土砂降り令嬢の傷心旅行
「ああ、もう付き合っていられないよ、メアリ」
「……ベネディクト様がそうおっしゃるのなら、仕方ありませんわね」
王宮の庭園のひとつ、ベネディクト第一王子のためのお庭で、私たちはテーブルを挟んで向かい合っています。
公爵の娘である私は、今の今まで殿下の婚約者でした。
ですが、この度、こうして殿下から最後通牒をいただきました。
「……失礼いたします」
淑女の去り際とは潔くあるべきです。
私はすっと立ち上がり、礼をし、庭を辞します。
ふたりきりの庭。ここで語らった未来。ご馳走になったケーキ。笑顔。興じたカードゲーム。いただいた装飾品。差し上げた刺繍。密かに繋いだ手。
そういうものが思い出されると、私の体から自然と、魔力が漏れ出てきて……。
「ああっ……」
土砂降り。
庭に雨が降り注ぎます。
殿下は大丈夫だろうか、振り向きたかったけれど、私は振り返らずに、はしたなくも駆け出しました。
馬車に戻り、私はようやくそこでわんわん泣きました。
雨は降り続けました。
私は生まれつき魔力が多く、そして感情が魔力の暴走に直結する体質でした。
悲しいときは水魔法、怒ったときは炎魔法、嫉妬に駆られれば雷魔法、寂しいときは風魔法……。
ちょっとくらいなら可愛いものなのですが、膨大な私の魔力に裏打ちされた魔法たちは、こうして水魔法が土砂降りになったりしてしまうのです。
ついたあだ名は土砂降り令嬢。不名誉この上ないあだ名です。
大人になれば感情をコントロールできるようになる……そんな慰めも私には通用しませんでした。
18歳になった今日だってこんな土砂降りを……。それも殿下の前で、はしたないったらありはしない。
いえ、もう外面を気にしていても仕方ありませんね。
どうせ殿下とはお別れなのですから。
……お別れ。その言葉に胸が痛みます。
「メアリ様ー!?」
悲鳴のような声が外勤めの衛士から上がります。
雨がさらにひどくなってしまったようです。
「ごめんなさい!」
私はベッドに潜り込んで心を落ち着けるため、目を閉じました。
ベネディクト様と初めて出会ったのは、お互いが10歳の春でした。
花の咲き誇る殿下の庭、同じ年頃の令息令嬢が集められ、殿下にお目通りしたのです。
その頃、すでに私の暴走魔法のことは知られていまして、よく周りの子に土砂降り令嬢とからかわれていたものです。
その日も青虫を顔にぶつけられて、私は泣いてしまい、晴天の空から瞬く間に雨が降り注ぎました。
屋根のある方へと逃げ惑う子供達の中、殿下はずぶ濡れになりながら、私に近付いて青虫を捕ってくれました。
ベネディクト様のお姿がまぶしくて、忘れられなかった。
その半年後、殿下からお手紙が来て、婚約の申し込みがあったときは、雪がしんしんと降る冬だというのに、木魔法が暴走して我が家の庭の花々は咲き乱れました。
そんな大切な思い出。
しかしその8年間の婚約に、今日、終止符が打たれたのです。
泣きはらした目では夕食の席には向かえません。
具合が悪いと言い張って、寝室で麦のおかゆを食べました。
今頃、両親達は頭を抱えていることでしょう。
魔法の暴走は恥ずべきことです。
それを18歳になってもコントロールできない貴族の娘なんてどこに出しても恥ずかしい。
せっかく殿下の婚約者という座を射止めたのにそれも台無しになってしまった。
「ああ……」
私の心は乱れに乱れ、空から雨が降り注ぎ続けました。
一晩中泣いて、ようやく頭はすっきりしてきました。
思えば、こんな厄介な体質の女をよく殿下は8年もそばに置いてくれたものです。
私は殿下のために庭師達が季節を考えてこしらえた庭の花を勝手に咲かせたりするような女なのですから。
他のご令嬢と話しているのを見て嫉妬に駆られて、雷を落としたこともありましたっけ。
不敬にもほどがありますね……。
そんな私をそばに置いてくれた。感謝こそすれ、恨みなどあっていいはずもありません。
私はただただ悲しいのです。
そんな私の悲しみに応えて、王都には雨が降り続けました。
そして3日後。
「……め、メアリ……」
お父様とお母様が恐る恐る私の部屋を覗き込みます。
「……どうされました? お父様、お母様」
「そ、その、雨……どうにかならんか……土砂降り令嬢のせいで水害がどうとか……その……」
お父様は見るからにげっそりしています。
お父様は王宮で役職をいただいています。
王都に3日間、降り続く雨に、どうにかしてくれと、文句が出たのでしょう。
「……ごめんなさい」
私はうつむきます。
心では納得しても、悲しみはぬぐいきれません。
「……あの、お父様、私、悲しみが癒えそうにないので、旅にでも出ようかと思いますの」
「……旅、か」
「はい、一所ではなく、あちこちで雨が降るなら、そう困りはしないでしょう?」
「分かった。護衛にはダグラスをつけ、侍女としてアリーナをつけよう」
ダグラスはベテラン衛士。私が幼い頃から家に仕えています。
アリーナは私に年近い侍女です。少しおっちょこちょいなところはありますが、いつも明るい笑顔を絶やしません。
きっと私の旅に明るい笑顔を振りまいてくれるでしょう。
そうと決まればさっそく出立です。
「旅ですかー! わたくし、王都を出るのは初めてです! お嬢様は?」
馬車の中、さっそくアリーナが弾んだ声を出します。
「母の実家が西の方だから、そちらに行ったことならあるわ」
「奥様の! 今回の旅ではそちらにも行きますの?」
「さあ、どうかしら……」
今回の旅はいつまで続くのだろう。
いつまで雨は降り続けるのだろう。
私には分かりません。
国を縦横無尽に移動します。
風光明媚なお花畑も、山も、滝も、すべて雨が覆い隠しています。
アリーナにもダグラスにも申し訳ないことですが、二人は気にした様子もなく付き合ってくれます。
雨は私と一緒にどこまでも降り続けました。
東の町に湖を見に行きました。
渡り鳥がいると聞いていたのですが、雨が降り続いて、鳥は一羽も見られませんでした。
今日は東の町のオークス伯爵家にお世話になります。
「いやあ、ここ数日かんかん照りが続いていたので、助かりますよ!」
オークス伯爵はそう言って笑いました。
「しばらく滞在されてはいかがです?」
「……では、お言葉に甘えて」
「……ところで、メアリ嬢、我が家の息子が18歳になるのですが……」
「……ぜひ、お目にかかってみたいですわ」
社交辞令で微笑みます。
このような申し出は行く先々で受けました。
父は王宮でもなかなかの地位に就いています。
私と結婚することは、彼らにとってステータスになり得るのでしょう。
「ふう……」
宿を借りている以上、無下にもできません。
かといって、私の心はまだベネディクト様を思っています。
今すぐ新しい方とどうこう……という思いはありません。
オークス伯爵の息子さんとは到着の翌日、お茶をすることとなりました。
「はじめまして、メアリ嬢」
「……はじめまして」
「いやあ、それにしてもメアリ嬢の魔力はすごいですねえ!」
「制御できなくてお恥ずかしい限りです……」
「そんなことないですよ! ……ないですよ!」
そんなことはない、と言ったもののフォローの言葉が続かず、息子さんは苦笑されます。
私がとりあえずいただいたお茶を含んでいると、外から騒ぎ声がしました。
「な、なんだ! なんですか!?」
オークス伯爵の声です。
「父さん? どうしたんだ?」
息子さんが顔をしかめて、立ち上がりました。
騒ぎはどんどんとこちらに近付いてきます。
「……メアリ!」
大声とともに扉が開きました。
そこにはベネディクト様がいらっしゃいました。
「べ、ベネディクト様……」
「え? 第一王子殿下?」
息子さんはその場で一瞬うろたえましたが、殿下に向かって深々と礼をしました。
「よ、ようこそ、このような辺境まで」
「ああ、歓迎どうも! メアリ! 会いたかった……! ごほっ! ごほっ!」
「ベネディクト様!?」
「あ、ああ、心配しないで、風邪を引いてたんだ。ほら、雨にすっごく降られたから……」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、謝らなければいけないのはこちらの方だ……ああ、メアリ。君をひどく傷付けた……」
「いえ、いいえ、私が悪いのです。魔力を制御できない私に……あなたが愛想を尽かすのは当然のことですわ……」
「違うんだ。違うんだよ、メアリ……ああ、どう話したらいいんだ!」
ベネディクト様は困ったように頭をかきむしりました。
「……と、とりあえず、こちらにどうぞ、殿下」
息子さんが自分が座っていた席を殿下に譲られます。
「さあさ、父上、メアリ嬢と殿下は積もる話があるようです。下がりましょう」
「あ、ああ……」
オークス伯爵を連れて、息子さんは部屋を去って行きました。
部屋には私と、殿下。それに給仕代わりのアリーナが残されました。
「……その、違う、とは?」
期待をしそうになるのを必死にこらえながら、私は平静を装おってたずねます。
「……付き合っていられないって、そういう意味じゃないんだ。誤解されるような言い方をした自分が完全に悪いんだが……」
「はあ……」
「……その、ほら、カードゲームをしていたじゃないか」
「ええ」
私たちはポーカーに興じていました。
賭けていたのはオヤツのマカロンでしたけど。
「……君ってば、良い手が来たら足元の花を咲かせるから……」
「……え」
気付いていませんでした。
「悪い手が出ると風がそよいで髪を撫でるし……」
「ええ……」
気付いていませんでした。
「ゲームにならないなあって……そのつもりだったんだけど、その、あんなに傷付くとは思わなくて……雨が降りだして、呼び止めたんだけど、雨にかき消されて声が届かなくて……」
「まあ……」
私は振り返るべきだったのでしょう、あの時。
「風邪を引いて寝込んでいて、起きたら、君が傷心旅行に旅立ったと聞いて、すぐに誤解されていたことに気付いたんだ。大慌てで国中探し回ったよ! 雨が降っている地方ってまあ、君がいなくてもあちこちにあるからね……」
「ご、ご迷惑をおかけしました……わ、私ったら、誤解してしまって……」
「いや、君がその魔法の暴走を気にしているのは知っていたんだ。ちゃんと配慮した言い方をしなくてはいけなかった」
そう言って殿下は立ち上がりました。
私の手を握り締めます。
「べ、ベネディクト様……」
「もう一度、ちゃんと言おう。そういえば、最初の申し出は手紙だったから、今まで口にしたことはなかったように思う」
「あ、あの、殿下、ちょっと、お待ちになって……!」
「いいや、言う!」
私は外を見ます。
すでに雨は止んでいます。
「私と結婚してほしい!」
「…………!」
ああ、窓の外の木がものすごい勢いで成長していきます。
季節外れの花々が咲き乱れます。
「メアリ! 愛しているんだ!」
「わ、私も、ベネディクト様のこと……ずっとずっとお慕いしてますわ……!」
じんわり涙が浮かびます。
悲しみの涙でないことは外の光景を見るに一目瞭然です。
「なんだー!?」
「父上、落ち着いて」
外から、オークス伯爵の戸惑いの声と息子さんが宥める声が聞こえてきます。
もはやオークス伯爵家は木々に包まれています。
部屋の中の花瓶の花もシャキッと生命力を取り戻し、まさに華々しく咲き誇っています。
「ああ、私ったら……」
「いいんだ、それでこそ、メアリだ」
私は涙をぬぐいながら、微笑んで問いかけます。
「……ねえ、殿下、どうして、私を選んでくださったの?」
「……君、覚えているかい? 君の顔に青虫がついてしまったときのこと」
「は、はい……」
最初にお目にかかったあの日のことです。
「……君は青虫っていうショックで忘れているみたいだけど、あれを君につけてしまったのは、俺なんだよ」
「え?」
「あの頃の俺は虫が全然平気な子供だったから……青虫を捕まえて他の男の子達と遊んでたら……手が滑って君に投げつけてしまって……」
「そう、でしたの……」
全然覚えていませんでした。
「雨が降りだして土砂降り令嬢のせいだ! って他の子達がはやし立てて……君はうつむいて、動けずにいたのに、俺が青虫を取ろうとしたら、血相を変えて『ああ、殿下! こんなところにいては、お風邪を召されます!』って……。ああ、なんて良い子なんだって」
「わ、私、自分のせいで殿下が風邪を引いたらどうしようって、あの時はそんなことばかり考えてて……」
「それでもいいんだ。それがよかったんだ。嬉しかった……愛してる、メアリ。この8年間、その思いが揺らぐことなんて一度たりともなかったとも」
「……嬉しゅうございます」
顔が赤くなっているのが分かります。
そして私の喜びで、オークス伯爵家の外は様変わりしていました。
すっかり、ぬかるんでいた地面は乾き、その上にオークス伯爵が膝をついています。
「わ、私の屋敷が……植物に覆われて……」
「まあまあ、元気を出して、父上。これはこれで、あれですよ、ベネディクト殿下プロボーズの地として渡り鳥の湖に続く第二の観光地として売り出しましょう!」
……オークス伯爵の息子さんはとっても前向きですね。
すぐ泣いてしまう私も見習いたいものです。
「オークス伯爵、我が婚約者が迷惑をおかけした。必要とあらば、王宮から庭師を派遣しよう。何、彼らはメアリの草花を剪定するのには慣れている」
ベネディクト様は言葉を続けました。
「アリーナとダグラスも、付き合ってくれてありがとう。迷惑をかけた」
「いえいえ~、旅行楽しかったです! 次はお二人の新婚旅行にもぜひ同行させてくださいませ!」
アリーナはニコニコと微笑みます。
ダグラスは無言で深々と礼をしました。
「……メアリ様を、どうぞよろしくお願いいたします」
私を子供の頃から知っているダグラスらしい一言でした。
こうして私は殿下が持ってきた豪華なドレスを着せられ、殿下の乗ってきた4頭立ての馬車に乗せられて、そして、王都に戻ったときには、「王太子妃様バンザーイ!」の声とともに、王都民から迎え入れられました。
「……王太子妃?」
「まあ、なんだ、そういう感じの噂を……流した!」
ベネディクト様は開き直りました。
「……私に振られたらどうするつもりだったのです?」
「そうしたら……そうだね、傷心旅行にでもひとりふらりと出掛けて、みんなが忘れた頃にでも帰ってきたさ」
爽やかにベネディクト様が笑います。
私がつられて笑うと、沿道の木々に花が咲き乱れました。