Episode.2:『予期しない訪問者』
サキの住む家は、造りも立地も一般的な居宅とは異なるものだ。
かつて城下町近辺まで侵攻してきたレイミア軍の手により、破壊され尽くした離れの住宅街。そこに残る、石塀は壊れ、外壁も罅割れたままになっている隠れ家だった。
家自体も、地下に設けられた開発室の上に一軒家が建つ特殊な造りになっている。
開発室から伸びる急勾配の階段を上り切り、サキはドアノブを握ると、家の中へと繋がる扉を押し開けた。地下の淀んだ空気が新鮮なものと交換されて、少し呼吸が楽になる。
暗く狭い廊下に出ると、サキは先導して突き当りを左へ折れる。
歩幅の違う二人分の足音が静かな廊下に響く。
一つは固い靴音、もう一つはぺたぺたといった裸足の立てる音だ。
サキはどうにか心を落ち着けるべく、歩きながら目を瞑って、深く息を吸う。
──心臓の鼓動がやたらとうるさかった。
しかし、それも無理からぬことであっただろう。
少年とされる年の頃から、相当な時間を自動人形の研究、開発に費やしていたサキにとって、機械とはいえ、女性をエスコートするなんて事態は初めてのことだったからだ。
それが舞踏会の会場へだろうが、自宅のリビングへだろうが差異はない。……というか、後者の方が緊張する者も多いだろう、とサキは頭の中で自答する。
その上、後ろを着いてきているのは半裸の美少女ときている。
正確にはサキの貸し与えた白衣と、薄手とはいえシャツを身に纏ってはいるのだが、シャツは濡れて肌に張り付いているせいで何も着ていないのとほとんど変わらなかった。
開発中に見慣れた姿といえばそうなのだが、実際に動いている姿かどうかでこうも違うのか。
……こんなことならば、開発室に彼女の着替えを用意しておくべきだった。
彼女の服は買っておいたはいいものの、リビングに置いたままだ。
名前のことといい、細かい手抜かりが多過ぎる。
サキが前を歩いている道中、ルフレはずっと物珍しそうに周囲を見渡していた。
板張りの壁の隙間を覗いたり、背の届かない高さにある窓から漏れる光を手のひらに透かしたりしている。心なしかその目は、無邪気な子供の瞳のようにきらきらと輝いて見えた。
「……何もない家だが、住み心地は悪くない。君が気に入ってくれるといいが」
無言でいることに気まずさを感じ、サキはルフレに声をかけた。
「ん、分かった。気に入るね」
即答気味に返される。
「……そうか。ならよかった」
そういう意味ではないのだが、と難しい表情をしたサキは心中で呟く。
……だがまあ、訂正するほどのことでもないだろう。
自動人形が、人の使う言葉の意味を誤認することなど、容易に想像し得る。『言葉の綾』という言葉もあることだ。多少の間違いなど気にする必要もない。
彼女がこの家で暮らす期間も短い。そもそも──寿命さえ、そう長くはないのだから。
そのうえ、サキの目的が果たされれば、その時点で彼女は不要になる。
……ならば、それまでは彼女の思うままにさせておけばいい。
などと結論付けている間に、サキは廊下の突き当たりにあるドアの前に辿り着いた。
ドアを開けると、天井の高い、それなりに広い空間──リビングに出る。
全体的にシックで落ち着いた一室。やや古くさい家具や内装は、焦げ茶を基調としてあった。
絨毯の敷かれた部屋の中央、大きな木製のテーブルに椅子が六つ。リビングには大きめの窓が四つもあるが、今はそのどれもが無地の白カーテンによって閉め切られていた。
テーブルの直上にはシャンデリアが吊り下がっており、部屋を明るく照らしている。
窓際にはふかふかのロングソファとフロアライトが、反対側には壁に埋まる形の暖炉があり、暖炉の脇には高く積み上げられた薪があった。冬のラーントールでは薪は必需品だ。
机の前までやってきたサキは、机上にあった幾つかの大きな箱を手元に寄せた。
「さて、この中に君の着替えを用意してある。好きなものを選んで着替えてくれ」
「うん。分かったよ」
綺麗に包装された箱をじっと見ながら、ルフレは抑揚なく言って頷く。
完成した彼女に着せるために、先日、城下町で買い揃えたものだ。ラーントールには幾つもの服飾店が店舗を構えているが、その中でも信頼のおけるであろう人気の高い店を選んだ。
失策もあった。女性専用服飾を扱う店に、サキが初めて入ったことだ。
服のサイズを聞かれ、ルフレの身長や体型を示すのに身振り手振りをする羽目になったのだ。あのときは女性店員が明らかに顔を引きつらせていた。
……とはいえ、恐らく生涯においてもう二度と行かない店だ。
むしろ、その程度で切り抜けられて良かったと割り切った方が、精神衛生上良いだろう。
そう、考え事に耽っていると。
唐突に。
──カラン。と、家のドアベルが鳴らされた。
その音に、サキの心臓は一瞬にして早鐘を打ち始める。
「…………」
サキは玄関の方へと視線をやり、目を細めて黙考する。
城下街から離れた立地。戦地跡となっているこの家に訪ねてくる者がいるはずがない。
もし仮に、そんな者がいるとするなら、それはサキにとって都合の悪い人物の可能性が高い。
……先日、服を買いに行った際だろうか。それとも食料を買い込んだときか。何にせよ、隠れ家が知られてしまったということは、今すぐ逃げなければならない。
一瞬の内に思考を巡らせ、「君はそこにいてくれ」とルフレに告げて玄関へ向かう。
長きに渡る計画が、ようやく達成しようというのに。
──こんな所で捕まるわけにはいかない。
サキは玄関脇のラックから上着を引っ掴むと、フードごと頭から被った。それから音を立てないようにドアに近付くと、目を眇め、ドアスコープを覗き込んだ。
そこに仁王立ちしていた、想像と異なる訪問者に──サキは思わず刮眼した。
「サキ。そこにいるんでしょ? 早く開けて。寒いんだから」
肩まで伸びるストレートの赤毛。赤と黒のフリルがあしらわれた派手なドレス。
足が痛くなりそうな高めのヒール。ナチュラルな化粧が引き立てる美貌。
ペリドットの瞳が作り出す強気な視線に、むっとした表情。
それは、サキのよく知る人物だった。
内側から玄関の鍵を開けると、その音に気付いたのだろう。
ドアは無遠慮にも、相手側から開けられた。
「……久しいな、エイミス。君のような善良な市民が、立ち入り禁止区画に何の用が?」
「それを言うならあなたもでしょ。……まさか、まだこの家に住んでたなんてね」
エイミスと呼ばれた女は小さく溜め息を吐くと、サキの顔をじっと睨み付けてきた。
彼女は、六年以上も前、サキがラーントールで開発者として働いていた頃からの知人だ。
……長らく会っていなかったのだが、なぜ今になって。
「……なぜ、尋ねてきたのか聞いても?」
「なぜも何もないわよ。昨日、服飾店から出るあなたを見かけた。それだけよ」
「顔は隠していたんだがな」
「あんなお粗末な変装で、誰が騙せるっていうの?」
「…………。少なくとも、ここ数年は一度もバレていないが」
「あなたの顔を知ってる人が少ないだけでしょ」
サキの反論を一蹴し、エイミスは高圧的な態度で言葉を続けてくる。
「私がここに来た理由、わかるでしょ?」
数秒考えて、サキは至極真面目な表情を作ったまま聞き返す。
「さぁ。私を捕らえて王の所に連れて行くのか?」
「……。面白くもない冗談ね。そんなことをして、私になんの得があるの?」
「……なら。皆目見当もつかないな」
「都合が悪くなったら誤魔化そうとする癖は変わってないのね」
細い腰に手を当て、じとっとした目でエイミスが告げる。
完全に疑いの目でサキのことを見ている。
一拍置いて、エイミスは静かに話し始めた。
「──あれからもう六年よ。生きてたなら、そんなに長い間、誰にも連絡の一つも寄越さないで何をやってたの? リムだって、あなたのことをずっと心配してたのよ?」
「……隠匿は罪になる。私が連絡を入れれば、君にも孤児院にも迷惑をかけるだけだった」
「そうやって、人を気遣ってるようで自分のことしか考えてないところ、嫌いだわ」
「…………。用がないなら帰ってくれないか」
「用事なんて大ありよ。……色々、話してもらうから。とりあえず中に入れてくれない?」
何を言っても引き下がる様子を見せず、エイミスは家に上がり込もうとしてくる。
だが、今、家に招き入れるのはまずかった。『ルフレ』とエイミスを会わせたくなかったからだ。もし彼女の存在がばれてしまえば、面倒なことになることは疑いようがない。
どうにか穏便に追い返すにはどうしたものか──とサキが考えていた、そのときだった。
「サキ」
「……っ⁉」
背後から名前を呼ばれて、今度こそサキは全身の血管が凍り付くような感覚を覚えた。
──これ以上ない、と言えるほど最悪のタイミングだった。
すぐさまドアを閉めようとするが、エイミスがさっと足をドアに挟んで止めてくる。
「…………。今、女の子の声が聞こえたような気がしたんだけど?」
「気のせいだ。それより今、取り込み中なんだ。帰ってくれ」
なんで、いるんだ。待っているよう言ったはずだ。なんで今出てくるんだ……!
などと呪詛染みた言葉を、サキは脳内で何度も反芻する。
そのまま脳の余った部分で現状を打破する方法を考えるが、何も思いつかない。
「その。……これの着方がちゃんと分からなくて。教えてくれない?」
続けて、サキの背後からそんな声がかけられる。
「教えてくれないか、って聞かれてるけど?」
「……幻聴だ。いいからもう行ってくれ。君が望む物はここにない」
サキはドアを閉める手に力を込めるが、エイミスの足が挟まっているため力を出し切れない。このまま思い切り閉めてしまえば、彼女の足が潰れてしまう。
「そんなこと言われたって、行くわけ……ないでしょっ!」
溜めを作って、思い切り意気込むような声と共に。
ドアを閉めようとするサキの手を引き剥がし、エイミスが扉を開け放つ。
「……っ、…………」
サキは奥歯を噛みしめながら、ばっと後ろを見やり。
──真剣に現実逃避したい気持ちに駆られた。
理由は単純。そこに立っていたルフレが、ドレスをめちゃくちゃに着崩した状態──肌着も着ず、袖も片方しか通せていない、やたらと官能的な姿をしていたからだ。
紐が解け大きく開いた胸元に、体のどこかに引っ掛かって捲れ上がったスカート。外れかけのリボンガーター。片方しか履かれていないソックス。
透き通った真っ白な肌が、豊満なそれが、美しい肢体が。
それぞれ一部分だけを隠しながらも、むしろ扇情的に晒されている。
確かにドレスの着方なんてサキも知らないが、こんな大惨事になるものだろうか。
……いや、今重要なのはそこではないだろう。
「……。サキ?」
ただ一人、この場の凍り付いた雰囲気に気付いていないルフレは、ぱちくり、と擬音が聞こえてきそうな瞬きをして、無表情のままゆっくりと首を傾げた。
三者の間に、得も言われぬ沈黙が流れる。
エイミスは数秒固まった後、気まずそうに頬を掻いた。
「……ああ、取り込み中って、そういうことだったの。なら、また出直すわ」
「待て誤解だ。分かった。……分かったから帰るな!」
踵を返そうとするエイミスを、サキは悲鳴染みた声を上げて引き留める。
すると、エイミスは頭痛を我慢するように額に手を当てた。
「……。これまで何があったのか説明する前に、弁解する時間が欲しそうね?」
「いい提案だ、エイミス。……ついでに、そのゴミでも見るような目をやめてくれ」
サキはがくりと項垂れると、渋々ながらエイミスを家に招き入れた。