4 曇り時々雨 米山晴子
いつもより一時間早い朝。
部屋のスピーカーから「おはようございます、起床時間です」とスタッフさんの声が響く。
私はぼんやりとした頭で目を開けた。
もし起こしてくれる人がいなければ、確実に私は寝坊していただろう。
周りでは他の参加者たちが既に起きていて、準備を始めている。まだ眠気が抜けきらない私は、少しの間ぼんやりと座っているが、隣のベッドの子がストレッチを始めるのを見て、慌てて布団をめくる。
昨日、軽く挨拶を交わしたけれど、まだ名前を覚える余裕なんてない。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、やけに眩しい。
____
洗面所に向かう途中、すれ違う子たちがいる。
彼女たちは、みんな顔も小さくて、可愛くて、何よりも自信に満ちた表情をしていた。
……私、場違いじゃない?
胸の奥がじわりと重くなる。
このオーディションに参加するのは、自分の意志で決めたことだった。
アイドルになりたい。
その夢を、諦めたくなかった。
でも。
未経験の私が、この場にいるのはおかしいんじゃないか。
洗面所の鏡に映る自分の顔を見て、小さくため息をついた。
昨日の時点で、既に自分の場違い感を感じていたけれど、まだ脱落したわけじゃない。今日の評価クラス分けでどんな結果が出るにせよ、とりあえずやるしかない。
顔を洗い、軽く髪を整えながら鏡を見る。そこには自信なさげな自分が映っている。昨日からずっと、心のどこかで「本当にここにいていいのかな」という思いが渦巻いている。
他の子たちは、みんなキラキラしていて、自信に満ち溢れているように見える。特にルームメイトの一人は、すでに何度もステージに立ったことがあるらしく、昨夜も他の子たちと楽しそうにダンスの話をしていた。
私はその会話に入ることすらできなかった。
そんなことを考えながら、集合場所へ向かう。
「おはよう!」
隣の部屋の子が明るく声をかけてくる。
「お、おはようございます……」
私は慌てて返事をした。
——大丈夫、大丈夫。
心の中で自分に言い聞かせる。
今日から本格的なレッスンが始まる。
全体自己紹介、評価クラス分け、テーマ曲のお披露目、そして練習。
昨日、初めてスタジオに入ったとき、壁に貼られたスケジュール表を見て、胃がきゅっと縮こまった。
こんなに本格的にやるんだ……。
当たり前だ。だって、サバイバルオーデションだもん。
でも、私、ついていけるの?
みんなの中で、一人だけ取り残されるんじゃないか。
——いや、最初から取り残されているのかも。
控えめな性格の私は、まだ誰ともまともに話せていない。
せっかくの4人部屋。偶数だから、ひとりになることなくて良かったって思ってたけど、口下手すぎて他の3人と上手く会話が出来ていない。
自分に自信がなくて、友達にもオーディションを受けることを言えなかった。
もしここでダメだったら——
「米山さん!」
名前を呼ばれて、びくっと肩を震わせる。
「はいっ!」
スタッフさんが名簿を確認しながら、私に笑顔を向けた。
「今日から本格的に頑張っていきましょうね!」
「……はい!」
ぎこちなく笑いながら、私は小さく頷いた。
周りを見渡すと、もうみんな集合している。
不安でいっぱいだけど、ここで立ち止まるわけにはいかない。
私は震える手をぎゅっと握りしめながら、1歩を踏み出した。
____
スタッフが前に立ち、マイクを持つ。
「おはようございます。今日から本格的なオーディションが始まります。まずは全体自己紹介を行います。1人ずつ前に座ってる方から順番に名前を言って、簡単に意気込みをお願いします」
昨日までは無かったはずのカメラが数台置かれている。
もう、撮られているんだ。
1人ずつ、順番に前に出ていく。元気よく笑顔で話す子、堂々とした態度の子、しっかりとした声で意気込みを語る子……。みんな自信に満ちていて、見ているだけで胃が痛くなる。
そして、ついに私の番が来る。
緊張で喉がカラカラだ。
「よ、米山晴子です……あの……えっと……未経験ですが、精一杯頑張ります……」
声が震えるのが自分でも分かる。周りから小さな拍手が起こるが、それが余計に恥ずかしくなり、足早に席に戻る。
──もう無理かもしれない。
そう思いながら、胸の奥がギュッと締め付けられる。
全員の自己紹介が終わると、スタッフが再びマイクを持つ。
「それでは、今回のオーディションをサポートしてくださる方々をご紹介します!」
会場の後方から、3人の人物が前に出てくる。
「現役トップアイドルグループ『Meteor』のメンバー、朱雀玲菜さん!」
「ダンサーでありモデルとしても活躍する、Sakiさん!」
「数々の人気アイドルをプロデュースしてきた、プロデューサーのヤマさん!」
3人が並ぶと、会場内がざわめく。玲菜さんは、まさに「アイドル」という雰囲気で、笑顔が眩しい。Sakiさんはクールな印象で、スタイルの良さが際立っている。ヤマさんは鋭い眼差しで、私たちを見渡している。
「今回のオーディションでは、私たち3人が皆さんの成長を見守り、指導していきます!」
玲菜さんが明るく話し、参加者たちから拍手が起こる。私は手を叩きながらも、どこか現実味が湧かない。
____
「はい! ということで早速ですが、皆さんのクラス分けを行います」
サポーターの3人が、事前にチェックしていた私たちの歌とダンスの映像を元に、各自のレベルを評価し、クラス分けを行うという。
会場のスクリーンに、大きくクラス名が表示される。
──A、B、C、D、E、F。
「Aが最も評価の高いクラス、Fが最も基礎から学ぶクラスです。名前を呼ばれたら、自分のクラスのカラーコーンの位置に並んでください」
スタッフの説明を聞くと、会場の空気がピリッと張り詰める。
サポーターの3人は、スタッフの隣で私たちの表情を観察するように見ている。
一人ずつ名前が呼ばれ、クラスが発表されていく。Aクラスに選ばれる子は、特別な存在のように見えた。
そして──
「米山晴子、Fクラス」
その瞬間、私の視界がぼやける。
──やっぱり。
何となく予想はしていた。でも、実際に言われると、胸の奥に重たい石が乗ったような気分になる。
Fクラスには、同じく未経験者らしき子たちが集められている。私と同じように、うつむいたままの子もいる。
Aクラス、たった2人しかいない。
3人のサポーターが、Aクラスの2人を褒めている。
きっと、その2人はデビューメンバーに選ばれるんだろうな。
____
クラス分けが終わり、各自その場に座る。
次は、テーマ曲お披露目だ。
スクリーンに映像が映し出され、華やかな楽曲とダンサーのパフォーマンスが流れる。キレのあるダンス、美しいハーモニー。
──まさに「アイドル」という世界が広がっていた。
私は、ただ呆然と見つめる。
こんなこと、私にできるのだろうか。
ちゃんと、歌って踊れる?
「では、今から各クラスごとに分かれて、テーマ曲の練習を始めます!」
スタッフの声が響く。
Fクラスは、別室に移動し、ダンスの基礎から始めることになった。
レッスンルームの鏡に映る自分の姿。
ぎこちない動き。髪の毛ボサボサ。
他の子たちがどんどん覚えていく中で、私は何度もつまずき、何度も先生に指摘される。
基礎すら出来てない自分。
「私、本当にここにいていいのかな……」
弱音が喉元まで出かかる。
「米山さん! ちょっとテンポ遅れてるよ!」
「あ、はい……」
また、先生に指摘された。
ぎこちなくて、遅くて。
皆、同じクラスの子は出来てることに、私は着いていけない。
「……もう無理かも」
涙か汗か分からない滴がフローリングに静かに落ちた。