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無敵になれない僕ら(7)

 誠の家に周りは、野菜畑、農家の家、雑木林ばかりだった。町の中心部まで歩けばスーパー、コンビニ、病院、それにバス停もあったりするが、誠の家の周りは、田舎だ。


「待て!」


 夜の田舎道を必死に走っていた。自分にレモネードをかけた奴を追う。


 相手は案外、脚は早かった。体型はふくよかっぽいが、意外としばしっこい。


 一方、誠は脚は早くない。子供の頃からそうだ。一言でいえば運動音痴。足も遅い、ボールも受け取れない、泳げない。背も低く、家は極貧。この為にいじめられる事も多かったと思い出し、誠は下唇を噛んでいた。レモネードの甘さが沁みてくる。


 そう言えば学校のドッチボールは地獄だった。今思えば、ボールを身体にぶつけるゲームなんて野蛮すぎる。実際、ドッチボールなんてスポーツの競技では一般的でもなく、オリンピックでも見た事がない。そんなスポーツもどきを学校で強制する意味がわからない。


 今は、犯人を追いかけなければいけないのに、余計な事ばっかり考えてしまう! 


 ちょっと注意力散漫なところもあり、勉強も苦手だ。工場や配送センターからの仕事を逃げたくて簿記の資格でも取ろうとしたが、不合格だった事も思い出す。


 思えば自分の人生って、な何だったんだろう。ずっと貧乏、モテない。ネットでは弱者男性の定義にあてはまり、今は犯罪者を追いかけている。情けなくて涙が出そうになるが、今はとにかく犯人を捕まえなければ!


「待て!」


 普段は脚も早くない。子供の頃から運動音痴だといじめにも遭っていた。ずっと底辺で、貧乏だった。


 ちくしょう! 今は負けたくない! この犯人を捕まえてやるぞ!


 何故か自分の境遇を振り返ると、馬力が出てきた。ここで、絶対負けたくないという意地みたいなこものも芽生え、息は切れかけていたのにも拘らず、力が出てきた!


「弱者男性舐めんなよ! 俺だって生きてるんだよ! 俺は弱くねぇんだ! 心までは腐ってねぇ!」


 そう叫んでもいた。


 はっきりいって逆ギレだが、力は出てきた。いつもの数倍以上筋肉が働き、ついに犯人の背中まで追いついた。


「待て!」


 背中を掴み、ついの犯人を捕まえた。汗もダラダラ。息も切れていたが、犯人は地面の上に転がり、膝のあたりを痛がっていた。確かに全力疾走すれば、どこか痛くはなるだろう。


 気づくと、近所の雑木林の前まで来ていたようだ。周りには何もなく、野鳥の鳴き声が不気味に響いていた。一応街灯があるので、完全に暗闇ではないが。


 夜空には、細い月も出ていた。爪の先のような細い月だった。月は犯人を捕らえた誠の事なんて全く無視しているかのように、ただ夜空にあった。


「わー!」


 犯人は、黒いパーカー姿だった。明らかに怪しいが、何故か泣き始めてもいる。よっぽど膝が痛かったのだろうか。


 しかし、このちょっと鼻にかかったような高い声はどこかで聞いた事があるな。このデブ体型もどこかで見た事がある気がするのだが。


「まさか!」


 誠はスマートフォンでライトをつけ、犯人を照らした。細い月と街頭では、暗闇でよく見えなかった犯人の姿が、はっきりしてくる。


 犯人は全く想像していない人物だった。


 佐藤豊。


 誠の同僚。同じく職場で下っ端の労働をしているあの佐藤豊だった。


 しかも、豊はおめおめと泣き、顔を真っ赤にしていた。片手にはペットボトル。レモネードのペットボトルだった。確実にこいつが犯人ではないか……。


 デブおじさんの泣き顔はキツいものがあり、誠は警察に連絡する気が消えていた。むしろ、これを警察に突き出す自分の方が、悪者にも見えてくる。目の前にいるデブおじさんは、見た目はこうでも、中見は子供にしか見えなかった。ギャン泣きしている子供を警察に連れていく大人はいないだろう。


 なぜ豊が誠にレモネードをふっかけたのかは、わからない。同僚といっても絡みはそんなに多くなかったはずだ。恨まれる記憶はないが、何か豊に対して無礼をしたかもしれない。誠は三白眼のキツネ顔で、「感じ悪い」と誤解を受ける事も少なくはなかった。お陰で接客業系のバイトは、一度も通った事は無い。


「田中さん、許してくれ」


 豊は泣いて痛がりながらも、許しを求めてきた。ますます警察に連絡する気が失せてくる。このまま警察に突き出したら、彼は余計に社会の底辺になるだろう。もっとも刑務所の食事や生活リズムなどは、誠のようか底辺労働者より人間らしかった記憶があるが、「自分は犯罪者だ」という意識は、さらに心を病ませるかもしれない。自己肯定感なんて目に見えなものだが、意外と生きる上で必要なのかもしれない。


 それに腹が減った。久々に全力疾走して、誠も脚がいたい。カロリーもだいぶ消費したようで、グーと腹がなる。普段だったら、もう夕食を食べても不自然では無い時間だった。冷蔵庫にある冷やご飯や余った野菜、それに今日スーパーで買った惣菜や時子から貰った卵なんかも思い出す。


「おい、佐藤さん。っていうか、佐藤っち?」


 誠は「俺は怒ってません」アピールする為に、そう呼んだ。確か三葉は親しみをこめてそう呼んでいたはずだ。


「とりあえず、ウチで飯でも食うか?」


 笑顔を作ろうと思ったが、残念ながら三白眼のキツネ顔だ。下手に笑顔は作らない方が良いかもしれない。


「え、良いのかい?」


 驚いたのか、豊の手からペットボトルが転がっていく。ようやく立ち上がり、豊と視線を合わせていた。


 涙でぐちゃぐちゃになった豊の顔は、余計に子供っぽく見えてしまい、誠はなぜか罪悪感のようなものも感じ、心がチクチクとしてきた。豊のやった事は犯罪行為だが、何か事情があるのかもしれない。というか、きっとそうだろう。この男なら話せばわかる気がした。


 今はやられた事は、どうでも良くなってきた。レモネードをぶっかけられたが、洗えば済む事だ。


「うん。その代わり、なんでこんな事をしたか、話してくれるか?」


 ここではちょっと目を尖らせた。豊の行為は許すが、何でもかんでもホイホイ寛容するわけじゃないというアピールだ。


「わ、わかった……」


 豊はそう言い、両手を上げていた。降参という事なのだろう。


 こうして犯人を捕まえる事に成功したが、誠はあまり嬉しくはなかった。


 頭上には、細い月があるのが見える。相変わらず、誠のことなんて無視しているかのように光っていた。

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