8 タピオカの話
学校の裏門の横でスマホをいじってしばらく待っていると、沙月が自転車でやってきた。
「どうも~。じゃあ、駅まで案内して。つっても、袿駅だったら、知ってるけど。この道をまっすぐ行ったらあるよね」
こころなしか、昨日の今日で沙月の俺の前でのテンションが高くなっている気がする。心おきなく話せる奴が一人できるかどうかっていうのは、けっこう大きな違いだろうし、それもわからなくもない。
「残念ながら袿駅じゃない。その隣の下赤松駅に行く」
「隣か。一キロとか二キロぐらい先なのかな」
このあたり、モロに都会人の感覚でしゃべってくれるので、ちょっと面白い。
「袿駅と下赤松駅の間は5.4キロ離れてる」
「そんなに!?」
こうもストレートに驚いてくれると、楽しくなってくるな。だけど、これも一種の自虐なんだろうか……。自分の住んでるところが田舎である証拠みたいなものだし。
「住んでる奴が少ないから駅の数もそんなにいらないんだ。じゃあ、行く。それと、市街地を抜けるまでは――念のため、距離をあけて走行する」
「本当に、大智って用心深いよね」
沙月の顔には、「そこまでしなくてもいいだろう」と書いてある。
「沙月は、田舎の人間の情報収集能力をなめている。CIAがいると思って行動するぐらいでちょうどいいんだ」
ご近所さんの情報はほぼほぼ知れ渡るのが普通なのだ。そもそもインターホン鳴らさずにいきなり、縁側にご近所さんが座ってたりするしな……。プライバシーの権利は田舎には浸透してない。
さて、出発するぞと自転車のペダルを踏みだしかけたが――
「先に言っておくけど、景色がいいとか、観光地で楽しいとか、そういう要素は何もないからな。期待しまくって失望するのは禁止な」
「大丈夫、大丈夫。今の私には、この町のこと、だいたい新鮮だから」
どこまでわかってるか謎だが、どのみち俺も観光地だけをリストアップして見せ続けることなどできない。
だいたい、自転車で行ける範囲など知れている。東京や京都みたいに徒歩圏内で新しい観光スポットが次々出てくるなんてことはないのだ。
俺たちは市街地のはずれまでだらだら自転車をこいでいって、そのはずれの信号で合流した。
ちなみに、自転車で走る道も利用者の少ないところを意図的に選んだ。同じ学年の奴とのエンカウント率を極限まで下げるためだ。
市街地を抜けて、自転車で合流した直後に沙月にこう言われた。
「大智って石橋を叩きまくって破壊しそうだね」
「褒め言葉として受け取っておく。不用心に生きて、後悔するよりはいいからな。むしろ、こっちが聞きたいんだが、沙月の前にいた高校だと、付き合ってる奴らってどうしてたんだ? 知り合いに見られるのとか気にしてなかったのか?」
俺の横に自転車で並んだ沙月は少し考えるような顔になった。ちょっと視線が上を向き気味で危ない。
両側が田んぼの農道みたいな道だけど気を付けないと、溝に落ちるぞ。
「キャラによって違うけど、いわゆるリア充オーラ出しまくりってカップルは、ほとんど見せつけるみたいに歩いてたりするかな。駅前とかでも堂々と歩いて、一緒にタピってたりして」
「待て。タピるって何?」
もしかして不吉な意味かもしれないと思った。というのも、「死」って漢字を一・タ・ヒの三文字に分解できるんだよな。だから、「死」に関する言葉だったら怖いなと感じたのだ。
「タピオカミルクティーをキメるってこと」
おそらく「キメる」という動詞の使い方がおかしいと思うが、不吉な意味ではなかったのでよかった。
「でも、タピるって言う側も、少しネタみたいにしてるところあるけどね。ネタみたいにされてるってことはそのうち言われなくなるかのかな」
「タピオカミルクティーか……。あれって男子も飲むものなのか?」
ちなみに県庁所在地の都市に行った時にすら、タピオカミルクティーの店は見つけられなかった。この県のJKはタピオカミルクティーを飲む時にどうしてるのだろう?
「いや、東京でも男子だけで並ぶのはまあまあハードル高いかな。まだ一人クレープのほうがマシかも」
「そうか。ちなみに袿町にクレープ出してる店はないので、あんまりわからん」
県道沿いにタコ焼きと鯛焼きをやってる店はあったけど、あそこも二年前につぶれたんだよな。
「本当にいろいろないよね、ここって」
楽しそうに沙月が笑う。これは愚弄してる系の笑いじゃなくて、気心知れた奴に向けた無邪気な笑いだと思う。少なくとも、今の俺が沙月に警戒されてるってことはないはずだ。
「そうだろ。問題は、ここにずっと住んでる大人はないことに慣れてなんとも思ってないないことなんだよ」
高校生としては、どうしても「ないこと」が気になってしまう。もっと言うと、都会に対するコンプレックスになる。
「そこが楽しくて生きてるんだったら、いいんじゃないかな。私の家族も今のところ、なんだかんだでここの生活を楽しんでるしさ」
そういや、沙月の家族ってなんでこんなところに引っ越してきたんだろう?
まさしく家庭の事情だから、聞かないほうがいいか。
沙月のキャラからして、そんな重いことが絡んでるとは思えないが、もしも気まずいものだった場合、取り返しがつかない。
「あっ、昨日見たアオサギだ!」
田んぼの中にアオサギが突っ立っていた。
「ああ、うん。あいつはどこにでもいるからな」
「餌付けとかできないの?」
「しようと思ったことは一度もないな。あれ? アオサギって東京にもいないの……?」
「基本、カラスとスズメ、ツバメ、トンビぐらいしか意識してないよ。ほかにもいるんだろうけど、いわゆる小鳥系? あのサイズのはいないって」
「なるほど……。アオサギももっと都会に行ったら目立てるかもしれんのか」
けど、繁殖相手がいなそうだよなと思って、それを女子の前で口にするのは憚られたので、やめた。
それにしても――
昔からの付き合いみたいに、沙月としゃべれてるな。
俺が異常にコミュニケーション能力が高いってことはないはずだから、沙月がそのあたりに壁を作らない性格なんだろう。
あるいは、相性みたいなものがやけにいいのかもしれない。
これも、口にすると「付き合いたいと思ってます」ってアピールしてるみたいに聞こえるから、やめとこう……。
どれだけ意識せずにしゃべれてるとしても、相手は美少女の転校生なのだ。
余計な恋心は持たないほうが無難だ。
深夜にもう一回更新できればと思っております!