除霊 of the year
「行ったぞ! こっちだ!」
夜だった。閑静な住宅街の、路地裏に怒号が谺する。無明の闇の中で何かが蠢いている。何か……得体の知れない何かが。形状し難き化物の、その行き先に立ち塞がるように、若い男女が腰を低くして武器を構えていた。
「観念しろ! この悪霊め!」
「もう逃さないわよ!」
二人の澄んだ声が通りに響き渡った。青年の方が日本刀を構える。両足で地面を蹴ると、まるで空に浮かぶかのように高く、高く跳躍した。薄く延びた雲の切れ目から白い月明かりが覗く。呼応するかのように、青年の翳した刃が妖しく煌めいた。
「だぁあああっ!」
気合いのこもった叫び声とともに、青年が刃を振り下ろした。一刀両断。切先は黒黒とした皮膚を食い破り、深々と肉を切り裂いて行った。たちまち鮮血が噴水のように溢れ出す。砂利道に出来た赤黒い水溜まりに膝を突き、化物が苦しそうに唸り声を上げた。
「悪霊……退散!」
いつの間にか背後に回り込んでいた少女が、顔の前に梵字の刻まれたお札を掲げた。するとどうしたことだろう。化物の体からたちまち青い炎が立ち昇り始めたではないか。浄化の炎。聖なる力で包まれた化物は、堪らず断末魔の悲鳴を上げ、天に召されてしまうのだった……。
※
「栄えある今年の『除霊 of the year』は……”ダブルタップ”のお二人です!」
その途端、会場が爆発した。万雷の拍手とともに、表彰台に若い男女が登る。二人ともはち切れんばかりの笑顔で、賞金と、巨大な黄金のトロフィーを受け取った。
「おめでとうございます! 見事な除霊でしたね!」
「ありがとうございます!」
インタビュアーにマイクを向けられ、青年の方はさわやかに、少し涙ぐみながら笑った。
「今のお気持ちを」
「本当に……まさか自分たちが取れると思っていなかったので……感無量です」
「優勝おめでとうございます!」
「ありがとうございます! この世からまた一つ悪が浄化された。それが一番嬉しいです!」
可憐な少女が惜しみなく、輝く笑顔を振り撒いた。スタンディングオベーションが沸き起こる。正面に用意された巨大スクリーンには、歴代受賞を果たした除霊の様子がBGM代わりに映し出されていた。
刀で真っ二つにされる悪霊。
浄化の炎で丸焦げにされる悪霊。
チェーンソーで内臓を切り刻まれる悪霊。
椅子に縛られ、ダイナマイトを咥えさせられ、四肢爆散させられる悪霊……。
如何に幽霊をド派手にクールに華麗に刺激的に除霊できるか。
今や老若男女誰もが知っている『エクストリーム除霊』が盛んになったのは、21世紀に入ってからだった。霊界に対する研究が進み、それまで専門職だった除霊という神聖な行為も、今や一般人がスマホゲーム感覚で出来る時代になったのだ。
特に若い人々の間で幽霊退治は爆発的な人気を博した。除霊の動画をアップすれば心霊マニアが食いつき、再生回数に応じて金が儲かる。悪霊を退治すれば世の中のためにもなる。何より日頃のストレスの発散にもなる。一石二鳥、いや三鳥だ。人気が出るのも当然だった。
とはいえ裾野が広がれば、その分競争も激しくなった。従来の方法で、格式ばってただ除霊するだけでは誰にも見向きもされなくなった。贅沢かな、物足りなくなったのだ。
王道か邪道か。
直球か変化球か。
正攻法か奇策か。
平たく言えば、如何に耳目を集めるか。こうして闇夜を跋扈する魑魅魍魎たちに、ありとあらゆる除霊方法が試されるようになった。
※
「あーあ……今年も受賞出来なかったな……」
田島は会場を後にしながら、ガックリと肩を落とした。賑わいを見せる表通りから脇道に逸れると、たちまち通りは暗く寂しくなった。夜風が身に染みる。白い息を吐き出しながら、田島は巨体を縮こまらせた。人の姿は彼らの他にない。肥え太った都会のネズミが目の前を堂々と横切って行った。
「仕方ないよ。受賞者は皆すごいもの」
田島の横で、彼とコンビを組んでいた湯上谷がため息混じりに笑った。田島は彼の横顔を見つめた。このひょろ長メガネと、コンビを組んでもう十年以上になる。
「まさかあんな斬新な方法で除霊しちゃうだなんて……僕らには到底思いつかないよね。ははは」
「笑ってる場合かよ」
田島もため息をついた。もちろん、自分たちだってプロだ。除霊ができない訳じゃない。だけど、今やそれだけじゃあ箸にも棒にもかからなくなってしまった。
「あんなに若いのに才能あるって反則だよな。世の中理不尽すぎる。自分たちのためにも、今のうちに若い芽は潰しておくべきなんじゃないのか」
「本当に上手いよね。僕らが十年かけて必死に身につけた技術を、いやそれ以上のものを、さも当然のようにやってるんだもの。さすが新世代。こりゃ敵わないよ」
「そうじゃなくてさぁ……」
分かっているのかいないのか。このままじゃ自分たちが食いっぱぐれるってことを。
「そもそもこんなオッサン二人じゃ、華がねェんだよ。もっとド派手にいかねぇとさぁ」
「僕らだって昔は若かったはずだけど」
「もうイケメンと美少女は出禁にしよう。あと高学歴の奴と、親の実家が太い奴。何が『世界一ピュアな除霊』だ。カァーッ!」
痰が宙を舞った。
「どいつもこいつもお綺麗に、お高く止まりやがってよォ。幸せ者がわざわざこっちの世界に入ってくるなっての。除霊ってのは、除霊ってのはなぁ。もっと陰湿で、不幸のどん底で、グロテスクで、地獄よりも地獄的で、残虐で露悪的で……とにかく俺たちみたいな冴えない底辺の、それでも輝ける最後の居場所じゃあなかったのかよ?」
「田島」
「あ?」
田島が管を巻いていると、いつの間にか湯上谷が足を止めていた。立ち止まって、前方を指差している。その方向を見ると、路地裏に、ぼんやりと青白い光が漂っているのが見えた。
「ありゃあ……」
「……幽霊だ」
湯上谷がメガネを指で持ち上げた。幽霊だった。まだ幼い、齢十にも満たない少女の幽霊が、田島たちに駆け寄ってきてぺこりと頭を下げた。
『あっあの……おじさん、この間はありがとうございました!』
「あ?」
『お父さんを天国につれて行ってくれて……』
「あー……」
田島はポリポリと髭を掻いた。正直言って、覚えていなかった。生身の人間と幽霊じゃ、時間の感覚が違い過ぎる。『この間』というのは果たして数日前なのか、それとも数年前なのか。
それに『天国に連れて行った』というのも語弊がある。田島たちにそんな権限はない。正確にいうと、彼らは『霊を向こうの世界に退けた』だけだった。その後、霊に何が起きてどこに行ったかなど、知る術もなかった。
『他のひとたちは……』
「……?」
『みんな、ひどいめにあって……棒で叩かれたり、おもちゃみたいに……怖いことされて。でもおじさんたちは、さいごまでお父さんを優しく看取ってくれたでしょう?』
「…………」
青白い少女が嬉しそうににっこり笑った。田島たちが顔を見合わせている間に、少女の幽霊はスーッと消えてしまった。後には薄暗い路地裏と、チョロチョロ歩き回るドブネズミだけが残された。
「……次の除霊は」
湯上谷がメガネを光らせた。
「もっとド派手に行くかい? チェーンソーか、ダイナマイトでも買う?」
「……やめとくか。金がもったいない」
「ふふ」
そうして、二人は誰もいない路地裏に向かって歩き出したのだった。