7 ノートを貸す
休み時間中も、俺と沙月はとくにこれといって話したりはしなかった。
当然と言えば当然だ。突然、休み時間にずっと二人で話していたら、異様だ。どんなうだつのあがらない迷探偵だって、こいつら何か怪しいなと思うだろう。
ただ、まったく黙ったままというわけでもなかった。
「村田君、今日の世界史の範囲だけど、ちょっと教えてくれない? 私のいた高校とやってる順番が違うみたいでさ」
五時間目の休み時間、沙月が世界史のプリントを出して話しかけてきた。
席が隣なのだから、授業の範囲について話すのはおかしくない。
「ああ、ここか。それだったら、このノートに書いてるから見てみてくれ」
俺は自分のルーズリーフのノートを開いて、沙月に渡す。今日の範囲は別の紙に書いて、あとで元の部分に挿入するから問題ない。
「サンキュー、村田君。あとで返すね」
いくら噂好きの奴らでもこの程度のことで注目することはないだろう。
とはいえ、とくに女子生徒が沙月のことを意識しているのはなんとなくわかった。
今も、何人かが視線を向けている。全然違う話題で後ろで盛り上がってるのに、二人ほど目が沙月のほうを見ている。
こういうのは、不思議とわかってしまうものだ。
いわゆる「ムラ社会」という言葉がある。閉鎖的なコミュニティを批判的にとらえた言葉だ。
小さな町の公立高校となると、そんなところがモロに出る。知らない生徒なんて原則加入することがないからな。
厄介なのは、女子生徒たちも沙月を排除しようとしてるんじゃなくて、本気でどう扱っていいか悩んでいるっぽいということだった。
沙月は、草食動物ばかりの中に突如入ってきたライオンみたいなもので、実力としては強者のほうなのだ。
女子生徒には女子生徒の側の、これまで培ってきたコミュニティがある。
代わり映えはしないがその分、心地いいコミュニティの中で生きてきたわけで、そこで異質すぎる沙月を受け入れることが怖いのだと思う。
とくにしょぼいコミュニティとはいえ、その中のカースト上位にいる女子は悩ましいだろう。
自分の地位をすべて転校生に奪われてしまうおそれがある。
黒船来航って表現が案外近いかもしれん。
この件は俺が直接には関与できんな。女子生徒とのつながりが皆無じゃないけど、現時点で俺が口出ししたら余計にこじれる。最悪、彼氏気取りで言いがかりをつけてきたとか言われかねない。
これは「転校生担当係」として、もうちょっと慎重に考えよう。
世界史の授業が終わると、沙月がノートをこっちに渡してきた。
「ありがとう! だいぶ、わかったよ」
ノートの隅にこんなことが書いてあった。
===
すっごく警戒されてるな~。でも、ちょっと面白い体験かもw
あと、今日も放課後、どこか連れてってね!
===
あと、文字の後ろには、顔文字みたいなのもついてあった。感謝の意味を示すものだろう。
沙月も全部、お見通しってわけか。
それと、少なくとも、一人だからきついということも今のところないらしい。
まあ、侮られてるんじゃなくて、過大評価されてて、浮いてるっていうこともわかってるだろうしな。経験がないからわからんけど、意外と本人は楽しい面もあるのかもしれん。
「転校生のお役に立てたら光栄だよ」
俺はとくに顔には出さず、無難にそう答えた。
それと、口にすると、問題発言になりそうだけど――
クラスの連中に隠し事をしてるって、変な高揚感があるな。
その……なんだ、自分が今まで使ってたノートに自分の武骨な文字とはまったく異質のかわいい文字が並んでいるというのは……気持ちが変に温かくなるな……。
安全のためには帰宅したら消しゴムで消すべきなんだろうが、これぐらいならいいか。ノートを貸したことには合理的な理由があるわけだし……。
しばらくすると、担任がやってきて、今日の授業は終わりだと告げた。ちなみにうちの高校は担任が来る前に、ささっと掃除当番の奴が最低限のゴミを集めてそれで掃除は完了ということにしている。
生徒たちが帰っていくなかで、俺と沙月だけが残っていた。
「今日はどこに連れていってくれる?」
「そんなハイペースで行ったら、行く場所マジで尽きるけど……そうだな、こっちに来て鉄道使ったことあるか?」
沙月は首を横に振った。
「ないよ。引っ越しは車だったし、高校に通うのも自転車だし」
「じゃあ、この県に来てから鉄道を使ったことは、ないんだな」
「そうそう。一回もない」
だとしたら、沙月を驚かせるネタとしてはちょうどいいか。
「わかった。今日の行き先は駅な」
「駅前に、何かいいお店でもあるの?」
いかにも都会育ちの奴がしそうな質問で、俺は笑いそうになった。
でも、そうだよなあ……。東京周辺の駅だと、駅前には必ず商店街みたいのがあったりするんだよな。それは親戚の家に遊びに行った時に思い知らされた。
「沙月に、田舎の駅前という概念を教えてやるよ」
「概念は言い過ぎだと思うけど。あっ、ちなみにボタンを押さないと電車のドアが開かないとか、乗る時に整理券をとらないといけないとかは知ってるよ。ハイキングとかで郊外に行ったことあるから」
なるほど。その程度の知識はあるんだな。
でも、やっぱり今回行く駅には驚くと思う。その自信はある。
俺はゆっくりと立ち上がった。
「昨日と同じ場所で待ってるから、時間差を開けてきてくれ」
「うん、大智、あとでね!」
やっぱり女子に下の名前で呼ばれるのって落ち着かないけど……悪いものではないかな。
次は夜に更新予定です!