10 女4人寄れば、無敵じゃね?
お風呂にあっさり負けた泰紀さんが絶句する中、マイペースな姫は鶸ちゃんに鏡を持ってこさせるとちょいちょいとあたしを手招く。
半歩ほどのその距離を膝で躙って進むと、床に直置きされた直径30センチほどの鏡面に、姫が無造作に右指を突っ込んだ。何の躊躇いもなく、ずぶっと。
「うわぁおっ」
無機物から有機物が生えているように見えるその光景、すっごいシュールなんだわ。予備知識として姫が鏡の中に住む妖だって知っててもびっくりするくらい、ファンタジー。
これが種も仕掛けもあるマジックだったら寧ろ楽しんで見られるんだけど、現実じゃ、あいたたたっ、だよねぇ。科学という名の常識で凝り固まった頭には、毒にしかならないっての。
「惚けておるでない。妾の手をお取り、鏡の道を案内してやろう」
「…ふぁい」
なんだ、鏡の道って。いや、突っ込むまい。何しろ姫はあのちっさい金属の中に既に肘まで埋まった状態でこっちに左手を差しだしてるんだから。
きっと、入るんだよ、中に。頭は通っても肩が通らないだろうっ!…っていう、至極まっとうな意見なんか鼻で笑ってさ、非常識にダイブするんだ。
考えるな、考えちゃ駄目だ。唯々諾々は、弱者が生き残るのに必要なスキルなんだから。
無理矢理己を納得させて姫の手を取ると、鶸ちゃんと桃ちゃんが当然とばかり背後に付き従う。
「姫様、わたくしたち朝霞様のお世話がありますのでご一緒させて下さりませ」
「ああ、構わぬよ」
「では姫、私もお連れ下さい」
可愛らしい女の子の声に便乗したテノールに、動きを止めた姫がゆるりと振り返る。
視線の先にいたのはもちろん、室内唯一の男性、泰紀さんであった。
「朝霞の君は姫もご存じのとおり、何かと気がかりな女性にございます。今ひとつ世の理について疎いですし、後見をする者といたしましても一人で行かせることが不安なのです」
「妾とおって、朝霞の身に災いがあると申すのか?」
さむっ!なんかいきなり気温下がった気がしますけど?!マンガ的な表現じゃないからね、マジだから!本気で体感温度が下がってんのっ。
なぜっと、あたしを挟んだ2人を交互に見て、納得。
一目で怒ってるとわかるほど姫は壮絶な表情をしているし、対する泰紀さんも恐ろしく真剣な顔して視線をこちらに据えている。
美人て、怒ると迫力あるよね!
なんて、言ってる場合か!!
「怖いんですけど、二人とも~」
姫に片手つかまれたままなもので逃げることもかなわず、潜めた声で鶸ちゃんと桃ちゃんに泣きつくと、彼女たちはのほほんと微笑んでいた。
「いつものことですのよ」
「ええ、いつものこと」
「………へぇ~」
いやな日常だね!こんなのがいつものことって、どうなのさ!
自分でもわかる頬の引きつり具合に、あらっと首をかしげた桃ちゃんが説明不足と感じたのか言葉を重ねていく。
「主様は人の分際で姫様に意見をなさる身の程知らず…いえ、心意気がおありで、よくこういったことになりますのよ。本当にまだ生きていらっしゃるのが不思議なくらい」
「もうほんとさ、2人とも泰紀さんのこと嫌いでしょう?」
なぜですの、とか無垢な顔して首かしげても無駄だから!今の言葉の端々に、彼に対する敵意とか嘲りとか丸見えで、こっちのほうがひくっつーの。
四方八方敵だらけだね、泰紀さん!
同情ってよりは家主がこんなんじゃ、あたしの身の安全が保障されないじゃないかと再び頭上の諍いに目を戻すと、冷戦は絶賛継続中だった。
「ですから姫がお強いのは重々理解いたしておりますが、貴女様が人でないことが問題だと申し上げているのです」
「人など、脆弱で無知、妖からすれば取るに足らぬ存在ではないか。それと朝霞の身を危うくすることに何の関係があるというのじゃ」
「人は非力ゆえ、思いもよらぬ卑劣な手段に出ることがあるのです。美しき心根の姫に、薄汚れた人の相手をさせるわけにはまいりません。そのような輩を退けるに私をお役立ていただきたく、ご同道のお許しをくださいと請うておるのです」
「………ふむ。そうまでお主が言うのであれば、連れて行ってやろうよ」
ツンと顎を上げた姫は高貴な高慢さに溢れていて、そこを巧く突いて己の意に沿うよう操って見せた泰紀さんにちょっと感動し…
「素直に共に参りたいと申せば連れて行ってやったものを、回りくどい奴じゃ」
たところで止めといてよかった。やっぱニヤリと笑った姫の方が上手だわ。ぜーんぶお見通しじゃないさ。
「…それはそれは。私の願いをお聞き届けいただけるとは、思えなかったものですから」
負け惜しみにも聞こえる言葉を漏らしながら頭を下げた泰紀さんの顔は見えなかったけど、きっと悔しがってると思うよ、うん。だって策を弄したのに、実は相手にもされてなかったって、ほんと屈辱だよね~。
現に鶸ちゃんと桃ちゃんは隠しもせず、くすくす笑ってるからねぇ。
「負けるな、若人」
「貴女にだけは慰められたくありません」
再び姫に腕を引かれて鏡に潜る瞬間、小声で慰めてやった返事がこれって酷くない?失礼な家主だよね!
2度と同情なんかしてやるもんかと前に視線を戻すと、予想通りとは言え心臓によくない光景が広がっていた。
しゅるんとCGさながらに細く小さくなった姫の背中がちっさい鏡の中に吸い込まれるその後に、自分の手首が同じように歪んで金属に入り込んでいく。
「うぉっ!シュール!!」
あまりにも非日常的な光景に思わず腰が引けたところを、計ったタイミングで背を押された。
「ご自分で望んだことなんですから、今更怖じ気づかないで下さい」
つんのめりながら必死に振り返った先で、口角を上げる性格最悪男。
なんの嫌がらせだ、こら!…と言う暇も無く、一気に未知の世界に引っ張り込まれたあたしは、気付けば鈍色だけが広がる不思議な場所にいた。
360度、右も左も上も下も、全てが鈍色で境も何もない。
でも、何故か堅い床に立っている感覚だけはあって、けれどその下はやっぱり透けた鈍色なのだ。まるでアクリルパネルかガラス板の上にでもいるような、奇妙な浮遊感に目眩が押さえられずしゃがみ込む。
「ほほほ、大丈夫かえ?」
「だいじょばないでっす…なんか平衡感覚が変になる~」
まだ手を繋いだままだった姫を見上げて弱音を吐いていると、背後に人の降り立つ気配がする。
「何をへたり込んでいるのですか、貴女は。早く行かなくては目的の風呂に入れなくなりますよ」
「…へーへー、すいませんねぇ」
「まあ主様、”道”に慣れぬ朝霞様になんて冷たい仰りようですの」
「その様ですから女性につれなくされるのですわ」
「うむ。お主は女の気持ちに疎すぎるのぅ」
いやー、泰紀さんの言動にむかついてる場合じゃないね。同情してあげなきゃだと思うんだよ、心の底から。
女4人を見事に敵に回した彼は、当てつけのようにあたしに親切にしてくれる鶸ちゃん桃ちゃんに眉根を寄せながら、それきり黙ってしまった。
というか黙るしかない状況だよね、あはは。
そんなわけで視覚的に不安定な『鏡の道』とやらを小さい女の子に支えられながら歩くという、みっとも恥ずかしい状態に耐えながら、出口らしい光る○に辿り着いたあたしは今度は躊躇うことなくそれをくぐったのだった。 だって四方八方鈍色世界より絶対、現実の方が良いからね!
自然たっぷりの露天風呂、ブラボー!!




