第2章 凍った雪を溶かす暖かさ 五
「つーわけで改めなくてもいいか、これからみんなの仲間になる水無美羽だ。あだ名は『みうっち』で固定! 異義は?」
『無し!!』
「何ですか……みうっちって」
改めてみんなに紹介することになった美羽は、また檀上に立っていた。
千沙たちはあの後、美羽には何も聞かず、ただもう一度始めからやり直した。
確かにぐだぐだになった自己紹介が、きちんとできることに文句はなかった。だが、さっきよりもクラスのテンションは上がり、ついには勝手にあだ名まで決められてしまった始末である。
もちろん苛めしかされたことのない美羽にとって、あだ名とは付けられたことのないものだ。呼ばれると、どこかむず痒い。
「気にしない、気にしない! あ、でも私は美羽って呼ぶよ。一応教師だし、そこら辺はけじめ付けないとね」
その千沙の言葉にそうそう、と同意するみんな。妙な一体感である。
しかし、この仲間に入れると思うと、美羽は心が躍るのを押さえられそうになかった。
「んじゃあ美羽の席は……」
千沙が開いている席を探す。
美羽がいた学校ではキチキチ決められ、女子と男子の席が列毎に分かれていた。
だが、このクラスは男子や女子ばかりかと思いきや、男女入り交じったところがあったりとバラバラだ。
「千沙ねぇ、ここが空いてるぜ~」
一番後ろにいた男子生徒―――福田が手を上げて言った。しかし、千沙はそれを無視し、他を探している。
今やクラスは転入生の前と言う飾ったものから、普段の彼らになっていた。千沙のことを「千沙ねぇ」と呼び、まるで同い年のように接している。
これには美羽は驚いた。美羽がいた学校ではそんなことをすれば即殴られる。それほどまでに、軍学校のような場所だったのだ。
「無視しないでくれよ!」
「あんたは美羽を襲いそうだから周りは女子のほうがいいの!」
そんなぁ、と言い机に突っ伏す福田。
福田は名前を和之という。あの後すぐにみんなが名乗り、美羽を励ましてくれた。ついでに言うと未希の苗字は山国らしい。
「あ、あの……私の隣、空いてます……」
頼りない、か細い声が聞こえた。皆が声の主を見る。
声の主はそれだけで身を震わせ縮まってしまった。恥ずかしがり屋らしい。
声の主は肩より少し長い髪を髪留めで留め、かわいらしい雰囲気がある。可憐、その一言が似合う、そんな少女であった。
椅子に座っているため背は分かりづらいが、隣の福田よりも頭一つ分は小さかった。
(あの娘は確か……)
「有坂か。お、確かにそっちのほうがいいな。少なくとも福田の隣よりは、な」
そう言ってじと目で福田を睨む。
福田は少し怯んだがすぐになにか文句を言い始めた。
即座に千沙が反応し、ぎゃあぎゃあと言い争いを始めた。
(有坂さん、確か名前はありさ……さんです? 大人しそうであそこにはいないタイプですね……)
少女―――有坂ありさは美羽と目が合うと屈託のない笑みを浮かべ微笑んだ。美羽もつられて笑い返す。
「はぁ、はぁ、じゃあ……美羽、有坂の隣に行ってくれ、机は移動してな」
「は、はいっ」
授業が終わった事を告げる鐘が鳴り響いた。
「お、終わったな。んじゃあ、あんた達仲良くしなよ!」
『はーい!!』
千沙はクラスの返事を聞くと満足したのか、美羽の肩をぽんと叩き、出て行った。
美羽が、移動してもらった席に着く頃には、皆いそいそと昼食の準備を始める。
半分は弁当を持参し、もう半分は食堂や購買に出掛けていく。
隣を見ると、ありさがゆったりとした動作で鞄から弁当箱を取り出していた。
「……」
ありさには他の生徒とは違う雰囲気があった。落ち着いているというか、冷えているというか、どこか違う雰囲気。
(なんか魂までみんなと違う気がする……)
そんなことを考えていると、ありさが美羽が見ていることに気付き、不思議そうにみていた。微妙な空気が場を支配した。
「あ、あのよろしくです」
「あ、こちらこそ……」
頭を下げると、ありさも慌てて頭を下げた。顔を上げると、まだありさは頭を下げたままだった。
恐る恐る肩を叩き、頭を上げてもらう。
そして、二人は微笑み合った。
何となくありさとは仲良くなれそうな気がする、美羽はそう思った。
「みうっち~!」
と、バタバタと走ってくる音がする。未希である。
「みうっち~! 一緒に昼ご飯食べない?」
そう言っておいてすでに前の席に陣取り、美羽の席に弁当を広げている。未希の弁当は主にコンビニのパンだった。
何故死神である美羽が知っているかというと、それは全て勉強を重ねた結果だった。あらゆる現世に関する本を読み、対応できるように練習した。対応できなければ今までの苦労が水の泡になってしまうのだ。
「お弁当じゃないんですか?」
「ん~まあねぇ、めんどいのよね~作るの……」
「そ、そうですか……」
そのまま会話が無くなってしまう。美羽は今までが今までのため、他人と話すのがうまくない。というか緊張してうまく話せないのだ。
「……あれ? みうっち弁当は?」
「え? お弁当なら鞄の中に……あれ? あれれ?」
「まさかみうっち、忘れたの?」
「……みたいです」
泣きたかった。朝急いで出たため、理香達が作ってくれた手づくり弁当を置き忘れてしまったのだ。
「うぅ、お腹へったよ~」
「私のパン一個あげよっか?」
「い、いいですよ! 未希さんがお腹空かせたら意味ないですから!」
「そ、そう……? ならあげないけど……」
美羽の気迫に押され、たじろぐ未希。
二人が話している隣で、じっとありさがみていることにも気付かず話し続ける。
「おーい。み、みうっ……ち、お客さんだよ」
あだ名を呼ぶのが照れ臭いのか、詰まりながらも男子生徒が美羽を呼ぶ。
「お、お客さんですか……?」
「ああ、なんか男の先輩だったよ」
「あ、ありがとうございました」
んじゃあ、と言ってその男子生徒は自分の席に戻って行った。
「先輩……? 誰だろう」
「みうっち、彼氏?」
「えぅ!? そ、そんな人いないですよ!」
「そうかなぁ?」
意味深な含みがある。未希はニヤニヤしながら美羽の頬をつつく。美羽は始めから親しくされて戸惑っていたが、とりあえず今はお客を見に行くことにした。
「あ、美羽ちゃん!」
「……は、遥くん!?」
来訪者、それは遥だった。
何故このクラスだと知っているのか。それ以前になんでここに来たのか。訳がわからず混乱する。
教室がにわかに騒がしく――主に男子が――なる。殺気すら放っている者もいたりする。
「ど、どうしたんですか? な、何でここに来たんですか?」
理由が知りたくて、まくし立てた。
「はぁ……美羽ちゃん落ち着いて」
ため息を吐きながら遥が美羽を静める。
その際、肩に手を置いたため、さらに殺気立つ教室。
「……」
「どうしたんですか? 遥くん」
遥は苦笑しつつ、いづらそうな顔になる。
「あのさ……別のところで話さない?」
「え? あ、あの……でも……」
突然の言葉に狼狽する美羽。ちらりと未希を見る。
すると未希は行ってこいと言わんばかりに親指を立てた手をびしっと向けてくる。
(そ、そんなぁ……)
美羽は悲鳴を上げた。
「あ、あの……こ、ここじゃ駄目ですか?」
「どうせなら二人で話したいし……」
殺気がピークに達したのか男子生徒達が立ち上がる。
遥は顔を引き攣らせて早くしてほしそうにそわそわし始めた。
「だ、だったら廊下で話しましょうか?」
美羽に遥の心情が分かるはずもなく、後ろの殺気立つ男子生徒を無視して話しを続けようとする。
「あ~もう。ちょっと来て……」
「え、あの……は、遥くん?」
遥は半ば強引に美羽の腕を掴み、歩き始めた。殺気が一層濃くなる。
しばらく歩いていると、ようやく安心できるところに来たのか遥が立ち止まり、手を離してくれた。
「あの……遥くん……?」
「ごめん……痛かった?」
「だ、大丈夫です……で、でもどうしたんですか?」
「美羽ちゃん……忘れ物したでしょ」
「……?」
きょとんと首を傾げて遥を見る。本当に分からないのだろう。その瞳は「何のことです……?」と言わんばかりの輝きだった。
「み、美羽ちゃん……お弁当は?」
遥が呆れ切った口調で聞く。肩はもう下がらないだろうというくらいに落ち、底深い落胆を示していた。
「……ああっ!!」
ようやく思い立ったのだろう、ポンと手を打ち合わせる。
遥がはぁぁぁ、と深いため息をつく。今度は肩だけでなく腰まで折って呆れて――呆れを通り越して哀れみすら――いた。
「どうする気だったの?」
「えっと食べなくても平気かなって……」
遥がこれみよがしにため息をついた。
美羽はしゅんとなり、俯いた。確かに忘れた自分が悪いのだが、なにもそこまで露骨にすることないだろう、そう考えてしまう。
だが、その次に遥の口から出た言葉は美羽を驚かせた。
「全く……理香! 理紗!」
「はい!」
「あいよ~」
二人の少女がそれぞれ何故持てるのか、そう思ってしまうほどの重箱を抱えていた。
それは美羽が居候させてもらっている屋敷の、双子のメイド――お手伝いさんとも言うが――だった。今は朝見たヒラヒラのメイド服ではなく、美羽と同じ制服を着ていた。
美羽がその重箱がなにか気付くのにしばらく時間がかかった。重箱は、馬鹿みたいに大きな弁当箱であった。
「あ、あの……理香ちゃんと理紗ちゃんはなんでいるんですか?」
「あれ? 言ってなかったっけ、私達はあんたの隣のクラスにいるのよ」
そう、気さくに弁当箱を持ち直しながら、姉である理香が言う。隣の理紗が「まだ言ってなかったんですか……」と呆れていた。
「そ、そうだったんですか!?」
「まあ、そういうわけで……ととっ、ご飯一緒に食べない?」
「え? い、いいんですか……?」
遥が二人から半分ずつ重箱を受け取り、バランスを取りながら聞いてくる。
美羽は思わず聞き返してしまった。その顔はどこかにやけたような、はにかんだ笑顔だった。
遥を含めた三人が微笑む。
『当たり前!!』
そう言ってハモった。
「つうわけでこれちょっと持って……」
遥が情けない声を出して受け取った重箱を美羽に差し出した。
「くすくす……はい!!」
美羽は満面の笑みを浮かべて重箱を半分持った。