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Episode.1:『自動人形』




「──経過良好。心核(しんかく)の拒絶反応なし。これで……」



 丈の長い白衣をだらしなく着崩した男は、そう呟いて手持ち眼鏡を下ろした。



 息を吐きながら上げた顔に窺える表情からは、達成感や疲労に加え、期待、憂慮、自失など、実に様々な感情に支配されているのが見て取れる。


 男の眼前には、見上げるほど大きな水槽が一基、設置されていた。

 形状はカプセルのような円筒状で、直径はおよそ二メートル。高さ天井ぎりぎりの四メートル弱といったところか。水槽の中は青く濁った、粘性の高いドロドロの液体で満たされている。



 男は天井にある採光用の嵌め殺し窓の下まで行くと、脚立を上ってシャッターをこじ開けた。


 開発室の暖房による外との寒暖差で、窓には薄っすらと水滴が付着している。窓から陽光が射し込むと、光は溶液を経過し、淡い青緑の蛍光色となって部屋中を照らし出す。


 溶液中に浮かぶのは、数年に渡る開発研究の成果であった。


 人の形をした『それ』は、今やその心臓部をとくん、とくんと胎動させている。



「……これで、ようやく完成する」


 男──サキは、誰にともなく言い聞かせるように独語すると、水槽の脇に設けられた装置を手慣れた動きで操作し、カプセル内の溶液を抜いていった。


 百リットル以上ものどろりとした溶液は、水槽に繋がっていた八本のパイプを通って三十秒ほどで抜き終わり、それと同時にカプセルの前方がゆっくりと開いた。


「…………」


 緊張が場を支配する中、サキは無言でカプセルに歩み寄る。

 ひたひたと水の滴る足音を立てながら、中から出てきたのは一人の少女だった。


 あまりに神秘的な光景に、サキはごくりと喉を鳴らす。


 緊張からか胸が詰まっていく。

 膝が震え、か細く吐息が零れた。


 ──かつて。この瞬間、この光景をどれほど待ち望んだことか。


 それが今、叶った。


「──ここ、は……あなたは?」


 瞬きを繰り返しながら。第一声に、彼女は澄んだ声で疑問を口にする。

 人に作られた身でありながら、彼女は人と同じように息をして、そこに立っている。


 外見年齢は十五、六歳。直濡れた銀の艶やかな髪。角度によって色を変える極彩色の双眸。

 白磁のように真白い肌に、出るところは出ていて、その上ですらりとした体躯。身長は一五〇センチほどで、病人が着るような薄手の白いシャツを一枚、身に纏っている。


 シャツを裂いて背から生えているのは、折り畳まれてなお物々しい一対の機械羽。

 首の後ろには、プラグの差し込み口のような小さな孔が一つ存在した。


 しかし、それらを差し置いて何より特徴的なのは、その端正な顔つきだった。


 繊細に美しく造形された顔に、表情の類は一切浮かんでいない。身体の前面、外見的にはほとんど人と変わらない彼女を機械たらしめている要因の大半はそこにあった。


 サキは自分が羽織っていた白衣を脱いで少女の肩にかけてやると、なるべくその柔らかそうな肢体から目を逸らしながら、少女の額の辺りを注視する。


「ここは私の開発室だ。……私のことはサキと、そう呼ぶといい」


 半ば死を覚悟しながら、サキは彼女の疑問に答える。


「──……」


 無機質な瞳だけをこちらに向けて、少女はフリーズしていた。

 淡く輝く銀の長髪から溶液を滴らせ、黙したまま自身の両手のひらを眺めている。


 やがて、どこか怪しくも静謐な開発室の雰囲気に溶け込むように。

 少女は緩慢に口を動かした。


「……わかったよ、サキ。私の識別名も、教えてくれる?」


 第一にして最大の懸念点だった意思疎通だが、言葉は問題なく通じているようだった。


 順調に事が進んでいることにサキは胸中で悦に入り、

「ああ。君は──…………」

 彼女の名前を呼ぼうとしたところで、口を開いたまま言葉を詰まらせた。


 理由は明快。彼女の名付けのことを全く考えていなかったからだ。


「……サキ?」


 少女は口を開けたまま固まったサキを不思議そうに眺め、こてんと首を傾げる。


「いや……そうだな。何でもない。君の名前は──……ルフレだ」


 苦し紛れにくぐもった声で名前を絞り出し、息苦しさから脱する。

 その名を付けたことに、一瞬激しい後悔を覚えたが、取り消すには手遅れだった。


「私の、名前──……ルフレ。なんだか。人みたいな名前だね」


 あまりピンときていない様子でルフレが与えられた名前を反芻する。


「どこか調子は、気分は悪くないか?」


「……うん。異常はないよ」


「何よりだ。まずルフレ、君は私が作った自動人形だ。……だが、私が知りえないこともある。それで、いきなりで悪いが──君は、君自身のことをどれだけ知っている?」


 慎重にサキが問うと、機械にしては滑らかすぎる自然な動きでルフレは首を傾げた。


「それは、私──当機のデータベースにアクセスしたいということ?」


「概ね間違ってはいないな」


「じゃあ、ちょっと待ってね。……えっと。心核の初期設定、及び現在の接続状況を確認──接続失敗。再接続の行使──失敗。……私は自律型戦術兵器、識別番号〈COOD-206815.5961〉。識別名はルフレだよ。それ以外のデータで私に関する情報はない……かな」


 機械的に紡がれる直叙に、サキは胸の閊えが下りていくのを感じる。


 ……どうやら『心核』の初期化も上手くいったらしい。

 最悪の想定として、彼女が起動時、或いは記憶領域である心核に接続した瞬間に、殺されてしまうことすら危惧していたが、今の反応を見るにその心配はなさそうだった。


「サキ。私からも、いくつか聞いてもいい?」


 極彩の瞳が、じっとサキの目の奥を見据えてくる。


 疑問を抱くのも当然のことだろう。今、この場で作られた彼女にとっては、この場所もサキの存在も、自分自身のことすらも、一切が分からないことなのだから。

 全てを話すには長くなるかもしれないが、サキが一から説明する必要があった。


「ん……ああ。少し待ってくれ」


 人心地ついているのを気取られないよう努め、サキは眦を下げると、


「いつまでもそんな恰好でいるのもあれだろう。場所を変えて、着替えて、それから話そう」


 そう言って、気恥ずかしさ半分に優しく彼女の手を引いた。




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