第57話『小野光はるま』
第57話『小野光はるま』
前から、後ろから、横から、誰かが鼻をすする音が聞こえる。私は視線をスクリーンから観客に移した。ある人は極力声を出さないよう、ハンカチで口を押え、静かに涙を流していた。またある人は手を強く握りしめ、泣くのを必死に堪えていた。
『何で・・・僕じゃないんだ。どうして僕が生きて、この景色を見ているんだよ・・・ソニアが、ソニアがここにいなきゃ、何の意味も・・・!』
サンダー国独立式を終え、自由を手にした国民が活気に包まれている。そんな中、主人公ガルは寝に帰るだけの自室で一人、かつての主であるソニアを想って泣いていた。
報復を糧に生きてきたガルに待っているものは笑顔ではなかった。跪き、どうしてと喚き絶望する姿は哀れで、酷く滑稽に見えた。それでも演技に吞まれた観客達は、復讐者が抱く感情に涙する。私は足を組み、冷めた目で彼の慟哭を眺めていた。
横目でニャルラを見ると、座面が畳まれた劇場用椅子の上に乗りじっとスクリーンを見据えていた。よく見ると尻尾が膨らんでおり、瞳孔が細い。
――何でそんな不機嫌そうなんだろう。ニャルラもガルに同情してるのかな。
シーンが変わり、エピローグに入った。生きる意味を失ったガルが次に行うことはただ一つ。作者は最初から最後まで、主人公に慈悲を与えなかった。
サンダーソニアの花畑で、汚れた青年は目を閉じる。2人が笑いあう未来を夢見て。彼は銃を構え、胸の中にある無念と憎しみを撃ち抜いた。
映画が終わり、エンドロールが流れたタイミングで席を立つ。本当は最後まで見る派だけど、ニャルラと話したかったので今回はそっちを優先した。スマホの電源を入れて、ニャルラに気の抜けた声で話す。
「映画凄かったねー。セットとか、あと役者の演技力とか」
「にー」
「話も面白かったし・・・って、この作品を果たして面白いの一言で片づけていいものか」
「にー」
「終始不満げだったけど何で?ハッピーエンドじゃないのが不満だった?」
『ピポピポーン』
「恋愛と復讐は混ぜるな危険だよ。バットエンドはバットエンドでも、大分マシな方というか・・・綺麗な感じにしてくれたと思うよ。そこは作者の慈悲だね」
ニャルラは依然尻尾を床に叩きつけ、耳を後ろに寝かせていた。何で観たんだ。
「私は別に、良かったと思うけどな・・・泣けなかったけど。可哀想よりも愚かだなって思った。やっぱり紅さんの作品に登場する人物は、全員等しく愚かだ」
サンソニの原作者は紅赦。人間の愚かさを題材とした作品を数多く手掛けている。知る人ぞ知る小説家だ。
「たまたまテレビで流れてるのを見たんだけど、ペンネームの由来は氏名を音読みすると『グシャ』になる漢字を当てはめたんだって。最初は『愚者』が良かったらしいんだけど友人に反対されたらしい」
それを知った時は関心したが、ニャルラはそうでもないようだった。その証拠に大きな欠伸をし、出口へと歩き始めていた。
「ニャルラは私が家で紅さんの作品を読んでいる時だけ、執拗に邪魔するよね。あれ何で?」
嫌いなのかな。
「にー」
ニャルラは私の問いかけに鳴き声だけで返し、何処かへと行ってしまった。数泊後、上映が終わった部屋から人が続々と出てくる。溜息をついた後、緑茶のカップをゴミ箱に捨ててトイレに向かった。
(=^・・^=)
はるまと合流した後、フードコートで遅めの昼ご飯を食べた。私はたこ焼きではるまはラーメン。しかし、はるまは箸を割るなりチャーシューとメンマを私のたこ焼きの上にのっけた。
「おーーーい!」
「食ってや」
「食べるのは良いけど!醤油ラーメンの汁でひったひたになったチャーシューを揚げたこ焼きの上に置くな!」
私は先にソースと鰹節がくっついたラーメンの具を食べる。美味しいからいっか。
「はるまのラーメン半熟卵しかない・・・貧相だな。まだ豚肉食べれないんだ」
「別にええが。さっちん肉好きじゃろ」
はるまの無垢な瞳に呆れることしかできない。私は両手で顔を覆う。
「給食の時間、毎回はるまが私の器に自分の嫌いな食べ物押し付けられてきたのが懐かしいよ・・・」
「それな。さっちんが不味そうな肉じゃが食べんの見るの面白かったわ」
「はるまが不味くしたんだよ!牛肉と椎茸まみれにしてさぁ。自分は人参とジャガイモとグリーンピースでめっちゃ彩りよくしちゃって!」
私も大概だが、はるまもかなりの偏食家だ。魚介類は匂いが嫌い、牛肉と豚肉は味が嫌い、野菜は苦い、菌類は見た目が気持ちが悪いなど――逆にお前は何を食べて生きているんだとツッコまれる場面を飽きる程見てきた。はるまの好物は磯部餅と具が入っていないお稲荷さんである。学校の給食には出てきたことがなくて可哀想だった。
逆に私は激辛料理の他に炭水化物と、ご飯に合わない料理全般が好きじゃないのだが、それはまた別のお話。
お礼にたこ焼きを1つあげると、はるまは中をほじくって発掘したたこを私に返してきた。はるまは『焼き』の部分を美味しそうに頬張っている。
「食感かぁ・・・」
「うん。ゴム食っとるみたいで嫌じゃね?」
はるまと一緒にいればいる程、このように耳を疑うような話が増えて困る。
(=^・・^=)
生活雑貨などを取り扱っているチェーンストア『ハンズロフト』にて。私は覇弦さんのプレゼントを探していた――はるまの猛攻をかわしながら。
「安井君の写真ないん?彼女おらんの?イケメン?身長何センチ?芸能人じゃったら誰に似とる?」
覇弦さんとの関係を話すのが面倒なので、安井君に誕生日プレゼントを買うと嘘をついたら思いのほか食いつかれた。
「ないない。イケメンで自動販売機より低くて、誰似かもよく分かんない」
「何でないん!」
「ただのサークル仲間だし・・・はるまは私が映画観てる間何してたの」
「ぶらぶらしとった。服屋行ったり、CDショップ行ったり。5階のガチャポンコーナーで成愛ちゃんに会ったで」
「ぶらぶらする場所が私と全然違ってて草だなぁ」
――私だったら本屋と文房具屋にあるスミックマコーナーだな。
「さっき成愛ちゃんに会ったで」
「そっか。これにしよ。どっちの香りが良いと思う?」
2つの試供品を見せると、はるまは私の両腕にスプレーを吹きかけた。
「それ衣類用!肌にかけるものじゃない!」
「うーん。こっちがいい」
「いやどっちよ」
はるまは私の腕の匂いを交互に嗅いで、最終的に右腕を上げた。
覇弦さんにはスプレーするだけで服が冷たくなる衣類用スプレーを買った。これからどんどん暑くなるし、使ってくれるといいけど。
「お待たせ」
「さっき成愛ちゃんに会ったで」
ラッピングされた品を受け取り、はるまの元へ戻るとまた同じ話をされた。私はあえて誤魔化す。
「喉乾いてきたなぁー」
「成愛ちゃんさっちんにめっちゃ似とったで」
「どうする?どこかでお茶飲む?」
「あっ成愛ちゃん」
「ふぶおわあああどこどこどこ」
「おらんよ」
肩が大きく跳ね、すぐに周囲を見渡すが成愛らしき人はどこにもいなかった。嘘かよ!!
「まだ2人共仲悪いん。姉妹じゃろ」
「悪いんじゃなくて互いに無関心なだけで・・・」
「いつから話してないん」
「かれこれ5年は経ったかな」
「なっが!もうそんな経つん!?」
エスカレーターに乗ると、はるまが私の肩に肘を置いてきた。重い・・・。
「年取ったね。あ、はるまも20歳おめでとう」
「また1歩死に近づいたわ」
「頼むから転げ落ちたりしないでね」
「落ちる時はさっちんも一緒よ」
「落ちんなって言ってる!」
無事エスカレーターを降りると、スタリに行く前にはるまはトイレに行った。
『Starry's Coffee』略してスタリは全国にある喫茶店チェーンだ。コーヒーは勿論、フードや内装、インテリアにも拘っているのが特徴で、私もよく友達に誘われて期間限定ドリンクを飲みに行くことがある。少々値とカロリーが張るので自分からは行かないが。加えてここを利用する人々はお洒落な陽キャかイケてる社会人ばかりなので、私にとってスタリは敷居が高い。店員さんもお洒落だし。
――期間限定の黒豆乳フラッテにしようか・・・でも、あったかいソイキャラメルマキアートもいいな。冷感スプレーで冷えた肌を温めるにはちょうどいい。どっちにしようか・・・。
店の横に設置してあるメニューボードに夢中になっていた私は、誰かに見られていることにすら気づけないでいた。
「どーせ安い方頼むんだろ」
至近距離から声が聞こえ、反射的に肩がビクッと跳ねる。
「びっ・・・くりした。篠木、何でここに」
振り向くと、久しぶりの篠木が無言で固まっていた。首にかけてるネックレスでっか。重くないんかな。
「お、おーい。無視かガン見のどっちか止めてくれないかな」
暫く篠木と目を合わせていると、彼の顔はみるみるうちに真っ赤になっていた。
――あ、そっか。
そこでようやく、私は今日は眼鏡ではなく、コンタクトにしていることを思い出した。メイクと髪のセットもいつもの倍時間をかけて、はるまの要求に応えたのだ。




