第3章 溶けた雪の心の中 四
かなり間が空いてしまいました。
待っていて下さっていた方、すいませんでした。
「理紗……これ…………」
「はい、これ……美羽ちゃんのです……」
二人はいきなり走り出した美羽の後を追っていた。その途中で彼女の水色のコートを見つけたのだ。
まるで脱ぎ捨てたように―――いや、脱ぎ捨てたのであろう。コートは無造作に放られていた。
そこはちょうど美羽がこ走り出した所から最初にある角てあった。そこからまたすぐに走り出したかのように雪が削られていた。
ただ、それは人がつけたものとは思えないほど削られていた。
「美羽ちゃん足早かったんですね~」
「いや、そういう問題じゃないから……」
隣でおとぼけ発言をする理紗にとりあえずつっこむ遥。
理紗はどうも双子の姉の理香と違い、少し天然の気らいがあった。そこがいい所でもあるのだが、こういうときには場違いであった。
何しろ外は真冬の寒さである。とてもじゃないがコートを脱ぐのは自殺行為でしかない。
遥や理紗もコートを着込んでも寒いのだ、それなのに脱いでまでも急ぐ必要がある。家で何かあったに違いなった。
「走るぞ理紗!!」
「はいっ!」
いくらおとぼけが入っている理紗でも分かったのか、いきなり走り始めた理紗に素直に従った。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
息を切らせながら走る。後ろには息一つ切らせていない理紗が着いてきている。
全くもって施設での訓練は馬鹿にならない。理香も理紗も嫌悪していることだが、今の遥には有り難かった。
息が切れている遥では何かあったとき対応できない。家には理香がいるはずだが、不意打ちなどで倒されているかもしれないため、当てにならない。
理香には悪いが今は理紗に頼るしかなかった。
走る。
……走る。
…………走る。
「ハァ……ハァ……ハァ…………ハァ」
家の門までたどり着き、乱れた呼吸を何とか正す。さすがに理紗も息が切れたのか少し呼吸が荒かった。
それもそのはず、普通に歩いて十分もかかる道を一分足らずで走り抜けたのだ。いくら理紗でも息が切れるだろう。
これで全く息が切れていなかったら、バテバテの遥は面子が立たない。いや、元々面子などないが。
警戒しながら玄関に歩いていく。
ギィ、と扉を軋ませて開ける。しんと静まり返った屋敷内に遥達が靴音だけが響いた。
「……?」
―――おかしい。
何が、と言われれば答えられないが、何かがおかしい。静か過ぎるのだ。
「……理紗……」
小声で話し掛ける。理紗は遥が考えていることと同じことを考えていたのか、こくりと頷いた。
「…………じゃあ、敵か……?」
「はい……それも、完全に気配を立つことのできるプロです……」
理紗の額に脂汗が浮かんでいた。予想外の敵なのだろう、焦りすら見受けられる。
「……武器がいるな……」
「はい、確かナイフがありましたよね……?」
「あれか…………仕方ない、使うか……」
遥は部屋に置いてあるナイフを思い描いた。記憶を失った彼が始めから持っていた物らしいのだが、何かはわからない。
ただそれを持つと頭痛が起こり、意識を保てなくなる。遥はそれが嫌で今まで避けていた。
だが、ことは一刻を争った。どうやら後から入ったはずの美羽の気配もないらしく、理紗が焦っているのも分かっていた。
なら、今は―――
「俺はナイフを取ってくる……だからリビングを頼む……」
理紗はこくりとだけ頷いてリビングに向かっていった。その顔にはどこか陰りがあったが、今は気にしていられない。
遥は気付いていた。床には靴を脱ぐのも忘れたのか点々と雪が溶けた水溜まりがあった。それはリビングに続いている。
「すまんな……そんな役回りさせて……」
「気にしないでください……。それでは……また後ほど……」
「ああ……」
理紗はまるで死にに行くような言葉を口にした。しかし何故かはわからないが遥も素直に返事をしてしまった。
そのまま振り返らずにお互いの目的のために走り出した。
勢いに任せて部屋に入り、ナイフがしまってある棚に走る。
「よし…………ふぅ」
息を整える。このナイフを掴めば即座に頭痛が遥を襲う。
耐えようのない痛み、そして意識を連れ去ろうとする影。
遥は今さらながら恐くなった。掴もうと伸ばした手が震える。
すぐ手の届く位置にあるのにとても遠く感じる。果てしなく遠く、果てしなく暗い沼のよう。
手を触れただけで飲まれ、二度と浮き上がれない―――そんな予感が過ぎる。
「…………ふぅ……」
もう一度息を吐く。
今は迷っている場合ではなかった。少し間違えるだけで記憶より大切な物を失う。それは予感ではなく事実になると、遥の遥たらんとしている部分が訴える。
「……もう……失うわけにはいかないんだ……!!」
自分に言い聞かせるように口に出し、ナイフに手を伸ばした。
瞬間―――視界が闇に閉ざされた。
(……負けない……もうこんなの恐くない……!!)
闇の中で叫んだ。それは自らの耳に届くことはなかったが、確かに遥の決意を闇に轟かせた。
「…………あれ?」
あっさりと闇が引いた。思わずほうけてしまうほど呆気なかった。
だが、それは同時に遥を後押ししてくれた。
「……よし!」
ぱん、と頬を叩き気合いを入れる。一度目をつぶり、息を吐いて部屋を出ようと体を向けた。
そして―――
「…………死ね……」
それはそこにいた―――。