第28話『ただの悪夢だったらよかった』
第28話『ただの悪夢だったらよかった』
自転車を漕ぎ、日が沈んだ佐古の町を進む。イヤホンは再び装着した。
「ニャルラは、古米さんのこと覚えてる?」
『にゃおーん』
「いやどっちよ。あの時古米さんに会った人間は皆、彼女のこと覚えてなかったんだ。何で?あれから軽く探したけど、荷物ごと消えちゃったし。いっそ幽霊オチの方が良かったよ。彼女に接した人が中途半端にいるから気味悪いんだ」
『ピヨピヨ』
「あともう1個、何故か階段に私のポニーフックが落ちてたんだよね。ポニーフックってさ、ヘアゴム・・・髪を結んだ部分に引っかけて使うアクセサリーのことなんだけど。普通に過ごしてて落とすわけないんだよね。7階からダイブしたときは外れなかったのに。装飾部分がとれちゃうとかはあるかもしれないけど。誰かが盗った・・・ら、気づくと思う。でも、わざわざこれを狙うことに何の意味があるんだろう。篠木から貰ったものなんだけど、実はこれに凄い価値があったとか?」
とうとうニャルラの反応が無くなってしまった。どう考えてもこの猫は事態の全容を把握している。詮索するか、忘れるか・・・悩むところだ。
「黙ってるってことは・・・私が知らなくてもいいことなの?それとも、私が知らない方が幸せなの?」
「にー」
「・・・分かったよ」
ニャルラが『もうこれ以上聞いてくれるな』と目で訴えているように感じた。彼女が今後どうなっていくのかは別の話。ということなのだろうか。
「それでももし、彼女のことで私に出来ることがあるなら・・・その時は動くから。教えてね」
私には関係ない。関係ないけど、このままっていうのも・・・釈然としない。ただ私が変な人になっただけだ。このままじゃ異色を放つSIG内で貴重な真人間という立場が危うい。
家に帰ると、1か月ぶりだからか、ニャルラはソワソワと部屋の中を歩き回っていた。ご飯と水を用意して、そっとニャルラの頭を撫でる。
「おかえり、ニャルラ」
「にー」
夢中で猫缶を食す黒猫を見つめながら、どうやって佐古に帰ってきたんだろうとか、ご飯はどうしてたんだろう。というか体全然汚くないな・・・など、次々と浮上する怪現象ポイントに冷や汗を流した。
お互い夕ご飯を食べ終え、ニャルラはベッド、私は風呂掃除に向かった。
「わーーーっ!!」
「ニ!」
目の前の光景が信じられなくて、シンクに寄りかかる。足元にニャルラが寄ってきたので、私は――
「はぁ!?何これーー!?さつっ!札束風呂じゃん!」
――震える声で説明を求めた。
「うっそだろ・・・」
「にーにー」
前回のあらすじ!風呂の扉を開けると、浴槽が一万円札で埋まっていたヨ!これから私、どうなっちゃうのー?
「いやホットどうなっちゃうの!?」
浴槽の縁に腰掛け、頭を抱える。まさかこのお金・・・。
「1000万もらった時もしかしてって思ったんだけど、まさかこのお金って私と会ってなかった日数分の100万円・・・?」
「にー」
ニャルラが『〇』の紙をくわえて戻ってきた。てか今どうやって鳴いたの。心意気?
「はぁ・・・まぁ、2か月来そうだったもんね。会わなくなってから・・・総額が怖いよ」
とりあえず着衣のまま入ってみた。
「・・・チクチクする。ニャルラも入りなよほらっ!(ガサガサッ!)」
「にーに!にーに!」
「水じゃないから平気だって!逃げるなー!」
人生初の札束風呂は入って2分で満足した。風呂は裸で入るものだけど、普通にやりたくなかった。やっぱりつかるのはお湯に限る。
ニャルラの一鳴きでサルベージしてもらった100万円は31束あった。リュックに入れたものと合わせて4100万円。綺麗に机の上に鎮座している。デスゲームの賞金か。
「いい加減考えないとヤバいな・・・」
「にー」
諭吉達にひざ掛けをかけて、私は電気を消した。
(=^・・^=)
変わりたいと思っていた。しかし、私は変わると言う自分を信用することが出来なかった。自分は何もできない。あの人に何回も言われた言葉だ。そう吐き捨てられる度胸の奥が一瞬痛み、体が鉛のように重たくなっていった。人格を否定されることに慣れて、振り下ろされる拳や蹴りは避けれるようになって、あえて母を不快な気分にさせられるようになって――できなくてもいい事ばかりができるようになった。
呪いの言葉を唱えても、厄介なクラスメイトはいなくなるか不幸な目に合うのに、本命には全く効かないのも嫌だった。ちなみにこの偶然は今も続いている。何故か私がいなくなればいいのにと思った人は2人を除いて私の前から姿を消している。距離が離れた、コミュニティから抜けただの理由は様々だ。
照明が落ちた部屋に、誰かが勉強机に突っ伏して震えている。ここは、実家にある1階の客間だ。まさか夢の中で過去の自分を見るハメになるとは。
高校1年の冬から、2階にあった私の部屋はお母さんに取られた。部屋にあった趣味のものは全て捨てられるか妹に回収された。机はリビングの隣の部屋に移動され、お母さんが映画を観ながらでも私を監視できるよう引き戸は常に開け放っていた。
そうなってしまったのも全部、私の成績が上がらなかった所為だ。雨戸が閉まっているため己の夜目だけが頼りだが、すぐに分かった。私は胸に怒りを貯める。
あの子は、この世の無常さに嘆いてただ泣いてばかりだった頃の私だ。光の遮断されたこの部屋で、家族の誰にも見られたくなくて、毎週枯れるまで涙を流した。
『アンタは何もできないんだから』そう言われたくない。抉られて傷つきながらも、結局その通りに成長した・・・とっくに決壊した心で、何もかもに憎しみを抱いていた『私』だ。
「う、っうぅ・・・はぁ・・・っ。痛い、痛い、辛い・・・っ、うえぇぇ・・・」
「大丈夫だよ」
「・・・ズッ。何、が?」
「色々。大学1年の2月になれば全部、大丈夫になるんだ」
「それは・・・お母さんがいなくなるか、昔の・・・怖くないお母さんに戻ってくれるってこと?」
「違う」
「じゃあ、大丈夫じゃないじゃん」
「そうだね。でも、大丈夫になるんだ。全てが好転するワケじゃないけど」
「・・・変わっで、いくの?」
「そうだね。結局、時間が何もかもを流してくれるんだ。良い悪い関係なくね。今の私は、無事自立を果たした・・・いや、学費はお父さんが払ってくれてるから自立じゃないね。ともかく私は、今の君より幸せに暮らせているよ。涙で染みた4畳の部屋から、目を腫らさなくていい8畳の部屋で。今は黒猫もいるんだ」
私は自分の目を指さす。『私』は顔を上げ、こちらを見た。顔に闇がかかっていてよく見えないけど、輪郭は目と鼻の位置は涙と鼻水でグショグショだった。汚っ。
「・・・でも私は消えないよ。大嫌いな私は」
「消さないよ。この記憶だけは忘れないと決めたんだ。薄れたりはするかもしれないけど」
「何でよ・・・この私は汚点でしょ?無力で嘘つきで最低で・・・不幸な目ばかりあってた」
「過ぎたことはしょーがないよ。君がいたから、今の幸せがあるんだ」
「私が幸せになるためには、あと2年も待たないといけないの」
「うん・・・ごめん」
「・・・嫌だ。そんなの。私は今こんなに苦しくて泣きたくないのに涙は出て、誰にも相談できなくて・・・!変えたいよ・・・やっぱり、変えなきゃ駄目だよ」
未成年に何ができるっていうんだ。さっき自分で無力って言ってただろうが。愚かな『私』に苛立ちが湧く。
こんな生活に耐えられなくて、高2の夏、意を決してお父さんに相談した。お父さんは毎日私より早くに家を出て、私が寝る頃に帰宅していた。そんな社畜生活でも休日は家族サービスや地域のボランティアを怠らなかった父親にこれ以上の負担をかけたくなかった。
でも、母に初めて首を絞められた日の夜、私は耐えきれずお父さんに全てを話した。お父さんが家にいない時に起こった出来事はほぼ把握していなかったので大層驚かれた。お母さんが話していなかったということは、私の机を勝手に漁ったことや、暴力や誹謗中傷、無断で私物を捨てたことに対して多少の後ろめたさがあったからだろうか。あの人なら得意のパッションで強引に正当化しそうではあるが。
チクったことに対する報復なんてどうでもよかった。話すことで、少しだけでもいい。救われたかった。軽くなりたかった。あわよくば私にとって良いように変わって欲しいと思っていた。けれど、ものごとは決まって私の期待通りにはいかない。
『そうか。知らなかった。サチがそんなことされてたなんて。気づいてやれなくて、すまなかった』
『こっちこそ・・・ごめん。仕事帰りなのに』
『いいんだ。しかし・・・はあ・・・』
『・・・ごめん。私も、もう限界で・・・』
『・・・頑張れ。お前が結果を残せば、こうならずに済む』
『え・・・お母さんの暴力、とかは・・・』
『悪口や暴力の件は俺からママに言っておく。だが、収まるかの保証は出来ない。俺も出来るだけ止めてやるから、それで我慢してくれ』




