第3章 溶けた雪の心の中 三
という訳で買い物に来ているのだが。
「長い……」
買い物はもうすでに一時間を超えていた。
美羽は今、出てくるときに理紗のコーディネイトした服を着ている。
膝丈まである黒いスカートにピンクを基調としたブラウス。白い髪は一束だけ左側で纏められていた。それも理紗が纏めていた。
理紗が言うに、コンセプトは清楚なお嬢様らしい。
加えて、今でこそ遥が持っているが、ここに来るまでは水色のコートを着ていた。
ぱっと見似たような恰好をしている二人は姉妹に見えないこともない。それが遥には無性に嬉しかった。
最初に何も考えずに『可愛いね』と言ったら、顔を真っ赤にして照れていた。
それがとてつもなく可愛く思え、抱きしめたい衝動に駆られたのだが何とか押し止めた。
それを思い出してしまい、頬が緩む。慌ててパンッと頬を叩き引き締める。
「ふぅ……」
椅子に両手一杯の袋を置き一息入れる。もちろん袋の中身は美羽の服だ。一部理紗の服も交じっていたりする。
椅子は袋を置いただけで遥一人分しか残らなかった。いくらこれから暮らしていく美羽のためとはいえ、買い過ぎだ。
理香は置いて来た。絹江は最近あまり体が良くなく、いつも一人は着いていないといけない。
普段は理香達も学校があるため家政婦を雇ってはいるが、休日は理香か理紗のどちらかが必ず絹江に着いていた。
そんなわけで、始めから連れていく気だった理紗を連れて、理香にはお留守番をしてもらったのだ。
そして、問題の二人はというと……。
「これどぉ?」
「ええ~! き、際どいですよ~」
「ならこっち!」
「そっちのほうが駄目です!」
などと仲よさ気に服を選んで――というか、理紗が一方的に勧めているのだが――いた。
理紗が勧めていたのは際どいにもほどがある―――いや、あり過ぎる固まる出しのキャミソールだった。何故冬真っ盛りだというのに、そんなものがあるのかわからなかった。
その次は背中がばっくり開いたよくわからない服である。美羽が断るのも頷けた。
しかし、そんな会話も今ではほほえましい。
二人は家を出るまでぎくしゃくしていた。だが、一度服を選び始めると美羽は始めて服を見る子供のように、理紗は弾丸のような勢いで美羽の服を選んでいった。
「女の子はわからん……」
とりあえず素直な気持ちを口にした。きゃいきゃい服を選んでいる二人には聞こえないように小声ではある。
とてとてと美羽が近づいて来た。
「ん? もう終わったの?」
「あ、はい……。でも……いいんですか? 全部買ってもらって……」
「もちろん、これから暮らしていく家族にそれくらいしてあげないと……ってばあちゃんが言ってたし」
「…………」
美羽は眼をしばたたき、きょとんとしていた。
首を傾げて見上げていると、じっと美羽が見つめてきた。思わずどきりとして眼を逸らす。
「…………です」
「えっ?」
「な、何でもないですよ? あ、買い終わったみたいです!」
美羽が何を言ったのか聞き取れず、聞き返してしまった。
だが、美羽は答えず慌てて買い終わった理紗の元に駆けて行った。
「…………」
一人残された遥。ぽつんと聞き返したままの恰好で固まっている。
ふぅ、とため息をつき袋とコートを持ち上げ、二人の元に歩いていく。
あわよくばこんな日々が続けばいいのに、そう思いながら新たに増えた袋を担ぐのだった。
◆ ◆ ◆
「そうです! これはお気に―――っ!?」
妙な気配に理紗との会話を中断する。
あと10分も行けば遥達が住む屋敷が見えてくる。だが、気配は明らかに屋敷から放たれていた。
(これは……まさか、死神!?)
悪い予感が的中しないことを願いつつも、足はもう前に駆け出していた。
「み、美羽ちゃん!?」
「あ、ごめんなさい……! ちょっと…………おトイレ!!」
言ってから、顔が真っ赤になった。後悔先に立たずとはまさにその通りで、今さら後悔しても遅い。今は残してきた理香と絹江のほうが気掛かりであった。
屋敷に向うための角を曲がる。あとは見られないから、死神として走った。
理紗がくれた水色のコートがもどかしく、脱ぎ捨てる。気温は十度を切っているため本来ならコートを脱ぐのは自殺行為だ。しかし、今の美羽は死神としての力を開放している、寒さは関係なかった。
風景がぶれる。次々と景色が移り変わり、数秒で屋敷に着いた。
いくら落ちこぼれとはいえ美羽も死神である。この程度のことは造作なかった。
バタン、と勢いに任せて大きな扉を開き屋敷に入った。だが、そこはつい一時間前の屋敷とは違うものになっていた。
何が違う、と聞かれれば明確には答えられないがとにかく違和感がある。
死んでいるのだ。理香と絹江、二人の住人がいるはずなのだが雰囲気が死んでいる。そこは美羽の知っている紫藤亭ではなく、まるで廃れた屋敷である。
「…………」
雰囲気に押し潰されそうになりながら、絹江達がいるであろうリビングに重い足を進めた。
ごくり、と喉を鳴らしてホールとリビングを分かつ扉に手をかけた。
その時―――
「ぐあああぁぁぁぁ!?」
リビングの中から悲鳴が轟いた。
「…………っ!」
それは理香でも絹江でもない―――いや、それ以前にこの屋敷にいるはずのない男の声だった。
不安に駆られて急いで扉を開け放った。そこにあったのは、美羽が一番あってほしくないと願った光景であった。
「…………はっ」
ドクン、と具現化した心臓が跳ねる。息ができず、途切れ途切れになる。
「………………ボル……君?」
肩で息をしながら、後ろに理香と絹江を守るのは少年であった。美羽の相棒であり、かつ唯一の家族であるボルグアイが、久保琉衣の姿でそこにいた。
満身創痍で、左腕は取れかかり、右足にも大きな傷が見て取れた。
「……ゴブッ……ハァハァ」
ボルグアイは血を吐いていた。口に当てた指の隙間から血が吹き出る。
そこで美羽はようやく気付いた。絹江が支えているため、へたり込んでいるだけだと思っていた理香は気を失っていた。
いや、ぱっと見死んでいるように真っ青であった。
(理香ちゃん! まさか……鎌で裂かれたの!?)
美羽に戦慄が走る。さっきよりも息が続かなくなっていた。
死神の鎌は文字通り魂を導く神器である。だが、それは裏を返せば武器になる。
鎌で人を裂けば魂が傷付く。もちろん時間が経てば傷はやがて癒える。
しかしそれにも限度があった。半分以上魂を破壊された人は二度と戻らないばかりか、導くことすらできない。
理香の魂はまさにそれだった。半分とはいわないが、三分の一は破壊されている。元の生活ができるかは低くはないが際どい所であった。
「…………先輩」
ボルグアイと対峙している人物に、美羽は見覚えがあった。
黒い外套を羽織り、長大な鎌を下げている男。顔こそ見えないが魂の見える美羽にはわかる。
あれは―――
「何故この少女を裂いた! カイベイルズ!!」
ボルグアイの言う通り、男は学校の屋上で美羽を襲った死神―――カイベイルズであった。
「…………別に……。気まぐれだ」
「貴様ぁ!」
瞬間、怒りが沸点に達したボルグアイが消えた。
ガキィン―――
甲高い音を立てて、自我を持つ鎌であるボルグアイと、カイベイルズの鎌が打ち合う。
ボルグアイ自体は肉体を人間に変えているため、武器はない。単純に人間化けるために使う部分を武器に変えて打ち合っていた。
「―――がぁっ!」
ボルグアイの悲鳴が聞こえた。数度の打ち合いで負けたのは、ボルグアイであった。ボルグアイの右手が有り得ない方向に折れ曲がり、壁に背中からたたき付けられた。
「下衆が…………ん? やぁ、汚れたミルトランジェ。傷は癒えたかな?」
「―――っ!」
美羽の体が強張る。今まではボルグアイに気を取られていたカイベイルズが気付いた。
それどころか明確な殺気が美羽を貫く。声こそ静かなものだが、カイベイルズは狂っていた。
「ボル君から離れて!!」
「こんな使われるだけの道具がどうしたんだ? ああん?」
ドゴッ、と床が揺れるほどボルグアイの体に足が踏み込まれた。
「がっ!?」
一度ボルグアイの体が震えたかと思うと彼は動かなくなった。
美羽は眼を疑った。いつも美羽をからかい、時には優しく接してくれた家族が傷だらけになっている。
壁に背を預け、ぐったりと頭を垂らしぴくりとも動かない。
頭に血が上った。眼に入るものは家族や友達を傷付けた悪魔、カイベイルズのみ。
「~~~~! 執行!!」
死神が使える中でもすぐに唱えられる、武器生成呪文を唱えた。
人には聞き取れない――発音することのできない――呪文を唱え、実行の言葉を乗せる。
風を切るような音と共に、美羽の手の中に前後に刃の生えた剣が現れた。剣は簡素な刃に柄を付けただけの簡単なものだった。
「―――はぁっ!」
一息で五メートルはある間合いを詰め、剣を振るった。
だが―――
「舐めるな……獣ごときがぁ!!」
カイベイルズは怒号と共に鎌を振った。反射的に剣を盾にした。
「…………くぅっ!」
それが幸いしたのか何とか防ぎ切る。
美羽は理解した。たった一撃を交わしただけで腕が痺れ満足に動かせなくなる。
―――敵わない、敵うはずがない。
直感がそう訴える。だが同時にカイベイルズを許すわけにはいかなかった。
すぐに構え直し、渾身の力を込め、再度切り掛かる。
「やぁっ!」
「まだわからないのか!! 糞アマが!!」
剣は無造作に振るったカイベイルズの鎌に敗れた。
鎌の衝撃は砕かれた剣だけでは飽きたらず、美羽の体を壁に叩き付けた。
「かはぁっ!?」
息ができない。吸おうとするのだが、肺に空気が送れずただ喘ぐだけだった。
何とか立ち上がろうとするが、力が入らない。意識が朦朧として気を抜けば今にも闇に沈み込みそうになる。
突然髪を引っ張られ強制的に顔を上げられた。髪を掴んでいるのはカイベイルズであった。
チブチと雪よりも白い銀髪が抜けるのがわかる。だが、逆らうことができない。
いや、それ以前に痛むかどうかすらわからなくなっていた。
「なぁ……ミルトランジェ? 今俺に逆らって死ぬのと後で死ぬの……どちらがいい?」
下卑た笑みを浮かべて聞いてくる。美羽は虚ろな眼で声にならない声を上げるだけだった。
それを肯定と取ったのか、カイベイルズはにこやかに笑った。
「そうかぁ……後で死ぬのかぁ。まぁ上からも今は殺すなって言われているし……癪だが眠らしてやる」
「……や」
「ああ? なんか言ったか?」
「…………いや! あそこには戻りたくな―――」
美羽は言葉を最後まで言うことなく、床に倒れた。完全に視界が見えなくなった。
殴られたのだと気付いたときにはもう遅かった。
頭が何者かに踏み付けられる。何度か踏み付け、気が済んだのか理不尽な暴力は止んだ。
いや―――
「止めろ!!」
ボルグアイが切り掛かっていたのだ。ちぎれそうな左腕を庇うことなく右手の剣で切り掛かる。
「……まだ生きていたか死にぞこない」
カイベイルズは冷たい言葉と共に鎌をないだ。その一撃でボルグアイは壁に叩き付けられ、今度こそ気を失った。
「さぁ一時眠ってもらおう」
ガッ、と再び足蹴にされた。揺れる視界に鎌を振り上げるカイベイルズが見えた。
「…………すみ、…………ジェ?」
聞き取れない。ただ、振り下ろされる鎌を呆れるほど冷静に見つめる自分が美羽には不思議だった。
「……いや……いや」
今から鎌が自らの肉体に沈み込むこみ、眠らされると考えると怖が沸き上がった。
「いや…………いやぁ!!」
鎌が振り下ろされる。
美羽は最後まで抵抗することもできず、その身に沈む鎌と共に意識を沈めていった。
(ごめんなさい……絹江ばあちゃん……)
最後に視界の隅に捉らえた妖しいことこの上ない自分を受け入れてくれた老婆を見た。彼女は理香を抱え、眼を見開いていた。
(ボル……君……後は…………頼んだ……で……す……)
薄れ行く意識の中で気を失っているはずのボルグアイに望みを託した。