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悲しいお知らせがあります……

と 正秀先生は言われました

誰も口を開ける者はいません

僕は俯いて 自分の足を 見つめていました


遅咲きの桜の花が散り

視界を横切っていきます

ひらひらひらと

僕らの校庭を 染めていきます


鼻をすする音をさせて

誰かが泣いています

満果です 友達思いの満果が

芳乃を思って 泣いているのでした


芳乃さんが亡くなりましたーー

その言葉は 僕には蜃気楼のように思われ

まだ 芳乃は側にいるような 

そんな気がするのでした


それからーー

先生は何かを言おうとして

僕らから目をそらしました

誰も 何も言いません


春の少し肌寒い風のなかで

僕らは立ち尽くしていました

先生を入れて 5人

それが この学校の人数でした


来年度から

隣町の高校と統合されることになりましたーー

みんなが一斉に顔を上げます

しかしそれ以上 誰も何も 言いませんでした


先生は空を見上げます

青く澄んだ空です

もしかすると 涙を我慢しているのかもしれません

桜の花びらが 音もなく流れていきました


まるで底のない青空に

どこまでもどこまでも落ちていくような

そんな不思議な光景です

ふと 僕は今 どこにいるのだろうと思いました


曖昧な記憶のなかにいるような

どこが現実なのか定かでないような

僕はただ

花の彩りの側を歩いているのでした


いつもの畦道のはずなのに

芳乃がいません

ここは本当に

芳乃がいた世界なのでしょうか


喪失が様々なものを狂わせていきます

満果は泣き止んだかと思うと

どこでもない場所を見つめながら

ぶつぶつと喋りだします


満果 満果

芳乃はもういないんだよーーと諭すように言うと

彼女は道端の花を千切り取って

今日は何日?ーーと訊いてきます


4月の5日だと答えると

満果は彼女の全ての音を一瞬消してから……

芳乃ちゃん いつ帰ってくるんだろうーーと

怖いくらいの無機質な声で言うのでした


満果はまた別の黄色い花を千切ります

芳乃ちゃんは何色の花が好きかなーー

彼女の言葉は

この広い世界のなかで


とても異質なもののようです

何にも溶けきれず

沈殿していく汚れのように

僕らの足元に落ちていくのです


ねえ もし芳乃ちゃんがいないなら

私のこと抱いてくれる?ーーと

そう言う満果の声は急に生々しい色を帯びて

空気のように僕の周りに浸透していきます


ああ なんだか

二人でどこか遠くの

ぜんぜん知らない国に来てしまったかのような

そんな気分です


いつも見ているはずの花が

まるで初めて見る花のように恭しく

そのあたりの雑草も森の木々も

どこか異国のもののような気がしてくるのでした


僕は 満果を抱きしめます

ゆっくり 優しく

異国の空気のなかで

ためらいと大胆さが合わさったかのように


満果の体は 人間としての熱を持ち

だけどどこか

何かが抜けてしまったかのように冷たく

僕は急に 彼女が心配になってきました


あの森へ行こうーーと言うと

この花を見ていたいーーと

畦道の淵にどこまでも咲いている黄色い花を

満果は見つめるのでした


僕はこの場で

満果の体を求めました

制服の上から彼女の肉体を触り

胸の膨らみや腿の張りを感じました


満果の吐息は 無機質な風のようです

春になって自らを示し始めるあらゆるものが

世界のなかで個々の輪郭を強く持っているように

彼女の吐息もまた


世界にも春にも溶け合うことのない

彼女の

彼女だけのものとして

僕の前に落ちてくるのでした


風が冷たく

僕らのすぐ側を通り抜けていきます

まるで二人の戯れを笑うように

軽やかに舞って消えていきます


満果の目は

どこか遠くを見つめています

体だけ僕の愛撫に答え

その意識はどこか遠くの


そう

霞みがかったこの広い青空の彼方へ

僕の手の届かないどこかへ

昇っていってしまったかのようです


花のね 咲く音が聴こえるのーー

満果が何を見て 何を聞いているのか

僕にはほとんど分かりません

ただ 彼女は今


僕よりも芳乃に近い場所にいて

まるで去年の春にそうしていたように

懐かしい友達と 立ち昇ってくる春について

静かに語り合っているように見えます


満果ーーと

僕は小さく彼女の名前を呼びます

すると満果はゆっくりと顔を動かして

僕の目を見つめてくるのでした


まだ 満果はここにいる

ただそれだけのことに

僕はどれだけ安心できたでしょう

はだけた制服姿の彼女を抱きしめて


僕は涙を抑えきれませんでした

乱れのない満果の呼吸が

すぐ耳の側で聞こえてきます

ですがそれは


むしろ僕を不安にさせ

もっともっと できる限りの力を込めて

満果を抱きしめました

わずかに彼女の呼吸が乱れ


痛いーーと

かすかな声が聞こえました

それでも僕は 彼女を離すことができません

恐かったのです


ーーただ恐かったのです

芳乃のように満果まで消えてしまうこと

そして最後には

僕に笑顔を作ってくれること


いったい僕は どうすればいいのでしょう

予感だけが大きく僕の心を圧迫し

そしてそれは

いつでも残酷な正解となるのです


きっともう

満果も行ってしまいます

彼女はそんな顔をしているのです

だったら


だったらどうして

僕に抱いてほしいなどと言うのでしょうか

黄色い花の群生する草原に

僕は満果を押し倒しました


緩やかに風が流れ

あらゆるものが上昇していきます

立ち上がり 空を見上げ

昇っていくのです


そのなかで僕と満果だけが

まだ地面に横たわっています

彼女の素肌を求め

そして彼女自身を求め


僕は満果を踏みにじろうとしています

ですが彼女は何の抵抗もせず

僕を見ることもなく ただ

遠い空を眺めているのでした


どれくらい時間が経ったでしょう

僕は疲れ果てて草原の上に倒れこみ

もう 指一本動かす気も起きません

そんななか


幽霊のように満果は立ち上がり

腿に濁った血を伝わせながら

乱れた制服のままで歩きだしました

もう 僕を振り返ることはありません


満果ーー

その名前を呼んでも

彼女は見向きもしないで歩いていきます

どんどんと 上昇する景色のなかに溶けていきます


小鳥は楽しい 花は燃えようとして開き

風は広がって 私は高いーー

歌うような 満果の声が聞こえてきます

そしてそのまま 彼女は消えてしまったのでした

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