ぬいぐるみ
あなたには、「記憶を消したい」と思ったことがあるだろうか。
きっと一度や二度、なんなら何十、何百回ある人もいるかもしれない。
そんな「いらない記憶」、うちで消していきませんか?
お電話はこちらまで!→〇〇〇-〇〇〇……。
チラシを読み終えた僕、陽一は、横でニコニコと感想を待っているおじさんをチラリと見た。
口元は髭で見えないが、目がキラキラしている。
おじさん、もとい「おもいで屋」の店長である源さんは、経営難のこの店を立て直そうと奮闘している…らしい。
この、白紙に文字を羅列しただけの、味気ないチラシも、きっと彼なりに頑張って作ったのだろう。
坊主で大柄なため、一見怖いが、驚くほど優しい。
自信満々の源さんを傷つけない言葉はあるだろうか…?そんなことを考えるうちに、僕は源さんとの出会いを思い出していた。
大学生になってしばらく経った頃、僕はとにかく退屈していた。
「人生の夏休み」と揶揄される大学時代。周りの皆がサークル、バイト、趣味や遊びに没頭する中、僕だけが、大学生になりきれていなかった。
理由は単純、僕は極度の人見知りなのだ。
初めての人の前ではまともに声も出せないし、顔を見ることすらできない。そんな僕が、親元離れ、知り合いのいない異郷の地に来てしまったのだ。
僕自身、18年間生きてきて、そんな自分の性格を把握していたため、友達ができないことは何となく予感していたし、案の定、何かに所属することもなかった。
しかし、こんな半分諦め気味の僕でも、暇だけはどうしようもなかった。
周りは住宅街や畑ばかりで、暇を潰せそうな場所がどこにもない、いわゆる田舎なのだ。
最初の頃は、部屋で動画を見たり、ゲームをしたりしていたが、数ヶ月も続けると流石に飽きてくる。
そこで、最近は、大学が終わってから──つまり、夕方から夜にかけて散歩をするのが僕の日課になっている。
散歩といっても、周りは山や畑が多く、街灯も少ないため、自然と街中がメインになっている。
夏休み、というより、老後のような生活を送っているわけだ。
ある日、いつものように街中を歩いていると、突然滝のような雨が降ってきたことがあった。
散歩初心者だった僕は、天気予報を見忘れ、不覚にも傘を忘れてしまったのだ。
このまま濡れ続けるわけにもいかないので、目に付いたお店の軒下に入らせてもらった。
髪から滴る水を見ながら顔を顰めていると、突如横の扉から、チリンと音が聞こえた。
横を見ると、緑のエプロンを着た大柄な男が扉から体を半分出し、こちらを覗いていた。
「君!濡れるから中入って!」
「え…、あ……。」
いつも通り人見知りを発動した僕は、まともに言葉を発することも出来ずにその場で固まってしまった。
居た堪れなくなり、逃げようとした時、男は僕の手を掴み、「遠慮しなくていいから!」と言って、半ば強引に店の中に入れたのであった。
中に入ると、店内は雑貨屋のように、色々な物で溢れていた。
服や時計、アクセサリーや食器だけでなく、ぬいぐるみや野球グローブ、車の部品と思しきものや、日本刀のようなものまであった。
新品のように綺麗なものもあれば、売り物にならないくらい汚れたり、傷ついたりしているものもある。
それらが入り交じり、しかし調和をとるように並んでいる。
先ほどの男は、僕を店に入れるなり「ちょっと待ってて!」と言って、店の奥に入ってしまった。
手持ち無沙汰に店内を見渡していると、近くにあったぬいぐるみが目に付いた。よくあるテディベアのようだが、色褪せていて、売り物のようには見えない。
「誰かの忘れ物なのかな?」
そう言って、ぬいぐるみを手に取った瞬間、突然視界が歪み、次いで、僕の意識は遠くなっていった。
目を覚ますと、僕は見知らぬ部屋に立っていた。
新築だろうか。綺麗な部屋に家具はほとんどなく、広くて明るい空間が広がっている。
いや、そんなことを言っている場合では無い!
何故か分からないが、他所の家に入り込んでしまった。早く出て行かなければ…!
突然、後ろのドアが開き、振り返ると男性と女性が見えた。
「あ…、えと、これは事故で…。」
精一杯の弁明をしているうちに、ふたりは、僕には目もくれず、部屋の中へと入ってきた。
「お母さん、まだ生まれてもないのに気が逸りすぎよ。」
「それだけ楽しみなんだよ。大目に見てあげて。」
僕が固まっている中、ふたりは楽しげに会話を続ける。
女性の手には、さっきお店で見たぬいぐるみが握られている。
「そろそろ検診に行かなきゃ。遅れるのは嫌よ。」
「いやぁごめんね。つい財布を忘れちゃってね。」
持っていたぬいぐるみを置いて、何事も無かったかのようにふたりは出ていった。
混乱と安堵に包まれた僕は、床に落ちているぬいぐるみを見つめた。
さっき見たテディベアとそっくりだが、毛並みが綺麗で新品のようだ。
拾い上げようと触った瞬間、また視界が歪み、意識が消えてしまった。
次に目を覚ました瞬間、僕はまた同じ部屋に立っていた。
見回すと、家具や物が増え、生活感が増している。
次は、最初からふたりが座っていて、その真ん中に三人目がいた。
「このぬいぐるみ、気に入ってくれたみたいで良かった〜。」
「お義母さんに写真送ったらとても喜んでたよ。」
相変わらず僕は、透明人間のように見えていないみたいだった。
なるほど、これは夢が何かなのか。
混乱して極限状態の僕は、そう結論付け、自分を納得させることにした。
そうしているうちに、三人は立ち上がり、またどこかへ行ってしまった。
「これを触ると何か起きるんだな」
床に落ちたぬいぐるみを見つめながら呟く僕は、自分でも驚くほど冷静だった。夢だと割り切ったからだろうか。この状況になぜか慣れてしまっていた。
先ほどと同じぐ人形を触ろうとしたところ、予想通り視界が歪み、意識は消えていった。
目を覚ますと、僕は白いタイルに囲まれた空間にいた。
病院…だろうか。急な変化に驚きつつ、目の前のふたりに気づいた。
さっきまでの空気とは異なり、あたりは静まり返っていた。
啜り泣く声だけが聞こえ、女性は顔を伏せ、男性はその肩を抱きしめている。
ベッドの上にはぬいぐるみが見え、その横では、とても静かに子供が寝ていた。
突然僕の視界はまた歪んだ。
スノーノイズのように視界が遮られ、音が消えた。




