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聖女の宿命  作者:
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日常パート3

「ハス、来てたの?」


 振り向くと、ナノが立っていた。汗を拭って、少し息を乱している。やっほー、とあたしは手を振る。無事だったんだな、少年。


「ああ、ナノ。ハスのこと、よろしくね。もう訓練時間終わりでしょ? 部屋まで送ってやって」

「はい、分かりました」

「じゃあね、アサキオ、ジギリス」

「ああ、また明日な」

「ばいばい」


 ナノと連れ立って歩き出す。空はいつの間にかうっすら黄みがかっている。思いの外、長い時間を過ごしてしまったようだ。そう考えるあたしに連動したように、ナノが尋ねてくる。


「いつからいたんだよ」

「んーと、お昼……二時くらい? 結構経っちゃった」

「まあ、楽しかったみたいだから、良いけど」

「うん、面白かった! そういえばナノも見たよ」

「え! どこで?」

「なんか大きい人達に拉致されてたよね。あれなんだったの?」

「そこ見られてたのか……まじかよ……」


 ナノは手の平で顔を覆った。指の間から覗く皮膚が赤い。あたしはにやにやした。


「なにが苦手なのかな、ナノくんは? 弱み見つけたり!」

「そんなんじゃないって。えーとだな、おれ、ちょっと、なんつーか……」

「え? なに? 聞こえないよ」

「……着いたぞ」

「やっだなー。お喋りしてきなよー。あたしとナノの仲じゃんかよー」

「どんな仲だよ」

「っていうか夕飯の時にどうせまた来るんだから一緒でしょ。モモちゃん、ただいま! ナノ連れてきた!」

「おかえりなさい。まあ、それは良かったです。仲良く遊んで下さいね」


 いかにも逃げ出したそうな顔を無視して部屋に引きずり込む。ふふふ、無駄だよ、ピーチュは絶対的にあたしの味方なのだ。え、なんか子供扱いされてるけどお前それで良いの? なんて聞こえるけどあくまで無視だ、無視。ぽんぽんとソファを叩くと、ナノは諦めたように腰掛けた。


「それで、なんだったの?」

「しつこいな。……はいはい、分かった。言います。言うって。おれさあ、ちょっと人見知りなんだよ」


「……ん?」


「なんだよその顔」

「いやいやいやいや? 続けて下さいな」

「……小さい頃はほとんど屋敷から出なかったからな。家族以外と喋らなかったし。……十五の誕生日に突然家を叩き出された時はもう本当どうしようかと思った」

「なにそのスパルタ」

「そういう家なんだ……」


 あたしはうなだれるナノに生温い視線を向けた。十五、となると三年前か。

 っていうか屋敷って言ったよな、こいつ。意外とお坊ちゃん? いや、まあ、そんなもんなのか。


「だから、隊長には感謝してるよ。なんの当てもなく兵舎に行ったおれを、笑って受け入れてくれたんだから。先輩達も、なんだかんだ面倒見てくれるし。そりゃあまあ、たまに皆しておれをからかうのは、頂けないけど」

「で、あれになるわけ?」

「そう、あれになるんだ」


 ナノは重々しく頷いた。思い出したのか、眉が下がってきた。哀れを誘うしょんぼり犬。


「もう他の隊の全然知らない人まで一緒になって来るから……本当……」

「が、頑張れ。応援してるよ。でも、あれ? あたしとは初日から割と普通に喋ってなかったっけ」

「ぐ……そうだっけ?」

「じゃなかった?」

「ま、まあ、お前喋りやすいから。助かったよ」


 そんなもんか。ナノは若干目を逸らしている。また少し、顔が赤い。

 それにしても、隊長さんとか、ナノのところはなかなか良い人ばかりみたいじゃないか。うん、それも愛だよな、愛。


 あたしはふっと見知った隊長二人を連想する。真面目なアサキオ。今日も優しかった。


「っていうか、ジギリスってちゃんと仕事してんの」


 呟いたら、ナノに呆れたように肩を竦められた。


「なに言ってんの」

「だって、しょっちゅうあたしのとこ来るんだもん。いや、構ってくれるのはありがたいけどさ」

「その分、余った時間で書類仕事とかしてるんだろ」

「えええ嘘くさい……」

「あのな、あの人、あの若さで隊長任されてるんだぞ? グローリー隊長もだけど。どんだけ凄いと思ってるんだ」


「――アサキオとジギリスって、そんなに凄いの?」

「王宮警備に就いてる近衛隊は連隊二個分……あー、単純に言うとだな、あのお二人は四人のうちの一人なんだ。同格の隊長は、四人しかいない。王宮以外にいる近衛も含めても八人だし、そもそも色の名を隊に冠することを許されてるのは王宮近衛の四大隊だけなんだからな」

「ふえー」


 青花、赤華、白花、黒華。戦闘組織にその名前はどうよって正直思ったけど、まあ神様の刻印も花だしな。アサキオは青花の、ジギリスは黒華の隊長だって言っていた。目の前のナノは白花隊員。


「でもアサキオはジギリスほど来ないじゃん。忙しそう」

「あー、まあ、隊の特色もあるからな……。それ言うと、確かにターレン隊長のがフットワーク軽いかも」


 そんなものか。


 っていうかナノよ、君はさっきもその呼び方でからかわれていたんではなかったか? 今、ナチュラルに隊長呼びしてたけど、さんづけでも、せめて名前呼んどかないと、またあの良い笑顔で追求されるんじゃ。

 ……まあ、軍隊って上下関係厳しいっていうしな。そう簡単にもいかないんだろう。ジギリスはそれ分かっててからかいのネタにしてる節があるけども。


 話に一区切りついて、部屋には沈黙が落ちた。そうは言っても気詰まりなものではなくて、あたしは安心すると同時に驚いた。あれ、あたしってば既に結構馴染んじゃってるのか、ここの人達に?


 忙しく動き回っているピーチュの立てる物音だけが微かに聞こえてくる。彼女はここのところ衣装やら装飾品やらの確認に余念がない。例のお披露目会の準備らしい。怖いぞ。


 見やると、ナノは右耳を弄びながら物思いに耽っているようだった。耳を覆うか覆わないかの赤毛の隙間からきらりと緑の光が覗く。


「そのピアス……」

「ん、ああ、これ?」


 気づいたナノがぐっと耳たぶを引っ張る。あたしは頷いた。片耳だけの、宝飾具。割合に大きくて、親指の爪くらいある。

 ふっとナノの表情が綻んだ。


「家族に、貰ったんだ。ずっと昔だけど」


 その表情があまりにも優しいから。


「そっか。仲の良い家族なんだね」

「んー、まあ、色々むかつくこともあるけどな。おれ男兄弟の末っ子だし。兄ちゃん達がなー、ちょっとなー。だって上に四人もいるんだぜ。信じられるか?」

「あはは、良いじゃん。楽しそう」


 そう、たまに嫌っていうほどむかついて。でも大好きで。

 ――そういう存在だ。


「良いよねえ、家族って」


 あたしはそう言って笑った。




 夜が来て、あたしはまた一人になった。やっと訪れる一人の時間。心待ちにする一人の時間。

 ランプの火がゆらゆらと揺れる。不安定な光は、まるであたしみたいだ。なんて、なんて、乙女思考。ポエマーか。


 ここでの暮らしに慣れ始めている。そんな自分に、あたしは気づいている。うん、ちゃんと知っている、分かっている。


 でもそれを思うほどに、思考にうっすらと霧が掛かるのだ。


 帰れないのだと、そう当たり前のように言われる。

 そうか、帰れないのか。

 まあ、テンプレートだしな。


 ――そう単純に納得できるほど、あたしは。

 ――あたしは。


 唇がぶるぶると震え始める。それを強く噛みしめて、肩を抱く。ばしっと音がした。枕を壁に投げつけた、音。もう一つ、ばしっ。あたしの立てる、音。


 あたしに与えられた大きなベッドに枕は山程乗っている。埋もれるように眠れってことか。物語のお姫様みたいに。ふかふかの枕。お日様となにかの花のにおいがする。


 毎朝起きた時、あたしの寝室にはたくさんの枕が散乱している。起こしに来るピーチュはなにも言わない。気づいてはいるのだろうけれど、なにも。それはとてもありがたいことだと思う。


 放っておいてほしいのだ。ただ、一人にして、静かにさせておいてほしいのだ。あたしは大丈夫だから。自分でなんとかできるから。だから。


 水差しから水を飲む。上手く口に運べなくて、半分ほどがシーツに、ネグリジェに、こぼれてしまう。ああ、もったいない。冷たいな。


 もう一つばしっ。ばしっ。ばしっ。ばしっ。枕を叩く。投げる。ベッドを殴る。枕元のチェストを殴る。


 帰れないだって? 帰れない? そんな馬鹿なことがある? あたしが帰れないって、そんなこと。


 枕を投げる。もう一つ、もう一つ。手探りでシーツの上を探って。投げるもの、投げるものは。


 これは夢だ。悪い夢だ。いや、そう、幸せな夢じゃないか。豪華な部屋、きらびやかな城の中。綺麗な顔をした人達にかしづかれて、ちやほやされて。幸せな、女の子の夢。おとぎ話みたいな。


 ああ、そんな、帰れないなんて。


 枕、枕はどこ。枕がなくなってしまった。拾いに行かないと。昨日みたいに、一昨日みたいに、拾いに行かないと。それで、また投げて。それで。

 それで?


 シーツの上のなにかが手に触れる。堅くて冷たい。取り上げるとそれは水差しだった。さっき落としたんだっけ。なんにも考えずにそれを振りかぶる。ごつっと鈍い音がした。

 投げる物、投げる物はどこだ。枕。ああ枕はもうないんだったな。なにか。チェストの上。平たい物。水差しの乗っていた盆を投げる。熱い。これは、ランプ。ランプも投げる。


 お父さん。ヨウ。ヨウちゃん。お父さん。

 お母さん。おかあ、さん。


 あたしの家族だ。大切な、大切な、あたしの家族だ。かけがえのない存在だって、あたし達は知ってる。ちゃんとそれを知っていたのに。


 買い物に出ただけのはずだった。切れた卵を買いに。弟と仲直りしようと思って、お菓子を買いに。ちょっと出ただけのはずだった。制服のままで、サンダルを履いて。


 それが、どうして。


 ああ、なんだか変な音がする。ごつっ、がつって。変な音。おかしいなあ。変な音。


「――ハス!」


 急に強い力で腕を掴まれた。指の先が痺れて、肘の辺りは酷く痛くて。

 呆然として見上げると、アサキオが立っていた。ああそうか。いつもと違う物を投げたから、大きな音を立てたから、人が来ちゃったのか。失敗した。


「なにを」


 身体から力が抜ける。ふにゃふにゃの軟体動物になっちゃった気分。ヒステリーって疲れる。でもだから、泥のように眠れる。

 重力に従って沈んでいこうとするあたしの身体をアサキオが引っ張りあげる。もう、眠らせてよ。疲れてるんだから。


「なにをしているんだ! こんな、怪我までして」


 うるさいな。なんなの、もう。

 あたしは眠りたいの。もうなんにも、考えたくないの。


「どうして? どうして、ハス。だって、貴方は、ルディカだろう。それなのに。どうしてそんなに、苦しそうに」


 どうして? どうしてだって? こっちが聞きたいよ。どうして、あんた達は。どうして放っておいてくれないの。どうしてあたし達を静かにおいといてくれなかったの。


「帰りたい」


 あたしの声は暗く沈んでいた。ああ、だからもう、嫌だったのに。


「帰りたい。あたし、帰りたい。帰るの。帰るの。お父さん、ヨウ。帰るの」


 アサキオが目を見開いた。ばしっ。その手を払いのける。


「帰りたい。帰る。あたし帰る。こんなとこ嫌。ねえ。嫌なの。お母さん。お父さん。ヨウ。お母さん。お母さんお母さんお母さん!」

「ハス」


 頭に手が置かれる。温かい手。あたしはその手を握りしめる。その手に縋りつく。駄目だよ。優しくされたら、弱くなってしまうのに。


「やだよう。あたし帰るの。お母さん。お母さん。どこにいるの。あたし帰る、帰る」


 盛大にしゃくりあげて、あたしは泣いた。小さな子供だった時みたいに、うえええんって。アサキオはずっと頭を撫でていてくれた。小さな子供にするみたいに、不器用な手つきで。

 恥ずかしい。恥ずかしいなあ、本当にもう。




「……落ち着いたか?」


 暫く経って、泣き声が小さくなって、しゃくりあげるのも微かになった頃に、アサキオがそう尋ねてきた。あたしは言葉もなく頷いた。だってもう、あたしいくつだと思ってんの。花の女子高生だっつーんに。もう。


 気まずくって仕方がなくって、なんで来たのか、ぶっきらぼうに聞いたら、しどろもどろに説明してくれた。どうやら夜の間、あたしの部屋の前には警護がついていたらしい。そうだったのか。たいていは、アサキオか、ジギリス。大変だな。これまでばれなかったことが、奇跡だったみたい。まあ寝室は奥にあるし。枕だったし。


 アサキオは手際良くあたしの傷の手当てをしてくれて(ランプを掴んだ時に軽い火傷をしたらしい。あとなんか花瓶が割れてた。びっくりした。水差しは割れてなかった。あれお気に入りだったから良かった)、それから部屋を片づけていた。片づけを手伝おうとしたら止められた。おとなしくした。


「残りは明日の朝になってからになるが。破片がまだあるかもしれない」

「いや、良いよ。そんなの。なんか、ごめんなさい」

「いや。――もう、大丈夫か?」

「大丈夫大丈夫! ごめんなさい、ごめん」

「謝られると困るな。こちらこそ、気づかなくてすまなかった」

「そんなこと! そんなこと、全然、ないです。はい。ごめんなさ……あり、がとう」


 アサキオはたぶん笑ったのだと思う。息の漏れる音が聞こえたから。

 それからアサキオは戻っていった。部屋の前にいるから、なにかあったら呼ぶように言ってくれた。


「紳士だ……」


 あたしは呟いた。頭の中がいつにもましてめちゃくちゃになっている自覚はあったから、横になって、すぐ寝た。




 その後、物音に起き出してきていたピーチュに、泣いたあたしの目を冷やさなかったとかでアサキオがこってり絞られていたなんて、久方振りにぐっすりと気持ち良く眠っていたあたしは知らなかった。なんか、やっぱり、ごめんね?


この章はここまで。


アクセス、お気に入り登録、ありがとうございます。三回まわってわんと言います。

あと拍手繋ぎました。私にしては珍しくお礼ありだよ! だれか褒めてくれ……。

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