第91話『沖谷幸生はときめかない』
第91話『沖谷幸生はときめかない』
――ちょっと待って何で篠木までここにいるのちょっとホットに無理なんですけどガチでヤバいどうしようどうしよう・・・!
手首の拘束が緩んだ。私は咄嗟に両手で覇弦さんの右手を掴み、懇願の眼差しで首を振る。すると、頭上で息を呑む音が聞こえた。覇弦さんも緊張しているんだろう。
「どいつもこいつも・・・何のためのスマホだよ。明日のことは風呂入ってから決めるっつったの兄貴だろが」
「・・・威弦」
――そうだ。この状況を篠木に発見されるのはお互い良くないハズ。私もしっかりしなきゃ・・・!
心を落ち着かせる為にも、私は今一度状況を整理することにした。
絵画鑑賞をしていたら覇弦さんに会った。
おうテメェちょっとツラ貸せやと言われロビーに連れてこられた。
妙齢の女性が1人で館内をうろつくなと諫められた。
上の空で生返事していたら押し倒された。
覇弦さんを探していた篠木登場。(今ココ!)
――いや、詰め込みすぎでしょ!もういいわ!お腹いっぱいだわ!
私は目を閉じて小さく首を振る。心の中でツッコミ倒している場合ではない。今はとにかくこの状況下で私がするべきことをしないと・・・!
足りない頭をフル回転させていると、覇弦さんは篠木がいる方を一瞥し――片手で私を抱き寄せた。
「!?」
急に体が起き上がったかと思えば、右耳が覇弦さんの胸にぴったりとくっついている。私は全身の体温が上昇するのを止めることが出来なかった。
「あ?誰か――」
「しー・・・」
どうしても状況が気になってしまい、リスクを承知で顔を上にあげる。すると、覇弦さんは篠木にあくどい笑みを向けていた。おまけに人差し指を自分の口元にあてるという、静かにしろのジェスチャー付きで。
「・・・!チッ・・・」
あからさまな舌打ちが聞こえると同時に、篠木の気配が遠ざかって行くのを感じた。
――こ、これは・・・篠木視点だと『覇弦さんが行きずりの女性を口説いている』ように見えたってこと?それは気まずい・・・。
覇弦さんと目が合ったので、慌てて視線を逸らす。私の反応に呆れたのか、彼の口から溜息が零れた。
「幸生・・・お前元々そんな化粧濃くないだろ。世の中のすっぴんブスに謝れ」
やかましい。毛穴とか赤みとかニキビとか気になるものは気になるんだよ・・・!
「・・・」
「・・・どうした?」
覇弦さんは腕の中で大人しくしている私に甘い声で呼びかける。さっさと離してほしいけど、脱力感に苛まれた私は震える声で一言。
「死んだかと・・・思いました・・・」
「ぶはっ!」
どの部分がツボに入ったのかは知らないが、覇弦さんは暫く爆笑していた。私にとっては死のイベントだったんだけど。一体この状況が篠木にバレたらどうなっていたことやら。
――もしバレたら、迷わず覇弦さんをナンパ野郎に仕立て上げて篠木に縋りつく・・・いや、もっと血を見ない対処法があるかな・・・。
眠気を感じた私は、覇弦さんから離れようと身じろぐ。しかし、彼の手は依然私の肩をガッチリと掴んでいた。無言で睨むと、彼は口角を上げてそのまま距離を詰める。
「――これでも『狭い』って言うつもりか?」
「これは・・・『近い』ですね・・・」
耳元で囁かれ、つい苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてしまう。私はこの人の、あからさまなリップサービスが苦手だ。大抵の女性は彼にこんなことをされては即鼻血ブーだろうが、私にとっては迷惑でしかない。
「お前・・・異性にときめいたりしないのか。恋愛感情死んでるだろ」
「ときめく・・・死んでるかは分かりませんが、覇弦さんにはあまり」
私は手を伸ばして、彼の頭を撫でた。ここまで無遠慮に触られたのだから、これくらいやっても怒られないだろう。
「――お疲れ様です。いつも本当に大変ですね。ここも出張じゃなくて、旅行で来られたら良かったのに」
彼は黙って私の労いの言葉を聞いている。今なら突き飛ばして逃げることも可能だが、そこまで畜生ではないので止めておく。
「色々と心配かけてしまってすみませんでした。今日、何かあったんですか?」
そう言ってしまったと歯噛みする。彼の耳には、『大して興味ないけど一応聞いておこう』という思考ごと聞こえてしまっただろうか。
「・・・お前には、俺がどう見えてる」
「え?えーっと・・・『よく笑うお兄ちゃん』ですかね。私も普段あまり笑わないから分かるんです。自分が面白いと思っている人と一緒にいるのは楽しい。やっぱり人間は、笑えば笑う程幸福指数が上がる生き物なんだなって思います」
「・・・!」
シーバーはまさにそれだ。会う度に増す変人度で吹き出し、様々なぶっとびエピソードで腹がよじれる程笑った経験は数知れず。はるまも十分変人だが、私達より慎ましく生きることが得意なのであまり目立たない。
「だから、私で大笑いする覇弦さんを見ていると、少しだけ安心するんです。解せないって思う気持ちも勿論ありますけどね。覇弦さんはいつも沢山の猫を被って、嘘の笑顔で取り繕っているんですから。その分、私の言動を笑いたければ、遠慮せず笑ってください。まぁ、笑かそうと思ってやってるワケじゃないんですけどね・・・」
当の本人は至って大真面目である。それでも、私の存在が彼の幸せを生しているというのなら――出来ればずっと、そのポジションにいたいものだ。
――誰も信じられない私だって・・・誰かに必要とされる人間になりたい。
「はぁ・・・酒飲みてぇ」
「フルーツ牛乳で我慢してください」
正面から肩ズンされ、手のやり場に困る。急に顔を上げてこないよう抑えておこうか。
「初めて会った時から・・・甘いんだよ。たまにふっと香るこの匂いが、特にこの――首筋から」
「!!う、わ、あ、あ、あ、あ。わー」
首元で喋られたことで背筋に悪寒が走った。反射的にソファーから転げ落ちるも、すぐに立って反対側に回り、別のソファーからクッションを掴んで盾代わりにする。
「首は止めてください首は!」
「・・・香水じゃない。なんだろうなこの・・・薔薇みたいな香り。1度嗅いでしまえば忘れられない。思わず魅了されてしまうような・・・」
――私の体臭が魅惑的だって?そんなの知らんし!
手と髪で首を覆い、覇弦さんを精一杯威嚇する。首は私の弱点だ。触られた瞬間膝から崩れ落ちてしまう。小学生の頃それが発覚し、クラスメイトから隙あらば狙われて大変だった。
「ホラもう部屋戻りましょう。私達を待っている人に悪いです」
私にはいないけど。という本音をすっかりぬるくなってしまったコーヒー牛乳と共に流し込む。彼も横で豪快に一気飲みを始めた。もっと大切に飲めばいいのにと思うのは私だけだろうか。
「っとに・・・好きなやつがいるってのは、面倒だな」
ボソッと呟いた時の表情が――心から苦悩している時にするような顔で。私もさっきまで思い悩んでいた胸の内を明かす。
「分かります!本当にそうですよね。今日一緒に行動してた子も好きだし、ずっと一緒にいられるなら、一緒にいたいって思っているんですけど・・・さっき、その子に嫉妬してしまって。好きでいたいのに、憎んでしまった」
次会った時、私はニャルラに恨みがましい目を向けてしまいそうで。正直、今の想いをどう処理したらいいのか分からない。これが、可愛さ余って憎さが百倍。ということなのだろうか。
「知らなかったんです。その子の事、私は勝手に孤独だと思ってて・・・でも、そんなワケないですよね。福分はその子の地元なんですけど・・・ごめんなさい。上手く言葉がまとめられなくて。兎に角私も今日、その子に対して、抱きたくない想いを・・・」
どうしても夜になると、思考がネガティブ寄りになりがちだ。何もかもが嫌になって、膝を抱えて塞ぎこむ。
――ニャルラは私よりずっと幸せだった・・・?のは、いいこと・・・だけど、ずるい。
「理屈じゃないからな。友愛も、恋愛も・・・物事を合理的に考えがちな俺等にとっちゃ、この問題に直面することは面倒以外の何物でもない」
覇弦さんは重い溜息を吐いて、私の頭をやや乱暴に撫でた。いくら髪結んでないからって・・・。
「だからこそ、対話が必要になってくるんじゃないのか。俺の方は正直、一生答えが出なくてもいいと思ってる。お前は無駄に1人で悩まずに、今みたく本音をぶつけてみろ。どっちつかずの態度で接したままだと、後が怖いぞ」
「う・・・」
家族、友人、異性――。私は自分が傷つくのが怖くて、曖昧な感情で関わってきた。けれど、いつまでもこのままじゃ駄目だ。整理できるところは、ちゃんと整理していかないと。
――篠木のことも、自分の問題を優先して後回しにしちゃってるし・・・。
「・・・早く未婚でも生きやすい世界にならねーかな」
「あぁ・・・」
――さっき覇弦さんが明日『早くから仕事』じゃなくて、『所用がある』って言ったのって・・・あっ、ふーん。
色々と察してしまった。難儀がすぎるでしょこの人。私も覇弦さんも、合理的思考に寄りがちなきらいがある。
自分の答えに全く自信が持てない私と違い、覇弦さんは1度答えを決めてしまえば、その先ずっと揺るがない人だと思っていたけど――案外そうでもないのかもしれない。彼だって、完璧な人間ではないのだから。




