プロローグ2
あれよあれよという間に、ってのを実体験してしまった……。
森の中から一転、現在のあたしはふかふかのソファーに座ってお茶菓子なんぞを出されている。どういうことか? あたしにもよく分かんない。
ここまでは引っ立てられた、というのが正しいのだと思うけど。あの男達に周りを隙間なく固められて、あたしに他の選択肢はなかったし。
その彼らは、なんなのだろう、なんというか、彼らの雰囲気は、やっぱり妙で、歩いている間あたしはとても居心地が悪かった。
いくら不審人物だからって、人の周りでひそひそ話すんな! 怒鳴るぞ! 喚くぞ! と思っていたらあの美形のお兄さんが一喝して静かになったんだけど。リーダーさんなのかな。その後であたしの方を窺う素振りを見せたから、気を遣ってくれたんだろうな。
そういえばひそひその中にやたらと出てきた単語があったんだけど、あれはなんだったっけ――。
うさんくさい獣道の一つは、どうやらちゃんと出口に続いていたのだった。確かになんとなくでも道になってるってことはなにかが通るってことだもんね。それが人間だっておかしくないわけだ。
まあ自分一人じゃ森を出られたか疑わしいから、その点では良かったのかもしれない。例え自分がこれからどうされるか物っ凄い不安でも!
ここは、森から出てすぐのところにあった、なんだか眩しい建物の中。眩しいっていうのは、金とか宝石とか、そういう物理的な眩しさじゃない。いや、まあ確かにそれっぽいものもちょいちょい見えるけど……でもデザイン自体はシックで、室内の装飾もそんなにごてごてしてない。ただ、なんというか、威圧感がね。雰囲気が眩しいよ。要するに、あたしみたいな庶民が簡単に立ち入って良さそうな場所じゃあないんですよ、はい。
現実に見たことなんてないから断定はできないけど、あの人達はたぶん兵士だ。統率された武装集団。……あれは剣だった、よね。うん。この、隠しきれない高貴さが滲み出ている建物。ここを彼らが守っているんだ、と――そういう風に考えると、凄くしっくりくる。
それにしても、このご時世に銃でなく剣を持っていること、コスプレとも言いづらい使い込まれた実用的な装備、それからこのきらきらしい建物。なーんか不安がむくむく膨らんでいくんだ。
まあ由緒正しいおところみたいだし? わざと昔からの伝統的な格好を兵士達にさせてるとも考えられなくはないよね。ほら、イギリスの近衛兵みたいなさ。奴らは剣は剣でも銃剣持ってるけどな!
……っていうか、ここ、城ってやつではなかろうか。おとぎ話に出てくる、王子様やお姫様が暮らしているような。うん、イメージぴったりだね。笑えねえ。
分からないのは、あたしがここに通されている意味だ。
位置関係を鑑みるにおそらくあの森はこの城の私有地で、だからあたしは怪しまれたのだろう。でも森くらい、ねえ? 子供が遊んでて紛れ込むくらいありそうなもんだけど。謝り倒したら、怒られて、その後放り出されるくらいなもんだと思っていたのに、どうしてあたしはこんな奥まった部屋にまで。
いや、別に放り出されたいわけじゃないよ、なんにも分かんないし。でも、それにしても不思議でしょ。あたしそんなに悪いことした? っていうか、これはまるで、おもてなしをされているみたいなんですが……。そんな馬鹿な。
これはまさか、持ち上げて落とすとかそういうことか。ちょっと良い目見せとくことでその後のダメージが二倍になるというそういう刑罰か。「のーがれーられるーとーおーもったかー」なんて高笑いする偉そうな人(指輪大量)、牢屋の中でうなだれる薄汚れたあたし。なんだその鬼畜。
手持ち無沙汰なので、さっきからあたしはちびちびとお茶を啜っている。話しかけるタイミングを窺っているといっても良い。
あたしをここまで連れてきた兵士達は退出して、ただ一人あのお兄さんだけが残った。運ばれてきたお茶を手ずから淹れてくれたのもこのお兄さんだ。流れるような動作で、こんな状況じゃなかったら美形を侍らせてるみたいでときめいたかもしれない。……いや正直に言います。こんな状況でもどきどきしました! だ、だって噂に聞く執事喫茶みたいだったんだもん。眼福。女子の妄想力舐めんな。
しかしどう聞けば良いのかな。あたしをどうするつもりですか、とか、自意識過剰だと思われないかな。それに、森くらいって思うけど、気づかないうちに凄いやばいことしでかしてたかもしんないじゃん。文化の違いって色々あるしな。実は軽蔑とかされてたらどうしよう。あんなとこに入るなんてって内心冷たーい目で見てたり。うあああ。
いやいや、あたし、なに美形だからって錯乱してんだ。聞かなきゃなんも始まんないでしょう。女は度胸! 愛嬌なんかくそっくらえ!
「あの!」
お兄さんがこっちを向く。その顔はやっぱり……奇妙だ。言いたいことを飲み込んでいるような。不安になるからそれやめてくれ。はっきりしろよ! 男も度胸だぞ!
「あたしって、これからどうなるんですか」
ほら、水を向けてあげましたよ。
「あたし、なにかいけないことをしたんですか? すみません。知らなかったんです。ここら辺は、初めてで――どこに行って良いかも、分からなくて」
唇を噛んで俯いて。嘘は吐いてない。あたしは迷子。帰り道が分からない。
ちらっと目線を上げて彼を窺う。不安げな面持ちの女の子がこんなに頑張ってるんだから、あなたも黙りこくってないでなんか喋んなさい。
しかし彼が言ったのは、それは災難でしたね、とか、それでも許さない、とか、そんなありふれた(ありふれた? 少なくとも想定範囲内の)ことじゃなかった。
「あなたは――ルディカでしょう?」
「は?」
あたしは思わず顔を振り上げた。視線の先の彼はというと、その面にはっきりとした困惑を上らせていた。
――ルディカ?
いやいや、ちょっと待てよ。そういえばここに来るまでに兵士達がやたらと口にしていたのがこのルディカという単語ではなかったか。ということはあの時点で彼らにはあたし・イコール・ルディカの方程式が出来上がっていたわけか? なるほど。だからといってなにも分かんない。
「ルディカってなんですか?」
あたしが問いかけると、彼はますます困った顔をした。あ、なんかこのお兄さん、こうして見ると可愛いかもしれない。見た目はきりっとして涼やかなのに。なんていうの、ギャップ萌え?
「失礼いたします」
お兄さんは一言断ると、あたしの手を取った。なになに羞恥プレイ? そっちって入れ墨もどきがある方だよね? そんなまじまじ見ないでー。そりゃあ入れ墨とかタトゥーってさ、怖いけど格好良いなとも思うよ。うん。でも自分がやるかどうかはまた別なのよー。
お兄さんはあたしの眼前にひざまずく。う、あ。手の高さは変えないようにしてくれていて、だからだろうか、なんだかそれはまるで、あたしのこの水分の不足した柔らかくもなんともない手なんぞを捧げ持ってでもいるかのようで。まじで? なんなのですか。
「貴方はルディカです。この御印を持つ方こそは尊きルディカだと、私達は幼き頃より語り聞かされるのでありまする、姫」
……姫。
姫!?
うおおおおおい。
「そそそんなあたし、姫なんて大層なもんじゃ」
痒いよ! なんなんだよ!
それに、それからね。
「結局ルディカってなんなんです?」
異文化なのかな。異文化だから、分からないよ。ギブミーセツメイ!
お兄さんの眉は短い前髪の下で八の字を描いている。うん、あなたが可愛いのは分かったから。ちくしょう。美形がこんなに得だとは。
「ルディカはルディカでござりましょう? 至高なるルドゥキアの御子、我らの聖女、巫女姫殿下」
ルドゥキアってのがまず分からぬわけですが。
っていうか。
「みこ?」
それの漢字変換はなんだ。せいじょってなんだ。巫女? 聖女?
あれー。あれれれー。
ぶわりと嫌な汗が噴き出す。あ、なんかこれやばくないか。それってあれですよね。宗教的とかいうあれですよね。
よりによってか! 無理無理無理無理!
「あたし普通の女の子ですから! 全然そんな、そんな、とにかく人違いです!」
泡食って叫んだ後に、ぴたんと固まる。こういう状況ってどうなの。無闇に否定した方がピンチだったりするの? 彼らの信仰を否定した、とかそういうことになる?
恐る恐るお兄さんを窺う。握られっぱなしの手の向こう。決して日本人のものではない顔立ちに乗る、微かに青みを帯びた黒と、見つめあうこと、暫し。ばくばくと心臓の音。
お兄さんはやんわりと手に力を込めた。
「まだ下界にいらしたばかりで、混乱していらっしゃるのでしょう」
ふ、と身体から力が抜けた。
怒られなかったのは、良い。このお兄さんは優しい。良かった。勿論だ。
でも、どうしよう。言語は通じているはずなのに。
言葉が、通じないよ。
あたしの脳内は割に落ち着いた、のだと思う。うっすらとではあるが状況を把握して、確かに空回りはしていたけど(どうしよう! どうしよう!)、それは単に表面上の話で、芯は薄寒く冷えていた。
いきなり考え込み始めたあたしを、お兄さんは相変わらず困惑して見ている。いや、もしかしてこれは、不安、なのだろうか。ぞっとする。
巫女、それに聖女だって? それってどういうことよ。それって、つまり、代理者として扱われるってことなんじゃないの?
つまり、つまり――ルドゥキアとやらの。巫女、聖女。その単語が暗示する存在の。
「申し訳ありません。私は聖職者ではありませんので、さほど詳しくはないのです。恐れながら、直に神殿より人が参りますので……。おそらく彼ならば、私よりも詳しい説明ができるかと」
「あ、はい……。分かりました」
また、気を遣わせてしまったらしい。本当にこのお兄さん良い人だな。良い人では、あるんだな。
元の姿勢に戻ろうとするお兄さんにあたしは、あの、と声をかけた。いかが致しました? と、硬質ではあるけれど優しい声。
「ルドゥキア、っていうのは……」
かみさま?
あたしの囁きにお兄さんは頷いた。
「全ての創り手、父であり母、天にまします御方であらせられます」
お兄さんはそう言って綺麗に一礼した。
察してはいたけれど。ああ無情。