名興文庫のコラムから『ライトノベル』について考える
どうも早見です。
先日、「名興文庫」という出版社を名乗るサイトにて、以下の二つのコラムが掲載されました。私自身、Twitterのフォロワーさんからツイートが回ってくるまでこの存在に気づかず、「名興文庫」という名前も知らなかったため、「なんか話題になっているけれど、どんなもんだろう?」と興味本位でコラムを読みました。
結果、思ったこと、感じたことを書かせていただこうと思います。興味のある方は以下の記事をチェックしてみてください。
名興文庫『ライトノベル』とは何か?
https://naocoshi.com/column002-1/
名興文庫『ライトノベル』の未来とは
https://naocoshi.com/column003-1/
はい、恐らく多くの方が数行読んで読むのをやめたと思いますので、簡単にどういった内容だったのかを説明させていただきます。
『『ライトノベル』とは何か?』というコラムは『ライトノベル』の定義についてという名目で書かれたコラムではありますが、実際に筆者がコラム内で『ライトノベル』の定義を示しているわけではなく、『ライトノベル』というジャンルの拡大と、それに対する懸念が述べられているのみです。
『『ライトノベル』の未来とは』では、『ライトノベルの未来は暗い』という自説を展開し、筆者さんの理想とするライトノベル像とそれを実現するために名興文庫はあるんやで! みたいなことが書かれています。私としては、ようやく正体を現したな! みたいな感じです。
この二つのコラムはかなりツッコミどころが多いので、全てに対してツッコんでいってもいいのですが、そんなものを読んでも読者さんは喜ばないと思うので、大まかにコラムの内容に触れながら私なりの『ライトノベル』に対する考え方と意見を述べさせていただき、コラムに対する反論とさせていただこうと思います。
1. 『ライトノベル』の定義について
コラムでは結局結論の出なかったこの話題について、ここではしっかりと結論を出しておきたいと思ったのですが、先に断っておくと『ライトノベル』について『明確な』定義は存在しません。読者が「これはライトノベルだな」と感じるか否か、作者が「私はライトノベルを書いている」と思って執筆しているかどうかによって個人差が生じるからです。私の意見としては、電撃文庫、MF文庫、富士見ファンタジア文庫、角川スニーカー文庫に代表されるような、扉絵や挿絵があって読みやすく、主に若年層に向けた小説作品を指していると考えます。
『ライトノベル』の歴史については、名興文庫のコラムによくまとめられていますのでそちらをご覧いただければと思いますが、コラムの筆者さんがおっしゃる通り「これもライトノベルかも」と考え始めるとキリがないほどにライトノベルの幅は広いです。それに加えて最近では「若年層向け」という定義すら曖昧になりつつあります。
結論、『ライトノベル』を誰か一人の考えによって定義することは不可能。個人に一人一人異なった『ライトノベル』の定義が存在するので、そのどれもが正解であると言える。と考えます。言わば『明確な定義がない』というのが『ライトノベル』の定義であり、特徴です。
2. 『ライトノベル』が拡大することの問題点
定義が曖昧なものである『ライトノベル』は、非常に柔軟です。読者のニーズや社会情勢、出版社や小説投稿サイトの風潮によって様々に形を変える、言わば『生き物』であると言えます。様々な流行りや廃れが存在し、作者はそれに対応しなければヒット作を生み出すことができない状況にあると言えます。
『生き物』である『ライトノベル』が進化の過程で様々な種に分岐するのはある種当然で、それが今日の『ライトノベルの拡大』を招いているのだと思います。しかし、コラムの筆者さんはそれが問題であると考えているようです。コラムの文中では、進化したライトノベルが在来種である一般文芸作品の生態系を脅かしている! それは良くない! とも取れる文章が見受けられます。
なるほど、確かに一般文芸作品が読みたい読者にとってこれは由々しき事態とも言えるでしょう。しかしご安心ください。恐らくコラムの筆者さんもそうだと思いますが、一般文芸作品が大好きな読者も一定数存在します。生き物に例えるなら、一般文芸作品しか生存できないような環境が存在します。そして、『ライトノベル』と同じように『一般文芸作品』も進化するはずなので、あの手この手を使って生き残りの手段を探すでしょう。『自然淘汰』は文化面でも発生しますが、需要のあるものは必ず何らかの形で生き残ります。『ライトノベル』が他のジャンルを圧迫したところで、需要がある限りは他のジャンルが消滅することはないでしょう。
3. 『ライトノベル』の未来について
おかしな話なのですが、あれほど『ライトノベル』の拡大を懸念していたコラム筆者さんは、『ライトノベル』の未来は暗いと考えているようです。が、その説を補強すべき理由として、具体的に現在進行形で『ライトノベル』が衰退している根拠が示されておらず、「少子化」や「翻訳の難しさ」を挙げて、「将来ライトノベルは衰退するだろう」という筆者さんの推量でのみ語られています。そして、『ライトノベル』が特定の読者層にのみ影響力を持つと書かれていますが、これは明確な誤りです。理由は後ほど述べます。
以上の、コラム筆者さんの説得力の弱さと私の経験から、ここではコラムの筆者さんとは決定的に違ったスタンスを取らざるを得ません。『ライトノベル』は進化する生き物である以上、どんな環境にも基本的に適応します。『ライトノベル』の絶滅は、平安時代の『源氏物語』に端を発するフィクション小説文化自体の消滅を意味します。それはあまりにも乱暴な理論です。──言い切ってもいいでしょう。『ライトノベル』の衰退は幻想、もしくは誰かさんの願望に過ぎません。
4. コンテンツのマーケティング方法──メディアミックスについて──
私がコラムを読んだ時に真っ先に思ったことは「筆者さんの視野が狭いな」と「あまり物事を考えずに感情だけで書いているのかな」ということです。その一例として、『ライトノベル』をあくまで『小説』としてしか見ていないところにあります。
『ライトノベル』を売り出す場合のヒントは、意外にもコラムの中にあります。『ライトノベル』拡大の一因として述べられているコミック、アニメ、ゲーム、ボカロ曲などのノベライズ小説がそれです。
コラム内でも述べられているとおり、出版社は慈善団体でありません。少しでも多く出版物を売るために様々な手を打ちます。近年注目されているマーケティング方法の一つとして『メディアミックス』があります。これは、一つの作品を、小説、アニメ、映画、ゲーム、楽曲、など幅広いメディアで売り出すことにより、相乗効果を狙うものです。例を挙げるとすると、一大ブームを巻き起こした『ラブライブ!』があります。
『ラブライブ!』は『2010年、KADOKAWA アスキー・メディアワークスが発行する美少女総合エンタテインメントマガジン『電撃G's magazine』、大手アニメ制作会社『サンライズ』、音楽会社『ランティス』(いずれも当時)の三者の合同によって始まったオールメディアプロジェクト。学校を舞台に活動するスクールアイドルの普段の様子やストーリーを『電撃G's magazine』の誌上にて展開しつつ、サンライズの制作によるミュージック・ビデオPVを収録したDVD付きの音楽CDを販売するという、それぞれの会社・雑誌の特色を生かした分業体制を取っている(Wikipediaより引用)』。これは極端な例ですが、現在『ライトノベル』として売り出されている小説の多くが、将来的にコミカライズやあわよくばアニメ化、ゲーム化までしたいと編集者さんは考えて、「コミカライズすると映えるか」「アニメにすると面白そうか」まで考えて書籍化作品を選んでいると思います。「小説を出してそれで終わり」と考えている編集者さんは大手出版社にはなかなかいないでしょう。
メディアミックスの最大の利点は釣り糸が多いことです。「アニメを主に見る層」「ゲームが好きな層」「漫画をよく読む層」「ライトノベルを好む層」、さらには「声優さんが好きな層」「ボーカロイドが好きな層」など、様々な層にアプローチして、一度釣り上げたらこちらのもの。他の媒体に誘導するのは割と容易です。インターネットの発達による情報化社会において、受け手が作品を楽しむ際に好きなメディアを選択できるというのは大きな武器になります。『特定の層』というのは最初から想定されていない場合が多いのです。
5. アニメのヒットが小説の売り切れを招いた『リコリス・リコイル』
小説に話を戻しましょう。具体的に他のメディアを使ってどのように『ライトノベル』に顧客を呼び込むのか、良い例がつい最近ありました。2022年秋に大ヒットを記録したアニメ『リコリス・リコイル』では、アニメ放送と同時に電撃文庫より『リコリス・リコイル Ordinary days』という書籍が発売されています。これは、アニメで描かれていない内容を原案者がまとめたスピンオフ小説で、アニメがヒットしたことによってこちらを買い求める顧客も多数いて、発売当初「どこも売り切れで売っている店がない!」といった声がネットに溢れました。今は重版されて手に入るようになりましたが、『リコリス・リコイル Ordinary days』がこれほどまでに売れたのはアニメの影響あってのものと言えるでしょう。
逆に、『ライトノベル』からアニメ、ゲームへと展開していった作品として、直近では『陰の実力者になりたくて!』が挙げられます。こちらは『小説家になろう』にて連載されていたWeb小説が原作ですが、アニメ化と同時にスマホゲームも展開し、それなりの評価を得ています。以上に挙げた例に限らず、今では多くの『ライトノベル』作品がコミカライズやアニメ、ドラマCDなど、何らかの他媒体メディアへ展開しているはずです。
このように、ヒットした作品は、顧客の入り口がアニメであってもライトノベルであっても、はたまたゲームであったとしても「これのアニメやってるんだ見てみようかな!」「ラノベ発売されてるんだ読んでみようかな」「ゲームあるんだやってみようかな」となりやすいため、書籍のみの魅力で『ライトノベル』の未来は明るい暗いは語れないはずです。名興文庫のコラム筆者さんはこの視点が決定的に欠落しているため、コラム自体の説得力を失ってしまいました。
6. 外国産大人気『ライトノベル』である『俺だけレベルアップな件』から見る韓国の『ライトノベル』文化
『俺だけレベルアップな件』は日本のマンガ掲載サイトである『ピッコマ』で看板作品として扱われる作品ですが、これは韓国の『カカオページ』に掲載された作品を日本向けに登場人物名等を改変したものであり、原作は韓国の小説になります。内容については、外国産の小説でありながら、まさに現状の『ライトノベル』を象徴するような所謂『なろう系』作品となっており、日本人にも親しみやすいという点から、いわば逆輸入のような形で日本にやってきてヒットを飛ばした作品です。また、最近日本版のサイトがオープンした小説投稿サイトの『ノベルピア』も韓国発であり、韓国では日本の『ライトノベル』文化、それも現在のWeb小説に代表されるような所謂『なろう系』がウケる土壌があると言えます。
韓国でそのようなムーブメントがあった場合、追随するのはシンガポール、フィリピン、マレーシア、タイ、インドネシア、バングラデシュなどの東南アジアの国々です。実際に、韓国を東南アジアのファッションリーダーとしてマーケティングを行う社長さんも大勢います。これらの東南アジアの国々は、経済的にまだまだ発展の余地を残しており、また日本文化に理解を示す国々も多く、上手く『ライトノベル』を売り出すことができれば構築される経済規模は計り知れません。
名興文庫コラムの筆者さんは、翻訳するとキャラクターの個性が失われるという理由で海外市場への進出は難しいという立場でしたが、これだけを理由として海外市場を見限るというのは視野が狭いと言わざるを得ません。
7. 名興文庫コラムの問題点
このように、名興文庫のコラムに結論の説得力を補強するために書かれている『根拠』のほとんどが的外れであることを証明するための例はいくらでもあります。名興文庫の二つのコラムが説得力を失ってしまった原因として「根拠となりえない事柄をさも重要な根拠であるかのように語っている」筆者さんの語り口と、『ライトノベル』という定義の曖昧なものを主題としてぶち上げておいて、その定義をコラム中で明確に示していないという大きくわけて二つの理由があると思います。
しかし、コラムを読んだ方はすぐに筆者さんの言わんとしていることには気づくはずです。「この人、ただ現状の『ライトノベル』が気に食わないだけだな」と。『ライトノベル』などという自分でも定義できないようなものを主題としているのは、「自分の好みとは違う形態に進化してしまった『ライトノベル』をもう一度自分好みのものに戻したい」という想いがあるからに他なりません。『『ライトノベル』とは何か?』などと大層な題目を掲げながら、コラムの内容が薄っぺらい、読んだ方の大多数が違和感を覚えて読むのをやめた原因はその魂胆が見え透いているからであると考えます。
ではどうすれば良かったか。
私はコラム筆者さんの『古き良き『ライトノベル』を復活させたい』という思想には賛同します。私も学生時代に『とある魔術の禁書目録』や『ゼロの使い魔』、『緋弾のアリア』といった作品を読んで育った身ですからあの頃の『ライトノベル』の良さは分かっています。その頃の作品と比べて、現在流行りの所謂『なろう系』作品群はどうしても手に取りづらいというのも理解できます。ただし、その手段が悪かった。
コラム筆者さんがとった方法は、現状の『ライトノベル』を読解力を失った読者が読むものとこき下ろし、このままでは『ライトノベル』という言葉は死語になると無責任な警鐘を鳴らしたこと、そして『ライトノベル』を書いている作者さん達にコラムを通じて「名興文庫が求めているような作品を書かないとそのうち淘汰されるぞ」という脅しにも似た言葉を放ったこと。これは仮にも創作者が取るべき行動なのでしょうか? 長々と『ライトノベル』をこき下ろすなどということはせずに「名興文庫では私の大好きな古き良き『ライトノベル』のような作品を募集する」とだけ宣言した方がどれほど清々しく好感が持てたことか。
根拠の乏しいものをさも正しいかのように主張し、聞き手の恐怖心を煽るという語り口は、言い方は悪いですが詐欺師と大差ありません(コラム読者の多くが騙されていないようですが)。
繰り返しますけれども、私はコラム筆者さんの行動は褒められたものではないと思いますが、その信念は評価します。もし名興文庫が『古き良きライトノベル』を復活させる土壌となるのであれば良いと思います。筆者さんは現状の『ライトノベル』を貶めるような言動をせずにひたすら己が信じた道を追究すべきだったと思います。
8. まとめ
私は以上のことから、名興文庫の二つのコラムには決定的な問題点が多く存在しているものの、コラム筆者さんがやろうとせんとしていることはある程度理解できるという立場です。
なお、『ライトノベル』が絶滅の危機に瀕していないのであれば、特定のレーベルで自分たちに都合の良い『ライトノベル』を作り上げようとする行為は『ライトノベル』を絶滅から保護するというよりも、自分たちに都合の良い家畜を育て上げる行為に他ならないと申し添えておきます。レーベルという檻の中で保護し、独自の『ライトノベル』観を構築して作り上げた作品群は、一部の人にはとても口当たりの良いものでしょう。しかし、一度檻の外に飛び出したそれらと、厳しい自然環境の中で進化している『ライトノベル』作品と比べた場合、どちらが淘汰されるかは火を見るよりも明らかです。『ライトノベル』繁栄のために必要なことは『原点回帰』ではなく『更なる進化』のはずです。
・それなのに、あくまでも『ライトノベル』自体を絶滅から救うためにレーベルを作ったという勘違いも甚だしいスタンスでいること。
・現状の『ライトノベル』がどのようなマーケティングを行っているのか理解していないのに『ライトノベル』の未来は暗いという主張をしていること。
・メディア、創作界隈で起こっている社会的なムーブメントについてあまりにも無知である(もしくは意図的に無視している)こと。
・「警鐘を鳴らす」などと言いながら、真面目に『ライトノベル』を書いている作者の作風にケチをつけていること。
・コラム読者の指摘を「読解力が低い」の一言で一蹴し、聞く耳を持たないこと。
・以上のことは全て『名興文庫』を背負っているような立場で行われていること。
これらのことから、コラムを読んだ一読者としては『名興文庫』という存在そのものに疑問符を付けざるを得ません。こんな人がマーケティングをした本が本当に売れるのか、『名興文庫』は本当に面白い作品を生み出してくれるのか。という疑問を抱いてしまう方がいるのも無理はないでしょう。
ここで一度コラムの筆者さんに問います。
以上のことを踏まえて、本当に『ライトノベル』は衰退するとお考えでしょうか? 先に衰退するのは『名興文庫』の方ではないでしょうか?
もしご指摘、反論のある方はどうぞ。まあまた「読解力が〜」と言われて終わりにされそうな気もしますが。
最後に。
創作は基本的に自由です。自分の好きな物を作り、楽しむ権利があります。しかし、他人の好きな物、他人が作ったものを下に見てバカにしたり、ねじ曲げようとしたり、あまつさえ受け手にケチをつける言動、行動は取るべきでは無いと思います。レーベルを預かる立場ならば尚更です。
以上がまとめと私の主張です。お付き合いいただきありがとうございました。
9. 余談 〜コラムの真意を読み解いてみた件〜
以下は私なりの名興文庫コラムが書かれた意図の考察です。興味のある方は見ていってください。
さて、ここまで散々名興文庫のコラムの欠点について述べてきましたが、私はあることに気づきました。それは、コラム『『ライトノベル』の未来とは』に繰り返し登場する内容について考えていた時です。
『コラムを真面目に読まず、感情論にのみ終始するツイートを多く見ました。『『ライトノベル』を本当に愛しているというのなら、どうして感情論で相手を説き伏せようとするのでしょうか? 本当は愛していないのではないかと疑いたくなります(コラムより引用)』
『そして実際、書かれた文章からしか意味を汲み取れず、感情論ばかりツイートする人を多く観測しました。理解し、利用し、評価し、熟考し、次の行動に繋げられた人はどの程度いたのでしょうか? ご自分の反応を振り返り、考えてみてください(コラムより引用)』
『個人的感想は他者を説得できないかと(コラムより引用)』
つまり、個人的な感情論では説得力に欠けるということが繰り返し述べられています。個人的な感情論で現状の『ライトノベル』にケチをつけているように見えるこのコラムの筆者さんがそんなこと言います? 特大ブーメラン刺さってますよ? と思った時、重大な可能性に思い至りました。
それは、『コラムの筆者さんが自ら道化を演じている可能性』です。
コラム筆者さんの作品を読んだ方に話を聞くと、この方の作品は文章力、構成力ともに優れていて、どう考えてもこんな稚拙なコラムを書くような人じゃないそうです。だとしたら、筆者さんが自らの行動によって『個人的な感情論は説得力に欠ける』という事実のみを証明しているとは考えられないでしょうか? そう考えると、非常に説得力があります。百聞は一見にしかず、読者自らが体験したことは、何よりも強い根拠となります。コラムに登場するどんな根拠よりも説得力があるでしょう。
もし私の推測どおりだった場合、コラム筆者さんの行動力、自己犠牲の精神、緻密な策略には敬意を表します。そして、前項以前の私の意見は全て的外れということになりますので撤回及び謝罪をさせていただきます。誠に申し訳ございませんでした。
ここまでこんなくだらない文章にお付き合いいただきました優しい読者様、本当にありがとうございました。