お静かに願います
「ふぎゃあぁぁ!!ふええぇぇ!!」
穏やかな昼下がり。電車に乗っていると、不意に赤ん坊の泣き声が車内に響き渡った。乗客たちが一斉に、赤ん坊へと視線が向く。
「あら、如何したの? よしよし、大丈夫よ……」
赤ん坊を抱く母親は困り顔で、赤ん坊をあやす。しかし、赤ん坊は泣き止むことはない。
「おい! 五月蠅いぞ! 黙らせろ!?」
一人の中年男性が立ち上がると、母子に対して罵声を浴びせる。
「……っ、すいません……」
「びゃああああ!!!」
威圧的な態度に、母親は怯え、それを感じた赤ん坊は更に泣き声を上げた。
「ちっ!! うるせぇって言っているんだよ!!」
「……っ……」
男性は更に怒りを露わにすると、腕を振り上げた。暴言の上に暴力とは、見過ごすことは出来ない。
「失礼。赤ん坊が泣くのは仕事のうちです。何を咎める必要があるのですか?」
俺は立ち上がり、男性の腕を掴んだ。そして男性に怒鳴る理由を尋ねた。
「あ!? うるせぇから、五月蠅いと言って何が悪いんだ!?」
腕を掴まれた男は、不愉快な気持ちを隠さずに俺を睨む。
「貴方もかつては、赤ん坊だったのでしょう? それなのに、泣く赤ん坊に対して罵声を浴びせ、暴力を振るおうとするのは理不尽ではありませんか?」
俺は冷静に男性に正論を告げる。母子は何も悪いことはしていない。
「はあ? 俺が五月蠅い泣き声に迷惑しているんだよ!!」
「では、貴方が車両を変えればいいではありませんか」
男性は苛立ちを隠さずに、俺の腕を力強く振り払った。こういうタイプは話し合いで解決は出来ないようだ。
「なんで俺が我慢しなければならない!?」
「では……聞こえなければ問題はありませんね」
俺の言葉に、男性は顔を赤くして反論をする。それに対して俺は一言、呟いた。
「……は……? あれ……? 急に……なにが……?」
急に男性は真顔になると、自身の耳を触る。外見上の問題は何もない。
「嗚呼、電車が駅に着きますよ」
「……? なに言って……聞こえな……」
俺は電車が減速していることに気が付き、男性の腕を掴むと扉の前に立つ。先程とは打って変わり、男性の顔色は青い。
「駅に着きましたよ」
「なに……どうして……?」
電車が駅に着き、扉が開くと男性を押し出した。混乱している男性は無抵抗のままである。彼だけがホームへと降りた。
「そうだ……貴方の声の方が五月蠅いので、これで大丈夫ですね」
「……っ!? ……っ!!」
俺は男性に最後の言葉をかけた。すると彼は崩れ落ち膝を着いた。そして目を大きく見開き、口を忙しなく動かし俺を見上げる。しかしそこから出て来るのは、空気の掠れた音だけだ。彼が何を伝えたいのか分からない。
「出発ですね」
「!? ……っ!!」
電車の出発ベルが響き、俺は再び電車に乗る。男性は真っ白い顔色で、両目から大量の涙をこぼす。
「車内では、お静かに願います」
扉が閉まる直前。俺は男性に向かって届かない忠告を口にした。




