第66話『幸生は意識を改める』
第66話『幸生は意識を改める』
あの時、彼が私の部屋で500万円を見たのは紛れもない事実だ。時間をかけてゆっくりと『あれは俺の見間違いで、全部気のせいだった』と思わせなくては。写真は消せても、篠木の記憶を消したワケじゃない。これから先、篠木の疑惑を払拭するためには・・・。
――もっと私が気を引き締めなくちゃ。誰にも悟られないよう、この秘密を一生隠して生きていくんだ。
「にー」
ニャルラが何を考えているか読めない目でこちらを見上げる。私は大丈夫という意味を込めて頷いた。
――大丈夫、大丈夫・・・。隠すのは、1人で背負うのは得意だ。いつも通りでいればいい。
ニャルラのことも、親に抱く感情も、私の中にある汚い部分も、全部全部無いように振る舞ってみせる。その為には――いつ誰に隠し事がバレてもいいように、言い訳の予防線を張っておかなくちゃ。今日帰ってすぐ、ニャルラと話し合って誤魔化しの材料を集めよう。備えあれば憂いなしだ。逆に今までが無警戒すぎだったのかもしれない。
未だに毎日100万円が届くことが信じられなくて、いつか消える幻だと思っている節がある。他人事に思っていたけど・・・今回問い詰められたことで学んだ。これからはもっと、自分は大金を所持していると意識していかなきゃいけない。
――出来れば皆には私の、綺麗な所だけを見ててほしいからね。
「お待たせ。そろそろ出ようか?」
「・・・あぁ」
未だ釈然としない様子の篠木を放置して会計をする。最後まであの店員さんが出てくることは無かった。可哀想に・・・。まぁこれも一つの経験ってことで。
――お金と言えば、そうだ。念書が破棄されたなら早くしおさんから貰ったお金返さないと・・・。
「篠木。片井先輩のRICH持ってる?」
私は先に店を出て階段を降りようとしている篠木を呼び止めた。
「あ゙?」
「念書読んだなら知ってると思うんだけど、私しおさんからお金貰っちゃったんだよね。だから早いとこ返しに行かないと。また次会えた時でいいやーって思い始めてもう大分経つし。サクッと連絡・・・」
「何だそれ」
「え?念書破棄してくれたんだよね?」
「内容は知らねぇ。読まずに破り捨てた」
「えぇ・・・ヤギか君は」
階段を降りている途中、いくらもらったんだと聞かれた。あまり大っぴらに言いたくなかったので、私は篠木の背中に追いつき後ろから――
「――30万円」
――と、耳元で囁いた。すると、篠木が急に立ち止まったので危うくぶつかりそうになる。
――おわ、あぶなっ。
ギリギリのところで転回し、そのまま篠木を追い越して下に降りる。
「金額が金額だからさー。早いとこ返したいんだよね。だからこっちからコンタクトを・・・篠木?」
一向に反応がないので振り向こうとした瞬間、ガッと後頭部を掴まれて固定された。
「・・・見んな」
「えっ。なになにどしたの」
「っとにお前は・・・!」
「痛っ!いい痛い痛い頭頭!わ、分かった後ろ向かないから!」
懇願の末、漸く離してもらえた。あ、頭が・・・禿げたらどうしてくれるんだこの野郎。痛む頭を押さえて日影に避難する。リュックから日傘を取り出して差した。お昼前まで雨が降っていたのが嘘みたいな晴れっぷりに辟易する。相変わらず佐古は晴れの日が多いな。
「それじゃあまたね」
「・・・自転車じゃねぇの」
「午前中雨降ってたから今日はバスで来た。篠木はバイク?」
「んなクソ暑ィ中バイク乗れるワケねーだろ」
――そういうもんなのか。ライダーも楽じゃないんだな。
車だよと舌打ちと共に言われて納得する。篠木も夏の暑さにうんざりしているみたいだ。私は軽く手を振って篠木に背を向けて一歩足を踏み出そうとしたが、日傘が後ろに引っ張られて一向に前へと進めない。
――おわっ。何だ何だ?
手を離して振り向くと、篠木が私の日傘をつまんで額に青筋を立てていた。
「お前まさか歩いて帰る気かよ」
「うん。そこまで遠くないし」
「俺車で来てんだぞ」
「・・・?」
意味が分からないという顔をすると、彼は大きな溜息をついて駐車場へと歩き出した――私の日傘を閉じながら。
「えっいやいや日傘返して!私を紫外線攻めの刑に処す気?」
「返してほしけりゃ大人しく乗れ」
「え。それは申し訳な」「あ゙ぁ?」「お邪魔します・・・」
凄みに屈した私は、大人しく篠木の(恐らく覇弦さんと共有している)車の助手席に座る。日影に駐車していても車内はムッとした空気で充満していた。私はシートベルトを締め、返ってきた日傘をリュックの中にしまう。その間、隣の視線が非常に痛かった。恐る恐る運転席の方を見ると、ハンドルにもたれかかった篠木と目が合った。
「幸生・・・お前、綺麗になったよな」
思わぬ方向からの褒めに瞠目する。
「それはどうも・・・」
「肌ツヤも良くなったし」
思わずさっと顔を隠す。
――フォトとエステとスキンケアの効果だろうか・・・見られてるって意識すると駄目だな。見ないでって思っちゃう。
「何か良い香りするし」
「香り?」
自分では分からず腕を鼻に近づけると、微かにバニラの甘い香りがした。
――脱毛サロンの人にオススメされた高級柔軟剤が思いのほかいい香りで・・・今月から使い始めたんだった。
「髪も・・・こんなサラッサラだったか?」
「そっ!うかな・・・トリートメント変えたからとか?」
髪が彼の手で梳かれる感触に背中が跳ねる。顔を背けたため篠木が触りやすくなってしまった。
――髪質改善トリートメント受けたからかな。それに、シャワー上がりに使ってる洗い流さないトリートメントもいいやつ使い始めたんだっけ。
「俺がステーキ2枚頼んだ時も、お前は食う量に驚くばかりで、金額について全く触れなかった。昔の幸生なら自分が奢るってなった時、牛丼かファミレスが関の山だ。それか近所の定食屋・・・おおいてとかな」
「・・・」
その通り過ぎて何も言えない。冷房が効き始めた車内にドアのロックがかかる音が響いた。
「なぁ幸生・・・お前、最近金回り良すぎねぇか?」
背後で投げかけられた問いにギクリと体が固まる。私は身をよじって篠木の手から逃れた。
「逆にこう考えてみよう。今までが金回り悪すぎじゃなかった?」
「それはそうだな。けど俺は確かに――お前の部屋に札束があったのを見たんだ。ご丁寧に紙帯テープ巻いてな。触って数えたわけじゃねぇが、厚み的に恐らく100万円だと思う」
「そんなこと言われても・・・こっちとしてはそんなの知らないとしか言いようがないよ。それがトートバッグに5束入ってたってこと?」
「家帰って見てみろよ。まだそこに500万円入ってるんじゃね?」
「篠木・・・さっき自分で忘れろって言ってたよね?」
しっかり彼の目を見て、挑むように質問を質問で返す。
「私の家にそんな大金ないよ。しかも剥き出しでしまうワケないじゃん。そんなに気になるんだったら、もう一度見に来る?」
「・・・」
篠木は険しい顔をするだけで何も言わない。そりゃそうだ。証拠がない以上見間違いで片づけられる。このままとどめを刺そう。
「私が貯金しているのは、いつか親に学費を返すためなんだ。本当は自分で払うつもりだったんだけど、父さんが出してくれて。今まで節制してきたのは、その目標があったからなんだ」
「・・・『あった』?」
「うん。この前電話で、プレゼントなんて買わなくていいって言われてさ・・・『いらない』『迷惑だ』って」
またあの時の悲しみが再発しかけるのをグッと堪える。お願いだから出てこないで。もう過ぎたことじゃないか。
「お父さんもお母さんも、私の為に言ってくれたんだって分かってる。あまり無理するな。私が元気ならそれでいいっていうメッセージが隠れていることも・・・頭では理解してる。ちょっと口調がきついだけで・・・本当は優しい人達なんだ。なのに電話の後、涙が止まらなくて・・・変だよね。誕生日とか、父の日や母の日にプレゼントを選ぶ時間とお金が浮いたのに」
ヘッドレストに頭を預け、遠い目で薄暗い駐車場を見つめる。日向の道は夏の太陽に照らされて熱そうだ。
「・・・変じゃない。正直、疑ってた。軽く話しすぎだろ。お前にとって親に迷惑って言われたのは――数時間泣き続けるくらいショックだったんだろ」
「・・・そうだね。喜んでほしかったんだけど・・・方法を間違えたよ」
篠木はじっと私の顔を見る。私も負けじと見つめ返すが、1秒が限界だった。
「1年かけて生活費とは別に150万円貯めて・・・5月頃、さぁこれから少しづつ返していこう!って思って振り込んだら、この前と同じ感じで怒られた。ならプレゼントならいいでしょって考えで贈ったんだから・・・怒られるのは当然なんだけど」
「先々月もああやって泣いてたのかよ。いつだ?」
「覚えてない。というかそれは過ぎた話だからいいじゃん」
――5月に親と電話したのは事実だから問題ない。その話は全くしてないけど。
「このことは誰にも言わないで。篠木にしか言ってないんだ・・・お願い」
――これは篠木の為だけに作った嘘の設定だ。どうかこの設定を他の人にも使うことになりませんように。
自分でも分かるくらい弱弱しい声になってしまったのは、彼に嘘をつく罪悪感か、こんな嘘を突貫で組み上げてしまう自分に恐怖を抱いているのか――最早分からなくなってしまっていた。
スチールラックに引っ掛けているトートバッグは、幸生とはるま(当時小学5年生)の2ショットがプリントされた世界に1つしかないオリジナルグッズです。幸生が11歳の誕生日にはるまがプレゼントしたものですが、あげた本人は忘れています。実家から持ってきて飾ったのはいいものの、ちょっと恥ずかしいので普段は裏にしています。




