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聖女の宿命  作者:
12/32

森へ行こう!2

 この一月ほどの間、あたしはずっと王宮の敷地内から出ていなかった。そりゃあ、あそこは広いし、お披露目の準備で動き回らされたり、庭に出たりはしていた。けれども、そう、確かに区切られた空間の中をあたしは動いていた。


 実際には色々と大変だったから、そんなこと考えつきもしなかった。自分ではなんとも思っていないつもりだった。

 でもきっと、本当は知らず知らずのうちに鬱憤が溜まっていたんだろう。


 帰る頃には、すっきりと気分が晴れていた。




 ねえ、そういえば気になってたんだけど。森の中を歩いて戻りながら、ふと思いついてあたしは言った。


「この世界――グルデナにはさ、魔法使いみたいなのはいないんだよね」


 これは質問ではない。早い段階でそれは確認した。ファンタジーファンタジーした世界だから、もちろん魔法だってあるもんだと思っていたのに。ピーチュに聞いてみて目を逸らされた時のあのショック。


「魔法使いって」


 すぐ前を歩いていたジギリスは鸚鵡のように繰り返して、おかしそうにしている。


「おとぎ話でしょ、そんなの」

「そんなこと言ったって。ここって私の世界に比べると大分ファンタジーなんだよ。あたしの常識からすれば、魔法くらいあったっておかしくない」


 シンデレラを助けるあの優しい女の人のような、人魚姫の願いを叶えるあのおどろおどろしい老婆のような、眠り姫に祝福と呪いを授けるあの楽しげな一団のような。

 そんな存在がいたって良いと思うんだけどなあ。うーん、つまんない。


 唇を尖らせるあたしに、いないものはいないからねえとジギリスが返す。アサキオとナノに笑われてしまった。

 と、後ろから、今度はラタムの声。


「――異能者ならいると言われているぞ」

「異能者?」


 振り返る。鬱陶しそうに茂みを払いながら、彼は頷いた。

 ああ、ナノがまた耳の飾りを触り始めた。落としても知らないぞ。


「そうだ。離れた場所に一瞬で移動したり、一切触らずに物を動かしたり、人の心を読んだりするらしい。未来を予知するというのもあったな。もっとも、私は実際に会ったことはない。本当にいるのかも分からない。いたとしても隠すだろうな。かつて迫害されていたという、あるのはその伝説だけだ」


 ふうん、とあたしは呟いた。

 確かに、あたしの世界だって、魔女裁判とかやっていたしな。リアルなんて、そんなものか。


「僕も見たことはないね。アサもそうだろう?」

 ジギリスが振ると、アサキオは頷き、話を継ぐ。

「だが、昔の偉人が異能者だったという、そういう逸話には事欠かないな。異能で岩を砕いただとか、戦局の先読みをしただとか。挙げ句の果てには城攻めが上手くいったのも、高嶺の花を口説き落とせたのも、なにもかも異能の所為にしてしまう。一人でいくつもの異能を持っていたりな。一番酷いのは初代王か?」


「……ああ、ああいうのって、本当なんだか嘘なんだかって感じ、しますよね」

 ナノも苦笑している。


「でも、いるなら会ってみたいなあ。――ナノ、耳弄くんのやめなよ。見ててはらはらする」


 あたしは一連の会話を、無責任にそう締めくくった。それから話題はナノのピアスへと流れた。




 森ではそれほどの時間を過ごしたわけではない。城からここまでは数時間掛かるし、完全に暗くなる前には帰りたい。現代社会の交通機関って偉大だったんだなあ、と乗り物嫌いのあたしですら思った。


 さて、その帰り道であるが、驚いたことにラタムが突然行きとのルート変更を言い出した。どこどこの街道を通って、というのはあたしには分からなかったが、他の人には割と通じるものらしい。ジギリスは渋い顔をし、アサキオが一拍遅れて眉をひそめた。ナノだけはあたしと同じく不思議そうな顔。今は馬車の近くで、ジギリスとラタムが御者を交えて相談中だ。


「なに?」


 あたしは考え込む体のアサキオに尋ねた。彼は不明瞭な声を漏らす。


「記憶は定かじゃないんだが……確かそれだと、〈穴〉の近くを通るんじゃなかったか」

「穴?」

「――そうなんですか?」


 ナノがちょっと引き気味に聞き返す。そこで、ちょうど話がまとまったようで、残りの二人が近づいてきた。結局、ラタムの意見が通ったらしい。


 動きが決まり、銘々で帰りの準備を始める。ナノが馬の縄を解き、ラタムが馬車に乗り込む。横目に見やるとちょうどアサキオが鐙に足を掛けたところだった。ひらりと身軽に馬に跨る。あれ、どうやったらできるんだろう。


 帰りの最初は、ジギリスの馬に同乗することになっていた。差し出された腕に躊躇なく近づく。あたしを持ち上げたジギリスは、ほんの少し奇妙な顔をしていた。


「ねえ、ハスってさ――」

「え?」

「……ん、なんでもない」


 ふっと息を漏らして、後ろに跨ってくる。

 ……笑顔って、よく分かんない表情だよな。


 掛け声とともに馬が走り出す。あ、お尻痛い。痛い。

 とにかくがたがた揺れる。それが馬上である、というのは、行きで既に痛感した。喋っている余裕なんかすぐになくしたあたしは、後ろから飛ぶ丁寧な指示に従いながら、あちこちの筋肉の力を入れたり抜いたり、機械のように繰り返す。


 視界が開けてるのは嬉しいけど、その代わり今日帰ったら身体ぎしぎしになってそうだな。あたしって運動不足なんだろうか。そんなことない、と、思いたいんだが。ああナノ、どうしてあんたはそんなに軽やかなの。くそう、休憩はまだか。

 散漫な意識を引きしめつつ、そうやって一時間くらい進んだと思う。


 ふと気づくと視界に妙なものが映っていた。

 ん? と首を伸ばす。もうすぐだね、と平坦な声が聞こえた。


 道から逸れて平野を進む。それに近づくにつれて、馬の速度は次第にゆっくりになった。ジギリスの操縦の所為だけじゃない。……馬自身が、怯えているんだ。

 前を進んでいたアサキオとナノが馬を止める。あたし達も地面に降りた。ずるっと滑りかけた足をジギリスが後ろから支えてくれる。


「ごめん」


 あたしは反射的に謝ったが、その声はどこか遠くに感じられた。

 これ、なんだろう。目をこすっても見えるものは変わらない。

 こんなことってあり得るの?


「ハス。これが、〈穴〉だ」


 いつの間にかラタムが隣に並んでいた。あたしは返事をせず、ただ眼前に広がる光景を見つめる。


 そこは灰色の世界だった。見えない境界線でもあるかのように、数メートル先の地点から、がらりと様相が異なっている。

 良い天気に晴れているはずの青空は、薄暗い黒。大地の色までくすんで、そこにはたった一本の草すらも生えていない。

 吹いてくる風すら乾いていた。暖かい春の日が嘘のようだ。


 不毛の大地。そのフレーズが頭に浮かぶ。


 どういうこと? 灰色の向こうには、また何事もなかったかのように明るい景色が続いていた。左右も同じく。ただこの場所だけが、五百メートル四方の円の中だけが、明確に他とは分かたれている。

 生理的な嫌悪感。そして、原始的な畏れ。


「初めて会った時、ハス、お前は、ルディカの役目とはなにかと尋ねたな。その答えがこれだ。ルディカはグルデナを救う存在。ルディカは、グルデナにできた〈穴〉を繕う」

「世界にできた、〈穴〉?」


 あたしは囁くように繰り返した。これが〈穴〉。ここに来る前の、奥歯になにかが挟まっているような彼らの表情を思い出す。


 そりゃあね、ファンタジーな世界だとは思っていたよ? 初っ端っから手は光るし、聖女だとか、神だとか。魔法使いがいないのにはだいぶがっかりしたわけだけど、まあそれはそれ。ここがあたしの世界と違う常識で動いているっていうことは、理解していたつもりだ。

 でも、だからって、こんなのは想定していなかった。


 なんだろうこれ。どういう仕組みなの? どうしてこんな、まるで一部だけが切り取られてしまったみたいな。

 神の祝福が、この場だけ、及んでいないかのような――。


 こういう〈穴〉は、ここだけではなく、このデイモール国だけでもなく、グルデナの各地にあるのだ、と。ラタムはそう言った。


「この〈穴〉は既に小さくなり始めているという話だったからな。見るならば今のうちだったのだ」

「小さくなってる? これで?」

「今はお前がいるだろう、ハス」


 あたし?


 視線を引きずって、ラタムを見上げる。ラタムは頷いた。


「ルディカは存在するだけで良い。ルディカがグルデナにいるだけで、そのほつれは修繕される」


 百年のうちに積み重なったほつれだ、とラタムは言った。そういえばそんなお手軽設定だったな、と思い出す。百年に一度現れるルディカ。地上に降り立って、世界を直す。

 ――それが、その繕われるべき歪みが、この〈穴〉。


「向こうに、見えるか? 村があるだろう」


 ラタムの指す方角を見やる。言われてみると、確かに、遠くにぽつんと家々のような固まりが視認できた。


「あの村は、もともとはこの辺りにあったんだ。だが〈穴〉が生まれて、広がって、移動せざるをえなくなった。〈穴〉の中ではなにも育たない。荒野より、砂漠より、なお酷い。どんな植物も、動物も、あの中で生きることはできない。我々にできるのは、ただ、あれを避けることだけだ。見ない振りをして、通り過ぎることだけだ」

「あたし、なんにもしてないよ」


 それは事実だ。あたしにとってはそれが全てだ。


 あたしはこんな〈穴〉の存在なんて知らなかった。知らないものをどうこうできるはずもない。

 それでもあたしがいることで、この〈穴〉はその範囲を狭めてきたのだという。あたしがここに、来てからの話。


 あたしは身震いをした。そしてもう一度、その〈穴〉を見つめた。


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