二人ぼっちのレミングス 1
へっぴり腰のフルスイングでゾンビの頭を吹き飛ばす。頰に返り血を浴びながら、ユウは「ホームラン」とはにかんだ。精々がピッチャーゴロだとからかう僕に、ユウはバットを素振りして答える。白球だったら間違いなくスタンド越えだと。
公園に設置された窪地型の小さなステージには、気がつけばわらわらと亡者たちが押し寄せていた。舞台のど真ん中でバットを肩に当て、したり顔のユウ目掛けて彼らはふらふらとやってくる。まるで誘蛾灯に釣られる羽虫のように。映画で言えば絶体絶命のラストシーン、といったところだが、僕らにとっては日常茶飯事の光景であった。
「ほらほら、よそ見しない。また来てるよ」
「分かってるってば、任せておきなさい」
物置の屋根に腰かけた僕に、ユウは余裕のVサイン。うっすらとかいた汗が日光に反射してキラキラと光っている。命がけの戦いを繰り広げているとは思えない、実に爽やかな姿だった。
「先手必勝!」
ユウが叫んで駆け出した。その先には、おぼつかない手つきでステージの縁を登ろうとしているゾンビがいた。服は繊維が擦り切れてボロボロで、色のない表情はどこかコミカルに見えてくる。年頃の女性で、生きていれば美人だったのかな、なんてぼんやり僕が眺めていたゾンビの顔を、ユウが思いっきり蹴飛ばした。すっかり脆くなった体はボロボロと崩れ、粘ついた血液がユウの靴を黒く染める。そのまま仰向けに倒れたゾンビにユウが飛びかかって、脳天へとバットを一撃。急所である頭を潰されてゾンビはピクリとも動かなくなった。
派手なアクションである。案の定、着地した時にバランスを崩したのか、ユウは死体の上に尻餅をついた。いつもながら危なっかしい。
「また服が汚れちゃった」
「すぐに調達できるよ。今ならどこでも0円のバーゲンセールだし」
「なかなかお気に入りって見つからないもんだよ? アキラって、ホントに気配りにかけるよね」
「ちゃんと選ぶのに付き合うからさ。早く立ちなよ。あと8体でしょ」
屋根の上から聞こえるように、僕は少しだけ声を張る。『ゾンビ狩り』をするときのいつもの声量だ。ユウも大声で「さくっとやっちゃうよ!」と威勢良く返事をした。これが僕たち二人の距離感だった。
ユウは立ち上がって振り向いて、そしてすぐ後ろまで迫っていたゾンビに狙いをつける。切り捨てるようにゾンビへバットを振りぬくが、当たりどころが悪かったらしく、ゾンビはぐらりと揺れただけで倒れはしなかった。体格がいい。元は格闘技でも齧っていたのかもしれない。
ゾンビの黄色く濁った瞳、上の空だった焦点がユウへと真っ直ぐ重なる。錆びた室外機から出るような、無機質な呻き声を上げながらゾンビが腕を伸ばした。咄嗟のことに反応できなかったようだ。躱せない。ユウの二の腕を、筋張ったゾンビの手が掴んだ。
動きは鈍い。だけど噛まれれば一貫の終わりであることを僕らは経験で知っている。どんな浅い傷でも、彼らの仲間入り。
けれどもユウは動かなかった。血と唾液が混ざった咥内を見せつけるかのように、ゾンビが口を開く。じきに噛まれる。動かない。だけど、これくらいでは、多分まだ。
「足りない、よね」
僕が呟いたのと同時、ユウの時間が動き出す。熱が入れば動きは早い。ユウはまるで痴漢にでも襲われたみたいにがむしゃらに身をよじってゾンビの腕を振りほどいた。そのまま噛み付こうと近づいて来た大口に向けてバットの先をねじ込むと、トマトを踏み潰したような音。黒ずんだ歯が肉片を纏わせながら地面へと散らばった。
「ユウ、とどめ」
自分の喉から出た声に、驚いた。もっと慌てた調子で言ったつもりだったのに。ユウに放った言葉は冷え切っていて、どこまでもざらついていた。心配を微塵も感じさせない。それはまるで他人の言葉だった。
ユウは僕の声など届いていないかのように、なおも組みつこうとしてくるゾンビから一歩引いて距離を取り、また腰が入っていないスイングでバットを振った。野球部に見せたら目も当てられないような酷い打ち方だったけど、しっかりとバットの芯でゾンビの頭を打ち抜いていた。運動神経が悪いながらも、少しは上達しているということだろうか。
「ああ、危なかった」
汗を拭いながら、ユウが言う。心底安心しているかのような声色だった。胸をなでおろしてついたため息も、弱気に下がった眉も、全部が全部「危なかった」という感情を強調していて、それでいて作り物めいている。
本当に危険だと思っているのなら、こんなことしなければいい。
口をついて言葉が出て来そうになるのを、すんでのところで飲み込んだ。それを口にしてしまっては、僕らの関係は本当に壊れてしまう。
代わりに僕は、今度は慎重に感情を込めて、気遣うように丁寧に、だけど少しだけ早口でユウに言った。
「ノルマまであと7体だけど、どうする?」
「そりゃ、頑張るよ! なんせ私は正義の味方だから、ゾンビを減らす使命があるんだから」
底抜けに明るくユウは笑う。でも、全然ダメだ。この子は運動音痴だし、それと同じくらい演技がへたっぴなのだ。だから、本当は嬉しくもなんともないことくらい、透けて見えてしまう。
笑顔の裏に隠された言葉は、僕と同じ。
ズクズクと、右膝が痛む。ずっと昔に治ったはずの古傷が、責め立てるようにまた、痛む。
物置の屋上で膝を抱えて、僕はユウを見下ろした。またゾンビに抱きつかれそうになって、それをギリギリなんとか躱して、カウンターにバットを一閃、どうやら今日は調子がいいらしい。
すると、あれだな、うん。今日もまた、どうやら僕らは無事に生き延びるようだ。
生き延びてしまうようだ。
この死んでしまった世界の中で、果てしなくチグハグな僕らは生き残る。そしてまた明日、こうして『ゾンビ狩り』へと出かけるのだ。
死にたがりの二人が、死にゆく瞬間を探すために。