転生した。破産した。
~幸運の兎団~
加入条件は幸運値80以上。
入団テストは、ランダムに設定された四桁の暗証番号を、一度の入力で解除すること。
生まれつき幸運値が高いとされる兎族が多いが、種族に制限されるわけではない。
そんな奴らの活動場所は、やはりカジノに限定されている。
表の世界で活動すると市場が混乱するということで、国から行動の制限を受けている。
そしてその代わりに、かなり厚い手当を受けている……
らしい。
そんなことも知らずに、奴らの巣窟に飛び込んだ私は、一時間と経たずに全財産を失った。
保証金だけではない。身に着けていた高価な鎧、換金用にと渡された宝石類。
そして国王から下賜された宝剣も。
何もかもを奪われた私は、同時に信頼さえも失った。
立った一晩で、国の門から出ることすらなく、ぼろきれをまとって帰ってきた私を見て、国王は失意のため息をついた。
◇
少しだけ、私の話をしよう。
私はどうやら『勇者』のような存在として、この国の王によって召喚されたらしい。
人よりも高い身体能力を持ち、技術と呼ばれる特殊能力を与えられた。
まさに物語の主人公のような立ち位置。
私の技術は『直観力』。
言葉の通り、直感的な能力が高まるらしい。
まだまだレベルが低い状態だが、試しにということで後ろから投げつけられた石を、振り返りすらせずによけることができた。
この能力を極めれば、砲弾の嵐の中を無傷でやり過ごすことすらできるという。
歴代の勇者の技術の中でも、優秀とされている。
だからこそ期待され、私自身もそれに応えたいと思った。
最高級の装備に身を包んだ私は、意気揚々と部屋を出る。
ゆく先々で人助けを繰り返し、平和を導く使者として。
だけど歯車が狂い始めたのは……おそらく、このあたりからなのだろう。
宮殿の中は、床には埃一つない赤いじゅうたんが敷き詰められて、壁には金箔が貼られ、すれ違う人は純白のドレスに身をまとっていて……
だからこそ、一歩外に出た瞬間に、まるで異世界に飛ばされたかのような感覚に陥った。
よく言おうとしても庶民的。
ありていに言えば貧民的な暮らしが、目の前に広がっている。
赤白金色の華美な装飾から一転して、茶色一色のセピアな世界。
穏やかでにぎやかな雰囲気から一転して、重く陰鬱な空気。
あまりの気圧差に、立ち眩む。
足取りは重く、国の出口へ向かう途中。
私はつい、にぎやかなその場所に引き寄せられてしまったのだ。
外から見ると、そこは酒場のようだった。
薄暗い店内には大きなテーブルがいくつもあり、それぞれが手に手に何か飲み物を持ちながら、どうやら賭け事にいそしんでいる様子。
バニーガールのような耳をはやした男女は、確か兎人族といったはず。
暗い店内でも目を煌々と輝かせているのは、蛇人族だったか。
宮殿で教えられた有名な種族から、より獣に近い姿をしたものまで。
様々な者が、男女も種族すらも問わずに同じルールで競い合っているようだ。
「おや、お兄さん! もしかしてこの街は初めてかい?」
言葉を失って立ち尽くしていると、横から不意に声をかけられた。
顔を向けると、そこには兎耳を垂らした女性が一人、私に近づいてきていた。
「ええ、そうです。よくわかりましたね……」
「そりゃ、そんな派手な格好してたらわかるよ! それで、お兄さんも何か、賭けていく?」
「賭け事……ですか、やったことないんですけど、私でもできますかね」
「そりゃもちろん! それじゃあ、向こうの席が空いてるみたいだから……行こうか! 私と勝負しよう!」
そして賭けは始まった。
ルールは、簡単なカードゲームだった。
トランプみたいなものを、イメージすればいい。
実力というよりは、運に勝敗が左右されるような。
だからこそ、序盤、中盤は互角の戦いが繰り広げられた。
むしろこの時点では、私の方が勝ち越していたほどだ。
だけど終盤になり、掛け金が大きくなり始めると、負けが目立つようになり……
そして気が付いたら、全財産を失っていた。
対戦相手の少女は、愕然とする私に向けて、最後に一言こうつぶやいた。
「だめだよ、お兄さん。そんなステータスで私に挑んじゃ……」
そしてそのまま、今に至る。
◇
一文無しで返ってきた私は、小さな部屋に案内される。
兵士用の宿舎の一部なのだろうか。宮殿と比べると内装は厳かで、それでも外と比べるとまともではある。
しばらく待つようにと言われたので、床に腰を下ろしていると、扉が開き、国王が部屋に入ってきた。
国王自らが来てくれたのは、おそらくこの状況を、できる限り隠し通したいからなのだろう。
「王様……この度は、大変申し訳なく……」
私にだって、罪悪感はある。
その場でそのまま土下座に移行して、謝罪の言葉を並べることしか私にはできないのだけれど。
国王は、そんな私の様子を見て、さらにあきれたように深いため息をついた。
「もう……よい。勇者などに期待した私が愚かだったのだ」
「そんな! 自分勝手なのはわかっています、でも、もう一度だけチャンスをください!」
「むろん、勝手に呼び出しておいて、一度きりの間違いで見捨てたりはせぬ」
そう言って、国王は何かが詰まった袋を私の目の前に投げ捨てる。
金属がこすれあう音がして、床に重い音が響く。
「王様……これは?」
「それだけあれば、数年は暮らすことができるであろう」
「王様……!」
「勘違いをする出ない、それは手切れ金のようなものだ。今後は、必要なものがあったら衛兵に言え。可能な限り、支援は行う。だが、お主は二度と、この宮殿に足を踏み入れてはならぬ」
「王……様……」
「わかったなら、それをもって早く行け。勇者たるお主に、良き旅のあらん事を」
「王様!!!」
そう言葉を残して国王は、部屋を出て、すぐに足音が聞こえなくなってしまった。
一人残された部屋で袋を確認すると、中には金貨が詰まっている。
最初にもらった額の半分程度だが……これ以上のぜいたくを言うつもりはない。
袋をつかんで宮殿の外まで歩く。
日の沈んだ郊外は、昼間以上の不気味さだ。
恐る恐る一歩ずつ、月明かりを頼りに歩いていると、後ろから誰かがついてくる気配を感じる。
「そうか……これが直観力か」
わかったところで、どうしようもない。
なにせ今の私は、木刀の一振りさえ持っていない、無防備な状態なのだ。
少し足を速めると、その瞬間に勢いよくとびかかってきた。
体をひねって横に避けると、昼間見た兎耳の少女がつんのめって……こけた。
そのまま何事もなかったかのように立ち上がり、服についた土を払いながらこちらを向く。
「おや、お兄さん! また会いましたね!」
「お前は、さっきの……!」
「まあまあ、お兄さん。怒らないで、怒らないで……それよりも、泊まる場所がなくて困っているんでしょ? うちに泊めてあげようか?」
「……今度は、何が目的だ!?」
思わず、金貨袋の入った懐に手を当てながら聞くと、
「大丈夫、今日は十分稼がせてもらったからね! それにお兄さんは、もう一文無しでしょ?」
「そう……なんだが……」
どうやらこの少女は、私が王から追加支援を受けたことは知らないらしい。
いや、もしかしたらこの態度さえ罠という可能性もあるのだろうが、しかしそんなことまで疑っていては、私の精神が崩壊してしまうかもしれない……
この金だけは死守するが、あえてここは誘いに乗るぐらいのつもりで、あと一度だけ信じてみるか。
「そんなわけでお兄さん! よかったら、うちの宿に泊まっていかない? 大丈夫、今日はお代はいただかないからさ!」
「ああ……わかった。そうさせてもらえると、助かる」
兎耳の少女は、私の手を引いて、すぐ近くの建物にまで案内した。
扉を開くと、暖炉の明かり、温かい空気が肌をなでる。
暖炉の前には、少女と似た兎耳をした老女が、安楽椅子に座りながら編み物をしているようだった。
「いらっしゃい……」
「おばあちゃん! お客様連れてきたよ!」
「そうかい……案内してあげな……」
「うん! ほら、お兄さん。こっちだよ!」
「あの……お邪魔します」
兎耳少女に手を引かれ、廊下の先の小さな部屋に案内された。
無邪気な顔で扉を開いて中に飛び込む少女に、私もゆっくりと後に続く。
部屋の中は、小さな旅館のようだった。
ほのかに埃のにおいが漂うが、清潔さが保たれてもいる。
私よりも先に少女がベッドに座ってしまったので、私はその向かいにある椅子に腰を下ろす。
少女は、私の顔をまじまじと観察して、面白そうにクスリと笑った。
「ねえお兄さん。お兄さんは、どこから来たの?」
「どこから……そうだな、遠いところから……かな」
「そうなんだ。何をしにこの国に来たの?」
「この国には、王様に呼ばれて、来たんだ」
「王様に? そうなんだ、王様って、どんな人だった?」
「そりゃ、王様みたいな人だったよ」
「なにそれ、変なの……それで、なんで王様に呼ばれたの?」
矢継ぎ早に質問してくる少女は、まさに年頃の少女といった感じだった。
ついさっき、私から全財産を巻き上げた悪魔のような少女と、同一人物とは思えない……
「そうだな……信じるか、信じないかは自由だけど、私は『この世界を救う』ために、王様に呼ばれてやってきたんだよ」
「世界を救う? お兄さんが? ……ムリムリ! そんなの信じられないよ!」
「そうは言っても……まあ、無理もないか。別に、無理して信じなくてもいいよ」
なにせ私だって、完全に信じたわけじゃないのだから。
確かにここは、間違いなく異世界なのだと確信を持てる。
だとすれば、私自身が物語に登場する勇者なのだと言われたら、そうなのかと納得するしかない。
「ところで、お嬢さん。私からも質問してもいいかな?」
「おおお、お嬢さん!? 私のこと? お嬢さんって言った!?」
「そりゃそうだ。私が『お兄さん』なら、お嬢さんは『お嬢さん』だろう。それで、聞いてもいいかな?」
「もちろんいいけど……なに?」
「お嬢さんはもしかして、今日の賭けで何かやってた? 怒らないから、正直に教えてほしいんだ」
できるだけ優しい声で聞いたつもりだったのだけど、少女の反応はどちらかというと「ぽかん」としたものだった。
「何か……? お兄さん、本気で言っているの?」
「そりゃそうだ。あんな運だけのゲームで、あんなにも大負けするなんて、信じがたいだろう」
「運だけ……でもないんだけど、でも、敗因がるとしたら、運だけのゲームだったから、だよ?」
「……どういう意味だい?」
「お兄さんのステータスは、どんな感じなの? 私は見ての通りの兎だから、幸運値が高いんだけど」
そういえば、最初に召喚されたときに王様から説明を受けていた。
この世界にはステータスというものがあり、誰もそれに逆らうことができないのだと。
目蓋の裏の暗闇をにらみ続けると、自分自身のステータスを確認できるのだったか……
目を閉じて集中すると、いくつかの数値が浮かび上がる。
体力、魔力、敏捷力……
このあたりは、勇者である私は人よりも高い数値なのだと聞いている。
そして、浮かび上がったのが『幸運値:17』という数だった。
「私の幸運値は、17と出ているね」
「それじゃあ私には勝てないよ、お兄さん! 最低でも、70ぐらいはないと、勝負にならないかな」
「そうなのかい、お嬢さんは強いんだね……」
「そう、なにせ私は~幸運の兎団~の一員、だからね!」
「道理で強いわけだ。私なんかじゃ勝てないわけだ!」
今更ながらに思い出す。
国王が話していた。この国には特殊な集団があるのだと。
並外れた幸運値を持つ彼らは、一か所に集められて管理されている。とのことだったが、それが要するにカジノという場所だったのだろう。
偉そうに胸を張っているこの兎耳の少女も、その一人。
たまたま召喚されたばかりの勇者ごときが、かなう相手ではなかったのだろう。
それからしばらく、他愛のない雑談をした。
どうやらこの世界には、幸運値を強化するアイテムがあるらしい。
そのアイテムで身を固めれば、もしかしたら素の幸運値で勝る相手にも勝てる可能性があるのだとか。
そして、幸運値に限らず、どうやらこの世界では『数値』というのが絶対視されているらしいということも分かった。
例えば、幸運値が1だけ違う二人でさいころを振り続けたら、本当に幸運値1分の差に収束していく。
たまに勝つことはあっても、平均したら覆せない差が生まれる。
もちろん、1とか2とかの差であれば、実力でカバーすることもできる。
だが、運の要素の強い戦いで、幸運値が10以上離れていたら、まず勝ち目はないのだそうだ。
長い間話していると、少女は舟をこぎ始め、やがてぱたりとその場で横に倒れた。
ここは私が寝る予定の部屋だったのだけど、無賃で泊まらせてもらっている身で文句は言えない。
掛け布団を優しく掛けて、私は部屋を後にした。
暖炉のある部屋へ行くと、老兎人が相変わらず、ゆったりと編み物をしている。
彼女も私に気づいたようで、部屋から出てきた私に向かって軽く頭を下げた。
「おや、うちの子は?」
「寝てしまいました。申し訳ないのだが、他に開いている部屋などはありますか?」
「ありますが……せっかくなので私とも少し話をしませんか?」
「それは……もちろん、構いませんが」
どうやら兎人は、他人と話をするのが好きなのかもしれない。
私が老兎人の向かいの椅子に座ると、彼女は編み物の道具を机において、赤い瞳を私に向ける。
「あの子は、不憫な子なのです」
「……そうですか? 元気な子でしたが」
「あの子の両親は若くして賭博に命を奪われました。だというのに運命の神は皮肉にも、あの子に両親を超える賭博の才を与えたのです。あの子が威勢を張って賭け事をしているのを見るたびに、私は私の無力さに……」
「賭博の才……というのは?」
「あの子は自身の幸運値を公言しません。ですが、いまだに~幸運の兎団~に居続けるあたり、尋常ではないのでしょうね……あの子は敗北を知らない。もしかしたら負けたくても、負けることが出来ないのかもしれません」
「そ、そうですか……」
老兎人はそう言って、身体を丸めて顔を伏せた。
私は、そんな彼女にかける言葉を持っていなかった。
しばらく、静かな時間が流れる。
お互いにかける言葉が見つからず、気まずい……だめだ、話題を変えよう。
「あの、さっきの話だと、その~幸運の兎団~というのは、入団以外にも条件があるのですか?」
「……ああ、あなたは旅人だから知らないのね。~幸運の兎団~に居続ける条件は一つだけ、勝ち続けること。賭け事で一度でも敗北した瞬間に、強制的に脱退となるわ」
「一度でも負けてはいけない!? そんなことが可能なのですか?」
「普通に考えたら無理よね……でも、それを成してしまうのが、~幸運の兎団~たるゆえんなの。……でもね、私は思うの。いつまでも勝ち続けることが、本当に幸せなのかって」
「どういう……ことですか?」
「勝ち続けて~幸運の兎団~に居続ければ、国からお金をもらえるわ。でも、それと同じ……それ以上の制限を、国から受け続けているの」
「制限……?」
「そうよ。国外に出ることは禁止。監視の目があって、半日以上行方不明になれば、捜索隊が編制される。賭けで勝っても、儲けのほとんどは国や貴族に巻き上げられてしまう。幼い頃あの子は、『外の世界を旅したい』といつも私に話してくれた。でも~幸運の兎団~はそんなこと許しはしない」
あの子はね、小さな檻に閉じ込められた、哀れな兎なの。
老兎人のその一言が、私の胸に深く突き刺さった。
「だったら、わざと負けたりすれば……」
「手を抜いて負けたとなれば、それはそれで国から罰を与えられるの。最悪の場合、その場で殺されてしまうことも……」
「そんな、勝手なことが許されるのですか!?」
「でもそれが、この国の掟なの。それに見合うだけの報酬もある。普通の人が真面目に働いても出来ない、贅沢な暮らしをしているし、ほとんど客の来ないこの宿が未だに存続できているのも、補助金のおかげ。もしかしたらあの子が戦い続けるのは、私のせい……なのかもしれないわね」
老兎人は黙りこみ、編み物を再開した。
小さな体を小さく丸め、まるで罪悪感という圧力に押しつぶされそうになっているようで。
できることなら助けてやりたいところだが、私にはどうすることも、叶わない。
私では……私の直観力程度では、あの少女の豪運に勝つことができない。
だから、逃げるのか……?
勝てないから、諦めるのか?
一度の敗北で信頼を失った私が、この上私自身の気持ちさえをも裏切るというのか!?
「違う……」
私のつぶやきに、老兎人は反応しない。だけどそれでいい。
これは私に向けられた言葉。
「勝てないなら、勝てる方法を探せばいい……」
勇気をもって挑むこと。それが勇者の役割だから。
ここで逃げたら私は勇者を名乗れない。
ここで逃げなければ……私はまだ、勇者でいることができる。
「老兎人さん!」
「……」
「大丈夫、安心して。あの子は私が救って見せるから!」
「………………」
「私が、あの子にとばくで勝つ。私があの子を広い世界に連れ出してあげるから!」
「……そうかい。好きにしな、私には関係ないからね」
「わかった。私は私の好きにする。待っていて、あなたの孫は、きっと私が……」
老兎人が、本心から言っていないことは明らかだった。
何よりも、私の直観がそういっている。
期待することに、疲れてしまったのだと思う。
彼女自身が諦めてしまったから、諦めない私を見て何かを感じたのかもしれない。
老兎人は少し苛立たし気に編針を机に戻し、目頭を押さえながら上を向く。
「話はこれで、終わりだね。……ああそうか、あんたの部屋だけど。そこの廊下の先の部屋は空いているから、好きに使いなよ」
「ありがとう、おばあさん」
「それと、これを持っていきな!」
椅子から立ち上がり、廊下へ向かおうとする私の背中に何かが投げつけられた。
私はそれを、背面に手をまわして受け止める。
少しふわふわとした手触りのそれは、何かの毛がぐるぐるに巻き付けられた小さな塊だった。
「これは?」
「いわゆる、幸運のお守りさ。兎やら馬やら、幸運値の高い動物の毛を織り交ぜてある。あの子と戦うんだろ? だったらそれぐらいの加護がないと、勝負にならないからね」
この世界に来るまでは、私は占いとかお守りとかは、信じないタイプの人間だった。
それは、この世界に来ても変わらない。
だけどだからこそなのかもしれない。
こんなに気持ちが高ぶったのは。
お守りを、ギュッとこぶしに握りこむ。
お守りの持つエネルギーが、私の中に流れ込んでくるような、そんな不思議な感覚がある。
目を閉じて……そして見えた。
糸のように細い、勝利への道筋が。
◇
足先の冷たさに目が覚める。
薄い布団では熱がこもらず、木製のベッドで一晩を過ごしたせいか、体が硬い。
おかげで随分と早い時間に目が覚めた。
窓の外は、太陽光を受けた雲の間接照明でぼんやりと薄暗い。
まだ眠りから覚めない街は、人気もなく随分と静かだった。
起き上がり、首を回すと音が鳴る。
こんな状況でも疲れは取れて、眠気は欠片も残っていない。
あるいはこれが、勇者としての性能なのかもしれない。
「さて……じゃあ行くか」
こんなに朝早くから開いている店はさすがにないだろう。
そもそもこの寂れ具合では、まともな店が開いているとも思えない。
しかし私の目的は買い物ではないから、それは問題ない。
音を立てずに宿を出た私は、薄暗い街を一人で歩く。
昨日全財産を奪われたカジノを素通りし、街の外れへ向かう。
「確か……この辺りだったはず……」
独り呟いた私の前に現れたのは、見るからに不気味な雰囲気を放つ洞穴だ。
柵とロープで入り口を封鎖され、古い看板にはこう書かれている。
【危険】一般人の立ち入りを禁止する【危険】
ここは、試練の間と呼ばれているらしい。
召喚され、まだ信頼があった頃に、国王かその側近かが話をしていた。
入ったものには名の通り試練が与えられ、それを乗り越えたものには宝が授けられるのだとか。
兎人に勝とうにも、資金がなければそもそも戦いを挑むことすら出来ない。
国王に渡された手切れ金では心許ないし、私の考えている作戦には、もっと莫大な資金が必要になる。
多くの盗賊が宝に釣られてここに入り、生きて帰ったのはそのほんの一部なのだとか。
だが、その持ち帰った何かが、その者の人生を塗り替えるほどに素晴らしく。
だからこそ多数の犠牲者を出しながら、ここに挑む者はあとを耐えない。
宮殿の人は「勇者ならばあるいは」と言っていた。
私は覚悟を決めて、洞窟の中に足を踏み入れる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、いうことで。
ついにお宝を手に入れた。
洞窟の中の様子を一言で表すと、命の危険があるアトラクション、といった感じだった。
それを私は、勇者の高い身体能力でごり押しして、設置された罠を直感力で回避して。
途中何度か危ない場面はあったけど、それでも無傷で最奥にたどり着き、そこから無事に帰ってくることが出来た。
空を見ると、ようやく太陽が顔をのぞかせたところだ。
かかった時間は1時間程度だろうか。
この国には、ここと似たような迷宮が、他にもいくつかあるらしい。
「……よし」
◇
と、いうことで。今夜私はもう一度、あの兎娘に勝負を挑む。
私が賭けるのは、王様から預かった手切れ金をすべて。
ごめん、王様。でも許して……
これはこの国のためとか、ましてや王様のためだとか、そういう大義はないけれど。
でもこれは、この国に暮らす一人の少女を救うためだから。
一人の少女も救えない人が、国を救う勇者なんかになれるわけもない。
決意を新たに気を引き締めなおし、私は開かれた門をくぐる。
「あ、お兄さん! また来たのですか? 今日は誰の相手をするの?」
兎人の少女は昨日貪り尽くしたばかりの私に屈託なく笑う。
だけどまさか、私の目的が彼女自身だなどとは、思いもしないのだろう。
「いや、お嬢さん。私はあなたに再戦を申し込む。受けてくれるだろうか」
そう口にすると、彼女は一瞬驚いた表情を見せ、直後に肉食獣のように奥歯を輝かせた。
「いいよ、やろう。またお兄さんを剥いてあげる」
半日ほど、別の店で賭け勝負をして分かったことがある。
この世界での賭け事は、単純な幸運値の比べ合いという側面がある一方で、実は戦略性が求められている。
幸運は、一定に見えて、そうではない。
使えば消耗するし、時間が経てば回復もする。
幸運値の総量では勝てない相手にも、戦い方次第で勝つことができる。
小さな勝負では手を抜く。
大きな勝負に持てる運値の全てを注ぐ。
ただそれだけで、勝率は幸運値の差を埋める。
◇
まずは掛け金を。
ということで私は、王様から頂いた大事な資金を全額テーブルの上に乗せる。
昨日、文字通りの一文無しになされた様子を見ていた者がいたのだろう。
何ヶ所かで驚きの声が上がる。
「へえ、お兄さん、すごいね。たった半日で私のお小遣いをこんなに集めてくれるだなんて!」
「お嬢さん、失礼だがこれが貴方の物になることはない。昨日の私と同じだと、思わないでいただきたい」
「確かに昨日と比べて、変な格好だけど。部屋の中では帽子ぐらい外したらどうなの? 似合ってないし……」
「悪いが、これも全て君に勝つためなんだ。そんなことより早速勝負を始めよう」
「ルールは?」
「昨日と同じでいい」
「わかった」
互いに同意を結んだこの瞬間、勝負が正式に締結された。
双方の目の前に、一枚のカードが伏せた状態で配られる。
先に動いたのは、私の方だ。
「ベット」
手持ちの金貨の一枚を、テーブルの上に投げ込んだ。
「うーん……まあ様子見で、コールかな」
兎人の細く白い指先が、金貨を摘み上げてテーブルの上に静かに置いた。
そしてカードが裏返される。
私のカードは魔法使いのlv3
彼女のカードは剣士のlv2
複雑なルールでは、複数枚めくって役職同士の組み合わせで勝負するのだが、今回は単純に数値の大きさだけで競われる。
つまり初戦は私の勝ちだ。
テーブルの中央から金貨を2枚、拾い上げ、手元の金貨袋に放り込む。
「ふうん……なかなかやるね、お兄さん。その格好の、おかげかな?」
「よく気がついたな、その通りだ」
基本的にこの世界では、自分よりも数値の高い相手に勝つことはできない。
だけどそれは、お互いに裸の状態で戦った時の話だ。
殴り合いの喧嘩でも、武器の強さで力の弱さを補うことはできる。
気がついたのは、老兎人からお守りを受け取った時。
あの時確かに、私の幸運値はわずかに増加した。
つまりこの世界では、幸運の値でさえも、鍛えることができるのだ。
私が頭にのせているこの鍔の広い帽子は、私の幸運値をわずかに上乗せする。
私が腰に下げる純金色のナイフは、私の幸運値の消費効率を改善する。
私が腕に着ける木製の腕輪は、私自身の幸運値をほんのわずかに強化する。
休みなく連続で、この街のあるあらゆる迷宮に挑戦し、幸運を強化するお宝を探した。
伝説級の武器や秘宝は商人に売って資金に換えて、ほかにも様々な、幸運のお守りを買い集める。
その結果、今の私の幸運値は、装備の補助ありとはいえ、80を超えた。
私の見立てでは、ここまで用意してようやく互角。
だけど勝負から逃げる言い訳を潰すには、私にとっては互角で十分だった。
役目を終えた小さな宝石が、私の手の中で色を失う。
再利用するためには、最低でも半年は寝かせる必要がある。
「お疲れ……ありがとう。休んでね」
そうねぎらって、宝石を布に包んで袋にしまい、ポケットから別の宝石を取り出して握りしめる準備をする。
兎人の少女は、金貨一枚をかけた戦いに負けたというのに、特に堪えた様子はない。
彼女自身が言っていた通り、ただの様子見だったのだろう。
だから本当の闘いは、これからだ。
◇
それから数回、勝ったり負けたりの戦いが続いた。
昨日はこの時点で、実はすでにかなり収支の差があったのだけど、今のところはほぼ互角の戦いに持ち込むことができている。
そして、時計を確認したディーラーが、手を挙げて宣言する。
「それではこれより、枷を外します」
少女の瞳の色が変わった。
黒い瞳が見開かれ、暗い室内で漆黒の光を放つ。
枷を外すとは単純に、金額の制限を無くすという意味だ。
遊びで賭けを楽しむ人は、このタイミングで身を引くらしい。
昨日の私は「才能がある」とか煽てられて調子に乗って、そのまま破産した。
今日の私は……それでも少女の瞳を見つめ返す。
金貨を五枚取り出して、机の上に置く。
少女は……金貨を三十枚ほど取り出して、机の上に静かに置いた。
「さあ、どうするの、お兄さん? その五枚の金貨を、私に譲ってくれてもいいよ?」
「そうだね……」
勝負をするには、こちらも同じだけの金貨をテーブルに置かなければならない。
目で数えたら、金貨の枚数はちょうど三十枚だった。
もし三十枚の金貨をかけた勝負に負けてしまうと、今後の戦いはかなり不利に進めなくてはならなくなる。
……だけど!
「ここで引くなら、そもそも勝負はしないよね!」
ポケットから取り出した宝石を強く握りしめながら、袋から二十五枚の金貨を取り出して、並べる。
互いに同じ枚数の金貨がそろったことで、ディーラーによってカードがめくられる。
ショウダウン
私のカードは魔法使いのlv27
彼女のカードは弓使いのlv24
恐る恐る目を開けると、まずは結果が目に入り、驚きに顔をゆがめる彼女の顔が。
「負けた……!? 私が?」
手の中で、指先ほどの大きさの宝石が砕けて粉になったのが分かる。
だけどこの一勝には、それだけの価値があった。
資金を勝ち越すことができたという以上に、精神的に優位に立つことができた。
そこから先は、一方的な展開だった。
「じゃあ次は、私は金貨5枚です。お嬢さん、どうしますか?」
「……やる! 金貨20枚! 今度こそお兄さんに負けない!」
「20枚ですか……では私は降参します」
「え? なんで!?」
私の金貨5枚が彼女の手に渡り、彼女の幸運値が大きく霧散した。
「じゃあ私は……5枚掛ける。お兄さんは……?」
「私も同じ枚数だけで、勝負しましょうか」
「え……、はい」
明らかに幸運値を注がれていない一戦を、私はわずかな幸運値だけで勝利をつかむ。
今までは、彼女自身の圧倒的な幸運値だけで戦ってきたから、こういう駆け引きは苦手なのだろう。
表情を隠そうともしない彼女の資金を、最低限のお守りの消費でじわじわと削る。
だけどこちらの手札も、もう残りが心許ない。
間違いなく彼女の運も消耗しているはずだけど……このあたりで、勝負を決めなくてはならないようだ。
「お嬢さん、そろそろ終わりにしましょうか」
「終わりに……?」
「私は、私の財産のすべてをベットします。お嬢さんは、どうしますか?」
「私は……」
言い淀んだ彼女の答えを、私は笑顔を引きつらせて待つ。
今回私が握りしめるのは、老兎人から受け取った幸運のお守り。
これが私の最後の切り札で、これを失ったら私は、もうこの先、一戦たりとも勝つことはできない。
悩む様子の彼女を見て、戦慄が走る。
もしここで、彼女が誘いに乗らなければ……?
嫌な予感が背筋を走り、だけどそれは杞憂に終わった。
「わかったよ、お兄さん。私もこの勝負に、すべてを賭けて、全力で挑むことにするよ」
そう言って、彼女は懐から一枚のカードを取り出した。
テーブルの上に投げつけられたそこには輝かしい文字で『~幸運の兎団~』と刻まれている。
いつの間にか私たちを囲んでいたギャラリーが、その瞬間に大きくどよめいた。
今までは慣れた手つきでカードを配っていたディーラーも、緊張を顔に隠そうともしない。
「それでは、これがラストデュエルとなります。挑戦者は全財産を。幸運の兎は、その存在証明を、賭けました。それでは……」
つばを飲み込む音が聞こえる。
胃が痛くなるほどの緊張感の中、二枚のカードがめくられる。
私のカードは聖剣士のlv30
彼女のカードは……同じく、聖剣士のlv30
lv30は、このカードの中でも最高レベルに値するらしい。
そして聖剣士は、今回のルールでは関係ないものの、カードの中でも最強とされるうちの一つらしい。
「そんな……同じカードということは、引き分け?」
その場合、どうなるのか。
仕切り直しとなった場合、全てのお守りを使い切った私に勝ち目はない。
昨日の繰り返しのように、全財産を失う。ということまで覚悟した瞬間に、兎人の少女は席を立ちあがり、涙を浮かべながら私に手を差し伸べた。
「違う、お兄さんの勝ちだよ……おめでとう」
「……勝ち?」
とりあえず手を握り返しながら、首をかしげると、ディーラーが静かに手を挙げた。
「説明を、させていただきます。今回挑戦者と、幸運の兎はともに同じカードを引きました。通常であればこの場合、お互いの掛け金はすべてお互いの元に戻され、そのまま戦いは続行されます。ですがラストデュエルでは、どのような条件でも、必ず決着がつくルールが適用されるのです!」
そう言ってディーラーは、テーブル上の二枚のカードを取り上げる。
「通常であれば、レベルが同じであれば、役職の強さで。そして、役職とレベルがともに同じ場合、勝負を挑んだ側……今回の場合、先に全財産を賭けると宣言した側が勝利となるのです!」
つまり……?
「おめでとうございます、挑戦者様。この戦いは、あなたの勝利です。そして敗北した兎は団員の資格を失い、この国からの追放令が下されます。敗北が決定したこの瞬間から48時間以内に、支度を整えてくださいね」
ディーラーが宣言を終えると、建物が揺れるほどに大きく盛り上がった。
私の周りに多くの人が集まって、喜びの言葉を聞き出そうといくつもの質問を浴びせてくる。
そんななか、小さな兎が静かに店を去っていく様子が見えた。
◇
結局、私が解放されたのは、日が沈み、あたりが暗くなってからだった。
今回の勝負で資金は倍近くに増えたから、今日は正式な客として、兎の宿へ向かうことにする。
そして扉の前まで来て、そういえばこの家には兎人の少女もいるのだと思い出して立ち止まる。
……さて、なんと声をかけるべきなのか。
そう思って固まっていると、不意に私の肩が誰かにつつかれた。
振り返るとそこには、引きつった笑みを浮かべる兎人の少女がいた。
「どうしたの、ねえお兄さん?」
「いや、今日泊まる宿を探していてね、お嬢さん」
「だったらここで、一晩泊まっていきませんか? 私の相談を……どうか聞いてはくれませんか?」
よく考えたらこの子は、まだ子供だ。
圧倒的な幸運値で、賭け事では無双できるとしても、まだ世の中のことを何も知らない。
しかも両親はすでに他界して、育ての親である老兎人とも、もう別れなければならない。
もしかしたら私は、この子に勝とうなんて思ってはいけなかったのかも……
「……なんて、そんなことは思っていませんよね、お兄さん?」
「うっ……いや、大人げなかった、申し訳なかったと反省してる」
「でもね、私はそれでも、嬉しかったんだよ。私より強い人がいるって知れたことが。そして、私をこの街から追い出してくれたことにも感謝してる」
そう言って、彼女は萎れた花のような笑顔を見せる。
私は、そんな彼女にかける言葉を持っていなかった。
「ねえお兄さん。お兄さんはこれからどうするの? ずっとこの街に、残るの?」
「あ~えっと、あまり考えていなかったけど……」
よく考えたら私は、もうこの街でやることが残っていない。
王様から依頼されていた、遺跡の探索はとっくに済ませたし、私自身も宮殿からは追い出された身だから、帰ることもできないし。
だとしたら……
「……そうだね。私はとりあえず旅に出ようと思っているんだけど……そうだ、兎のお嬢さん。もしよかったら、私と一緒に世界中を回りませんか?」