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最強の二人〜彼らの謎多き日常〜  作者: 地野千塩


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無敵になれない僕ら(9)完

 食後、インスタントコーヒーを啜りながら、豊から事情を聞いた。


 何故か豊は子供の頃も生い立ちから話し始めた。「そこから?」とツッコミ入れたくもなったが、ここで無言になっても仕方ない。誠は辛抱強く、豊の話を聞いていた。


 元々豊は、金持ちの家の子供だったらしい。父親は会社経営者。母は優雅な専業主婦。豊は一人息子としてベタベタに甘やかされて育ったらしい。


 子供の頃は、各種習い事も色々とやらされていたそう。走るのも得意で、クラスでも人気ものだったらしい。


 ここまで聞くと、自分と全く違う世界の生まれの「坊ちゃん」では無いかと思う。おまけに向こうは、走るのも早かったらしく、ちょっと裏切られた気分だ。


「で、どうしてこのまま坊ちゃんやってなかったんだよ? 実家が太いんなら、のんびりニートでもやってたらいいじゃんか?」

「それは無理です」

「え?」

「母がカルトにハマってしまいましてね」


 豊は、遠い目をしながら、インスタントコーヒーを啜っていた。


 豊の母は、とあるキリスト教系のカルトにハマり、教祖への献金に何千万と貢いでいたらしい。それが原因で離婚。多額の借金だけが残り、当時大学の進学が決まっていた豊も断念せざるおえなくなった。


 以来、豊も工場や配送センターを転々としながら、母親の借金を返していた。元々頭は悪くないので、簿記一級の資格をとり、派遣で仕事をした事もあったが、正社員から激しいいじめを受け、結局は工場に逆戻り。


「そんな……」


 言葉も出ない。誠は豊の生い立ちに絶句していた。誠自身も極貧家庭の出身だ。母が病気になり、無収入になり。大変な時もあったが。さすがに借金を背負わされた事はない。金持ちを羨ましいと思い事もある。今もそう思っているが、こんな風に転落していく可能性があるとは、想像もできなかった。


 その上、豊はこの境遇に鬱にもなり、病院にも通っているそう。豊は薬物治療を拒否し、カウンセリングメインという背景もあり、なかなか障害者手帳もでないという。当然、それにまつわる福祉の支援も受けられない。思わず頭の中に「弱者男性」という言葉が思い浮かぶ。あのネットスラングのような軽い言葉にも見えていたが、目の前にこうして豊のような男がいると、ちっとも笑えない。


 誠もネット診断で弱者男性Aという結果が出たわけだが、下には下がいたようだ。もしかしたら弱者男性というよりは、無敵の人か?


 宗教がらみの背景があり、政治家が襲われた事件の思い出す。あれも身内がお布施で借金苦。その宗教は与党と連立を組んでおり、犯人が一方的に首相に逆恨みしていた。また、この犯人は非正規雇用で金もなく、持病でもあったが、福祉の網からは溢れる対象だった。生活保護を断られた事も犯行の動機の一つだろうと報道されていた。


 確かその犯人は「もう失うものはないので、自暴自棄になった」と警察に語っていたらしい。これがいわゆる「無敵の人」なのだろう。


 だんだんと豊が、あんな行動をとったのか見えてきた。もしかしたら、自暴自棄になった末、逆ギレしたとか? 犬でもストレス溜まると人に噛み付くという事を思い出す。意外にも動物でも鬱状態になるものもいるらしい。そうなるとまともな判断など出来ない。


 誠は中卒で、頭は良くない。豊と違って簿記の資格だってまともに取れないぐらいだ。ただ、ずっと底辺に彷徨いていたので、人の気持ちは想像できる。推理なんて大層なものではないが、自暴自棄になったのが犯行動機だろうか。


「で、何で俺を狙ったのさ? 別に俺じゃなくても良くないか?」


 一番の謎はそこだ。同じ部署で働く同僚であるが、特に親しいわけでもない。かと言って熊木のよう、暴言を吐いたり、面倒くさい仕事を押し付けているわけでも無い。「誰でもよかった」と言えば、それまでだが、レモネードをぶっかけるという行為は、なにか恨みのようなものも感じてしまう。かなりショボい犯行ではあるわけだが、元々金持ちの坊ちゃん育ちである豊にとっては、無敵な行動だったよう。その証拠に、豊は罪悪感でいっぱいの表情だ。まるでイタズラがバレて叱られてる子供みたいだ。


「実は……」

「聞こえないって。ハッキリと言えよ」


 誠は軽く睨みながら言う。元々三白眼のキツネ顔なので、ちょっと睨むだけでも、怖がらせてしまったようだ。怖がる姿も子供みたいだ。この生い立ちを聞くと、同情はできるが、やらかした事は、きっちり説明して貰わないと。


「実は、僕、田中さんに嫉妬してたんだ」

「は?」


 この犯行は、恨みのようなものが動機だろうと推測をたてていたが、まさかビンゴ。


「俺に嫉妬する要素ってある?」


 どう見ても何もない。


「いや、三葉さんも熊木さんも、マネージャーも、田中さんの仕事ぶり褒めてたし」


 ここで豊は、ボロボロと泣きはじめた。


 しかし、めんどくせぇ!


 この男、想像以上に面倒くさい系の男だ。この生い立ち、しかも病気もちで母親の借金を肩代わりしている状況は、可哀想だが、同情心はすっと消えていく。同時にこの男は、まともなアラフォー男と思う事はやめよう。クマか何かのぬいぐるみだと思えば、少しは納得する。実際、体型や顔もクマっぽいし。


「それに三葉さんも君のことエリートって呼んでるし」

「冗談通じねーな。あれは三葉さんなりのギャグだよ」

「そうなん?」

「そうだよ。何でも言葉通りの受け取るなって」


 豊は「目から鱗が落ちた!」と言いたげだった。この様子だと、彼女どころか友達もまともに出来た事がないのかもしれない。そう思うと、消えかけていた同情心も復活していた。


「それに、休みの日、偶然、ショッピングモールで君を見たんだ。お母さんと仲良さそうでさ。羨ましかったんだよ……」


 ここで豊は再びボロボロと泣いていた。同情すべきか、突き放すべきか分からないが、このまま豊を放置する気にもなれなかった。本当に放置してしまったら、それこそ無敵な人になりかねない。


「うちの母親、そんな仲良くないぜ。向こうは再婚してるしな。それにウチも極貧シングルマザー家庭で、母親を嫌いになった事も少なくないぜ」


 今は普通だが、金が尽きた時は、家庭環境や親たちを恨む気持ちは、少なくなかった。金があったから幸せになれるわけでもないが、無ければ心は荒む。人に優しくできる余裕も消える。


 そんな自分の生い立ちも思い出すと、やっぱり一方的に豊を責める気にもなれない。


 誠はインスタントコーヒーをすすり、一息つく。豊の面倒くさそうな性格や、子供おじさんっぽい所は、問題が大アリだが、このまま放置したら、重い犯罪に発展する光景も簡単に想像ついてしまった。


「俺も極貧家庭の出だ。金がなくて、心が荒む気持ちはよくわかる。っていうか、菓子パン食べるのはやめろよな。あんなの食べてるから、余計にメンタル病むんだ」


 誠はため息つきながら言ったが、なぜか豊の心には響いてしまったらしい。再びボロボロと涙を流しながら「さっき食べたチャーハンもスープもうまかった」と呟いている。


「だろ? 俺のチャーハンは絶品だぜ」

「まあ、竹輪を入れるのは、ちょっと貧乏くさかったけど」

「えー? そこで文句言うかね? 空気読めなくね?」


 脱力してしまい、誠は、さらにインスタントコーヒーを啜り、ため息つく。


 簿記一級ありながらも派遣先でうまくいかなかった理由を一発で察した。坊ちゃん育ち故、空気が読めない所はあるようだ。むしろ、よくここまで工場などで頑張ってきたと感心してしまう。今の仕事だって、鈍臭いなりに真面目にやっているのは、彼なりに努力してきた結果かもしれない。豊は決して底辺じゃない。心までは腐ってはいないはずだ。


「でも、スープは美味しかった。具がいっぱい入ってるスープっていいね」

「だろ?」

「でも竹輪はないよね」

「うん、君は本当に空気が読めない系の人だね」


 こんな豊に怒る気にもなれず、なぜか二人で大笑いしていた。こうして二人で飯食って、笑っていたら、もう同僚じゃなく、友達といってもいいかもしれない。もうレモネードをぶっかけられた事などは、忘れていた。


 問題はこのまま豊を放置していいのかという事だ。おそらく碌なものを食っていないし、金もないのだろう。このまま放置していたら、無敵の人一直線。やっぱり、お節介みたいな事したくなる。


 思えば、誠が極貧家庭の中でも、何とか生き延びられたのも、周囲の協力のおかげだった。パンや果物を分けてくれた近所のおばさん。いじめから守ってくれた先輩や先生。食糧支援し続けてくれた教会の牧師(今は義父だが)。自分は貧乏だったが、運や環境は悪くなかったのだと気づく。一歩間違えたら、無敵の人。色々と本人自体に問題がある豊だが、やっぱり放っておけない。


「ちょっと提案なんだが、ウチで飯食うか? いつでも来ていいぞ」

「え?」

「自慢じゃないが、俺が作る料理は美味いぞ」

「貧乏臭かった」

「ねえ、君。そういう正直にいうのやめよ?」

「でも、菓子パンより良いかも……」

「だろ? 美味い飯食ってたら、鬱もよくなるはず」

「確かに……」


 あまり納得していないが、この日以来、豊はこの家の飯を食いに来るようになった。


 単に一緒に飯を食っているだけだが、顔色も良くなり、仕事を休んだり、レモネードをかけるような事もなくなった。メンタルクリニックの診察の回数も減ってきたという。豊は相変わらずデブだったが、少し顔周りも痩せてきた。


 誠は、特に良い事をしている気分はなかった。近所の犬に餌を与えているような感じだ。それに豊は掃除は得意だった。トイレ掃除や庭の草むしりをやって貰い、意外とwin-winだった。


「っていうか、一緒に住むか? 佐藤っちは、家賃払わなくていい。俺は掃除やってもらえるし」


 ある日の夕食。豆苗の炒め物と炊き込みご飯のメニューも時、ふと、そんな発想が頭に浮かんだ。


「え!?」


 豊はそんな考えが全くなかったようで、目を丸くし、箸を落としていた。


「コスパいいじゃんか。電気代や水道代は平等に折半な」


 そう言えば二十歳ぐらいの時は、金もないので、シェハウスに住んでいた事もある。母親の友達のシンママ親子とも一時期一緒に生活した事があるし、他人と一緒に住むのは、特に抵抗がないタイプだった。


「いや、同じ家っていうのは」

「庭のプレハブでもいいじゃんか。別に一生いろってわけでもないし」

「確かにそれだったら……」

「よし。だったら決まりだ」


 こうしてトントン拍子に豊と一緒に暮らす事が決まった。一緒に暮らすといっても、豊の部屋は庭にプレハブ小屋になった。同居というより家をシェアするという感覚だった。


「じゃ、これからもよろしくな!」

「うん。田中さん、よろしく〜」


 引越し作業が終わり、改めて挨拶し合う。もう春も終わりかけていたが、新しい生活が始まったようだ。


 相変わらず職場では熊木の怒号が飛ぶ。底辺の非正規労働者。エリート様のように資本主義社会の強者ではない。


 だからといって、全ては不幸ではないと思いたい。「弱者男性」と笑えれる立場かもしれないが、心まで腐ってはいないはずだ。豊だってきっとそうだ。一時期は自暴自棄になっていたが、美味いもん食っている時は、子供のようだ。二度と悪い事はしないと信じている。


 誠はそう思い、新しい生活に希望を持っていた。


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