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100万円を置いた猫  作者: 椋木美都


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 第88話『沖谷幸生は願えない』

第88話『沖谷幸生は願えない』


ニャルラにも家族がいた。仲が良くて、優しい心を持った家族が。30年越しの再会を水宮家の人達を涙無しでは直視することもできない――ハズだった。良かったと思う気持ちも勿論ある。


――いいなあ。いいな・・・羨ましい。優しいお母さんと、しっかりしたお姉さんがいて・・・。


空っぽの心が、ニャルラに対する妬ましさで埋まってゆく。私が背中を押さなければ、きっとニャルラは実家に帰ろうと――家族に自分だと気づいてもらえるような行為はしなかった。だからこれで良かったんだ。


物事が自分の思い通りに行くことの方が少ない。私は心のどこかで、ニャルラが家族と再会することは叶わないと思っていた。


水宮命ちゃんは超能力や透過、スマホの遠隔操作など、特殊な力を持った黒猫として30年ぶりに地元へ帰ってきた。様変わりした街並み、家庭を持つ姉、施設で伸び伸びと過ごす母。それを目の当たりにしてようやく彼女は気づくんだ。ここに自分がいなくても世界はつつがなく回り、良い方へと流れてゆくのだと。


――少し悲観的だったかな。それでも、私は・・・大団円を祝福したい。したいと同時に・・・。


『妬、ま、しい、ね』


「・・・うん」


つい口に出して頷くと、パシャン。と水音がして視界が暗転した。私は数度瞬きをして目を闇に慣らす。すると、黒くてツチノコのような体の化け物が爛々と目を光らせていた。


『ツチ、ノコ、じゃ、ない。蛇』


「あっはい」


心を読んだツチノコ――もとい黒蛇はその瞳を愉悦に曲げる。不思議と私はその状況に何の恐怖も抱かなかった。夢見心地の身体をゆっくりと動かして、水の張った地面を歩く。


『薄、情、だね。アイ、ツ、だけ、先、に、幸、せ、に、なっ、ちゃっ、て』


「うん。だけど、これは私が望んでいた結果でもあるから」


今更自分が選択したことをグチグチ言うのはしょうもない。手を伸ばすと、冷たく柔らかい壁に当たったので、触れたまま水音を立てて歩き続ける。裸足で水を蹴る感覚も、手を滑る壁の感触も――全てが安楽で、泣きそうになってしまう。


『アナタ、の、味方、は、ワタシ、だけ』


「ワタシって・・・心を読むくらい私の事をよく知っている風ですけど、私は貴方様の事何一つ存じ上げていないんです」


進みながら見上げると、ずっとついて来る蛇の目が一度閉じてまた開く。


『ワタシ、は、想宮、に、祀、られ、て、いる。今、は・・・アナタ、の、中、に、いる』


「はあ。神様が何で私なんかを・・・ってあれ。デジャブかな。前にもこんな感じのことを思って言ったような・・・」


最後まで言い切ることができなかったのは、突然記憶の扉が開いたからだった。


高校3年生の頃だった。残暑が厳しい中想宮で社頭参拝をする私、その祈りに応えるかのように現れた――白く光るツチノコのような生物。その生物は自分のことを神と言った。


『神様が・・・どうして私なんかを・・・』


『――3回。アナタが本当にそれを望むのであればあと2回、今と同じように心から祈りなさい』


『・・・い、今願っちゃ駄目なんですか』


『1回目と同等の思いを込められるのであれば、どうぞ』


『・・・』


『大丈夫。アナタはそう遠くないうちに、ここで願うことになります。ワタシはアナタを救いたいのです。ひとりぼっちの中、虚無感に苛まれる生活はもう終わり。これからは、ワタシがアナタの幸せを生しましょう』


神様は私を見てくれていたんだと、感動して泣いた。とうとう私にも、この現状から救ってくれる味方が現れたんだと嬉しくて泣いた。その言葉だけで私は――もう少しだけ生きてみようと思ったんだ。


次に流れてきた記憶は、また想宮で祈る私だった。何故かその時のことを思い出すだけで気分がずっしりと重たくなり、吐き気が込み上げてきた。


『・・・消えようと思ってます。もう、何もかもがどうでもよくなってしまって』


『願いはもう、いいのですか』


『はい・・・最後に願えなくて、すみませんでした』


『これはアナタにとって千載一遇なのですよ。あと1回願えば、アナタが望む未来が手に入ります。それでも――死を選ぶのですか』


『はい・・・もういいんです。もう、疲れた・・・沖谷幸生として生きていくことが嫌で・・・嫌で・・・今日は、最後の報告に来ました』


『アナタの祈りがワタシを呼び覚ましたのです。命を絶つのは、願ってからでも遅くはありません』


『確かに、そうかもしれません。でも、気づいたんです・・・いくら幸せを望んだって、誰かを呪ったって・・・私自身が無価値なのは、変わらない。もう今の私では、絶望しきった心では・・・願うことすら億劫になってしまった』


『・・・残念です・・・ワタシは、ただ人間の願いを叶えるだけの存在・・・ワタシ自身にアナタの決断を止める手段はありません』


『すみません・・・お礼になるかは分かりませんが、私が命を絶った後は――』


神が私の言葉に反応し、鎌首をもたげたその刹那、頭頂部と後頭部の間に強い衝撃が走った。


「うウッ!?」


反射的に痛みが走った部分を手で抑え、その場にしゃがみこむ。


――痛い、痛い・・・今の記憶は、何・・・?私はこんなの、知らない・・・!


「――まだ治っていない、か」


頭上からお世辞にも美声とは言えない低音が聞こえる。嫌いだからこそ分かる。この声は――私だ。


『私』は水音を立てて私の周りをぐるぐる歩く。さっきまでいた蛇はどこへ行ったのだろう。


「あの紛い物から聞いた。以前もそうやって頭痛に苦しんでいたって・・・。私は全て知っているよ。アナタの姿になってみることで・・・少しだけ深層心理を覗くことができた」


「紛い、物・・・?」


真後ろで水を蹴る音が聞こえたと思ったら、真正面から私の側頭部を両手で挟まれる。


「・・・アナタは何も知らなくていい。何にも怖がらなくていい。願いを叶えた先の未来を恐れなくてもいい。だから安心して、ワタシに全て委ねて・・・祈りなさい」


「ぐ・・・うぅ・・・あ・・・」


――痛い、重い・・・何で、頭も、手足も、背中も・・・痛い・・・寒い・・・冷たい・・・何、で・・・。


痛みが全身を駆け巡り、何も考えられない。『私』もこれ以上の会話は不可能だと感じたのか、舌打ち交じりに吐き捨てる。


「600日も経てばほぼ回復していると思っていたけど・・・性急すぎたか。人間の身体は何故こうも脆いのか・・・やはりあの紛い物の言う通り、大人しく見通しの日を待つしかない、か。3回目の願いはその時に・・・」


混濁する意識の中、私は――紛い物という言葉に反応したことを自分でも不思議に思った。


(=^・・^=)

目を覚ますと、私はジェットバス付きの寝湯に浸かっていた。背中と足に当たるジェットバスの気泡がもう・・・語彙力が低下するほど気持ちがいい。


――うわ。私風呂の中で寝てた・・・良かった周りに人いなくて。


首を回して起き上がる。何か夢を見ていたような気がしたが、例によって起きた瞬間忘れてしまった。


露天風呂に炭酸風呂、ドライサウナと時間をかけてスパを満喫し、浴衣姿になった私はゆったりとした足取りで部屋へと向かう。


――はぁ・・・気持ちよかった・・・。明日も早めに起きて朝風呂しに行こう。


ニャルラとは老人ホームで半ば強制的に別れた。今夜は水宮さんの部屋にこっそり泊まるらしい。折角母に会えたのだから、離れ離れになっていた分一緒にいてあげるのべきだ。もしニャルラがこのまま戻ってこなくても・・・私は一向に構わない。私の部屋に100万円を置く理由だけは教えて欲しいけれど。


――赤の他人と同居するより、実母の傍にいたほうがいいに決まってる。私もそう思いたいな・・・。


寂しいというより、仕方ないと納得する気持ちの方が大きい。私は家族ネタに弱いんだ。


「・・・」


無意識に足を止める。私は数歩後ろに下がり、視界の端に映ったとある絵画を見た。その下には小さなキャプションボードが貼られており、私は心の中で読み上げる。


――ホシトキコ作『Ⅷの花とⅨの水瓶』・・・成程・・・?


私は鑑賞に夢中になっていたため、周囲に気を配ることが全くできていなかった。今いる通路には常に人の気配がする。こんなそこそこ人通りの多い場所で、ちんちくりんの私に近づく人なんて皆無だ。すっぴんで眉毛無いし。前髪巻いてないし。


このままここに1人、突っ立って絵を見ていても何も起こらない。そう高を括っていた。


夕食は和食屋の個室席で、福分の名産品をふんだんに使用したコース料理に舌鼓を打ち、その後は長風呂で多幸感に包まれた。だから気づけずにいた。完全に油断していたんだ。


「・・・」


もし私が偶然、少し離れた距離から私を観察する人物の視線に気づけていたら――そんなたらればを考えても仕方がない。


『禍福は糾える縄の如し』が私の座右の銘なのだから。

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