表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女の宿命  作者:
16/32

不穏2

シリアスのターン。

ていうか誰得展開です。ご注意を。

 起き上がって、暫し、呆然とする。ピントが合って、先程まで見ていたのと同じで、でもどこか違う、見慣れた部屋が現れた。私の部屋。ここはルディカの部屋。

 瞬きをもう一つ、二つ。ゆっくりと視線を下ろすと、そこには開きっ放しの本。どうやら、この上に突っ伏して居眠りしてしまっていたらしい。


「……変な夢、見ちゃった」


 本の記述をなぞる。ニゲリア・ロズ。聖女ニゲルの本名だ。うーん、直前まで読んでたもんだから、影響されてしまったらしい。


 あの後、午前中いっぱいはピーチュの特別講義を受けていた。せっかくなので午後も続ける予定だったのだけれど、昼食後に彼女にお呼び出しが掛かってしまったのだ。例の伯母さんから、昨日の今日で。

 ……うん、般若がいた。知らせを持ってきた女官さんがびびるくらい、般若だった。


 と、まあ、それはさておき。先生さんが行ってしまって、あたしは部屋に残された。仕方がないので、ラタムが持ってきてくれた本を読んでいたのだが、どうにも集中できなかった。新書どころか小説だって暫く読んでないのよう。

 で、居眠りをしていたらしい。エルフにはばれないようにしよう、うむ。


 ――それにしても、随分変な夢だった。


『だれもお前を愛さない。可哀想なニゲリア』


「うわあ、鳥肌立ってるし」

 ああ、もう、こんな無駄な想像力は働かなくても良いのに。


 ねっとりとまとわりつくかのような声を振り払うように、あたしは伸びをする。昨日の乗馬で、ちょっと筋肉痛なのである。

 窓から外を覗く。つやつやとした若葉が見えた。


「……散歩にでも行こうかな」


 外に出る、というのは魅力的な案に思えた。昨日同様、空は気持ち良く晴れている。


 ――まあ良いよね?

 庭なら、これまでも何度も出ているし。そりゃあ、だいたいだれかと一緒ではあったけど。


 あたしは立ち上がり、バルコニーから庭に降りた。スリッパもどきをサンダルに履き替える。

 本来はここは洋風建築なだけあって全室土足なのだけれど、室内では靴を脱ぐ文化の中で育ったあたしは無理を言って、せめてこの部屋にはあたし専用のつっかけのような物を置いてもらっている。

 あたし以外の人は靴で入ってくるけどな。異文化との折りあいでございますよ。


 さて、どっちに行こうか。ふらふらと目的もなく歩き出す。

 綺麗に刈り込まれ、上から見ると幾何学模様を作っているのだろう植え込み。西洋の庭は自然を人工的に整えて支配下に置く、日本の庭は自然をそのままミニチュアにして取り入れようとする、そういう評論をいつか教科書で読んだなあ。


 緑の色が濃くなってきていることに、ふいに気づく。毎日見ていたから分からなかった。もう直に初夏なのかもしれない、そういえば。このグルデナという世界、このデイモールという王国で、過ごした期間を思ってしまう。

 一ヶ月。日本の暦よりも少し短いけど、それでも一ヶ月が経った。あたしが来たのは四月だった。新学期が始まったところで、だから、新しい環境に必死になっているという点では、向こうにいても、こちらでも、変わらなかったかもしれない。


 いや、そんなわけもないか。あたしは苦笑する。

 高校に入学したばかりの去年は確かに相当必死だったし、それに受験生になる来年ならまた違ったのかもしれないけど、学年が上がるだけの今年は、クラスにそこそこ友達もいて、比較的気が楽だったのを覚えている。それと世界を跨いで移動するのとでは大分違う。外国に留学したっていうよりも更にレベルが上なんだから。


 ……それとも、似たようなものなのかな。隔絶された島国で育った身からすると、外国だって、言ってしまえば全く別の文化圏、つまり異世界だ。ここは言葉が通じるだけ良い。意志疎通ができるだけ。

 異国滞在中。あたしの印象としては未だにそんなものなんだな。


 あたしは顔を上げた。危ない危ない。せっかく散歩してるのに足下ばっかり見ててどうすんだ。ああ、薔薇が綺麗。やっぱりお城の庭には薔薇がなくっちゃね。赤い薔薇がお好きな女王様に、白い薔薇を植えてしまったトランプ兵。首を跳ねよ! アリス逃げなきゃ。


 あれ、でも、ここどこだろう?

 振り返り、また前を向き。右、左、右。


 足がお留守になっているうちに、どうやら道を逸れてしまったようだ。あれ、さっきの道って左じゃなかったっけ。いつか行った東屋に行こうと思ったんだけどな。あれ?


 なんとなくこっちの方、と暫く進んで、余計に奥に踏み込んだ気がする。

 元の道を戻ろう、やっとそう思った時には、時既に遅し。全然どっちに行けば良いやら分からなくなっていた。

 ……やばくないか、あたし。


 いや、でも建物はあっちの方に見えるし。そう自分に言い聞かせる。その方角に進めば良いだけだし。それだけだし。それで良いはずだし。なんとかなる。なんとかなる、うん。

 後悔する。そうだよね、ちょっと慣れたくらいが一番危ないんだよね。自分を知ってはいたのに。


 一人で行ったことはないけどあの辺は何度も車で通っているからって、そう思って自転車で遠出した先、迷いまくって、公衆電話からお母さんに電話した記憶が蘇ってくる。

 いや、頑張って見知った大通りには出たんだけど、どっち方向が家に繋がってるのか分からなかったんだよね。お母さん爆笑してたよ。ああ、小学生の可愛らしかったあたし。お姉さんは進歩していません。


 そうして過去を懐かしんだところで、あたしははたと歩みを止めた。人の話し声が聞こえた気がしたのだ。


 うん、気の所為じゃない。声が聞こえる辺りへと方向転換する。

 あの人達に聞こう。聞くの? 恥ずかしいけど、探されてたら嫌だし。聞くの? 城に帰る道が分かりませんって、本当に? ああ、せめて庭に行くよってだけでも書き置きをしてくるんだった。そうだよあたしこの国の文字書けるじゃん! ピーチュに一言残しておけば、あああ。


 丈高い茂みの向こうにほのかに人影が二つ見えた。

 まだ結構遠い。てくてくやってきちゃったけど、よく考えたら逢い引きとかだったらどうするんだ、あたし。男の人と女の人の声だし。そういうの多いってピーチュが言ってたよな。って、あれれ、待って、あの姿は――。


 アサキオ?


 あたしは思わず立ち止まる。

 確かにアサキオだった。声まで上げて楽しそうに笑っている。相手は、あ、あの子知ってる、見たことある、お披露目の日の夜会にいた、ジギリスが話しかけていた緑の瞳の女の子。確か、幼馴染みだと言っていたっけ。会釈をしあっていた。

 え、なんで……――。


 ふうっと音が遠くなる。




「ハス? こんなところでなにしてるの?」


 ふいに後ろから声がした。びくっとした。肩がびくっとした。でもお陰で、硬直は解けたようだ。あたしは振り向いた。


「ジギリス……」

「こんにちは」


 ジギリスはにこりといつも通り笑う。それからあたしの向こうを透かし見た。


「ああ、アサ? 駄目だよ、邪魔しちゃ」

「邪魔って」

「邪魔だよ」

 だって、ハスって、アサのこと好きでしょう?


 歌うように彼はそう言った。

 あたしは目の前の彼を見つめる。


 あたしが、アサキオを、好き。

 心臓が飛び跳ねる。好き?


 ――コレクト。ザッツ・ライ。その通りだ。


 ついさっき気づいた。アサキオと女の子が話しているのを見た時に、あたしはとっさに嫌だと思ったのだ。

 どうしてその子といるの? どうしてそんなに楽しそうなの? それほど仲が良さそうだとは思わなかったのに。だってあなたは、あの子を追いかけたりしなかったのに。あたしの隣に、あの時は。だって。だって。


 だってあなたは、ルディカのベルなのに。


 そんな風に思った自分がとても汚い存在のように思えて、それがまた嫌だった。それなのに、それを見透かされているような気がした。この目の前の男に。

 だから、あたしはぎくりとしたのだ。


 この人はだれだろうと初めて思った。いつものように微笑んではいるけれど。なぜだか得体の知れない存在に思えた。金髪がきらきら光る。


「……ただ、あたしは、散歩してたの。そしたら自分がどこにいるのか分からなくなって、どっちに行けば良いのか分からなくなって」


 迷ったのだ、そう言う自分の声が妙に言い訳がましく聞こえた。


「そうか。それは仕方ないね?」


 薄い唇は線対称の綺麗な弧を描いている。じゃあ部屋まで送るよ、そう言われた。


 方向転換。ロボットのように、いちいち手足に指令を出して。左足と右手、右足と左手。

 あたしは彼についてのろのろ歩く。

 首筋の毛が逆立っている。


「あの子は、だれ?」


 あたしは口を開いた。囁くような声になっていた。歩調を緩めて隣に並んだ彼は、心持ち身を屈め、あたしの言葉を聞く。


「幼馴染みだよ、僕らの。アサから聞いたんじゃないの?」

「それは聞いた、けど」

「うん。それからね、アサにとっては、婚約者だ。いや、元婚約者と言った方が良いね。アサはベルになったから」


 一拍分、空白。


「婚約者? そんな、でも」


 髪と同色の、とろりとした蜜の色をした瞳で、彼はあたしを窺っている。甘ったるいけれど、足を取られたら沈んでいくだけ。

 あたしは背筋を伸ばした。そして、彼を睨むように見すえる。


「アサキオは……アサキオが、言わなかったことでしょう。言っちゃって良いの? それをあたしに教えて、あなたはなにがしたいの?」

「別になんでもないよ。ただ、君はどうするのかなと思っただけ」

「あたしが? なんなのそれ」

「だって君はルディカだ」

「ルディカだからって、それになんの関係があるの? だからって……」

 だからって。


 ……え?

 ――……ルディカだから?


 あたしは目を見開いた。


「……そんなばかなことが、本当にあったの? ねえ、そういうこと? そういうルディカがいたっていうの?」


 ルディカの望みは叶えられる。確かそう聞いてはいなかったか。


 脳味噌が独りでに回転を始める。古今東西、権力者はなにをした? 部下の妻を奪い、その不義を隠すために彼を戦死させたダヴィデ。離婚と結婚のために国教を変えたヘンリ八世。初恋の人を高官として重用し続けた西大后。裏切られた愛情と権力を別の男に向けた孝謙天皇。


 ルディカはベルと結ばれる。そんなおとぎ話。

 その、裏側には――?


 ジギリスは首を傾げて見せて、答える代わりに言った。


「ねえハス、君はルディカなんだから、あんまり不用意に一人で出歩いちゃ駄目だよ。どこでだれが狙っているか、分かったもんじゃない」

「……それって例えばあなたとか?」


 そう嫌みを言うと、彼は少し驚いた顔をしてそれから心底楽しそうに笑った。

 周囲が見知った景色になってきた。感じたこれは、悔しさだ。

 あたしは顔を背ける。おざなりに礼を言って、身体ごと彼に背く。


「ハス、ねえ」


 声を掛けられて、早足になっていたあたしは振り向いた。ち、ちくしょう。反射運動なんか嫌いだ。

 彼は目を細めてあたしを見ていた。

 そして、手が差し伸べられる。


「僕にしない? 僕にしておけば良いよ。君のこと、好きなんだけどな」

「……は?」


 普通に聞き返してしまった。


「――ハス様!」

 空間を裂くように高い声が響き渡った。


 見ると、ピーチュが凄い勢いで進んでくる。即座に舞台に上がった彼女はあたしを庇うように前に進み出て、彼を睨みつけた。


「なにをなさっておいででした? ハス様に、なにをして」

「うわ、ピーチュ、ちょっと」

「ハス様、ハス様、お顔が真っ青です。早く帰りましょう。こんな男なんて置いて」


 興奮しているのか、ピーチュの頬は真っ赤になっている。それをぼんやりと見つめた。

 背後からは笑い声。


「――酷い言われようだなあ」


 なんてことのない顔をして彼がぼやいた。ピーチュの眼差しがまたきつくなる。処理能力が追いついて、あたしはようやく慌てた。


「ピーチュ、あのね、あたしがね」

「ハス様は黙っていて下さい!」

「えええ」


 あう、結構ダメージがでかいのですがモモちゃん。


「僕はただ迷子を連れてきただけだよ」

「では、どうしてハス様がこんなに辛そうなのです? おかしいでしょう」

「さあ、どうしてだろうね?」

「ジ、ジギリス」


 どうしてあんたもそう煽るような態度なの。

 っていうか、今ピーチュは情緒不安定なんだからやめてあげてよ!


 ピーチュはぐっと唇を噛み、それから低い押し殺すような声で言った。


「やはりあなたも、ターレン家の人間なのですね。――ハス様、行きましょう」


 ピーチュに手を引かれ、あたしは引っ張られるようにその場を後にする。振り返ると、ジギリスはけらけらと笑っていた。


「本当に、酷いなあ。先代の時は、うちはちゃあんとおとなしくしてたじゃないか。……まあ、それでも結局、彼女は死んじゃったわけだけど」


 その声だけが、あたし達を追いかけてきた。ピーチュの握る手の力が、強くなったのを感じていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ