第21話『沖谷幸生は再会する?』
第21話『沖谷幸生は再会する?』
現在時刻午前8時。丁度日が照って夜に冷えた空気が温まり、日影がどんどん減っていく時間帯。6月末ともなればこの時間でも随分熱くなってきた。
何で休日だというのにわざわざ汗を流してまで大学に行かなきゃならないんだ。バス通学に戻りたい。オープンキャンパスなんて全部リモートでいいのに。今日のイベントについてぐちぐちと悩んでいたが、元々悪態のボキャブラリーが貧弱な私はすぐに別のこと――ニャルラのことを考え出す。
ニャルラががいなくなって1か月半が経った。時は全てを流してくれる。変な夢も見ない、100万円もない、黒猫もいない朝を迎える生活も、次第に寂しくなくなってきた。
信号待ちのタイミングで水分補給をしようと思い、リュックのファスナーを開けておく。しかし停止する寸前で信号が青になった。仕方ない。このままスピードを緩めずに渡ってしまおう。ファスナーを閉めようと手を伸ばしたその時、リュックの中からニャルラが飛び出してきた。
「うわあっ!?」
反射的にブレーキをかける。横断歩道に前輪が乗った位置で急停車し、転倒しそうになるがすんでのところで態勢を保つ。
その瞬間、目の前を猛スピードで車が走り去っていった。
「っはああぁぁぁ・・・。え、いない。あれ?ニャルラ?」
中を漁るが、ニャルラの姿はない。着替えや水筒、文庫本くらいだ。ついでに財布がないことに気づいたが、それはいつものことなので置いておく。
「なんなんなんなん・・・」
あたりを見渡しても休日8時の裏通りには人っ子一人いない。さっき車が一台走っていたくらいか。前を向くと、信号が点滅して赤に変わろうとしていた。
「やば・・・ん?」
ある事実に辿り着き、心が凍りつく。早く自転車を漕いでここから離れないといけないのに。足が動かない。体中から汗が一気に噴き出す。
「――ヒュ、ハァ、ハァ・・・」
心を落ち着かせるために水筒のお茶を飲む。手が震えて上手く飲めない。麦茶が口の端から零れてしまうが硬直した体を解すには十分の水分を補給できた。やっとのことで自転車にまたがり、大学まで走る。
――さっきの車・・・信号、法定速度、通行人、運転者としての自覚全て無視してた。
もし私があそこで止まっていなかったら、確実に自転車ごと跳ね飛ばされていた。そうなったら死んでたのかな。一瞬だったからどんな車種かは覚えてないけど、あのスピードでぶち当たっちゃったら軽症じゃ済まないだろうなぁ・・・。客観的に現実を受け止めようとしても、一歩間違えれば死んでいたのかもしれないという恐怖に涙が込み上げてくる。駄目だ、泣いちゃ。この後オープンキャンパスだっていうのに。
ニャルラが、助けてくれたんだ。こんな私のために命の恩猫になってくれた。・・・会いたいな。駄目だこっちの方向でも泣きそう。
視界が涙で完全にぼやける前に、大学の駐輪場に自転車を止めることができた。時間も十分に余裕がある。早めに家を出て良かった。眼鏡を取って、タオルで目元を緩く抑える。
「・・・フフッ」
自然と笑みが零れる。こんな笑えない話、誰にも話せないな。オブラートに包んで話したとしても、不注意を指摘されて終わりだ。ここで忘れてしまおう、死への恐怖も、色々驚いたことも、ニャルラに再会できたことへの喜びも。これは全部幻だったんだ。だってニャルラも車も一瞬の出来事で、それを現実だと証明してくれる第三者はいなかったのだから。
(=^・・^=)
トイレでSIGポロシャツに着替える。これで経営学部の学生スタッフだと一目で分かるようになった。汗と涙で崩れた化粧を直し、鏡の前で確認する。よし、外見はいつも通りだ。あとは振る舞いさえ平常運転をキープすれば朝の出来事は悟られないハズ。
――メンバーの中でだと・・・特に安井君と島永君は地味に洞察力と直感効かせてくるから要注意だな。あと、今日はななちゃんと一緒の配置になることが多いから気を付けないと。まぁななちゃんなら大丈夫か。沖谷君より大分楽勝・・・。
「あ、幸生さんおはよーございます」
「ハァイ!あ、あぁ島永君おはよう!」
ビクッと肩が跳ねる。丁度着替えるところなのか、Tシャツを小脇に抱えた島永君が気だるげな表情で立っていた。早速エンカウントしちゃったよ。
「・・・」
「・・・何かな?」
島永君は真顔でじっと私の顔を見つめてくる。・・・マズい。早速洞察ロール成功させてきたか?早すぎない?後輩のクセにどうしようどうしよう何て言い訳というか嘘つこう。
「初対面の高校生に舐められるのも時間の問題っすね。付き添いでお越し頂いたお姉様方を不安にさせないで下さいよ」
安定の嘲笑が返ってきた。私が内心ハラハラドキドキビクビクした時間を何かに還元してほしい。
「朝っぱらから失礼だなぁ!島永君こそ付き添いのママさんに構い過ぎないようにしなね!」
「何を言うんすか」
――あ、流石に誰か聞いているか分からないところで島永君の超年上好きを口に出すのは良くないか。
「や、いくら性別で対応を変えずにね!男子高校生にもパパさんにも親切に対応していこうと」
「分かってますよ。俺も人妻には手を出してはいけないことくらい分かってます」
「折角良い感じに誤魔化したのに自分から言うんかい!」
少しでも怪しい動きがあったら今島永君が全力で口説いている菜美さん(29歳独身OL)にチクってやる。連絡先知らないけど。
(=^・・^=)
最初の仕事は、経営学部のなんでも相談室『よろずや』で相談者に振る舞うお菓子と飲み物の買い出しだ。私はSIGの顧問である竹村先生の研究室を訪ねた。
「おはようさっちゃん。今日奈々ちゃんは?」
「おはようございます。えーと、18分ほど遅れるそうです」
スマホを見ると、ななちゃんから謝罪LICHが来ていた。
奈々ちゃんは朝がとっっっっっても弱い。例え今日のイベントが経営学部の先生がほぼ集う日であっても、集合時刻が早朝の時はほぼ遅刻してくる。
「刻んできたな。お使い1人で行けそうか?」
先生は苦笑して受け流す。
いかに重要な予定でも数分~1時間の間隔で『遅れます』の連絡を入れてくることをここ1年で完璧に理解した被害者の私達は――
「1階でスタンバイしている後輩たちがいるので、大丈夫です」
――本人には悪いが『奈々ちゃんは時間ピッタリに来ない』という前提で行動するようになった。
SIG部屋覗いたら奈々ちゃんがいて『おはよう。もう竹村先生からお金もらったからコンビニ行こ』が当初の予定だったけれど、仕方がない。
――良くも悪くも、それが奈々ちゃんだから全然いいんだけどね。
私と安井君以外の同期SIGメンバーの遅刻率は非常に高い。無遅刻派の私は説得を諦めて、遅刻してきた奴には呆れた目で対話するようにした。安井君みたく笑って流せるような懐の広さは持ち合わせていない。
「幸生さん」
「へぁいっ!」
「着いて早々ボイコットっすか流石っすね」
フレアスカートのポケットに入っている3000円を確かめながら歩いていると、急に名前を呼ばれた。
「島永君・・・やるならもうちょい忍んでするに決まってんじゃん。買い出しだよ」
「ああ・・・菜々緒さんいないから。まさか一人で行く気だったんです?」
「うん」
「俺も行きます」
「開始早々持ち場を離れるなんてさすなが君じゃん」
「荷物持ちがいたほうがいいっすよ。俺が林と野田にやーやー言われる前に行きましょう」
「いや2人に断り入れてきなよ」
小さく2人のいる方を指さすと、彼は素直に言いに行った。
――こういうところは素直なんだけどなぁ。気配りもできるし。毒舌さえなければ。
「お待たせしました・・・何か失礼なこと考えてません?」
「キノセイダヨゥ」
下手な口笛で誤魔化し、宥め、別の話題を振っていたらS4号館1階にあるコンビニ『スカイマート』に到着した。
お菓子コーナーで大袋タイプのものをいくつかカゴに入れる。いつもはななちゃんや沖谷君に任せっきりだったので、本当にこのラインナップでいいのかと不安になってしまう。
「3袋でいいんじゃないっすか」
島永君がカゴを私の隣に置いた。中には2Lの緑茶と炭酸飲料とりんごジュースが入っている。
「島永君よろずや初めてだよね?完璧すぎない?」
「いやこれくらい普通でしょう」
やれやれと肩をすくめられる。せ、先輩の威厳が・・・。
「ならこっちにするよ。よし、お会計だ」
私はカゴに入れていたクッキーを棚に戻し、別のスナック菓子を手に取る。その様子を見ていた彼は意外そうに呟いた。
「幸生さんのことだから全部甘い系のものにするかと思いました」
「いや、流石にバランス考えるよ。それに島永君好きでしょ?この煮干し味」
苦笑すると、彼は眉間に皺をよせた。
「・・・そういうとこっすよ本当にマジで」
どういうとこなんだ。




