第30話『熊本先生の頼みごと』
第30話『熊本先生の頼みごと』
「それは沖谷さんが一番よく分かっているんじゃないのかい?」
先生は笑顔で私の向かいに座り、顔の前で両手を組んだ。
「うーん・・・分かりません。分からないので、来週まで自分で考えてみますね。失礼しま・・・」
「もーホント良い根性してんだから・・・また飛び降りたでしょ。しかも今回は7階。何でやったのか、聞かせて?」
立ち上がりかけた体が固まる。やっぱり私は、この先生が苦手だ。
「それはですね、猫がいたんです。あの時は今にも落ちそうで、助けようとして飛びました」
「猫・・・けど、沖谷さんが飛んだ日ってOCがあったよね。何でそんな日の午前中にS5にいたの」
「それは私がSIGだからですね」
「ふーん・・・そんな理由で僕が納得すると思ってるの?いくら別学部とはいえ、OCの主な会場くらい把握してるよ」
先生は声のトーンを下げ、ティーカップに口をつけた。
――今の『ふーん』メチャ怖!やっぱ誤魔化せないか・・・でも、真実を話したところで、どうせ・・・。
「とにかく、コンビニ寄った時偶々猫を見つけて、追いかけてたらその猫7階まで上がっちゃって、助けようとしたら滑って私だけ落ちちゃったんです」
「分かったよ。沖谷さんの熱量に免じて、そういうことにしたげようじゃないか。一応先生として注意するけど、もう飛び降りちゃ駄目だよ。あのマットは安心させるために設置したんじゃない。4階と7階じゃ、飛び降りた後に負う怪我のリスクが違いすぎる。それに、100%安全を保障するものでもないんだ。二度とするなよ」
私は去年の10月、S5号館4階から落ちた。単純に風で飛ばされて木に引っかかった千円札を取るために身を乗り出したら、バランス崩してうっかり落ちただけなんだけど。
マットの上に着地した時は驚いたし、すぐに先生が飛んで来たことにも驚いた。説教の際、熊本先生から出た名言『千円落とした程度で大切な命を落とそうとするな』は一生忘れられない。今も昔も、自分に対しては超他人事な私である。
「分かりました。因みに、何で私があのマットの世話になったことを知ったんですか」
「そらそらー僕に隠れて危険な目に合う子がいるなんて・・・耐えられないからだよ!」
――理由になってない・・・大方、周囲にカメラでも仕掛けてあるんだろうな。
殊勝な態度を1秒で解き、胡乱気な目を先生に向ける。
「今月飛び降りたのは、私だけでしょうか」
「というか今年はまだ沖谷さんだけだね。それ以外の人物は今日まで一人もいなかったよ」
「そう、ですか・・・いいことですね」
――やっぱり、先生も駄目だったか・・・。『2人で飛び降りてたでしょ』といった発言を期待している自分がいたけど、そんな都合よくいかないよな。
「絶対そう思ってないでしょ。まだ何か隠してるの?」
密かに肩を落とすと、先生がムッとした顔でこう言った。ヤバ、とりあえず言っておこう感が外に出ちゃってたか。
「いえ。もう飛び降りたりしません。ご心配とご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「次やったらご両親に電話だねー」
「・・・」
「やっぱり沖谷さんにはこの手が一番効くね。でも、冗談じゃないから」
「・・・はい」
NGワードをぶっこまれ、慇懃無礼な態度が崩れる。心理学の先生って皆こんな感じなのかな。けれど、これで話は終わったハズだ。私は今度こそリュックを掴んで立ち上がった。
「失礼し」「あー待って待って」
チッ。
「ハイ」
「今心の中で舌打ちしなかった?」
「そんなわけないじゃないですか」
先生に舌打ちなんて・・・失敬な!
「ま、いっか。最後に1つ。僕の頼みを引き受けてもらえないかな」
「どうぞ」
――何だろう。他学部の生徒に何させる気なんだ・・・全く予想がつかない。怖い怖い怖い・・・。
「経営学部3年の浦本君って知ってる?浦本淳君」
「知りません!」
「そうなの?結構有名だけどな。確かgroovyって呼ばれてる・・・黒髪の方」
「あ・・・それは友達から聞いたことがあります。でも顔は・・・覚えてません」
必死に記憶を手繰り寄せるも、先生の笑顔に応えることは出来なかった。
「それなら仕方ないね。頑張って探してほしい。彼に伝言を頼みたくてさ」
学部同じなんだから会いやすいよね?と無言の圧を感じる。
「悪夢・・・」
「何か言ったかい?」
「いえ。分かりましたやります。その先輩に何を伝えれば・・・」
「ありがとー。『妹さんのことで話があるから相談室まで』って僕が言ってたって言っておいて。急ぎじゃないから、来週まででも構わない。必ず、彼一人にだけ伝えること」
「うらもと先輩に伝えたのに、本人が来なくても私はお咎め無しですよね」
念のため言質を取っておかなくては。この先生なら同罪にしかねない。
「ないない。八つ当たりなんてしなーいよ」
「・・・了解しました。経営学部3年のうらもと先輩に『妹さんのことで話があるから相談室に』って熊本先生が言ってたって伝えるんですね。先輩が一人でいる時に、勇気を出して探してみます」
groovy絡みなら由衣ちゃん巻き込も。発狂するだろうけど。失礼しますと言って扉を開けると、先生が人差し指を立てた。
「それと後も1個。『かたい』には気をつけて」
「かたい・・・?かたい?」
『た』の発音を上げ下げして疑問符を浮かべるが、先生は笑って手を振ったままだ。言葉の意図が分からないまま、学生相談室を後にした。
(=^・・^=)
「まぁ・・・探さずともすぐ会える気がするんだけど。君はどう思う?」
熊本は薄く目を開き、背後にいる誰かにそう呼びかけた。
(=^・・^=)
――ニャルラどっか行っちゃったな。説教が嫌で逃げたか。そういうところだけ私に似なくてもいいのに。
相談室があるのはR1号館。通称アールワンだ。教室やジム、学生課やPC室、コンビニもここにあるので、割と人の出入りが多い。この建物が佐古大のど真ん中に山を切り崩して建てられている。そのため、帰るには7階まで上がらないといけない。ちなみに学生相談室は2階。なんて不便な位置なんだ。
エレベーターが2階に止まる。中にはニャルラしかいなかった。
「なんでやねん・・・」
「にー」
一々ツッコんでいたらきりがないので、大人しくエレベーターの中に入る。私は行先ボタンを押さず、イヤホンをスマホに取り付けた。
「に?」
「私が押さなくても、誰かがボタンを押せばこのエレベーターは勝手に上に行く。それまでちょっと話そうか」
しゃがんで目線の差を縮める。私は怒った声で熱い飲物、特にカフェインが入っているものは猫に毒だということを話した。全部ネットの受け売りだけど。
「ニャルラが猫の姿をしている以上、私は基本君のことを猫だと思って接するよ。だから猫に与えてはいけないものとか、させてはいけないこともちょこちょこ調べてる」
他にも、座り方や仕草で今ニャルラがどんな気分、調子なのかなど。一応同居人として、同居猫のことは最低限理解しておきたい。
「ニャルラは猫じゃない。不思議な力が使える猫だ。だからこそ、普通の猫にとっての弱点に疎いんじゃないの?」
「に・・・」
ニャルラの瞳孔が開く。私はリュックの中から『猫の全てを知り尽くせ!』と書かれた本を取り出した。
「ニャルラを病院には連れていけない・・・多分。だからこそ、こんな本買っちゃうくらい大事にしたいし、心配もするんだ。猫は繊細で、弱い。ニャルラが私の言葉を理解しているからこそ言っておきたくて。って、本物の猫も飼ったことないのに何様なんだって話だけど」
「にー」
ニャルラが私の太ももにすり寄ってきた。これは・・・分かってくれたんだろうか。
「普通の猫を飼うのは大変そうだ・・・ニャルラでもこうなのに。私には無理だな」
『猫 ハーブ の 結果を表示します』
「ん?」
急にスマホが音声検索を始めた。画面を見ると、猫が食べてもいいハーブと駄目なハーブの一覧が表示されている。
「へぇー少量なら薬にもなるんだ・・・さっき熊本先生が出してたのはカモミールだっけ。これは毒じゃなかったんだ。ふーん・・・」
「にー!」
ニャルラの『ほれみたことか!』と言わんばかりのオーラを見て、額に怒りマークが生まれた。
「違うからね?ハーブとハーブティーは違うからね?まぁでも、今度ぬるくなったやつで試してみようか。折角ならこれから買いに行く?」
「にー」
耳から大喝采の効果音が流れる。そんなに飲みたかったのか・・・。家の近くでハーブティーを取り扱っているお店を調べていると、背後の扉が開いた。
「!?」
咄嗟に立ち上がるが、前を向く猶予は残されていなかった。
――私、鏡も張り紙もないエレベーターの中で後ろ向いてる変な奴だ・・・。しかも行先ボタンを押さないままで。
幸生「groovyってどっからきた通称ですか。友達も知らずに呼んでいるらしくて」
熊本「2人がよくいるクラブの店名らしいよ。行ってみたら?」
幸生「いや・・・まぁ、誰かに誘われたら」
熊本「あそこチャラ箱らしいから気をつけてね」
幸生「知ってんなら勧めないで下さいよ!それでも先生か!」




