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聖女の宿命  作者:
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日常パート1

 朝起きて、水差しから水を飲んで、ピーチュに手伝ってもらいながら身支度を整える。できるだけラフな服を選んではくれているみたいだけれど、まだ一人でできると主張できるほどには慣れない。着替えたら寝室から出て居間に待機しているナノにおはようを言う。


 朝ご飯を食べて口をゆすいだところで、騎士二人組が挨拶にやってくる。訓練に行く前に、寄ってくれているみたいだ。

 どうもアサキオは常にジギリスに引っ張られているくさい。呆れながら後ろをついていく感じ? 聞くとこの二人は幼馴染みらしい。昔からこうだったのかな。


 訓練にはナノも出る。だから本来なら三人で連れ立って練兵場へ向かうところなのだろうけれど、あたしのところに一人だけ残る。だいたいアサキオかジギリス、たまにナノ。あたしを送るためだ。


 朝食の後、あたしは祈りの間というところに連れて行かれる。一時間くらいここに一人で放置。ルディカは祈りによって世界の歪みを直すと、そういう名目のためらしい。


 ……だって名目だってラタムが言ってた、堂々と。そういうのって不信心じゃないの。


 祈りが終わったらその不信心な神官様との楽しい楽しい勉強の時間だ。場所はその日によって違って、あたしの部屋だったり、書斎っぽい小部屋だったり、ラタムの部屋だったりする。


 昼食の後は、また勉強をしたり、庭に連れ出されたり、ピーチュや暇しているだれかやらとお喋りをしたりして、のんびり過ごす。

 それから夕飯を食べて、身を清めて、就寝。


 これがここ一、二週間のあたしの生活だ。


 最初の数日は気疲れしてへとへとになったけど(なんたって王様との謁見とかあったのだ! 生王子様も見てしまった。普通に格好良かった)、後はそれほどきついスケジュールでもないし、それだけ続けていれば、順応もしてくる。


 もう少ししたらルディカのお披露目とやらもあるらしいけど。今からげっそりするけど。


 つらいとまで言うほどじゃないけど、気になるのは、部屋の外に出る時に必ず誰かがついてくること。まあ道案内も兼ねてるみたいなんだけど。っていうかむしろ案内メイン?

 この王宮って場所は入り組んでいるし、あたしは方向音痴気味だから実際それで正しいんだけど。今月末のお披露目が終わる頃には、あたしも、それから城内の人達も、お互いに慣れるだろうから、ということでもう少し緩和されるらしい。


 でも、まるで一人にさせてもらえないみたいで、息が詰まる。人間には一人の時間も大切だってそういうことをあたしはちゃんと知ってるんだぞ。祈りの時間はだから、結構な息抜きになった。もしかしたら、元々そういう目的もあるのかもしれない。あのだらっと長い時間。


 勉強会の場所のまちまちさのお陰で、割と動き回ってるから、引きこもってる気がしないのは助かるけど。




 今日は図書館。あたしの世界、あの「ワールド」と呼ばれていたところとは全然違う地図を、あたしは広げている。


 無意識に日本を探してしまうけど、もちろん、ない。ユーラシア大陸、ブラジル大陸、北と南のアメリカ大陸、ちっちゃなオーストラリア、それからええと、あ、そうそう、南極大陸。太平洋、大西洋、インド洋、北極海、南極海。地理は苦手だった。それでも五大陸も五大洋も、せっかくそらで言えるのに。


 あたしがいるのは、この真ん中の国。大きな国だ。大きく描かれているのもあるだろうけど。自国を大きく描く傾向は、ここにもあるんじゃないかな。あたし歴史は好きだった。

 デイモール王国。ちなみにフォセカ朝。世界で一番栄えている国。いや、冗談でなく。なんでもルディカが落ちる国っていうのはそういう一番の国なんだそうだ。嘘のような本当の話。まじすか。


「言葉が通じて、文字が読めるのは助かるなあ」


 頬杖をついたまま、紙の上に目的なく視線を滑らせる。国名、地方名、都市の名前に、海、川、山脈。どの単語も見慣れぬ文字で書かれているけれど、なぜかあたしは読むことができる。


「それはハスがルディカだからだ」

「あー、はいはい。何回も聞いた」


 ここに来た当初から、あたしは言葉に不自由しなかった。考えてみればおかしかったのだ。人種の違うだろう人々、明らかな異文化。ラタムとの授業で本を開いて、あたしは初めて、ここが日本とは別の言語圏であることを知った。

 よくよく聞き取ってみれば、ここの人達が話すのも、日本語とは違う言葉だった。今まで気づかなかったのは、つまりあたしが日本語と同じくらいこの言語を使いこなしているということらしい。


 なんだか、変換のようなものが掛かっているような気もする。自動翻訳みたいな。

 最初にラタムと喋った時に「グルデナ」と「世界」とがだぶって聞こえたのも、この辺りに原因があった。翻訳が上手くいってなかったということ。概念の揺れがどうとかラタムが言ってた。異世界の観念の発達が云々だそうで? 全く理屈っぽいエルフめ。


 日本語を書いてみせたら向こうには読めなかった。意識してデイモール語でなく日本語を使って話したらこれも全く分からなかったらしい。成木蓮子ってあたしの名前も、彼らが言うとイントネーションがちょっと違う。ハス、だけならそんなに変でもないけど。

 反対にあたしは、この世界グルデナのどの言語でも分かる。今なら英語にだって苦しめられない気がするぜ。


「ルディカって、優遇されてるよねえ」

「神の御使いが話せないのでは、困るだろう」

「そりゃそうだけど」


 本当に、ルディカってなんなんだろう。疑問未満の気持ち悪さが降り積もる。違和感があるのはあたしだけ? 一番詳しいはずのラタムも、この点に関してはなんの問題も感じていないようだ。


「あたしの前にもルディカっていたんだよね?」


 地図から顔を上げて尋ねる。離れた椅子で本を読んでいたラタムは面倒そうな顔をした。先生なんだから、授業しろよ。あたしの日本語には興味津々なくせに。どっちが教える役なんだか。


「ハスは八人目のルディカだ。つまり、最初のルディカが落ちてから約七百年が経ったということになる。その頃はまだこのデイモールはなかった。第一聖女マリエからサフェーレ、キゼリまでの三人は、俗に〈帝国〉と呼ばれている国が擁した」

「その国はどうなったの?」

「滅んだ。世の習いだ。ああ、第三聖女キゼリは〈帝国〉を出ていったから、このことと関連づける仮説もあるが」

「……出ていった? 逃げたってこと?」

「違う。史実を見ても円満なものだったらしい。彼女のベルの一人は異民族だったと記述にある。彼とともに帰っただけだ」


 なーんだ。


「その後の混乱期で、ある青年が王として立つ。建国前から彼を助けていたとされるのが、第四聖女ダンデリア。その国自体は小国に過ぎなかったが……このデイモールの前身に当たる」

「うわあ。本当におとぎ話だ。その人、王様と結婚したんでしょ」

「歴史書にはそうあるな」


 もうちょっとロマンチックに語れませんか。なんかせっかくの綺麗なお話達が身も蓋もないただの事実の羅列になってんですけど。ラタムの声は淡々としていて、こういう話を語るのに向いていない。うちの歴史の先生を見習え! 「ここに現れたるは馬鹿王、その名もジョン!」とかやってくれるんだぞ。


「それ以降のルディカは例外なくこの国に落ちている。第五聖女ソニア、第六聖女グズマ、第七聖女ニゲル。そして」

「八番目のあたしってことねー」


 引き取って言うと、銀髪の美青年は頷いた。綺麗な綺麗な瞳があたしの方を向いている。


「言っておくが、七人いたこれまでのどのルディカも、故郷に帰ったという記述はない。どんな歴史書の中にも、どんな民間伝承の中にも、だ」

「……本当に、繕うということを知らないよねこの男は……」

「なにか問題が?」

「本人がないと思うんならないんじゃないかな……」


 ラタムはふうむ、と首を傾げて、読書に戻った。

 やばい、皮肉が通じないぞ。


「ん?」

 入り口近くに金色が見えた。あたしはきょろきょろと時計を探す。


「もう時間?」

「そうだよ。さ、お勉強はお終い」


 迎えに来たのはジギリスだった。庭でお茶でもしないかと言われたから、ちょっと面倒だったけど結局了承する。なんかこの人笑顔で押してくるからやりづらいんだよ。


「アサキオは?」

「んー、アサはちょっと野暮用。夜までには戻ると思うけど、どうかな」

「ふーん」


 仕事のなにかだろうか。隊長さんは大変そうだな。対照的にこのジギリスはちょいちょい顔を出すけどな! ちゃんと仕事してるのか一回問い詰めたい。


「あんまり元気ないね」

「そう?」

「どう、ちょっとは慣れてきた? ここでの暮らしに」

「まあ……」


 慣れはする。慣れはするよ。繰り返してるんだから当たり前。

 あたしは視線を落として、自らの手の甲を見つめる。


「ジギリスはさ」

 あたしが切り出すと、ジギリスはん? と首を傾げた。メイドさんに持ってきてもらったお茶を口に含む。一拍の間。

「あたしのこと、どう思う? んー、なんていうかさ、こうやって、お茶飲んで……生活に不自由しなくて、それはありがたいんだけど、なんていうか。あたしって欲深いのかな? 良くしてもらってるのは、分かるんだけど……」


 宙に浮いたような心地が、ずっと続いている。夢を見ているみたいだ。ふわふわ、ふわふわ。

 ジギリスの表情は見えない。あたしが俯いているからだ。


「君がなにを言いたいのか、よく分からないけど……。現状に不満があるなら、言えば良いんじゃないかな。たいていのことは叶えてもらえると思うけど」

「そういうことじゃなくって」


 視線が合ったジギリスは困ったような表情を浮かべていた。


「そういうことじゃないんだけど……」


 そうだよね、いきなりこんなこと言われても困るよね。

 あたしが目を逸らすと、ジギリスは唸った。


「うーん……正直に言うなら、君は恵まれていると思うよ。君は不自由のない暮らしと、輝かしい将来を国によって約束されている。こんなことって滅多にないと思わない? まあなんたってルディカだし、当たり前だけど」

「ルディカだったら当たり前なの?」


 ふふっと笑うと、ジギリスは大げさに顔をしかめてみせた。


「そりゃね。国の威信に関わる。せっかくルディカが来てくれてるのに、その程度、なんて言われたら困るでしょ」

「ふうん、そんなものかな」


 緑に囲まれたこの東屋は、きっといくつもの秘密を聞いてきたんだろうな。ふとそう思った。スポットとしてはできすぎているくらいの場所だ。適度に建物から離れていて、姿は隠れるし、言葉だって植物達の囁きの中に紛れてしまう。

 気持ちの良い風が、吹き抜ける。今日は随分天気が良い。季節は向こうとこちらで変わらない。まだ肌寒い時もあるけれど、それでも段々暖かくなり始める春先。


 暦も、それほど大差はなかった。青、赤、白、黒の四週間二十八日で一ヶ月。三ヶ月に一回は五つ目の黄の週が入る。適度にファンタジーっぽくて、でも分かりづらすぎはしない。


 暫く黙ってお茶を飲んだ。




 ちまちま啜っていたお茶がようやくなくなったところで、タイミングを窺っていたかのようにそろそろ帰ろうかと声が掛かる。

 茶器を下げに来てくれたメイドさんにお礼を言って歩き出そうとすると、ああそうだ、と隣でジギリスが声を上げた。踏み出しかけた足を止めて、なにやらポケットを探っている。


「はい、これ、あげるよ。この間、街で見つけたんだ」


 手の中に落とされた綺麗な包装紙。凝った編み紐を解くと、中から硝子細工の小鳥が現れた。


「あ、ありがとう」


 スマートに贈り物とかされても、反応に困るんだけど! なにこれ凄い。小さい。可愛い。


「喜んでくれて嬉しいよ」


 そういうことを照れなく言える人って実在したんだ。いやまあ、人種が違うしな。そうだよな。

 もう一度どもりながら礼を言うと、彼は悪戯が成功した子供みたいな顔をした。


 それから、すっと表情を改める。


「ハス」


 名前を呼ばれ、あたしはちょっと首を竦めた。


「もしも辛いことがあったら、言って欲しいんだ。なんでも聞くよ。どんな小さなことでも。僕は、君の力になりたい」


 柔らかい声にくすぐられる。真摯な瞳。

 あたしは呟いた。


「……うっわあ」

「うっわあ?」

「と、鳥肌立った……。言ってて恥ずかしくないの? そういうこと」

「なにそれ。ちょっともう、真面目に言ったのになあ」

「あっはは! ――でも、ありがとね、ジギリス」


 お礼を言うとじわじわ恥ずかしくなって、早く帰ろ! と駆け出す。

 あ、あたしなにしてるんだろう。恐ろしい。異世界恐ろしい。青春か! いや違うか。なんだこれ。なになになに。

 振り向いた先の彼は目を細めにっこりと笑っていた。


 次に吹いた風は、幾分冷たくなっていた。

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