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短編小説

勇者と魔王──再会のレモン・サワー

作者: 歌池 聡

※武頼庵(藤谷K介)様主催『さいかい物語企画』参加作品です。

※コロン様主催『酒祭り』企画参加作品です。

※武頼庵(藤谷K介)様主催『イラストで物語書いちゃおう!!』企画参加作品です。


 作中イラストは、企画用イラストの2番を使用しました。



 今日の仕事もキツかった。

 中高年の多い土木工事現場では、どうしても俺のような20代に力仕事が回ってくる。まあ、体力には自信あるが、力任せにやればいいというものでもない。これでなかなか神経を使う仕事なのだ。

 そうだな、たまにはいつものコンビニ弁当じゃなく、もっとがっつり気合の入る食い物でも買って帰るか。

 少し遠回りでスーパーへの道を歩いていくと、ちょうど満開の桜並木の中を通っていくことになる。


 ──そうか、もう3年にもなるんだな。

 ここに来たのも桜の季節だった。右も左もわからぬ俺に色々と親切に世話してくれたのは、たまたま近くで花見をしていたホームレスのおっちゃんたちだ。

 あの頃に比べたら、だいぶここでの暮らしにも馴染んできたと思う。まともな仕事にも就いて、当面は食うにも困らない。

 それでも時々は昔のことを思い出して、やりきれない気持ちになることもあるのだ。


 俺は、なぜこんなところへ来る羽目になってしまったんだろう。

 こんな世界で、俺はいったい何をやっているんだろう。


 ──俺は国を、いや、人間の世界をあの残虐非道なる魔王の手から救った『勇者』だったのに。






 いかん。また落ち込みそうになっている。

 今夜はアパートでさびしく独りメシではなく、賑やかな居酒屋で一杯といくとするか。

 そう思ってきびすを返した時にふと、すれ違った若い女性と目が合った。


挿絵(By みてみん)


 今どき珍しいくらいの黒く豊かな長い髪。桜色の風になびくその漆黒の色は、むしろあでやかに目に映る。少しキツそうだが整った顔も相まって、かなり人目を惹く容貌だ。

 この娘、どこかで見覚えが──?

 向こうもこちらの顔を見て、何だか釈然としないといった表情だ。


「あの、失礼ですけど、あなたとどこかでお目にかからなかったかしら?」


 おずおずとかけてきた声も涼やかで上品で、聴き心地がいい。

 だが、俺にこんな知り合いなどいるはずがない。異世界人だと知られないよう、人との接点は最小限にとどめてきたのだ。ましてや、こんな若い女性など────えっ? まさか!?


『『な、何でこんなところに──!?』』


 俺と彼女の驚愕の声が、桜吹雪の中に響き渡った。






 それから少しの後、俺と彼女──いや、『魔王』殿は、近くの大衆居酒屋の座敷席で生ビールのジョッキを傾けていた。


 ──魔王ラディクラーダ。絶大な魔力と不老不死の肉体を持ち、魔族たちを率いて人間を滅ぼさんとした人類最大の敵。

 かつて俺は国王陛下の命令で、4人の仲間たちとともにこの魔王討伐に向かった。そして苦難の末に魔王の居城まで辿り着き、最後の決戦となったのだ。

 息詰まるような攻防、そして最大にして最強の魔力のぶつけ合い。その大爆発の中、魔王の肉体が粉々になって消えていくのを確かに見た──と思ったんだが。

 どうやら魔王も俺と同じく、あの衝撃で世界から弾き飛ばされてしまったらしい。


 だが、今となっては特に魔王と戦う理由もないし、その(すべ)もない。こんな『魔素』の希薄な世界では、どちらも魔法などろくに使えやしない。ましてや、街中で剣など振り回しては大事件だ。

 それに──実を言うと、見知らぬこの世界に放り出されてしまった者同士、ちょっとだけ親近感が湧いてしまったというのもある。

 たぶん、魔王殿もそうだったのだろう。どちらからともなく呑みに誘い、そして今こうして酒を酌み交わしているわけだ。


「──はぁ。まさか魔王殿と一緒に、ホッケをつつく日が来るとは思ってもなかったよ」

「ワラワも同感じゃな。──あ、ダシマキとツクネも頼んでよいか?」

「おいおい、給料前だからほどほどにしてくれよ。

 すみませーん、生2つ追加、あと出汁巻きとつくねと──ポテトサラダを」

「あ、それとシメサバもじゃ!」


 それにしても、せっかく美人と差し向かいだというのに、その口から年寄りじみた言葉が出てくるというのは、何とも残念なことだ。つまみのチョイスも微妙にオッサンくさいし。

 まあ、魔王殿は300歳を優に超えているらしいしなぁ。さっきのおしとやかな物腰も、よそ行きのものだったってことか。チクショウ、あの瞬間の俺のトキメキを返せ。


 ──ほどなくして、追加のビールとつまみがやってきた。


「んじゃ、ま、改めて乾杯ということで」

「再会を祝して、というわけでもないがな」


 そう言いながらも、魔王殿は何だか少し嬉しそうだ。


「──ああ、そう言えばおぬし、名は何じゃったかな?」

「こちらでは『工藤哲夫』と名乗ってる。病死したホームレスから名前や戸籍を譲り受けた形だ。さいわい、身寄りのない人だったんでな」


 まあ、あちらでの名は言う必要もないだろう。


「ワラワは『沢田美鈴』じゃ。その身元を手にしたいきさつは、まあ、似たようなもんでな──」


 そう口ごもった魔王殿の表情は少し暗い。やはり、この世界での生活基盤を築くまで、色々と苦労してきたのだろう。


 俺もそうだった。魔力消費のほとんどない『翻訳魔法』は使えたので、言葉の面では問題はなかった。だがこの世界では、ほぼすべての民を国家が把握しており、身元の定かでない者にはまともに仕事に就けないという厳しい現実があったのだ。

 俺はしばらくホームレスたちと生活を共にして、この世界の常識を少しずつ覚えていった。

 だがそんなある日、仲間たちのひとり、本来の『工藤哲夫』殿が病に倒れた。彼を回復させようと試みて、ようやく気づいた。この世界には『魔素』がほとんどなく、初級の『治癒魔法』すら発動させられなかったのだ。


『なあ、もう手当はいいよ。この世に未練なんてない。この現代社会になじめなくて、でも自ら命を絶つ勇気もなかっただけなんだ。

 僕の身元があれば、君もまっとうな仕事に就けるだろう。僕には犯罪歴も借金もないし、身寄りもないから、しがらみもない。僕が死んだら、君が工藤哲夫として好きに生きてくれ』


 そう弱々しく笑みを浮かべてこと切れたあのお人好しの顔が、今も脳裏に焼き付いて離れないのだ。


 ──俺までもが暗い想いに沈んでしまったのを察したのか、魔王殿がからかうような口調で声をかけてきた。


「おい、テツオ、何だかシケた顔じゃな。せっかくこんな美女と呑んでるんじゃ。もう少し楽しそうな顔をしてもいいと思うぞ」

「あ、いや、いくら見た目が若くても300歳のババアはちょっと……」


「さ、300──っ!? 誰がババァじゃ、この無礼者がっ! ワラワは正真正銘、まだ21歳じゃ!」

 

 




 初めて知った驚愕の事実。

 魔王殿は不老不死などではなく、普通に代替わりを重ねていたのだという。先代も先々代も、魔法で見た目の老化を抑えていたので、人間が勝手に同一人物だと勘違いしていたのだろう。


「ったく、ワラワをババア呼ばわりなど無礼千万。向こうの世界なら打ち首ものじゃぞ」

「いや、だから悪かったってば。いいかげん機嫌直してくれよ」

「────詫びとして、レモン・サワーとカラアゲを献上せよ」

「はいはい」


 ちぇっ、ちゃっかりしてるなぁ。まあ、その取り合わせに異論はないけど。


「しかし、ワラワが不老不死だなどと──ずいぶんいい加減な話が広まっとるようじゃの」


 そう言って魔王殿は大して旨くもなさそうに、残ったビールを一気に飲み干した。


「ふう。どうせ、あれじゃろ。おぬしも『残虐で無慈悲な魔王が人間を滅ぼそうと攻めてきた』とか信じ込んどるんじゃろ」


 ──おい、何だと?


「テツオ、言っておくがな。我らは一歩たりともそちらの領土に攻め入ってなどおらんぞ。むしろ、攻めてきたのはおぬしらの方じゃ」

「デタラメを言うな! 魔族が攻めて来たからこそ、俺たちは血を吐くような苦難を乗り越えて──」

「おぬしは、本当にはかりごとに向いておらんのだなぁ」


 俺の怒声をさらりと受け流した魔王殿の顔には、なぜだか憐憫の色さえ見える。


「気の毒だがな、おぬしは国にたばかられておるぞ。

 我らにはそもそも、そちらの領土に攻め入ることの出来ない明白な理由があるのだ」






 魔王殿が語ってくれたのは、俺が国王陛下や重臣方から聞いていた話とはまったく異なる話だった。


『醜悪な外道の魔族』『人間とは似ても似つかぬ異形の化け物』──そうさんざん聞かされ、戦いの中で目にしてきた魔族たちの姿は、実は仮初めの姿なのだという。


「おぬしらは、いくさの時に鉄製の武具や防具を身に付けるじゃろ?

 だが、我らの土地には鉱物資源が乏しい。だから我らは魔法を使い、肉体を強化する途を選んだのじゃ。野生動物の牙や爪、翼や甲羅などの形態を一時的に自分の肉体に写し取って、な。

 だが、それは『魔素』の豊富な我が領土においてのみ可能なことでな。『魔素』が希薄なそちらの領土に攻め込んだりすれば、たちまち術が解けてしまう。──丸腰の普段着でいくさするようなものじゃ。初めから我らに勝ち目なんぞない。

 だからそちらの国とも永年、相互不可侵の約定を結んでおったんじゃがなぁ」

「──何だと? じゃあ何で我が国は、約定を破ってまで魔族と戦おうとしたんだ?」

「さあな。土地が欲しかったのか、我らを支配下に置きたかったのか──。

 あるいは、いくさをすることで大儲けできる者がおったのやも知れんな」 


 そんなことはどうでもいいとでも言うように、魔王殿は唐揚げを一口で頬張って、レモン・サワーで流し込んだ。


「大体じゃな、おぬしらが与えられた命令も、かなりひどいものだと思うぞ?

 わずか5人で敵国の中心まで潜入して、敵の親玉の首を獲って来いだなどと──それは『死んで来い』と言ってるようなもんじゃろ」


 ──確かにそうだ。あの時、5人の魔力を合わせることで何とか魔王殿の魔力と拮抗できたものの、そこまでの戦いで何人か死んでいても不思議はなかったのだ。

 せめて、敵の主力を引き付けるために大規模な軍事行動を起こすふりをするなど、国も何らかの援護くらいしてくれてもよかったのではないのか。──仲間たちは皆、そんな不満を募らせていたのだ。


 ──ん? いや、待てよ?


「なあ、お前の言葉が正しいとするなら、俺たちのパーティがお前を倒せなくても、我が国が魔族に攻められる危険はなかったということだよな?

 しかも、国はそのことを知っていた、と。

 ──だとしたら、俺たちは何のためにあんな苦労をさせられたんだ!?」

「さあなぁ……」


 魔王殿はレモン・サワーのジョッキに口をつけようとしたが、ぴたりとその手が止まった。


「──もしかすると、失敗させたかったのかもな」

「なっ──!?」

「『英雄』の死を戦意高揚の材料に使いたかったのか──あるいは、おぬしらを始末したい者がおったのやも知れん」

「馬鹿な! 俺は今まで国のために必死で武功を重ねてきたんだ! そんな俺がなぜ始末されなきゃ──!?」

「国王を排したい者にとっては、力も人望もあるおぬしが国王の傍にいるのはさぞ目障りじゃろうて。あるいは、他ならぬ国王自身がおぬしに取って代わられることを恐れたのか──。まあ、もはや確かめようもない身で、あれこれ考えても詮無きことよ。

 おぬしも元の世界に戻る方法がないか、さんざん調べてみたんじゃろ?」


 そう言って、魔王殿はテーブルに置いてある俺のスマホを指差した。


「これほど進んだ文明でも、我らの世界の存在すら確認されてはおらん。もはや、帰ることなど出来んと思うべきなんじゃろな……」


 ちょっと暗い表情になりかけた魔王殿が、なぜかちょっと自嘲気味に笑みを浮かべた。


「もう、こうなったら、二人でトラックにでも撥ねられてみるしかないのかもな」


 あっ⁉ さてはこいつ──。


「何だ、魔王殿もあの手の物語を知ってるのか」

「色々調べようとしていたら、やたらと小説だのアニメだのの情報ばかり検索に引っかかってな。

 くくく、まさか我らと逆のパターンの物語が、これほど多いとは思わなんだわ」


 そう、こちらの世界では小説投稿サイトや、そこから漫画やアニメになったものなど、異世界へ転生する物語が数限りなくあふれているのだ。


「まあ、我らの参考にはならんが、暇つぶしとしてはお手軽じゃからな」


 そう言って魔王殿は、最大手の小説投稿サイト『小説家になれるかも』のトップページをスマホで開いて見せてきた。実は、俺もそのサイトの愛読者なのだ。


「俺も、有名どころはひと通り読んだよ」

「何じゃ、おぬしもか。だが最近は、似たような設定のものばかりで、ちと食傷気味でな。

 アニメ化されても、結局一期止まりのものが多いしの」

「だよな? 超メジャー作はともかく、ほとんどがリアリティに欠けるというか──」

「設定がガバガバで、練り込み不足のものも多いからの。

 実はな、ワラワは最近、アニメはほどほどにして、逆に超マイナーな良作を発掘するのにハマっておるのだ」

「俺は他のジャンルに手を広げ始めてる。なあ、何か最近のおススメはないか?」

「おお、いくらでもあるぞ! おぬしのおススメも教えてくれ。まずはな──」






 やはり、共通の話題があると話が盛り上がる。俺と魔王殿は、レモン・サワーの杯を重ねながら、しばし小説談議に花を咲かせていた。


 だが、俺がちょっと用を足してトイレから出ると──魔王殿の周りに、若い男女数人の人だかりができていて、笑い声が上がっていた。

 ちゃらちゃらした男が3人と、頭が空っぽそうなギャルがふたり。魔王殿の友人か? ──いや、違う。

 魔王殿は座敷に座ったまま、暗い顔で唇を噛みしめ、ものも言わずに身を固くしてうつむいている。周りの連中の笑い声は──あれは悪意のある嘲笑だ。


『珍しいじゃん、美鈴! あんたみたいな陰キャもこんなとこに来るんだ?』

『へー、美鈴ちゃんっていうんだ。チョー美人じゃん!』

『あー、ダメダメ。こいつってば見てくれだけで、全然ポンコツなんだよね。

 常識ないから仕事できないし、オタクだし、言葉づかいも変だしさ。時々、ババアみたいなしゃべり方すんだよね』

『へー、聞いてみてぇな。なあ、何かしゃべってみろよ』

『美鈴、あんたさぁ、バイトで散々あたしらの足ひっぱってんだから、ちっとは役に立ちなよね。──というわけで、あたしらの会計もヨロシク!』


 駄目だ、もう見ていられない。事を荒立てたくはないので、ここはひとつ穏便に──。


「やあ、こんばんは。俺のツレに何か用かな?」


 俺がにこやかに話しかけると、中心らしいギャルは白けたように顔を背けた。


「別にー? バイト仲間だから声かけただけなんでー。じゃ、シツレイしますねー」


 しれっと答えて立ち去ろうとする連中に、俺はにこやかに声をかけた。


「ああ、君たち。忘れものだよ?」


 そう言って、連中が美鈴の傍に置いた会計伝票をコツコツと叩いた。


「あれ、お兄さん、聞いてなかったんですかぁ? 美鈴が私たちの分をオゴッてくれるって言ってくれて──」

「言ってなかったよね? 向こうで見てたけど、美鈴は一言もしゃべってなかったはずだけど。

 大勢で囲んで威圧して伝票を押し付けるのって、さすがに常識外れだよね。

 何なら、恫喝か無銭飲食で通報してみようかな?」


 俺がそう言うと、案の定、一番マッチョな男が険しい顔で近づいてきた。


「おう、オッサン。女の前だからって調子コイてんじゃねぇぞ」


 凄むように顔を近づけ、胸倉を荒々しく掴んでくる。他の客たちも喧嘩の気配を感じたのか、しんと静まり返った。あまり目立ちたくないんだけどなぁ。

 俺は、そのマッチョくんの手首を左手でそっと掴んだ。骨にひびが入ったりしないような最低限の力加減で──ただし、最も激痛を感じる部位と角度で。


「!? ──ぐ、ぐあああああっ! 何しやがる、は、放せゴラぁっ!」


 マッチョくんが悶絶しながら、必死で俺の手を引きはがそうとするが、そんな力では俺の指一本すら動かせないぞ、と。


「あのさ、相手の胸倉なんて掴んだらダメだよ。手首を掴むだけで、これくらいのことはできるんだからね」

「テメぇ、ふざけんな! その手を放せ!」


 もうひとりが顔面めがけて殴りかかってきたが、これは避ける必要もない。ちょっとだけ首に力を込めて、男の拳を弾き返す。男は拳を抑えて悲鳴を上げながら、床の上を転げまわり始めた。まあ、あんなへろへろなパンチなら骨に支障はないはずだけど。


「暴力を振るう前にさ、相手が自分より強かったらどうなるか、よく考えた方がいいよ?

 一目で相手の力量を見抜くくらいの眼力がないなら、やめといた方がいいと思うけどな」


 言葉は穏やかに、表情はあくまでにこやかに。


 ──残るひとりが、息をひそめて後ろから近づいてくる。それで気配を消したつもりなのかなぁ。

 両手で大きく椅子を振り上げて、力いっぱい頭に叩きつけようとしているみたいだけど──おいおい、さすがにそれはシャレにならないぞ。

 そちらを振り向かずに、空いた右手で振り下ろされた椅子を受け止める。ついでに力任せにもぎ取って、そっと床に置き直した。


「ダメだよ、お店の備品は丁寧に扱わないとね」


 そいつがへなへなと床にへたり込むのがわかる。そろそろ終わらせようか。


「いいかげん理解してくれないかな。『自分たちが食べたものの代金は自分たちで払う』、これが世の中の常識だよ。

 まだわからないというなら、もっと話し合いを続けるか、それとも──」


 マッチョくんの手首を掴んだままの手に、もうちょっとだけ力を加える。もうマッチョくんは声も出せずに、脂汗の浮いた顔をぶんぶんと左右に振るだけだ。


「わかってくれて嬉しいよ。じゃ、これ君たちの伝票ね。

 ──ああ、それと、そこの女の子たち」


 俺が呼びかけると、ギャルたちが真っ青な顔でわずかに後ずさりする。


「この美鈴は、俺の大切な友人なんだよね。別に無理に仲良くしろとは言わないけどさ、あまりイジメないでやってくれるかな。

 ──君たちの顔はもう覚えたからね」


 最後の一言も、あくまでにこやかに。

 まあ、たぶん向こうは勝手に『こいつヤバい! 下手したら何されるかわからない!』とか思ってくれただろうけど。






 連中があたふたと立ち去って、店内が元の賑やかさを取り戻し始めた。

 よし、店のものは何も壊さなかったし、後に残るような怪我もさせなかった。上出来上出来。


 魔王殿は膝をかかえて座ったまま、その膝に顔を埋めてじっとうつむいている。時おり肩がぴくりと動くのは、しゃくりあげてるんだろう。

 まあ、泣き顔なんて見られたくないだろうから、俺は彼女の正面ではなく隣に座って、少し背を向けるように黙ってレモン・サワーをちびちび呑んだ。


 ──俺はまだマシな方だったんだな。今さらながらに思う。

 俺には鍛えた肉体や、身に付けた戦いの技術があるし、それはこちらでも充分に役立つ。それにこの世界も、俺たちの世界のはるかな未来という感じで、そう馴染みにくいと感じることもなかった。

 だが、魔王殿にとってここは価値観すらまるで違う異境だ。おまけに、彼女の一番の強みである魔法が全く使えない。プライドの高い彼女にとって、それはどれほどつらいことだったんだろうか。


 俺なんかよりずっと、こいつは強い無力感と孤独感を抱えて生きてきたんだな。


「──ふう。さあ、うるさいのもいなくなった。テツオ、呑み直しじゃ!」


 魔王殿ががばっと顔を上げて、笑顔で話しかけてくる。くそ、何だよその笑顔。無理してるのが見え見えじゃないか。


「次はテツオのおススメを教えてくれる番じゃ。さ、早うせんか」


 駄目だ。俺にはこいつを放っておくなんてできない。かといって、ただのなぐさめの言葉なんて受け入れたくはないだろうし。

 何かないか。俺なんかでも、こいつのためにしてやれることは──あっ。


「なあ、魔王殿。お前、これからどうするんだ? 何かやりたいこととか、成りたいものとかはないのか?」


 俺が訊ねると、魔王殿はまた少し寂しそうな笑みを浮かべた。


「さあなぁ。今のワラワには何の力もない。世間知らずのただの無力な小娘じゃ。そんな目標なんて持ったって──」

「ならちょうどいい。俺と組んで、デカいことをやらないか? 一緒に頂点を目指そうぜ!」

「はあ?」


 魔王殿が、馬鹿を見るような醒めた目を向けてくる。


「まさかおぬし、世界征服でもするつもりじゃあるまいな?」

「『勇者』がそんなことするか、バーカ。

 世界中で、俺たちふたりだけしか知らない知識を活かそうって話だ」

「『魔法』のことか? しかし、大した魔法など使えんぞ。せいぜい、ライターくらいの炎を出すしか──」


 俺はゆっくり首を横に振って、スマホ画面を見せた。先ほどから見せ合っていた『小説家になれるかも』のトップページだ。


「ん? どういう意味だ?」

「よく考えてみろよ。この世界中で、実際の異世界を知っているのは俺たちふたりだけだ。

 なら、ここにあるどの小説よりも、もっと凄い小説が書けるような気がしないか?」

「──!?」


 魔王殿の表情にかすかに明るさが戻る。


「俺は、戦闘や戦略に関する知識はあるが、魔族のことはよく知らん。

 それにどうも、魔法理論やごちゃごちゃとした謀略とかは苦手だ」

「そういうあたりをワラワが考える、ということだな?」


 魔王殿がニヤリと笑う。よし、ちょっとは乗り気になってきたみたいだな。


「そういうことだ。『なれるかも』に作家志望はごまんといるだろう。でも、実際に一国を支配していた経験者なんて、お前以外にいると思うか?

 さあ、想像してみろよ。ふたりで小説をヒットさせて、ゆくゆくは書籍化、コミカライズ──そして最終的に目指すはアニメ化だ!」

「アニメ化──!? そ、それはいいな!」


 ──まあ、現実はそんなに甘くはないだろう。だが、前向きな目標を持てば生活に張りも出るだろうし、精神衛生上も悪くないはずだ。


「よし、さっそく共有のアカウントを作ろうぜ。ええと、ハンドルネームは──」

「いや待て、テツオ。無名の新人の書いたものが、いきなりそんなに読まれるとは思えん。

 まずはもっと緻密に戦略を立てねばな。まずはSNSで何か話題になるか、他のジャンルで知名度を上げるか──。

 とりあえず、しばらくは週1で作戦会議じゃ。おぬしは次回までに、カラアゲとレモン・サワーの旨い店をリサーチしておけ」


 魔王殿が、活き活きした顔で何かを検索し始める。


 ──よし、これでいい。いつかこいつが胸を張って前に進める日が来るまで、その居場所は俺が作って守ってやる。二度とこいつに、あんな寂しそうな顔をさせてたまるか。


 たとえそれが『元・魔王』だろうと、俺は目の前の困っている人を見捨てたりはしない。

 それが、俺の目指した『勇者』という生き方なのだ。


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∀・)さいかい物語企画より参りました。 ∀・)メチャクチャ面白かったです(笑)(笑)(笑) ∀・)コンセプトがまずイイですね。このふたりが妙にリアルな現実世界で再会しちゃうのにワクワクする感じをす…
[良い点] 勇者と魔王のやり取りにほっこりしました。 そして、悪漢をねじ伏せる勇者はやはり格好いいですね。 二人が自分たちの経験を生かせられる道を見つけられてよかったです。
[良い点]  元勇者の彼も、元魔王の彼女もキャラが立っており、作品も親しみやすく面白いです。  また、ネット小説あるあるも思わず、笑ってしまいました。 [気になる点]  異世界から来た彼らにとって現代…
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