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聖女の宿命  作者:
13/32

森へ行こう!3

 それ以降は自然と皆が無言になっていた。いや、馬に慣れないあたしはそうでなくとも喋れないわけだけど。


 あの後、あたしはアサキオの馬に乗り換えて、更にまたジギリスの馬に乗り換えて、王宮に帰ってきた時には、辺りは薄暗くなっていた。

 ただいま、と迎えに出てきたピーチュに挨拶をする。おかえりなさいと笑ってくれたピーチュはとっても可愛くて、心が和んだ。ああ、女の子ってやっぱり良いな。ほっとする。


 一日つきあってくれた御者のおじさんにお礼を言って、皆であたしの部屋に移動する。当初予定していた時刻よりも少し遅くなって、意外と夕食まで間はないのだけれど、お茶でも飲んで一息入れようということになっていた。


 温かいお茶を飲み込む。ため息が出た。


「疲れた?」

「いや、うん、確かにちょっと疲れたけど。馬に乗ったのも初めてだったし。でも、凄く楽しかったよ」


 ありがとう、と言うと、ジギリスは柔らかく笑った。ううん、美形のこういう表情は反則だ。


「ちょっと今まで落ち込んでたしね。色々と、ご迷惑お掛けしました」


 特にアサキオ、とこれは口に出さずに思う。今考えると、お披露目の前くらいは本当に酷かったな、あたし。


「まあ、突然環境も変わったんだろうしね。しょうがないよ」

「うん、ありがと」


 皆には、言っておくね。

 あたしはそう前置きをして、お茶をもう一口飲み込む。よし。


「あたしね、帰りたいんだ。ううん、帰ろうと思う」


 この宣言は、いつかしなければならないと思っていた。


「ここに来たのは、正直、ハプニングみたいなものだと思ってる。帰る方法があるかなんてことは分からない。ラタムには帰れないって最初から言われてるしね。でも来れたってことはどこかに出る道もあるんじゃないかと思うんだ。……あたしには向こうに家族がいるし、友達だっている。それを全部捨てるなんて、そんなことできないから。ルディカとしてこういう考えが受け入れにくいのは分かってるよ。でも、できたら――」


 あたしは帰る。せめてこの近しい人達には、伝えておこうと。


 綺麗な笑顔を固まらせたジギリス。口を開いては閉じているナノ。ピーチュは目を見開いている。なんともいえない空気が満ちる。そうだよね、突然こんなこと言われても、困るよね。ごめん。

 ラタムだけはそのポーカーフェイスに動揺を乗せず、顎に手を当ててあたしをじいっと見つめてくる。

 対してアサキオの視線はどこか痛ましいものをみるようなもので、あたしは彼にほんの少しの笑顔を向ける。


 心配してくれているんだなあとは思う。それには感謝もしてる。


 でもあたし、そんなに弱くないよ。


「そう、思ってた。でも今日あれを見て、そうそう簡単にもいかないんだなってことが分かった。――皆は、あの〈穴〉のこと、知ってたの?」


 その質問に意味はない。知らないはずがないのだから。


「ハスがいた国には、ああいうのはなかったのか?」


 答えられる質問にほっとしたようにナノが頷き、そう問い返してくる。最近はあたしもちょくちょく自分のしてきた暮らしについて口に出すようになっていて、その相手は学術的に興味を持ってくるラタムと、一日で接する期間の長いピーチュやナノが主だった。


「なかった。あんなもの、あり得ないと思った。なんであんなにくっきりきっぱり分かれてるの? 空の色まで違うなんて。物理法則どうなってるの?」

「いや、そう言われてもな……」

「うん、そうなんだろうなとは思うよ」


 彼らにとっては、あれは「そういうもの」なのだろう。当たり前にそこにあって、疑問を持つことすらしない。彼らが間違っていてあたしが正しいとかそういうわけじゃない。ただ単に、あれはきっと、あたしの持たないこの世界の常識なのだ。


 ある日突如として現れる、生物が生きることのできない空間。時間が経つごとに、それはじわじわと大きくなっていく。ただあれの届かないところで暮らせば良いと言えばそれまでだ。

 でも、ストッパーもなにもない状態であれが肥大を繰り返したら? 何百年も掛けて、あれが世界中を覆ってしまったら? ラタムが言外に語っていたこと。


 あたしがバルコニーに出た時の、人々の歓声を思い出す。それから、このお城の人達の態度。アサキオの部下の人達。


 つまり、あたしは今まで本当には分かっていなかったのだ。なんでルディカが大事にされるのか。


 あたしは帰りたい。でもあたしがいなくなると、この世界はあの〈穴〉が開いたままになってしまう、のではないだろうか。

 そんなこと言ったってあたし一人くらい、というずるい思いも、あるのだけれど……。


 まあともかく、ここの人達は、苦しめられている。あたしは今日それを知ったのだ。

 ――でも、なにによって?


「最初のルディカが現れた時、彼女は言ったそうだ。ルドゥキアは貴方がたを哀れまれたのだと。いつの間にか現れて、広がりゆく〈穴〉――荒廃するこのグルデナに泣く子らを救うべく、彼女を使わされたのだと」


 アサキオの声に引き戻される。


「ということは、少なくとも、最初の人は神様と話したんだね」


 あたしは無意識にそう返していた。あたしにはなにも話しかけてくれなかった、神様とやら。


「まあ、伝説だがな」

「愛し子を使わすと、神官の夢に至高なるルドゥキアが現れたという伝承もありますよ。まあ、初代のマリエ様に関する伝説は、グルデナ中に虹が架かっただとか、流れ星が空を覆い尽くしただとか、他の方に比べて派手なものが多いので、後世の創作が大半ではないかというお話ですけど」


 ピーチュがそう補足する。ああ、そうなんだ。七百年も、前の話だもんな。


「〈穴〉が神の怒りだとする説もあるよ」


 ふいにジギリスが呟いた。アサキオが、困惑した顔で振り返る。


「神はふがいない我らにお怒りになって、罰を与えた。それからやり直しのチャンスを与えるために、ルディカを使わした」

「そのような異説、どちらでお聞きになられたんです?」


 ピーチュの声が尖っている。珍しい。ジギリスは肩を竦め、実家にある本で読んだんだよ、と場を繕うように言った。


「っていうか、そもそもあれってなんなの? その最初の人がその――〈穴〉を直すために来たっていうんなら、その人で修復は終わったんじゃないの?」

「いや……確か一人目では全ては繕いきれなかったはずだ。そうだろ?」

「だね。一応〈穴〉がなくなった、とされるのは三人目の時代じゃなかったかな。それでも彼女の死後、また〈穴〉は現れる。ルディカが現れて塞いで、それを繰り返す。神の機嫌を取るかのように――」


「ジギリス様!」

 ピーチュが咎めるように叫ぶ。


「ああ……君の家は、『信仰が篤い』んだっけね。配慮が足りなかったよ」

「な……」


 なにこれ。なんなの? なんか水面下な会話が繰り広げられてるんだけど! 察したくない、怖いんだけど!


「えっと、あのさ、前のルディカの時もそうだったのかな? なんていうか、やっぱりその子がいることで、〈穴〉はなくなっていったの?」


 あたしがそれを聞いたのは、ただ、話題を元に戻そうと思っただけだった。ピーチュがぴりぴりしていて、なんとなく、雰囲気がきな臭かったから。

 けれども、思いがけず、あたしの言葉で場が凍った。


 え?


「ハス様……」


 ピーチュが恐る恐ると名を呼んでくる。けれど視線を向けると、迷うように口を噤んだ。ナノは助けを求めるように視線を巡らせている。皆の表情が、どこか、うつろな。

 と、そこで、これまで黙っていたラタムが口を開く。


「ハス、第七聖女の話は、この王宮ではタブーになっている。お前にも、言うなと。そういう命令が下っているのだ」


 ……え?


「ラタム」


 アサキオが名を呼んだ。最初は彼らもお互いに名字呼びだったのに、ジギリスに指導されてこうなったんだよな、と関係のないことを思い出す。


「命令?」

 あたしが聞き返すと、ラタムは頷いた。

「そうだ。――ただし、それとは別に、ルディカの願いはすべからく叶えるべし、との原則もある。お前が望むのならば……教えてやろうと思っていた」


 だれもなにも言わない。あたしは彼らに順繰りに視線を向けた。気まずそうな、不透明な、彼らの顔。


 教えて、とあたしは言った。声は不穏な気配に掠れていたかもしれない。

 それでも声は声、言葉は言葉。届いてきっちりと用を為した。ラタムは頷き、話し始める。


「最初は、確かにそうだったそうだ。これまでのルディカとなにも変わらない。見つかって、ベルが選ばれて。この王宮で、平穏に暮らしていた。〈穴〉はじきに元のように全て塞がり、人々には平和が、彼女もまた幸せに――。そのはずだった」

 しかし、と言葉を切る。

「腕から血を流して倒れているのを、ベルの一人が発見した。近くに刃物が落ちていた。――自殺だった、そうだ」


 あたしは息を飲んだ。


 第七聖女、ニゲル。彼女の肖像画を見たことがある。授業の一環でラタムが連れていってくれた回廊だった。


 一番目は可愛い感じ。二番目は華やか。三番目は穏やかで、四番目はきりっとしていた。五番目は清楚系。六番目は人形のように整った。それぞれ傾向の違う美女、美少女が並んでいて、ちょっとやさぐれたのを覚えている。

 七番目、あたしの前の最後のルディカ。隅っこで息を潜めるようにして、儚げに笑っていた、彼女。


「自殺? そんな、どうして」

「詳しいことは分からない」


 首を振るラタムに、ジギリスが言葉を継ぐ。


「さっき言ったように、彼女の死はタブーだからね。触れてはいけない。その痕跡も当時の人間によってほとんど消し去られてしまった。ただ、ニゲルの自殺に前後して、男が捕らえられたと、それだけ記録に残っているから、その彼が関係しているのかもしれない」

「ほう、よく知っているな」

「一度調べたんだ。ほら、僕の家って毎回ベルを出しているから。まだそういうことのやりやすい立場だし」

 じゃあ続きどうぞ、とラタムを促す。


「――彼女の死後、〈穴〉は急速に広がったという話だ。……それは、彼女が来る前の、二倍とも三倍とも言われている。こんなことは、前例になかった」

「そんな……」


 言葉が出ない。そんなことってあるだろうか。自殺だって? そんな。どうして。


 そう思う傍らで、心にインクが落ちた気がした。ぽつりと、黒い染みのように残る。

 あたしはぶん、と頭を振った。


「問題は、〈穴〉が広がったっていうことだよね」


 情報を整理して、発言する。ちゃんと平静な声が出た。

 今度はアサキオが答える。


「そうなるな」

「それってルディカが死んだから?」


 世界を直すべきルディカ。〈穴〉を塞ぐべきルディカ。

 ルディカは存在こそが重要なのだとそう聞いた。なにもしなくても良い。ただ存在するだけで良い。

 そのあり続けるべき存在が、唐突に途切れる。だから世界の〈穴〉は広がった?


「……そうなんだろう、と俺は思うが」

「そう、だよね」


 単純に考えるなら、そうなのだろう。

 あたしは頷いた。


 なんだか自信がなくなっている。帰りたい。そう思う。これはあたしの持つ、現在唯一の強い思いだ。けれどもそれは、叶えられるのだろうか?

 もしそれで、この世界に害が及ぶなら。この目の前にいる人達が苦しむ結果になるのならば。

 ニゲルの死後、倍の大きさになったという〈穴〉。


 ――あたしは、それを、選ぶことができるのだろうか?




「ハス様!」


 突然ピーチュが声を上げた。全員が一斉に彼女を振り向く。彼女は頬を上気させて、しかし決然と言い切った。


「もう、夕食の時間をとうに過ぎています。皆さんなにか口に入れられて、今日はもうお休みになった方が良いと思います。お疲れですよね、ハス様。そんな状態でいくらやっても、良い考えは浮かびませんよ」

「ああ……そうだね」


 終わりの見えないループに陥りそうだったあたしの思考。それを、引き戻してくれた。


「ありがとう、ピーチュ」


 あたしは笑った。そう、今考えても仕方ない。もっともっと情報が必要だ。あたしはまだこの世界を知らない。

 ぐっと決意も新たに拳を握る。


「皆もありがと。重たい話になっちゃってごめんね。――これから、また、頑張るから。あたしだけじゃ足りない、勝手な話だけど、色々教えて欲しい」

 だからこれからもよろしくお願いします。


 それで、解散になった。


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