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この世界には僕だけしかいない

作者: 寝冷え

 こいつには何ができて何ができないか、どんなメリットを自分に与えてくれるのか、またどんなデメリットを自分に与えうるのか。他人と対面したときに真っ先に僕が関心を払って相手を観察するポイントだ。その人の名前なんて二の次でいい。僕が名前を覚えられないような人間なんて十中八九は自分にとって大したことのない存在なんだから、そのへんに植えてある街路樹くらいに思っておけばいい。一方で僕に名前を覚えられる人間は良し悪しは別として僕に影響力を持っていると僕自身に判断された存在だ。これらの存在はさらに詳細に僕自身によって緻密に観察されて如何にして自分へのメリットを最大限に引き出しデメリットを最小限に抑えるのかという方法を模索される。前者は言ってしまえば外野だ。それ以上でも以下でもない。どうでもいい。ただ後者に至ってはひとつひとつが意味をもって僕に干渉してくるゲームにとって重要な要素だ。盤上にある将棋や囲碁の駒といったところだろう。ゲームを有効に進行するためには盤上にある状況を正確に、より精密に深く読み込むことのできた者が割を食うのだから自分が他人を分析するときは自然と身が入る。

 つまり何が言いたいのかというと僕にとって他人とはゲームの中に登場するキャラクターみたいなものだ。決してゲームをプレイする僕自身と同じ存在ではない。彼らは駒と同義なのだ。利用するための存在、モノである。

 ただここで忘れてはならないことが自分も誰かにとって利用される存在、駒でありモノだということだろう。

 自分がゲームをプレイしてキャラクターを動かしているつもりが、同時に自分も誰かのゲームで動かされ利用されている存在になっている。

 こうした自分が誰かを利用しつつ、またその誰かに利用されているという構図こそがこの社会というゲームの本質であり、誰もがこのゲームをプレイするうえでの()()となる。

 そしてこの世界に存在する自分以外はすべてゲームの中の要素でしかない。このゲームの中で唯一、自分だけが存在するのである。


 そう、この世界には僕だけしかいないのだ。







 あとがきにになるがもう少しだけ付き合ってほしい。

 この文章を書くときに僕は僕自身という人間と僕の周りのいる人たちへの関わり方、考え方をありのままに見つめなおすために自分の中にある思考をこうして文字に起こした。またこうして浮き彫りになったあまりに自己中心的で刹那的な自分自身のすがたは僕自身、文章を書いている途中で気分が悪くなるほど気持ちの悪いものだった。ただこの今の自分の現状を理解することが、これからの僕の人生で自分の周りにいる人達を人として受け止めて関わっていく始めの一歩になればと思いこの文を最後まで書いた。

 僕は人が信用できないし怖い。それこそ他人をモノとして捉えて自分と他人を差別化しなければならないほどに。ただそれももう辞めにしたい。そしてどうしようもなく歪んでしまった僕の人間性を直したい。他人を、そしてなにより自分が自分自身を認めて信頼できるようになりたいと思う。












読んでいただきありがとうございます。

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