第92話『まさかまさか!そんなワケ!』
第92話『まさかまさか!そんなワケ!』
エレベーターを待っている間、私はふと思ったことを彼に質問する。
「そういえば、何で今日篠木と一緒に来てたんですか」
「・・・聞いてないのか」
「はい。私が弟さんの同行を全て把握してると思ったら大間違いですよ」
覇弦さんの意外そうな声を聞いて、私は渋面で言い返した。しかしその瞬間、昼間に『今夜電話したい』といったメッセージだけ来ていたのを思い出す。
――うぁ・・・やべ。すっかり忘れてた・・・。スマホ見るの怖いな。
「その顔・・・さてはアイツを待たせてるな?」
「・・・部屋戻ったらすぐに連絡します」
頭上から笑みを含んだ声が落ちてくる。表情を読まれたのが悔しくて、思わず唇を噛んだ。今日は一段とこの人に振り回されてるな・・・。
「大丈夫ですかね・・・さっき隣にいたのが私だってバレてないですかね・・・」
「もしあの場でアイツが気づいていたら――舌打ちだけで済むと思うか?」
「それはそうですね」
篠木なら私だと分かった瞬間、怒鳴りながら乗り込んでくるだろう。さっきは本当に肝が冷えた。
「一生バレませんように・・・」
「フラグを立てるな。お前が口を滑らさなければ大丈夫だろ」
「よりによって何で今日福分で会っちゃったんだろ・・・」
覇弦さんは笑いながら教えてくれた。どうやら福分に行くときは大抵兄弟セットで行くそう。今回は仕事と私用が半々らしい。詳細は教えてくれなかったので深く聞くことは止めた。
「あぁそれと・・・貴女あんな思いしたにも拘らず、まだgroovyと繋がっているそうですね」
「いやだって・・・アレでも一応同じ学部の先輩・・・」
エレベーターの中は寒いというより、肌に刺さる冷たさを感じた。私の斜め後ろから発生しているそれは、言い訳を重ねる度に圧がかかってゆく。
――あれー?おかしいな。敬語モードの覇弦さんなのに、素の覇気が出てるぞー?
「この前も居酒屋で浴びる程飲んだとか?」
「どこ情報ですかそれ。あの時はななちゃんやリーダーもいたので、実質SIG吞み会でしたよ」
「SIG・・・?私は浦本淳とサシでの吞みにノコノコついて行ったことしか知りませんが」
――あれ墓穴?
私はサッと目を伏せ、一旦平謝りした。下手に抵抗するよりは、ここで彼が私に言いたいことを言ってもらった方が話が早く終わる。この思考で分かる通り、私は1ミリも反省していない。
――本来だったらさっさと部屋に引きこもってゲームして寝るのに・・・!
明日の朝食はルームサービスだ。チェッアウトも時間ギリギリを責める気でいる。朝風呂さえ諦めれば、少なくともこのホテル内では彼等とエンカウントしないハズだ。
――兄弟を避ける為に朝風呂を断念するのは癪すぎる・・・。会う確率の方が低いのは分かってるけど・・・私不幸だしな・・・。
「どうして福分でも貴女を叱らなければならないのか・・・しかも夜景をバックに」
ふと横を見ると、8階まで上昇したエレベーターのガラス窓からは福分駅前の景色が広がっていた。
「やー。綺麗ですねー。降りる時も見ましたけど」
「あぁ・・・私としたことが失念していました。幸生さんは福分の夜景なんて1ミリも興味ありませんよね」
「言い方・・・!あとわざと地元民の怒りを誘発させるようなこと言わないでください」
覇弦さんの言う通り、私は夜景やイルミネーションにあまり興味がない。どちらかというと苦手寄りである。目がチカチカするし、見るんだとしても1分でいい。
「あ、でも花火やプロジェクションマッピングは好きですよ。代わり映えするので見てて楽しいです」
「なら今度花火大会にでも」「いやいやいやいやいいですいいです」
涼しい笑顔で誘う彼の目を見て本気だと悟り、私は背中を汗だくにして断った。
(=^・・^=)
1人の部屋に戻り、ゴクリと唾を飲み込む。壁にかかっている姿見に映っている私の耳と目元は――飲酒をしていないにも拘らず、ほんのりと赤く染まっていた。覚束ない足取りで歯磨きセットを取り出し、水だけで磨く。
――違う。これは1人になって、安心しただけで・・・ただ覇弦さんの男性っぽい匂いとか力強い手とか低い声を思い出しただけだし!
私にだって感情はある。口煩いけどちゃんと優しくて、色気が凄い覇弦さんにときめかないワケがない。ぶっちゃけ頭撫でられるの好きですありがとうございます。
――ちゃんと自分を騙して、隠せてたかな・・・覇弦さんは『自分に興味がない異性』に飢えているから。これからもその立ち位置に収まっていたい・・・。
これは同情だ。スペックが高すぎるが故に、私より心を開く友人が少ない彼に対して真っ先に抱いてしまった感情。私に同情されるなんて、彼は本当に可哀想な人だ。それでも覇弦さんは私の中で、隙を見せちゃいけない人ランキング第2位の人だ。深入りせず、向こうが気まぐれで誘ってくるのをただ待っていればいい。
――覇弦さんが私に飽きるか、それ以上の人が見つかるまで付き合ってあげようと思っていたけど・・・。
口をゆすぎ、歯磨き粉をつけて再び磨く。歯磨き中ずっと覇弦さんのことを考えているなんて前代未聞だ。それなのに、回る思考を止めることが出来ない。
よくよく振り返ってみれば、いつもの理知的な覇弦さんじゃなかった。この人はこの人で色々と大変そう。
――『人を好きになるのは面倒臭い』か・・・。さっきは素で論点をずらしちゃったけど、これってどういう意味なんだろう。私の事・・・って自惚れるのは早計すぎるな。だって覇弦さんには・・・。
私は洗面所の鏡越しに映る自分から焦点をずらして、去年の記憶を掘り起こした。
私が覇弦さんのことを異性として見ていないのには理由がある。あれはまだ私が覇弦さんのことを苗字で呼んでいた頃だった。居酒屋で私がお手洗いから戻って来た時、覇弦さんが壁に寄りかかって寝ていたことがあった。
――ええぇ。寝落ち!?どうしよう・・・。
彼が飲みの席で寝落ちするのは今後何回か起こるが、初めての時はかなりテンパったのを覚えている。おじ・・・大人の男性を私1人で介抱するなんてどだい無理だ。世の中の肉食系女子はどうやって自分の巣穴かホテルまでお持ち帰りしているんだろう。私は焦って彼の身体をやや強めに揺り動かす。
「篠木さん。篠木さん。起きてください」
「――ん・・・ゆかり・・・起きるから」
――ゆかり?
私が固まっている間、覇弦さんはあくびをして「出るか」と言った。すぐに問おうか迷ったが、あまりにも眠そうに歩くのでその時は聞けなかった。あれから月日が経ち、質問するタイミングを逃してしまった私は、未だに彼が寝ぼけ眼で発した『ゆかり』が一体何なのかを聞くことができずにいる。
それでも、気にならないと言えば嘘になる。私は少しずつ篠木兄弟から情報を集め、自分なりの結論を出すことにした。覇弦さんの発言から、『ゆかり』は人名で、性別は女性だと仮定してもいいだろう。篠木家の家族構成は父、母、兄、弟。母親の名前は忘れたけど『ゆかり』ではなかった。ペットはおらず、親戚の子は男ばかり。ついでに彼の人生において、亡くなった友人に女性はいないらしい。
それから『ゆかり』というキーワードを聞いたのは、この1回限りだった。『ゆかり』は覇弦さんと寝起きを共にしたことがある関係。そして覇弦さんが寝言で呼ぶくらい、記憶に残っている存在。こうして1つずつ選択肢を潰していき、私は答えを出した。恐らく『ゆかり』という女性は覇弦さんの――。
――元カノかな。やっぱ・・・。
現在、覇弦さんに特定のお相手はいない。これは定期的に確認していることだ。彼女持ちや妻帯者の異性とサシで食事に行くなんてしたくない。私がその質問をする度に彼は笑っていないと答えるが、それが嘘だということも十分にあり得る。
私は、誰彼構わず恋愛の話についてはあまり触れないようにしている。相手に聞いたら自分の話もしなくてはならないから。覇弦さんもそれを分かっているので、私達は食事の場で恋バナトークをすることはほぼない。
――勿論セフレの可能性だってある。ワンチャン親戚や友達・・・?流石に男はないか・・・。
覇弦さんの心の中には『ゆかり』という女性がいる。だから、私と覇弦さんの関係は『知人』から変わることはない――そう思っていた。思い込んでいたかったというのが正しいかもしれない。
――大丈夫、だよね・・・?私と覇弦さんは、たまにご飯行って話をする相手であって、それ以上それ以下でもないよね。
先程のスキンシップは過剰すぎた。異性に押し倒されて可愛いとか油断するなとか言われたら、流石に嫌でも恋愛方面に意識が向いてしまう。
――覇弦さんは妹的存在の私に恋を・・・!?ライクからラブに変わっちまったのか・・・!?いやいやいや・・・でも目が離せないとか口説くとか・・・でもあれはリップサービスみたいなもんで・・・。
こうしてまた1つ、誰にも話せない悩みが増える。歯磨きを終えても、私の視界はぐるぐると巻かれていった。
幸生の隙を見せちゃいけない人ランキング
第1位・・・熊本先生(要注意危険人物)
第2位・・・覇弦さん(取って喰われそうだから)
第3位・・・川田さん(調子こいて嫌われたくないから)




