第86話『お願い!信じて!』
第86話『お願い!信じて!』
私は目でニャルラに合図をする――前に、膝の上に黒い塊が乗った。
「・・・実は、用があるのは私じゃなくてこの子なんです」
「めー」
「ま、猫ちゃん!愛らしかねー。ばってん、キャリーケース無しでどげんして連れてきたと」
両手でニャルラを持ち上げると、冷静にツッコまれた。しまったこの返しは想定してなかったぞ。
「キャリーケース嫌いみたいで・・・この子めーって鳴くからめーちゃんって呼んでるんですよ。めーはずっと『深山さん家にいるお婆ちゃん』に会いたがっていたみたいで・・・水宮さんの名前は花梨ちゃんから教えてもらいました」
「めー」
ニャルラは水宮さんの膝の上に乗り、ゴロゴロと喉を鳴らす。水宮さんは猫嫌いではなかったようで、人懐っこいニャルラを嬉しそうに撫でていた。
「変わった鳴き声やねぇ。『めー』・・・私ん娘と同じ名前やわ」
――来た。
水宮さんが懐かしそうに目を伏せるのを見て、私は目を輝かせた。彼女は細い腕で車椅子を動かして床頭台に飾ってある写真立てを掴み、私に見せる。
「ありがとうございます。娘さん・・・ってことは、花梨ちゃんのお母さんですか」
「花梨ん母親は姉ん天で、めいは妹ん方・・・こん子ばい。命と書いて『命』」
そこに映っているのは3人の家族――今と違ってパーマをかけている若かりし頃の水宮春美さんと、同じ学校の制服を着た姉妹が母の前に並び、笑顔を浮かべていた。
「お父しゃんは天が12、命が11ん時に癌で亡くなったとよ。こん写真は命が高校に入学した時に3人で撮ったと」
「そうでしたか・・・」
「に・・・」
ふとニャルラを見ると、瞳孔を開いて写真を見つめていた。ヒゲも前を向いているので興奮――というよりは感動しているのだろうか。
――つまりこの写真は30年以上前に撮られたやつか。水宮さんが指を差した方が妹の命ちゃんで、背が高い方が花梨ちゃんのお母さん・・・姉の天(恐らくこの漢字)さんと。
「・・・命さん可愛いですね。それに・・・水宮さん滅茶苦茶綺麗じゃないですか!最初お顔見た時も予想より全然若々しくてめっちゃ驚きました」
「やだ!私もう72ばい」
「え・・・えぇ!?てっきり60代かと・・・肌とか髪もめっちゃ綺麗じゃないですか!」
「そげんこと言うてくれるんあんたくらいばい。ありがとね」
心から褒めまくる演技で、水宮さんの心の壁を下げることを試みる。人の心を開くにはこれが一番手っ取り早い。案の定、水宮さんは過剰な褒めに頬を赤く染めた。
「めー」
「めーも若くて綺麗って言ってますよ!」
「ほんなこつ?褒めたっちゃ何も出らんばい。命もお友達に私ば紹介する度に自慢して・・・恥ずかしかったわ」
紅茶があるけど飲む?と水宮さんは車椅子を動かして杖を取り、立ち上がってキッチンに移動し始めた。
「うえっ!?」
「にー!?」
――あ、歩けたの!?
ついギョッと目を剥いてしまう。慌てて手伝おうとすると、「よかけんよかけん」と断られた。水宮さん・・・何て若々しい人なんだ。もっとシワシワ寝たきり要介護のお婆ちゃんかと思った。
あえて水宮さんの歩行状態については触れず、私は紙袋を持って水宮さんの横に立つ。
「あの・・・ここに来る前にケーキを買ってきました。良ければどうぞ。めーが選んでくれたんですよ」
「まー。そげんことしぇんでも良かったとにー。ありがとう」
――ふー。折角買ったケーキが無駄にならず済んだ・・・。渡せてよかったぁー。
私が箱を空けてケーキを見せた瞬間、水宮さんの笑顔が驚いた表情に変わった。それも――恐怖に近い驚きである。
「・・・・・・こんケーキ、誰が選んでくれたと?」
「っえ。1つは私が自分用に選んで・・・残りの3つはめーが選んでくれました。最初は水宮さんの分だけでいいじゃんって思ったんですけど、どうしても3つ買いたいって聞かなくて」
「ほんっ、ほんなこつ?天や花梨に聞いたんやなかと?」
「ほ、ほんなこつ・・・です。あの、何かマズかったですかね」
咎めるようにニャルラを指差すと、水宮さんは杖を手放してふらふらとニャルラの前に膝をついた。
「めーちゃん・・・あんた、何で・・・私が好いとったケーキが分かったと?」
「めー!めー!」
ニャルラはここぞとばかりに写真立てを銜えて水宮さんの前に持ってくる。命ちゃんの顔を必死に肉球で叩き、めーと鳴き続ける姿は――誰がどう見ても『私は水宮命』だとアピールしているようなものだった。
――これは・・・乗っからないとだな。
今から水宮さんに、ニャルラの正体が水宮命ちゃんだということを信じてもらうための手助けを行う。これから私が言うことは、事前にニャルラから聞いた水宮命ちゃんについての情報と実際の経験を元に組み立てた、完全でっち上げストーリーである。
「めーは去年保護した猫なんですけど・・・凄い賢い子なんです。まるで私達の言葉を理解しているかのような言動を度々見せてきました。天婦羅・・・特にごぼう天に目がなくて、『福分』のワードを聞くと狂ったように鳴き出すんです。それも福分博物館と、この国で最も広いテーマパーク――『ホームテンボス』のニュースが流れた時は特に」
「・・・」
水宮さんは驚いて呆然自失していた。私はケーキをキッチンのワークトップの上に置き、心を鬼にして続ける。こんな突拍子もない話が現実に起こっているということを理解してもらうために。
「私は・・・めーは福分に行きたいのかなと思い、福分の地図を用意しました。するとめーは迷わず『戸房』を抑えて鳴いたんです。だから今日戸房に来て、めーの案内の元マンション・・・『レジデンス戸房』の3階まで来たんですけど、どうやらめーが会いたがっていた人じゃなかったみたいで。その人から偶然、前の住民である水宮さんの名前を聞けたことでめーが反応して、ようやくめーが会いたがっていた人が水宮春美さんって人だと分かったんです。そこから水宮さんのお孫さん・・・花梨ちゃんに偶然会って、軽く事情を説明してこの場所を教えてもらいました」
ここまで来た経緯を説明すると、正気に戻った水宮さんは震える手でニャルラを抱いた。
「・・・命は、命は福分博物館がばり好きで・・・あん子ん誕生日は毎年そこしゃ行っとった。たまにはテーマパークにでも連れてこう思うて、あん子が17歳ん時連れて行ったっちゃけど、命は・・・『ホームテンボスもばり楽しかった。ばってん、やっぱり博物館行った後、『平地』のごぼう天うどん食べる方がよか』って・・・こげんことになるなら、最後にあん子がほんなこつ行きたか場所に連れて行っちゃれば・・・」
「めー!めー!」
「めーはきっと、『そんなことない』って言いたいんだと思います。私も今日この仮説に至ったんですけど、水宮さんは輪廻転生――貴女の娘さんが時を経て、生前の記憶を持ったまま黒猫として生き返ったという話を・・・信じて、くれますか」
「そげん・・・そげな話・・・」
――くそっ。あともう一息か・・・。
水宮さんが床に蹲るのを見て歯噛みする。やはりこの話をすんなり信じるのは難しいか・・・。それに、水宮さんの精神状態も心配だ。私は年齢に見合わず若々しい彼女が、去年からこの施設に入居した経緯を知らない。今ここで誰かが入ってきてこの場を目の当たりにすれば一巻の終わりだ。
「めー!」
いつでも抑えられるよう扉に背をつけると、ニャルラは部屋の奥へと走り、『何か』を銜えて戻る。そして水宮さんはニャルラと自分の前に落ちた『何か』を交互に見ているようだった。
「・・・」
「めー」
――何だ・・・?大丈夫かな。
水宮さんの体が邪魔で、私の位置からではニャルラが持ってきた『何か』が判別できない。彼女の様子を確認しようと近づいた瞬間――
「命・・・あんた命なんね?今までどこ行っとったと!こげん姿になって・・・!私はまだ・・・心んどっかで信じとったとよ。どげん姿であれ、命が戻ってくるとばずっと待っとった。それば荷物だけほっぽかて消えて!神隠しにあって!自分ん体はどこやったと!」
――水宮さんは涙を流しながら怒り、ニャルラを強く抱きしめた。
「めー。めー」
「う・・・ううっ・・・命、命・・・っあああぁぁぁぁぁぁっ・・・。生きて・・・帰って、きてっ良かった・・・っう、うあぁぁぁぁぁぁぁ――」
「・・・良かった」
私は肩の力を抜く。作戦は無事成功したみたいだ。とりあえず今私がしなきゃいけないことは――彼女が落ち着くまでこの空間を守ることだ。誰の邪魔も入らないように。
――よし。あともうひと踏ん張りしますか。早くケーキ食べたいな。
抱き合って泣く1人と1匹に背を向けて、私は扉を横に引いた。




