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忘却ロケット

作者: 毛利鈴蘭

「忘れたくない――っ」

 彼女はそう一言呟くと、華奢な肩を小刻みに震わせ俯いた。

「大丈夫、ぼくはずっと傍にいるから」

 俯いている彼女の顔は長い前髪で隠れてしまい、表情は読み取れない。ただ、ぼくの胸にしがみ付く彼女から伝わってくる震えは、表情や言葉以上に彼女の心中を表していた。

 もう、彼女の記憶はそう長くはもたない。それが分かっているだけに、彼女もぼくも苦しかった。大切な人と過ごしてきた時間が、海の藻屑となるように消えてしまう。それはぼくも彼女も望んではいなかった。しかし、彼女の記憶は蝕まれていく。きっと、彼女はぼく以上に苦しく、悲しく、そして怯えている。大切な人の記憶が、少しずつ失われていくことに。そして、そのことすら忘れてしまうことに。

 夜更けの浜辺はゾッとするほど静寂に包まれていた。打ち付ける波音と彼女の小刻みな吐息だけがぼくの耳朶をなぞる。頭上に広がる満天の星空と遠方に見える僅かな灯火の境目すら分からない闇夜に、ぼくはそっと彼女を抱き寄せロケットペンダントを彼女に握らせた。

「約束だ。ぼくは、ずっと君の傍にいる。だから、何も怖がらなくてもいい。例えぼくのことを忘れてしまっても、ぼくは君の傍にいる」

 彼女はロケットを握り締め、泣きじゃくりながら「うん、うん」と何度も頷いた。ぼくもいつの間にか涙が頬を伝っていた。それは海水よりもしょっぱく、海よりも広大な二人の記憶の粒だった。


 彼女はいつの間にか安らかな寝息を立てていた。

 ぼくは予感していた。今まであったぼくと彼女という二人の関係に幕が下りたことを。全ては白紙に戻ることを。


 やがて東の空、海の彼方に薄明かりが上り始めた。水平線から顔を覗かせる太陽は、ぼくらの世界を真っ白に照らし再生を祝福する。

 彼女がそっと瞼を開いた。眩い朝日に目を細めながらぼくを見つめ首を傾げた。

「あの、どちら様でしょう」

「ぼくは……これからもあなたの傍にいる人ですよ」

 彼女は「はぁ……」と再び首を傾げ不思議そうな顔をした後、表情を緩め「それじゃぁ、これからよろしくお願いしますね」と優しく微笑んだ。

「うん、これからもよろしく」

 ぼくの伝えられる想いの全てだった。

「君が握っているそのロケットは?」

 そして、最後に託した一縷の望み、救いを彼女に教唆する。

 彼女はぼくの指し示した手元に視線を落とした。その指し示す硬く握り締められた手をそっと開くと、楕円形のシンプルなロケットが白銀に輝きだした。そして、彼女の手が蓋に掛かり、それが開かれる。

 彼女はしきりに首を傾げている。

「そこには誰が写っていたんだい?」

「それが……何も入ってはいないのです」

「そう……じゃぁ、それはそれでいいんだよ」

 気が付くと彼女はぽろぽろと大粒の涙を流して泣いていた。ロケットを握り締めて。

 ぼくはただ、黙って隣に座っていることしか出来なかった。そう、これがぼくの選んだ答えだったから。


 その後、彼女の涙は陽が高く昇る頃まで止まなかった。





(完)


 本当は、記憶を失った彼女がロケットを握り締める描写で完結するはずでした。でも「ぼく」の気持ちを想うと、あっさりと引くことが出来ませんでした。


 以下、本作における《筆者の》解釈です。


 何も写真の入っていないロケットを彼女に預けたのには理由があります。それは見方によっては「ぼく」のエゴイズムかもしれません。しかし、記憶を失う彼女を想っての行動でした。

 もし、ロケットに「ぼく」の写真が入っていたら、彼女は「ぼく」のことを思い出せないことに一生苦しむかもしれない。そんな想いが「ぼく」にはありました。

 しかし、それでもロケットを残したのは、ずっと傍にいるという約束を永遠のものにしておきたかったからなのでしょう。未練だと言ってしまえばそれまでですが、彼女に記憶の断片が残っていることの証が、二人の思い出がまだそこにあるという証が「ぼく」も欲しかったのだと思います。


長々と解釈を入れてしまって興醒めもいいとこだとは思いますが、「ぼく」の想いがどうか伝わってほしいと思い書き加えました。

これらを本編中で書かなかったのは、「ぼく」に多くを語らせて押し付けがましくしたくなかったからです。が、結局あとがきに書いてしまっているようじゃ、私もまだまだ表現力不足なだけかもしれません。


もっと精進します。

今後も応援していただけると嬉しいです。


毛利鈴蘭

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