり血がにじんでたりするから、赤が鮮やかでね。まさかのボディペイント?とか思ったけど、こんな綺麗に色は付かないと思うんだ。浮いた感じがないし、何よりリアル感が半端ない。濃紺の長い髪も鬘じゃあり得ないナチュラルっぽさがね、それに拍車かけてると思うわけ。
まあこんだけつぶさに観察した後なら良いと思うんだよね、例え相手に意識がなくても主張して。
「桃ちゃーんっ!鶸ちゃーん!なんか生物落ちてきた!!」
間の抜けた叫びの後、手早く着物を着せて貰ってすぐに現れた姫に笑われ、泰紀さんに溜息を吐かれた。
なんでだっ!
「だってそなたは妾の期待を裏切らず、厄介事を拾うのだもの。嬉しゅうてのう」
「拾ってないし。落ちてきただけだから。そもそも厄介事に当たるのは、これが初めてです」
「ご冗談を。姫と契約されたことをお忘れですか?あれ以上の厄介事がありますか。…その勢いでご自分の名を忘れていただけると、助かるのですがねぇ」
「うわぁ、イヤミっぽいね、泰紀さん。いつまでも昔のことねちねち言ってると禿げるぞ!」
「ほほほっこの男から見てくれをとったら何が残ろうか」
「当代随一の妖術師としての力しか残りませんね」
「さり気に自慢とかマジむかつく。腹立つ」
「垂れ流しの妖力以外、取り柄のない貴女に言われても、ねえ?」
「うがーっ!!」
ボキャブラリーの足りなさが敗因だと、最後は叫び声しか出てこないんだなあ。
くっそー腹立つ!だけど、どうにもできないしっ。
頭をかきむしって腹立ちを体現していたら、鶸ちゃん桃ちゃんに宥められた…寧ろ立ち直れないダメージを喰らった。子供にどうどうとかされちゃう女子高生って、どうなの?!なしだよね、ないよね、そうだよね!
ずどんと落っこちてきた自己嫌悪に、のめり込んでる場合じゃない。
現にあたしが1人、うじうじぐだぐだやってる間に、姫と泰紀さんは落っこちてきた不審物の分析に当たり始めてるから。
「青鬼、ですね。この傷、彼等にこれほどの仕打ちができるのは、赤鬼か天狗か鵺かというところですが」
眉を顰めた泰紀さんは、所々赤く染まった皮膚を指しながらあたしが知っている単語と知らない単語を並べていく。
それを受けた姫も目を眇めて何やら思案した後、檜扇で口元を覆った。
「泰紀、そやつは誰ぞに傷つけられたわけではない。誓約を切って参ったようじゃ」
気のせいでなければ、姫はすこぶる不機嫌に見える。さっきまで陽気に言葉遊びに興じていた姿はどこにもなく、傍にいるこっちまで寒気がするほどの怒気を発して、不快を隠さず青い人を見ていた。
「…名が…ああ本当に。真名が抜け落ちてしまっていますね。急ぎ新たな名を作らねば、体がもちませんか」
「持たぬだろうな。じゃが、大人しくそれを受けるかどうか。かといってこの有様では自分で名をつけることもできなかろうて。はて、どうしたものか…」
随分深刻だっていうのは、端で見ててもわかったわよ?わかったけど、わかんないことが多すぎるんだよね。
部外者にとっちゃ、全部伏せ字になってるのと一緒。ちょっとばかし補足して貰わなきゃ、話しに付いてくこともできやしない。
だから困った時の、桃鶸頼みを発動したわけ。
「ねーねー、ショウキとセッキって何?鵺は?」
「青き鬼と、赤き鬼、ですわ。どちらもその名の色に、肌と髪と瞳が染まっている妖です。体は人と大差ない大きさですが、力が強く、一蹴りで天高く舞い上がることのできる争い事に向いた妖ですの。同じように荒事に向いていると言われているのが天狗と鵺で、特に鵺は虎の姿で尾は蛇、雷を操る恐ろしき生き物です」
「ほう。で、なんで名前がなくなってるって姫や泰紀さんにわかるの?誓約って切れるもの?名前無いとの死んじゃうの?」
「姫様は強き妖故に、主様は優れた妖術師故に、その者の名のあるなしがおわかりになります。誓約は名を縛られることですが、支配する者に支配される者を縛るだけの妖力がなければ、己の名を身から引き離すことで誓約を切ることができます。ただし、無理に引きちぎれば魂に傷を入れ、ひいては肉体をも損ねることとなり、そちらのお方のような姿になられますの」
お労しいと口を揃えた2人は、沈痛な面持ちで倒れている青鬼を眺めていた。
いつもころころと笑っている彼女達には珍しい暗い顔に、こっちの心もずんっと重くなる。
姫が不機嫌になって、泰紀さんが難しい顔をするわけだ。青鬼はあっちこっち傷だらけのぼろぼろで、これだけ耳元で騒いでいても目も覚まさないほどダメージ負ってるんだもん。
かく言うあたしだって、この状態は微妙に腹立たしいのだ。
不本意極まりない事情で喚び出されてからこっち、妖と呼ばれる人達には親切にして貰った覚えしかない。
あのムカつく男共より、度々意見の相違をみる泰紀さんより、桃ちゃん、鶸ちゃんの方が余程優しい。姫の方が余程気遣ってくれる。
それが気まぐれをモットーとする妖の性質で、おかしな場所から来た生き物をつついて楽しんでいるだけだとしても、こうして腹が立つ程度にあたしは彼女達が好きだ。
この先、違う妖に合えば考えは変わるかも知れない。けれど今の時点では、無残な姿で横たわる妖をここまで追い込んだのが人間であることが許せない。
妖術師なんか滅べばいいって思う程度には、頭にきてるのだ。
「とりあずその人を手当てして、それからこんなことした妖術師を殴りに行こう!」
「…また、貴女は何を」
「よい考えだよ、朝霞。では館にこの者を運ぶとしよう」
単純明快な答えを出したあたしを、怒ったのは泰紀さん。笑ったのは姫。
どっちの意見が通ったかって?似非平安時代でも、多数決は有効なんだよ。
泰紀君にね、勝ち目はないんだ最初から。
鵺は、勝手にアレンジしています。
だって、顔が猿とか嫌だったんです。格好良くないし、どうせパラレルなんだから雲がピンクなのと同じように、鵺の顔が虎でもいいじゃん、てことで許して下さい。