一つの終わりか始まりか2
再びあたしが目覚めたのは、太陽が高く昇って僅かに傾き始めた昼過ぎのことだった。
はっと辺りを見回す。寝室に人の気配はない。
たくさん寝たからか、それともあの薬湯のお陰か、身体はしゃきしゃきと動いた。
あたしはドアを開けてリビングを覗いた。部屋のちょうど向こう側で、なにやら話していた女官さん達が振り返る。
「まあ、お加減はよろしいのですか?」
スカートを捌きながら歩み寄ってくる。声を掛けてきたのは、先だって目覚めた時にもいた、あの人だ。もう一人は、たぶんあたしよりも年下。背が小さい。
「ピーチュは?」
出した声は、自分で思ったよりも頼りなく響いた。口の中が乾いていることに気づいて、あたしは唇を舐める。
女官さんは眉を寄せて悲しい顔をして、言葉を濁した。
「そうですか」
状況は変わっていない。あれは夢ではない。
「ルディカが気にされることなんてないのでは? あんな人……」
「シラ、おやめ」
「だって、賊を手引きしたかもしれないんですよ!」
「やめなさい」
ちっちゃい女官の子が言い募るのを押しとどめて、年配の女官さんは申し訳なさそうな視線を向けてきた。
そっか。そう、なっているのか。
一つ、深く呼吸をする。
「……着替えます」
「でしたら、お手伝いを」
「いや、自分で。大丈夫なので」
「左様でございますか? ですが、ああ、お待ち下さいな。実はですね、つい先程、お客様がお見えになったとの伝令がございまして」
引っ込もうとしたところに掛けられた言葉に、首を傾げる。
「お客さん?」
「ええ。ルメーリア・シリフ嬢です。さすがに唐突なご訪問ですので、お断りしようかと思っていたのですが……。どうしても、ルディカに申し上げたき儀があるとのことでして。いくらでも待つと仰っておいでなのです」
シリフ。聞いたような聞かないような音を、口の中で転がしてみる。夜会で会った人だろうか。あの日は、緊張している中にとにかくたくさんの人に挨拶されて、正直ほとんど覚えていない。
ピーチュが教えてくれた、重要人物リストには、その名前はなかったと思うけど――。
「いかがしましょう。お通しいたしますか?」
沈みそうになった気持ちを、慌てて引き戻す。
「あ、うん、はい。じゃあ急ぐんで!」
一緒に寝室に戻って、大きな衣装箪笥を開けた。
「拝見いたします」
これはワンピース風の服とか単純な飾りとかが入ってるもので、きらきらしいもっとドレスっぽいのは別に保管してあるんだけど、良いのかな。
「……問題ございませんね。色合いもきちんと揃えてありますし。この中でしたらどれをお選びになっても大丈夫ですよ。小物はわたくしが見繕わせていただいてよろしいですか?」
「はいっ、ええと、えー。じゃあこれで」
「かしこまりました」
「お願いします、えっと」
「ミバヤ、とお呼び下さい」
「う、すいません」
お披露目の準備で会った時に、一回名乗られてる気がするよ……。
ミバヤさんはふふっと笑って、「構いませんよ」と言ってくれた。優しい笑顔にじんときた。
手早く着替えてから、ミバヤさんが用意してくれた軽食を取った。パンに果実を挟んだそれをぱくついている間に、彼女は飾り襟とブローチを手早くつけてくれた。そうして入室許可を出すべく歩いていく。この間、わずかに十分。すご。
お淑やかに入ってきた女の子を、あたしはあわあわと立ち上がって迎えた。
黒に近い茶の髪は、編み込みをしてハーフアップにまとめてあった。妖精みたいな緑の瞳が、きらきら光ってこちらを見つめる。
あ……。
「突然参りましたご無礼を、どうぞお許し下さい、ルディカ。先だってお目に掛かりました、ルメーリアにございます」
上品な礼をした彼女は、あの日夜会でジギリスと話していた女の子だった。
そして、あの昼の庭で見かけた少女。
「アサキオの、幼馴染みの……」
ついそう漏らすと、彼女は瞬いて破顔した。その笑顔を見て、もう片方の言葉――「婚約者」――はなんとか飲み込んだ。それでも、身体が強張ってしまう。
「ええ。お聞きになられました? アサキオとジギリスとは、古いつきあいになります」
彼女は私の動揺には気づかなかったようで、にこにこと言葉を続けた。
敵意は見られないのか? でもどうして? そういえば彼女は夜会の時も、他の令嬢達とは違いぎらぎらした目を向けてはこなかった、かな? 本当にそうだったっけ?
ぐるぐると考えながら、上の空で相槌を打つ。
「それで、今日はどうして……」
なんの目的で? 尋ねた声は、やや低いものとなった。
「ああ、そうなんです! ルディカにどうしても謝罪申し上げたく、このように無理を通しました!」
入ってきた時とは打って変わって、貴族のお嬢さんらしからぬ大振りの動きでがばっと下げられた頭。
ん?
「申し訳ございません!」
「え。……えーと?」
なにこれ。え、「申し上げたき儀」ってこれか? どういう状況?
「あのすいません、なにを謝られてるのか、分かんないんですけども」
恐る恐る言うと、目の前の女の子は顔を上げ、あれ? という表情で首を傾げた。
うん、あたしも今まさに、そんな心境。
二人で顔を見あわせ、数秒後、ルメーリア嬢は、こほん、と咳払いをした。
「少々取り乱しました。失礼いたしました」
「あ、はい」
この人はあたしになにかしたんだろうか。
なにか、あたしに悪いと思うようなことをしたのか?
――黒髪の近衛兵がふと浮かんできて、心臓が嫌な音を立てた。
まさか。
「今一度申し上げます。囮の任をいただきましたのに、果たせず、あろうことかルディカの御身に傷をつけましたこと、深く深くお詫びを」
「……は?」
「はい?」
再び頭を下げた彼女に、あたしはまたも疑問の声を向けてしまった。二人、首を傾げる。
「囮?」
「はい」
「……って?」
「あの……もしかして、ご存じで、ない?」
な、なにがでしょう。
「囮というと」
それはつまり、今回の襲撃に関するもの? で、となると。慌ただしく頭を働かせて、気づく。
この彼女は、あたしの囮をしていた? そういうこと?
「あなたはあたしの、囮だったんですか?」
「その通りです。本当に、なにも伝えられていないのですか? なにものかが入り込んでいるということで、遠目に見てなんとなく誤魔化せるわたくしが選ばれたのですけれど」
「いつから?」
「どれくらいになりますか。一週間、二週間……」
「知らない。知らなかった。あの襲撃の話は、昨日、今朝? 初めて聞いたくらいで」
そこまで話したところで、ルメーリアがわなわなと震えていることに気がついた。可憐な容姿に似つかわしくない、ひっくい声で彼女は呟く。
「あのすかぽんたんどもが……!」
……もしもし、なんと仰いました?
き、聞こえなかったし。あたし聞いてなかったし。うん、気の所為ですよね?
「……ええーっと」
「あら。失礼しました。とにかく、わたくしは本来身代わりで相手をおびき出すはずだったのです。それが満足にできず、ですから謝りに参りました」
「はあ」
理解しました。
理解はしましたが。
正直、どう対応して良いか分からん。
日本人の性として、へらっと笑みを浮かべてみたりなんかしてるけど、これで良いのか? 正しいのか?
明るい色の瞳がぱちぱちとこちらを窺っている。
「いや、勝手に出歩いてたあたしも悪かったんだし。供をつけろって、あんなにうるさく言われてたのに」
そうだ、言われてた。ラタムにも――ピーチュにも。
今考えると、みんなぴりぴりしてたんだな。
あたしは、自分のことばっかで、自分のことしか考えてなくて。本当、なっさけない。
「……ルディカ?」
「あ、すいません。ちょっと待って」
やばい。情緒不安定。喉の辺りがいがいがして熱い。ぎゅうっと唇を噛みしめた。
ちくしょうちくしょうちくしょう。
あーあ、綺麗な緑の目。心配そうにおろおろしてる。きっと、良い子なんだろうな。
ずるずると引きずられるように涙をこぼしてしまった。
だって、モモちゃんがいないんだもん。
もうやだあ。
「ああ、ルディカ、泣かないで」
そっと柔らかい布地で目元を拭われた。優しくしないで、下さい。ルメーリアとミバヤさん、二人掛かりで慰めてくれる。
ああでもこれ、あたし、かなり恥ずかしいわ。ほぼ知らない人達の前で。
布を受け取って目を押さえた。収まれしゃっくり!
「ごめんなさい」
一度視界を暗くしてしまうと、顔を上げるのが恐ろしい。けれどいつまでもこうしているわけにもいかないわけで、えいっと布から瞼を引き剥がした。
「謝る必要などありません」
ルメーリアは大げさに首を振った。髪の毛びゅんびゅんしてますけど良いのか。
ていうかあたしはどんだけ不安定なんだ。勘弁してくれよ、本当にもう。恥ずかしいよー。
「と、いうか、あの男どもが本当にあり得ないわよね! 女の子を危険に晒しておいて、なにを考えてるのか!」
「えっ」
ルメーリア嬢が唐突に立ち上がった。
「ルディカも文句を言った方が良いですよ。言わなきゃ分かんないんですから」
「え、いやでも。そんな迷惑掛けられないし」
「迷惑ですって。そんなことがありますか! 身の危険があるのになんにも言わないなんてばかにしてるわ。本当、すかぽんたん!」
また言った。この子また言った。
それお気に入りなの? ねえ。ていうかこれ翻訳でしょ? あたしに聞こえてるのはデイモール語の日本語翻訳なんでしょ? すかぽんたんって訳されるとか、どういう罵り方なの?
展開についていけず、ついどうでも良いことに思考が逸れた。
主に幼馴染みに対してなんだろう、ひたすら罵りまくっていたルメーリアが、現実逃避するあたしの前で、ふと止まる。あ、と口元を押さえた。うん、今更だよ。
「申し訳ありません。はしたないところをお見せしました」
「いや、あたしも……すいません、ルメーリアさん」
「あら、リアで構いませんよ」
「リアさん?」
「どうぞお呼び捨てに。ルディカに敬称をつけられるなんて、他の令嬢がたに締め上げられますわ」
なんたって乙女の憧れですもの、とルメーリア、改めリアはふふんと笑った。
……いや、他の令嬢がたって、夜会で睨まれた記憶しかないんですけども。
ああでも、ピーチュの最初の方の態度とか考えると、そういう面もあるのかな。ロマンチックな物語。そう思いついてから、あたしはため息を吐いた。
「モモちゃんが」
「はい?」
「あの、侍女が、連れて行かれてしまったのが、やっぱりちょっと、こたえてて」
彼女の耳にも届いていたのだろう、目の前の少女は、ああ、という顔になった。
他のことは、今だけは脇に置いておこう。
……考えてみれば、ベルじゃなしにあたしの身近にいてくれたのは、彼女だけだったんだ。そりゃあ、あの子もルディカのお世話係として遣わされてたわけだけど。それでも、なんというか、違うんだよ。
あの子はちゃんと、最初はあれだったにしても努力して、伝説じゃなくてあたしを見ようとしてくれてた。そうなんだよね。そういうことなんだ。
そのはずだったのに。
「どうしてこうなったのか、よく分からなくって」
「そう。ルディカは、その侍女のことを信じてるのね」
「そう……かな」
そうなんだろうか。
信じたい、とは思う。一方で、さっき女官の子が言ってたように、なんらかのやり取りがあったのかもしれないって、疑って恐れる自分もいる。
でもそんな、だって、ピーチュだよ? あたしのモモちゃんだよ?
そんなことってあるんだろうか。怖いよ。
難しいわね、とルメーリアは腕を組む。
「お優しいのは良いことだと思います。けれどここ王宮では、良いことが良いこととして働かないのも事実です。それだと生きにくいのです、どうしても」
おお、陰謀ものっぽいね。
「手段は、ないではないですよ。彼女を助ける」
「そうなの!?」
「問題は情報操作だもの。――けれど、それだけの覚悟がおありですか?」
「覚悟……それは」
「他人を背負うということですわ。その侍女の方は妬まれるかもしれません。ルディカご自身の評判にも響きます。示しがつきませんから」
「ああ」
ジギリスのご先祖様、ターレンの家の人達は、ルディカに逆らったとして本流を絶やされたという。
「それに……こう言っては失礼になるかもしれないのだけど、ごめんなさい。その侍女が、本当にあなたを裏切っていないのかどうかは……」
「うん……」
そう、なんだよね。
目覚めたあたしを見て、震えていた少女を思い出す。触れあいに竦んでいたあたしに、薄く笑んで目を伏せたのを思い出す。
ルディカ。大切なルディカ。お姫様のルディカ。
〈穴〉のこともある。伝統も意識も、根強い。今回の事件だって根本的にはそうだ。ルディカを擁するが故に繁栄するデイモール王国。少なくともそう思われていたから、別の国が羨んだ。
でも、それでも。
これはあたしの物語でしょう?
「それでも、あたしはやれることはやりたい」
あたしがいけないのだ。あたしはずっと考えなしで、悪い子で。脳裏を掠める赤い色と穏やかな顔。
でも、あたしはやるって決めたのだ。そうしなければならないのだ。
あたしは貫く。家族のために。
だから、あたしがいることで生まれた齟齬も、できる限りは繕っていかなければ。
「ピーチュに会いたい」
まずはあの子がなにを思っているか聞こう。本当は、なにを思っていたか。
ルメーリアはにこっと笑った。
「兵舎に拘留されていると思いますわ。わたくしも、色々と奴らに言いたいことはあることだし……一緒に参りましょうか、ルディカ」
ちょ、笑顔怖い怖い。
なんというか、脱力する。
緑の瞳が、ん? とこちらを向いた。
あたしはうろうろと視線をさまよわせた。暫らくして、意を決する。
「ハスって呼んで。ルディカじゃなくて」
色々ありますけど! それとこれとは別として!
リアは、はい、と笑ってくれた。
うあああ、ある意味気まずいけどね!
全体の行間を編集しました。




