エピローグ
『ルイス・・・早く起きて。アレクが心配してる。・・・私も。だから早く戻ってきて。お願いよ』
レティシアの声が聞こえる───。
───・・・泣いてる?
これは夢か?
慰めてやりたいのに、体が重くてどこも動かない。
目も開けられない。僕は死んだのか・・・?
『ルイス・・・っ』
左手が暖かい。
レティシアが手を握ってくれているのか。
───レティシアに触れたのはいつぶりだろう。
婚約者だった時以来じゃないかな・・・。
やっぱり夢なんだろう。
いい年した大人が、手を握られたくらいで嬉しくて泣きそうになるなんて情けない。
どうしたらいい。
どうしたらレティシアへの想いを消せる?
久しぶりに会えた事はすごく嬉しい。
──────でも、すごく苦しい。
もう忘れたい。
もう諦めたいのに、こんな夢を見るほどに心は彼女を求めてしまう。
その執着に自分でもウンザリする。
『ルイス、起きてルイス・・・』
ごめん、レティシア。
──────愛してるよ。
「・・・・・・・・・」
意識がゆっくりと浮上し、アロマの香りが鼻をかすめた。暖かいぬくもりが顔を拭っていく。
目を開けば、暖かい布で額の汗を拭ってくれるレティシアの顔が見えた。目が合うと彼女は瞠目し、手元が止まる。
「───レティシア・・・?」
小さな掠れた声が届いたのか、硬直していたレティシアがビクっと体を揺らすと、顔を悲痛に歪めて涙を流し始めた。
「良かった・・・っ、ルイス!良かった・・・っ。生きてて良かった・・・っ」
夢で感じたように、レティシアが僕の左手を握りしめて嗚咽を溢す。あれは・・・夢ではなかったのか?
「───助かったのか・・・」
「ええ。でもかなり危なかったのよ。アレクが貴方に治癒魔法と魔力譲渡を行ったおかげで一命を取り留めたの。後でアレクを褒めてあげてね」
「そうか・・・、すごいなアレクは。・・・そんな事が出来るんだな・・・」
どうやら僕が刺されてから3日も経っているらしい。あんなに体中に激痛が走ったのに、今は刺し傷もなくなっているし、体の痛みも全くない。
毒はレティシアの神聖魔法で浄化してくれたらしい。
水で喉を潤しながら、レティシアから僕が倒れている間に起こった事を聞く。
「それから、元ロスタ公爵令嬢だけど、王宮騎士団に引き取られて取り調べが終わり次第、地下牢に入れられるわ。ルイスを刺した短剣には、貴方の父親が開発した生物兵器の毒が塗ってあった。10数年前のガウデンツィオの内乱で使われた武器よ。彼女の背後に内乱で生き残った混血魔族がいたの。彼らは魔王軍の影が捕らえてガウデンツィオへ連行していったわ。
───そして、元ロスタ公爵令嬢は、王族を刺した罪で恐らく処刑になると思う・・・彼女はもう平民だったから」
「・・・だろうな。刺されたのが僕で良かったよ。僕はアレクほど魔法に長けてないし治癒魔法も使えない。僕ではアレクを助けられなかったと思うから、これで良かったんだ」
あの耐えきれない痛みをアレクに負わせなくて良かった。
あの時僕が間に合わずにアレクが刺されていたとしたら、きっとアレクは今生きていない───・・・・・・考えるだけでゾッとする。
本当に間に合って良かった。
そう思って安堵の息を吐くと、レティシアが大声を上げた。
「何を言っているの!?」
「え・・・?」
「貴方が死にかけて、アレクが・・・、あの子がどれだけ怖い思いをして傷ついたと思ってるのよ!相手が隠蔽魔法を使っていたとはいえ、訓練を受けた王族の男がただの令嬢に刺されるなんて恥だと思いなさいよ!簡単に死にかけてるんじゃないわよ…っ、私がどんな思いでアレクを貴方に預けたと思ってるの!?引き取るなら長生きして曾孫を拝んでやるくらいの覚悟で生にしがみつきなさいよね!アレクの幸せには、貴方が必要なのよ?貴方はちゃんとそれをわかってるの?」
起き抜けに結構酷いことを言われている気もするけれど、レティシアの表情が悲痛に染まり、震える手で僕の左手を握りしめているから何も言えなかった。
とても心配してくれたのがわかるから。
アレクの幸せに、僕が必要――――?
そんな事、考えたことなかったかもしれない。
ただ一緒に居てくれるのが嬉しくて、父親になれることが嬉しくて、今の生活を守るのに必死だったような気がする。
アレクに嫌われないように、傷つけないように、全ての害悪から守らなければ、アレクは僕から離れていってしまうと、ずっと怯えていた。
正直なところ、僕は普通の父親がどんなものなのかわかっていないと思う。父王は悪人だったし、僕はずっとアレクに父親として接することが許されない状況だったから、今も手探り状態だ。
今回は体が勝手に動いてあんな事になったけど、そうか・・・僕はアレクを守って死ぬなら本望だと思っていたけど、僕はアレクに消えない傷を与えてしまうところだったのか。
今まで何度も命を狙われて、父王の事や王太子時代の自分の過ちを責められ続けて、死が迫る状況に麻痺していたのかもしれない。
自分も父と同じように死んだ方がいいのかもしれないと、ずっとどこかでそう思っていた───。
幸せを求めてはいけないのだと。
「───僕は・・・、長生きしてもいいのかな・・・。僕は確実に父の血を継いでるよ。君を裏切って、傷つけて、国に混乱を与えた酷い男だ。貴族達にも散々責められた。自業自得だ。そんな情けない男が生にしがみついて許されるかな?僕は今、アレクの父親として生きられて、とても幸せなんだ。でも同時に、すごく怖い。
僕は一度君達を失っているから、この幸せがまた僕のせいで壊れる日が来るかもと想像するだけで怖くて怖くて仕方ないんだ。だからあの時、アレクを失うくらいならアレク守って死んだ方がマシだと思った。───でもそれは・・・間違いだね」
アレクはまだ子供なのに、僕が臆病者なせいで最悪なカタチで親の死を背負わせるところだった。
アレクが自分を責めないハズはないのに───。
「───貴方は、10数年経ってもまだ、自分を許せないのね」
「・・・・・・許せるわけ、ない・・・っ、だってレティシアを失ったんだっ。許せるわけない。後悔しなかった日なんか一日だってないっ。アレクの存在を知った後は後悔しすぎて死にたくなった。得られるはずだった幸せを、レティシアとアレクと三人で暮らせる幸せを、自ら捨てたんだ・・・っ。許せるわけない・・・っ」
涙が溢れる。見られたくなくて片手で顔を覆っても、指の隙間から涙がこぼれ落ちた。
情けない。
きっとレティシアも呆れてる。
「しつこくて、いつまでも未練たらしくて気持ち悪いだろう?───すまない・・・・・・・・・忘れてくれ」
無言の時間が気まずくて、自嘲した。
ああ。ダメだ。レティシアとアレクの前では感情を揺さぶられ過ぎて王族の仮面をつけられない。
ただの臆病な情けない男になってしまう。
消えたくなる。
「──────もう、いいわ」
ほら、やっぱり呆れられ───
「貴方が自分を許せなくても、私が貴方を許すわ」
「・・・・・・・・・・・・」
レティシアの言葉に固まり、数秒後に顔を覆っていた手を退けてレティシアを見る。
そこには、嫌悪も何もない、穏やかな笑みを浮かべたレティシアがいた。
「な・・・・・・・・・んで・・・」
「貴方が心から悔いているのがわかるから。それに、この10数年私も貴方を見てきたから。口先だけじゃなく、民の為に変わろうと努力している貴方を、ちゃんと見てたから。だからアレクを貴方に託したのよ。貴方を信頼していなければ、絶対にアレクを渡さなかったわ」
信頼───。
その言葉に、僕の涙腺は決壊した。
僕が一度失ったもの。
そのせいで、最愛が僕の前から消えた。
その最愛から、『信頼している』と言われたのだ。たとえそれが愛情ではなく親としての信頼だったとしても、これほど嬉しい事はない。
そして、許すと言ってくれた。
一番、許して欲しかった相手。
ずっと焦がれ続けて、会いたくて、でも苦しくなるから会いたくなくて、忘れたくても忘れられなかった。
「ズルいなレティシアは───」
「元悪役令嬢ですからね」
「何それ」
「そのうち話すわ」
そのうち・・・・・・それはつまり、まだ僕の側にいてくれるという事だろうか。胸の奥にほのかな熱が灯る。
「やっぱりズルいよ」
レティシアの一言に一喜一憂している自分は周りから見たらさぞ滑稽だろう。でも、それでも構わない。
僕にとって一番大事なのはレティシアとアレクだから。
二人からもらった沢山の想いは僕のかけがえのない宝物だった。二人がいたから、中継ぎの王として立つことが出来た。どんなに辛くても、逃げずに弟に繋ぐことができた。
二人は僕の最愛なんだ。
二人の為なら、僕は頑張れる。
久しぶりに、二人で笑いあった。
それだけで僕は、こんなにも嬉しい───。
コンコン、というノック音のあとに悲痛な顔をしたアレクが部屋に入ってきた。
「母上、父上の容態は───」
そこまで言いかけて、既に目覚めている僕を見てアレクが瞠目する。
「ちち・・・うえ・・・?」
「もう大丈夫よ、アレク」
レティシアのその一言でアレクはその場で泣き出した。
ああ、レティシアの言う通りだ。僕はアレクを傷つけてしまったんだな。とても怖い思いをさせてしまった。
するとレティシアが勢いよく立ち上がり、
「ほら見なさい!年を取ったからといって弱くなり過ぎよ。アレクと一緒にもう一度鍛え直しなさい!次泣かせたら承知しないから!」
と、僕を鼓舞した。
弱くなり過ぎって・・・酷くないか?と思ったけど、レティシアの瞳に涙が滲んでいたから、僕とアレクの事を想って言ってくれているのだと気づいた。
そうだね。
僕は父として、もっと強くならなくてはならない。泣くほど僕を案じてくれる息子を置いて早死にするわけにはいかない。
レティシアの言うように生にしがみついて、アレクの心までも守れる親になるんだ。レティシアの隣に立って、堂々と胸を張ってアレクの父だと名乗れるように───。
レティシアの突然の鼓舞に、ぽかんと口を開けて呆けているアレク。既に涙は止まったようだ。
「アレク、心配かけて悪かったね。助けてくれてありがとう」
そう声をかけると、アレクはさっきの泣き顔から一転、嬉しそうな笑顔をこぼした。
その笑顔は少女の頃のレティシアに似ていた。
僕に似ている顔にレティシアの面影を残すアレクが愛しい。僕と最愛のレティシアとの子供。
「二人で、守っていかなくちゃな。親なんだから」
「そうよ」
そう言って柔らかい笑顔でアレクを見るその母親の顔も好きだと思いながら、僕もアレクに微笑みかけた。
僕の父親としての人生は、
まだ始まったばかりだ。
空回りして失敗する事も多いけれど、それでも僕は自信を持って言える。
レティシア、アレク。
二人に出会えた事が、僕の幸せだ。
◇◇◇◇
「あ~あ、父上号泣しちゃって挨拶何言ってるか全然わかんないよ。誓いのキスからずっと泣き通しじゃん。王兄なのに威厳も何もないね。身内だけの結婚式で良かったかも。あ、母上が代わりに挨拶するみたい」
「仕方ないわよ。お義父様はお義母様への想いを拗らせまくってやっと念願叶っての結婚なんだから」
「まあね。父上がヘタレ過ぎてくっつくのに時間かかったのは予想外だったけど、やっと二人が落ち着いて良かったよ」
今日は両親の結婚式だ。
長い長い父の片思いが実った。
息子の俺から見ても重すぎるくらい父は母の事が好きだ。
一度失ったせいで臆病風吹かせてる父に、俺が発破かけて告白させたんだよね。告白にOKもらった時もこんな風に号泣してたなぁ。
「ほんと、どれだけ母上のこと好きなんだろうね」
妻のエリアーナの肩を抱いて、幸せそうな両親を眺める。
良かった。二人の想いがちゃんと通じ合って。
告白の時、母はすぐには答えなかったらしい。
母が転生者だという秘密を打ち明け、もう婚約者だった頃のレティシアはどこにもいないと伝えても、父の気持ちは一切揺るがなかった。
逆に今まで起きた全ての事に納得したと言っていた。
そして長年拗らせていた想いを全部伝えたところ、漸く母が頷き、父は号泣したのだ。
拗らせ過ぎだよね。
母は結婚後、ガウデンツィオでの仕事を人に引き継いでオレガリオに移り住み、俺と同じ魔法師団に指導者として入った。
旅立つ時に魔王様は寂しそうにしていたけど、「まあ、人間の寿命は短いからね」なんて意味深な事を呟いていたのは聞かなかった事にしといた。
魔王様にも幸せになって欲しいと思ってるよ。彼らも俺の大切な家族だから。
その後のオレガリオは、女神の加護ではなく自分達の努力で実りある国へと変貌を遂げた。俺と母上の共同で研究した成長促進魔法は他国の食糧難をも救い、再びオレガリオは注目を浴びる事になる。
そしてその研究支援を行なっていたガウデンツィオもまた注目され、高い魔法技術や生活に根付いた高性能な魔道具が世界に浸透し、魔族への偏見が薄れ始めている。
「おじいたま!おばあたま!」
息子のリオンが駆け出し、ガゼボにいる両親に抱きついた。そんな息子の小さな体を父が抱き上げ、膝の上に乗せる。そして母が優しくリオンの頭を撫でた。
ふと、昔母に言われた言葉を思い出す。
『いずれ貴方も親になればわかるわ』
父が俺を庇って死にかけた時に言われた言葉。
親になって、その立場に立って初めて両親の想いを知った。そして改めて両親の愛を知った。
二人からもらった愛情を、今度は俺がリオンとこれから生まれる子供に返していこうと思う。
公爵家の庭に、息子の笑い声と、孫と一緒に遊ぶ両親の笑い声が響く。
妻と一緒にガゼボでそれを眺めながら、家族で過ごすこの幸せの時間に、感謝の祈りを捧げた。
完
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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