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100万円を置いた猫  作者: 椋木美都


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 第36話『キーマンはまさかの』

第36話『キーマンはまさかの』 


リュックについてある背面直結ファスナーを下ろし、ボールペンの末端についてあるキャップを軽く押し込んだ。そのまま財布を取り出す。


「まだ話し足りないんじゃけど」


まだあるんかい!


「ま、まぁまた機会があれば・・・?」


「お前はどの立場なん」


ですよね。私も言ってて疑問に思いました。


お金・・・と財布を開くと、案の定無言で先輩に睨まれた。申し訳なさそうな顔で財布をしまう。


浦本先輩がしおさんを抑えている隙に、そそくさと出口へ向かった。カフェ店員にしてはガタイのいい方々に会釈をするのも忘れずに。


()()()()


()()()()()()()()は私に教えていなかったはずの苗字をいきなり呼ばれ、予想通りぎょっとした顔をしていた。


――全部知っているのが自分だけとは思わないことだね。


「お兄さんによろしくお伝えください」


そう言って、私は店を出た瞬間猛ダッシュする。一刻も早く、遠くへ行かなければ


――家も行動範囲も割れてるだろうけど、今は走れ!私の身の安全が保障される場所へ!


(=^・・^=)

片井先輩告白事件の次の日、私は学生相談室の扉を叩いた。現在始業時間1時間前だが、私の予想通り熊本先生は在籍していた。仕事中のようだったが、構わず声をかける。


「失礼します!おはようございます」


「沖谷さんおはよー。早いね」


「先生こそ。というか、私が来ると思って早く来てくれたんじゃないんですか?」


「よく分かってるじゃないか」


熊本先生は顔を上げて、気の抜けた笑みをこちらに向ける。駄目だ。私天邪鬼だから先生見てるとカリカリしちゃう。


黙って椅子に座り、昨日起きた事件について一通り説明し終えた後、頭を下げた。


「お願いします。先生が私に浦本先輩宛ての伝言を頼んだのも、水面下で動く何かを知っていたからですよね」


――どうして何でも知っている素振りを見せるのかなんてどうでもいい。私は・・・。


「これから何をすればいいんですか。どうすれば、普通の・・・小さじ一杯分の可不がある生活を送ることが出来ますか・・・教えて下さい」


「何もしなくていいよー」


「えっ。いや、そんな。それは」


――単純に私じゃ役不足なのか。それとも、もう何をやっても私が不幸になることは変えられない・・・?


予想外の返答に、大きく肩が跳ねた。先生は感心したように頷く。


「沖谷さんが自ら進んでそれを望むようになるとは。どういった心境の変化?落ちた瞬間悟りでも開いた?」


「確かに、前の私だったらどんな不幸に当たろうとも、気にせず限界まで突き進んでましたけど。もう今は違うんです。そんな私を見てくれる存在もいるということを知ったので」


「やーっと分かってくれたかぁ」


「いや、先生のことじゃ・・・まぁ、先生も含むっちゃ含むか。いつもありがとうございます。」


ずっと死ぬ理由を探していた。けれど、いつも理由より恐怖の方が勝ってしまう。どれだけ私の心と体が痛めつけられようと、生の欲求には敵わなかった。


「私このままだと、片井先輩のファンに刺されます。しかもその中に友達もいるし・・・。佐古大の女子生徒半数から目の敵にされるなんて耐えられません。飛び降りるしかない・・・先輩は、どうして私なんかを」


「普通に沖谷さんがタイプだったからじゃないの?」


「なわけ・・・ですよ」


「自己評価が低いのはよろしくないなぁ。沖谷さんはちゃんと可愛いよ?」


「ども。それで、雑用でもお使いでもやります。何かアドバイスを下さい!」


「そんなあっさり流されるとちょっと・・・中身は可愛くないなぁ」


失敬な。冗談本気問わず色んな人から言われ慣れてることは否定しないけど。先生は口をへの字に曲げるも、ちゃっかり仕事を振った。


「それならこれ、やってくれない?卒業論文用のアンケートなんだけど」


「分かりました。4年生になったら、私もしなくちゃいけないんですよね・・・」


「この時期にデータ集めまで進んでいるのはかなり進みが早い方だよ。それに調査はアンケートだけじゃないから。沖谷さんの研究に合った調査方法をすればいいよ」


先生から渡されたボールペンで、当てはまる選択肢にチェックをつけていく。


「・・・これ、アンケートというよりは心理テストっぽいですね。何の論文に使うんですか」


「確か題目は『メサイアコンプレックスと性悪コンプレックスの因果性』」


もし私の握力が80あったら、ここで高そうなボールペンをへし折っていた。


「どうりでいやらしい質問ばかりだと思った・・・だからこの前私の方見たんですか」


「沖谷さんこそ、この論文の裏付けに必要な素材だと思って。つい」


えへへと笑うが、子太りのおっさんが可愛い子ぶっても私には刺さらない。


「はぁ・・・終わりました。最後の方にあった自由回答、正直に書きましたけど大丈夫ですかコレ。後でカウンセラーとか寄こしませんよね。いや、心の治療が必要なのはこれをテーマにした先輩の方か・・・?」


「一体何を書いたんだい・・・ま、沖谷さんが望まないことはしなーいよ。その論文も、内容は至って普通だし」


紙とボールペンを返すが、先生は紙だけを回収した。


「お詫びといってはなんなん。だけど、それあげるよ。沖谷さんもこういうちゃんとしたやつ、一本は持っておいた方がいいよ」


「え。でも、このボールペン、何か高級そうですよ」


急にそんなことを言われても。と狼狽える私に背を向け、先生はすぐに振り返った――両手を胸の前でクロスし、指の隙間に同じボールペンを挟んだ状態で。


「同じのいっぱい持ってるから遠慮しなーいで」


「いや持ちすぎでしょ」


適度な重量がかかるそれをまじまじと見る。一体いくらなんだろう。それだけが気になった。


「心配しなくても、沖谷さんの味方は沢山いるよ。そういう意味での『何もしなくていい』だ。それに沖谷さん・・・君なら空気を読んで、正しい選択が出来るって信じているよ」


――『君が頑張れば、全部いいようになるんだから。沖谷さんもファイト!』って鼓舞されたけど・・・はっきりしたことは何も言ってくれなかったな。


昼休み、私は保衣不にSIG部屋に行くと嘘をついて8階に向かった。SIG部屋も8階にあるが、目的地はその奥にある生徒の学習と交流を目的とした空間『スチューデントコモンズ』略してスチュコモ(ななちゃんが命名)だった。オープンキャンパスで経営学部のメイン会場にも使用された部屋である。


――確か今日の3限、経営学部の3年生は殆どこのフロアにいるハズ・・・。まずは一番大きな部屋から攻めていこう。SIGの先輩がいてくれたらいいんだけど。


そう期待をこめて中を覗こうとした瞬間、後ろから肩を叩かれた。


「イイーッ!」


鼻から甲高い声が出る。振り向くと、島永君が肩を震わせて笑っていた。


「何すかそのハミング・・・。本当に脅かしがいがありますね」


「わざとかい!やめてよマジでびっくりした・・・」


目立つ前に島永君とSIG部屋に避難する。水筒のお茶を飲んで一息ついていると、案の定島永君に私がここにいた理由を聞かれた。


「片井先輩に用事があったんだよ。島永君は?」


「俺は4限まで暇なんでSIG部屋に」


「そっか。じゃあ私は片井先輩探しの旅に出るよ。またね」


「・・・そんなことしなくていいですよ」


「え?」


聞き返すと、島永君は机にノートPCとボールペンを置いた。高級感漂うデザインが目を引く、黒のノック式ボールペン。それは今朝、私が熊本先生から貰ったものと全く同じだった。


「テディ先生に言われたんでしょ?『沖谷さんは何もしなくていい』って」


「テディ先生?」


「俺らの間ではそう呼んでます。あの先生、何となくテディベアっぽいじゃないっすか。全体的にデカくて柔らかそうだし。本人公認っすよ」


熊本先生が生徒達に各々好きなあだ名で呼ばれていることは知っている。それを先生が笑って受け入れるもんだから、威厳も何もあったもんじゃない。朗らかな笑みは、来るもの全てを優しく包みこんで油断させるような力を持っていると思う。まるでいつも傍で持ち主の眠りを見守っているぬいぐるみのような安心感。そんな雰囲気が先生から感じられる。私も去年飛び降りて怒られるまでは、優しそうな先生という印象を抱いていた。


それでもあの先生は隠している――糸目の奥に宿る利己的で、冷酷無情な本性を。説教中、先生が一瞬だけ見せたその感情を、私は一生忘れない。


「確かに苗字に熊が入ってるけど、あの先生はどちらかというと・・・じゃなくて。どうして島永君がその台詞を知っているの」


「俺が話したからっすね。テディ先生に『このままだと幸生先輩が片井兄妹の所為で不幸な目に合う』って」


「何で知ってんの!?」


 まさか島永君が関わっているとは思わず、衝撃的事実の暴露に大きく肩が跳ねた。

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