第19話『感情ラージセット』
後半篠木視点。
第19話『感情ラージセット』
佐古に帰ってすぐ、お父さんにメールを送った。家には荷物だけ置いて、渡すものとスマホを握って外に出る。アパートの駐車場には、お父さんの愛車が停まっていた。運転席の横に立って手を振ると、ドアが開く。
「久しぶりだな。元気か?」
「うん。お父さんも残業増やしてない?」
「あぁ。出張は増えたけど」
「それもどうかな・・・」
お父さんから新しい保険証を渡される。私も前の会社名が記入されたものを返した。
「会社名が変わっただけで、仕事内容は変わらないの?」
「そうだな。それに、とうとうわしの会社にも働き方改革の波が来た。前より早く帰れるようになったよ」
「へぇ・・・18時とか?」
「21時。お前もバイトあまり入れすぎるなよ。週6はやりすぎだ。ママも心配してたぞ」
私の社畜癖は絶対お父さん似だと思う。
「お父さんの会社って8時朝礼じゃなかったっけ。私は1時間しか残業させてもらえないから大丈夫」
これ皆で食べて。と神京土産を差し出す。お父さんは苦笑しつつも受け取ってくれた。
――ここからだ。
「お母、さん、今どんな感じ?」
「あぁ。今は落ち着いてる。大変だったんだぞ。成愛まで2階から降りてきて」
「・・・ごめんなさい。出ていった後も迷惑かけて」
「もういい。だが――ママは精神が不安定なんだ。あまり刺激するな」
腕に爪を立てる。『俺は何もしてやれないから』そう言っているようにしか聞こえなかった。
「私が悪いから。私が、馬鹿だから・・・」
お父さんは何も言わない。でも私は理解している。お父さんは私の味方ではないということを。
「分かってる。私が我慢して・・・大人になるよ」
無理やり口角を上げると、お父さんは満足したように頷いた。
「あぁ。そうしてくれ。わが家の平和のために」
去っていく車がぼやけて、一つ、また一つと零れていく。
――大丈夫だ。私はあの頃とは違う。もう自由なんだ。
私は痛くなるくらい、保険証を握りしめた。
(=^・・^=)
ニャルラがいなくなって早5日。お金やトイレベッドはそのまま残っていた。しかし肝心の黒猫は淡い期待も虚しく、姿を見せてはくれなかった。ご飯を置いたり、トイレベッドの前で正座して私の内に秘めた想いを語ったりしたが、家主の奇怪な行動はただ空ぶってゆくばかりだった。
そして今、ようやく心身の疲れが癒え掃除や洗濯をする気が起きた。
カチャ。と電気ケトルが沸騰完了の合図を鳴らす。私は温まった牛乳をコップに注ぐと、黒い欠片――こげのようなものが表面に沢山浮いていた。
「え」
ケトルをワークトップの上に置き、ふたを開ける。中はコップと同じようなことになっていた。茶こしを水筒の上にセットし、中身を全部出すと、ポットの底は真っ黒こげだった。
――電気ケトルって、水以外入れちゃ駄目なんだっけ。
スマホで『電気ケトル 牛乳』と検索すると、『大変なことになります』『壊れるからNG』などといった結果ばかりだった。一縷の望みをかけてケトルに水を入れスイッチを入れるが、ボタンに光は灯らない。暫く待っても沸騰する兆しすら見せないので、諦めてコンセントを抜いた。
享年2か月ちょいか・・・知らなかった。電気ケトルがこんな繊細な家電だなんて。実家ではやかんでお湯を沸かしていたため、ケトル自体使うのは一人暮らしをしてから初めての経験のうちの一つだった。
――もったいないことをしたな。
こういう時、ニャルラがいてくれたら必死に鳴いて暴れて止めてくれただろうか。コップに注いだ分のこげを取り除き、一口飲む。少し苦かったので、あらかじめ作っておいた紅茶に全部ぶちこんだ。飲むのは私だけなので大丈夫。全然飲める。菜箸でかき混ぜると、麦茶ポットの中に入った液体はミルクティー色になった。
――ごめんよケトル。寿命と引き換えに沸かしてくれた牛乳は、責任もって飲まさせていただきます。
後ろ髪を引かれる思いでケトルをゴミ袋に入れた。また新しいの買わなきゃ。
――今日は特にやることないし、あれ整理したらデラマ行こうかな。
私はラグの上に置かれた段ボール箱を開け始めた。差出人は羽柴彩果。中身は私への誕生日プレゼントである。
まず目に入ったのは手紙だった。白い封筒にハートマークのシールが貼られている。まるでラブレターを彷彿させるようなチョイスだ。
――ハートが罅割れていなければ完璧だったのに。まぁシーバーらしいっちゃらしいけど。これは最後に読もう。
お次はファンシーな紙袋。何のお店かは見ただけじゃ分からなかったけど、いかにも女の子!って感じのやつだ。中を開けると、ピンクの透け透けキャミソールと同じ色の紐パンが出てきた。
「はぁ・・・っ!このぉ!」どういう顔してこれを買ったんだ!
驚きと怒りの感情で頭がいっぱいになるが、私はすんでのところで耐える。小包の重さから考えて、まだボケの爆弾が眠っているに違いないからだ。
ミルクティーを飲んで心を落ち着かせ、窮屈そうに押しこまれた袋を取り出した。
――これは・・・猫?部屋着?
広げると、猫耳がついた黒色のパーカーと黒い尻尾がついたショートパンツだった。私は内心感動する。
――めちゃくちゃいいじゃん!可愛い!これ着て、ニャルラと一緒に写真撮りたかったな。
シーバーはネタ感覚で贈ったんだろうが、私的には好みドストライクだった。そしてコンビニのビニール袋の中には『マル秘クラッカー!引くまでのお楽しみ!』の4個セットが3つと、ヒョウ柄の布マスク。下手なタッチで描かれた動物のミニアクリルスタンドが5個入っていた。明らかに私が使わないものがゴロゴロ出てきた。はっきり言ってゴミを押し付けられたのかと疑ってしまう。
――もうこれらに関してはツッコむのよそう。
そして最後、箱の底にジャストサイズで収まっている一際大きな長方形。箱がやたらと重かったのはこれの所為か。と、手に持ったことで合点がいった。
分厚すぎる。画集とかだろうか。その中身は――『ウエディ~結婚準備Q&A~』だった。私でも知っている有名な結婚情報誌で、毎月発行される情報量は2キロを超える。
「シィィィバァァァ!!」
――そりゃ重いわ!ってかこんな重かったのか!知らなかったわ元凶これかよ!軽っ!ウエディ以外のプレゼント入れた箱軽っ!
ひとしきり思ったことを呟き、空箱にして潰す。しかし、彼女は一体いくらかけたんだろうか。服や下着は一目で上等なものだと分かるような代物だった。
「相応のお返しってやつが必要だね・・・腕が鳴るなァ」
私は来る日に思いをはせながら、ニンマリと笑った。
(=^・・^=)
俺はヘルメットを外し、Dリングに通した。幸生のチャットルームを開くが、昨日から既読マークすらついていない。
――無視しやがって・・・。旅行疲れか?いつもなら返信早ぇのに。
どうせあいつはPW中引きこもってるだろうから、1日くらい外に連れ出したって問題ない。だが俺の誘いは『今神京にいるから無理。あと当分スマホ見れない』と一蹴された。仕事の合間に電話しても出ねーし。ふざけんなガチで。
階段を上り、幸生の部屋の前まで行く。一応電話してみるが、応答はなかった。体調でも崩してんのかと段々不安になってくる。どんなくだんねーLICHでも律義に返してくれるし、あいつが寝るギリギリの時間に電話してもふにゃふにゃの声で出てくれる。相手に不安や心配を与えないよう振る舞っている幸生が返信をしてこないということは、あいつの身に何かあったに違いない。それか神京にスマホを忘れたか。
――心配して家に来たって何の問題もねぇよな。
そう結論づけてインターホンのチャイムを押す。俺のことが嫌いになったからなんてオチは待ってねぇ。絶対にだ。
「はい・・・篠木?」
「開けろ」
間髪入れずに言うと、予想通り幸生が嫌そうな声を出した。
「体調崩してんのか心配になったんだよ。これも俺がわざわざ買ってきた」
「う・・・」
俺はコンビニスイーツが入った袋を掲げる。あえてわざわざの部分を強調すると、罪悪感が刺激されたのかカチ、と鍵が開く音がした。その瞬間、ドアノブを捻り勢いよく開ける。
「うわっ」
「こんなんで開けるなんてチョロすぎんだろ」
中から飛び出してきた幸生を片手で受け止める。俺はそのまま中に入り、施錠した。ビニール袋は隣にある洗濯機の上に置く。
「離してー!」
「んだコレ。耳?」
先週ぶりの生幸生は家の中にいたくせにフードを被っていた。黒い猫耳をつまんで引っ張っていると、幸生が身じろぎして俺を見た。黒猫になった幸生が、上目遣いで、その視界に俺だけを映している。
「き、着替えてくるから。ちょっとそこで待ってて」
そう言って背を向け、黒い尻尾と短パンから伸びる生足を見た0.5秒後。
「――え?」
俺は黒猫になった幸生を押し倒していた。




