6 転校生の話題
翌日、俺はいつもと同じ時間に家を出た。
自転車で町の市街地にある高校へと向かう。道はゆるやかな下りなので、登校時のほうが楽だ。
マイペースに自転車を走らせ、赤信号のところで止まる。
と、その時、後ろから、背中をちょんちょんと叩かれて、びくっとした。
誰だ? 反射的に振り返ると――
「おはよう、大智」
転校生の滝ノ茶屋さん……いや、沙月の姿があった。
「おはよう。でも……登校中にその呼び方は危ないからやめてくれ」
おそらく、沙月は田舎の学校で余計な噂になる面倒くささを軽視している。
相対的に話題が少ない田舎だと、コイバナの賞味期限も長いのだ。
「注意はしてる。それに、今はほかに誰もいないし」
たしかに横断歩道の前で待機しているのは俺と沙月の自転車だけだ。
「わかった。じゃあ、今後も気をつけてくれ」
「うん、村田君」
呼び方が「村田君」に変わった。ほっとするべきなのに、どこかでもったいなく感じているような自分がいて、それを戒める。
変な期待はするな。彼女にとって、俺は現状、唯一、気楽に話せるクラスの人間なのだ。俺に接してくるのも当然だろう。
信号が青になったので、ゆっくりと発進する。
沙月の自転車も横についてくる。並んで登校というのは、リスクが高いか。
しかし、家が近所というのは事実なのだ。偶然、途中で合流したと言えば、そう疑われないだろう。ていうか、それが真相だ。
「心配しないでも、後で距離あけるからさ」
沙月はこっちの考えてることがわかるらしい。笑みを浮かべて言った。やはり、ほかのクラスの女子よりあか抜けて見える。
「ちょうどね、村田君が通りに出てくるのが見えたんだ。もしかしたら、これまでも私、後ろを走ってたかもしれない」
「まあ、同じ道を走ることになるからな」
これまでは不特定多数の男子学生だったから気付かなかったけど、放課後一緒に行動したことで、認識するようになったということだろう。
「あとさ、ブレザーのことだけど」
そういえば、昨日、俺のブレザーを着せて沙月を帰らせたのだった。今日の俺は別のブレザーを着ている。
母親には学校に忘れたと言った。いかにもありそうなことだったので、まったく疑われなかった。川に落ちちゃった同級生に貸したんだなと瞬時に気付く親は、察しがよすぎてキモい。そんなのわかるわけないのだ。
「ママに話したら、クリーニングに出して返すって言ってて。もうちょっと待ってね」
「いちいち、そこまでしなくてもいいのに……」
かえって、申し訳なく感じる。クリーニング代って言ってもタダじゃないだろうし。
「余計な出費をかけさせたな。本当に家で乾かしてくれただけでよかったんだけど……」
「村田君がそう言うのもわかるけど、こっちとしたらクリーニングぐらいは出すしかないって」
「それは、まあ……そうか」
そんな話をしていたら、田んぼが途切れて、低いながらも建物が並ぶエリアにやってきた。袿町の大通りだ。通学中の中学生の姿なども目に入りだす。
「じゃあ、このあたりで私は後ろに離れるから」
沙月が自転車の速度を落とす。
「わかった。お手数かける」
俺は細心の注意を払って、高校へと自転車をこいでいった。
学校の教室に入ると、小学校からの友人である大島に声をかけられた。
いわゆる悪友のポジションだ。それこそ、二人で川にはまったことも何度かある。
ちなみに、田舎を舞台にした映画とかでよくある、橋の上から川に飛び込むというのはやったことはない。そんなとてつもない清流ではないし、あれ、本当にやるとけっこう危ないと思う。普通に川岸から入っただけだ。
「村田は、運がいいよな」
「何のことだ? 話の流れがわからん」
俺はすぐに大島に聞き返した。
「ほら、隣の席が転校生だろ」
ああ、意味がわかった。
少し大島は声をひそめた。言いづらいことを言うという合図だ。
「はっきり言って、この町の女子とは格が違う感じがある。格っていうか、質? これがJKかって思った。態度が落ち着き払ってるんだよ」
これは声をひそめないと危ないよな。女子に殴られそうな話題だ。もっとも話の内容に関しては同意できるが。
「隣のクラスの男子も、滝ノ茶屋さんの話題ばかりしてるらしいぞ。女神が来たって言ってるやつもいる。ソースは隣のクラスの佐伯な」
佐伯も小学校からの付き合いの男子だ。
「そっか。それだけ注目されてるってことは、誰か告る男子もいそうだな」
どことなく、他人事のように俺は言った。でも、他人事そのものだよな。
いくら、田舎の町だからって、俺よりイケメンの奴ぐらい、この高校にもいる。もし、沙月が付き合うとしたら、田舎の中ではスクールカーストが上位の奴らと付き合うのだろう。
だが、大島は手を軽く横に振った。
「現状はみんな様子見だよ。だって、彼女と接点がなさすぎるしな。あと、最初にアタックして振られたら、長期間、ネタにされるし」
大島の言葉は、男子全体の危惧だと言っていいだろう。
早速、転校生の女子に告白して玉砕したら、ずっとそのことを言われ続ける。そんな不名誉は誰だってかぶりたくはない。
「ほんと、せめて登下校ぐらいはご一緒させてもらいたいぜ」
俺はむせそうになった!
どうにかこらえた……。危ない、危ない……。
昨日も一緒に帰ったし、今日も途中まで一緒に登校していた!
「うん? なんか、顔色悪いぞ、村田」
げっ、なんか勘づかれたか?
しかし、その時、助けがやってきた。
「おはよう、村田君、あと、大島君……だっけ?」
そう、沙月が隣の席についたのだ。
「あっ、滝ノ茶屋さん、お、おはようございます! じゃ、じゃあ、村田、これで!」
俺の顔色を指摘した大島も、青い顔をして戻っていった。俺の様子がおかしく見えたのも、噂の転校生がやってきたのがわかったからだと思ってくれるだろう。
「まだ、おはよう言ってもらってないよ、村田君」
沙月がこっちを見て、いたずらっぽく笑いながら言ってきた。
「おはよう、滝ノ茶屋さん」
まさか、さっき登校中におはようって言っただろとは言えないよな。