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第二部 5.生と死の境界線-3

最初にアップした文を訂正した際、うっかり、話の最後の部分を消してしまってました。すみませんー!!

ちょっとだけ手をくわえましたが、再度アップし直しましたんで、お時間あるときにでも目を通してやってください~。

 

 青みの褪せた秋の低い空を見上げ、サンジェルマンはふと立ち止まり、西に流れていく雲を目で追った。あと数週間もすれば、ヴィレールに初雪が降るだろう。

 彼はついさっき、女官長をジェニー毒殺未遂犯候補の名簿から消し去ったばかりだ。彼女が疑わしいとはあまり思ってはいなかったが、それが今日ようやく判明して、サンジェルマンはほっとしている。

 女官長はジェニーをひどく嫌っているが、現時点では、彼女の死までを願っていない。ジェニーが死んでしまうことで、王や彼の周辺が被る不利益の方をもっと重要視しているようだ。

 既にジェニーの暗殺未遂を知っていた女官長は、王妃を疑っていた。彼女は王妃を嫌ってこそいないが、個人的な感情を含めた複数の理由から、疎ましく思っている。サンジェルマンは女官長に会って、その傾向はますます強まっている、と感じずにはいられなかった。


 毒殺未遂は今回で二回目だ。同一犯かどうかは、まだ分からない。その二回の機会とも、ジェニー本人に被害は及ばなかったが、一回目では彼女の毒見役の女が半身不随に、二回目は、小城でもっとも騒々しい女の口を永遠に封じてしまった。

 確固とした証拠が出て、犯人が決定的になったわけではないが、暗殺未遂事件を知る者たちは、王妃が事件に関わったと疑っている。おとなしく、物静かな人間という王妃の評判は城の住民の間には根付いているが、それが王妃の犯人説を覆す理由にはならなかった。王妃がくれた土産の菓子に毒が含まれていたのだから、彼女が疑われるのは、当然といえば当然だ。なにより、ジェニーが王妃の夫であるゴーティス王の寵愛を独占し、彼の妻である王妃がいまだ為しえない、彼の子をもうけていることが、王妃がジェニーをあやめる強い動機となる。


 秋空から目を離すと、庭園に続く小道の途中に、ライアンと一人の近衛兵が歩いているのが見えた。ライアンもサンジェルマンに気づき、二人は数秒間、お互いを探りあうように視線を交し合った。

 サンジェルマンは、それと約束をしてはいなかったが、ライアンを探しているところだった。そしてどうやら、それは彼も同じだったらしい。

 ライアンから男が離れると、サンジェルマンは息をゆっくりと吐き、彼のもとへと歩き出した。彼に合流すると、二人はどちらからともなく、小道を外れた。


 数年ぶりの闘技大会を十日後に控え、ヴィスコンデールの城下町は期待と興奮に沸いている。冷気と白い雪に閉じ込められる長い冬を迎える前の、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。各地からの参加者や見物者が続々と集ってくるのも、もうすぐだろう。

 警備に頭を悩ますライアンは、闘技場に何回か足を運び、近衛の編成や配置を考えているのだという。その行き帰りに、彼は市街地にある衛兵隊の詰所に寄り、不審者や不審行為の情報を仕入れ、目にする街の様子にも目を光らせているそうだ。

 息をつき、鼻の付け根を指でほぐしているライアンの顔には、目尻に細かな皺が増えていた。気苦労の多さが原因だろう。眉間と鼻の頭にはうっすらとそばかすがあるが、あいかわらず、きれいな白い肌だ。三十を越して数年が経った彼の年齢を考えると、羨ましがる女たちは多いだろう。

 ライアンが急に目を上げ、サンジェルマンを見て、肩をすくめた。

「王の庶子がまた現れたそうだ」

「……またですか」

 ジェニーの娘の存在が明るみに出て以来、これで二件目だ。

 王が子を為せないと噂されていた頃、そして、王が恐怖の存在だった当時には、ちらりとも出てこなかった問題だった。良くも悪くも、王が人々に身近になったのだ。

「今回の女は、以前、わずかの期間だが、王城務めをしていたらしい」

「では、そのときに王の目に留まり、王のお子をもうけたと主張しているのですね」

 サンジェルマンは驚きもせず、ライアンの次の言葉を待った。

「そうだ。名はファビアンヌといったか……メゾネ殿に身請けされて王城を出たが、その後に妊娠に気づいたらしい。時期から考えて王のお子に間違いない、と」

 王城に出入りし、過去に王の相手を務めた女たちはそれこそ数え切れないが、当時、庶子の存在を恐れていた王は必ず避妊処置を行っていた。しかも、既にこの世にいない女たちも多いのだ。それを知らない女たちが、図々しくも、王の子の存在を盾に自分たちの権利を要求するのだ。

 サンジェルマンは微笑んで、ライアンの一抹の不安を吹き飛ばした。

「ありえませんね。王の子でないという根拠があるのです。王の子を語ろうとは、よくも……。その女には厳罰を処しましょう」

 ライアンが力強く了解した。

「ライアン殿、今後そんな女が現れたら、王の臍の左右、どちらにほくろがあるのか、担当の者から女に訊いてもらうように伝えてもらえますか?」

「伝えておこう。で、答えはどちらだ?」

 サンジェルマンは笑った。

「どちらでもありません。王の臍の周りに、ほくろなどないのですよ」


 ライアンが近衛隊の練習場に向かうと言うので、サンジェルマンも足を向ける。サンジェルマンが話を切り出そうかとした矢先、ところで、とライアンがまた口を開いた。

「近頃の街では、マキシムの塩が安く手に入るそうだが、聞いていたか?」

 マキシムとは北方の山脈にある小国だ。同じ塩でも、海塩で有名なカローニャとは違う、岩塩の産地だ。

 サンジェルマンは、ライアンの顔に一瞬だけ浮かんだ、気まずそうな表情が気になった。

「いいえ。でも、塩なら、カローニャ産の方が断然安いはずでは?」

「それが、専門の行商が出入りしていて、カローニャ産の塩と比べると、約三分の二の値で入手できるらしい。塩を大量に使う食材屋や飲食店は軒並み、マキシム産に切り替えているという噂だ。このままでは、少なくとも商売人どもが使う塩は、マキシム産になってしまうだろう」

 カローニャの塩を直接買いつけているのは国だ。格安で仕入れた塩は指定業者に卸され、国中に供給される。独自の購入経路をもつ他の民間業者でも、国から出回る塩に匹敵するほどの安値では、塩を販売できない。国が販売する塩が市場をほぼ独占しているのだ。その立場が脅かされている――国の財政を揺るがしかねない、とライアンは言いたいのだ。

 ライアンの危惧はもっともだったが、サンジェルマンは首をひねった。

「ご心配は分かりますが、それは私に言うよりも、まず大臣たちに――」

 ライアンが人差し指を振って、サンジェルマンを遮った。

「彼らにはもう話した。貴公に聞いてもらいたいのは、その先の話だ」

 ライアンがわずかに声を落とし、背後を気にするように視線をさっと動かした。つられてサンジェルマンも周囲を確認したが、彼らの近くには、衛兵たちも歩いてはいない。

 ライアンが唇を軽く舐めるのを見ると、サンジェルマンにも緊張が伝染する。

「話とは?」

「その行商のことだが」と、ライアンは言った。「比較的新しい、三、四人からなる行商隊だそうだ。取り扱う物は塩以外には、北方の毛皮や皮、多くはない。行商者たちには珍しくないが、そのうちの一人にいくつもの言葉に堪能な男がいて――ユートリア語まで話せるとか」

 ライアンの視線がちらりと自分に飛び、サンジェルマンは奇妙な胸騒ぎを覚えた。

「昨日、彼らがヴィスコンデールに入ったのを目撃されている。滞在場所は不明だが、護衛らしき者たちも一緒だ。私が話した男の話では、行商人の一人は片手が不自由で……ベアール殿によく似ているそうだ」


 サンジェルマンの胸騒ぎが落ち着き、次に警告を放つまで、ほんの一瞬の間があった。考えをまとめるだけの、わずかな時間が必要だったのだ。

「では、その男は」ライアンに頷かせる間も与えず、サンジェルマンは断言した。「ジェニーの兄ローレンですね」

 サンジェルマンはジェニーの兄を実際に見たことはないが、彼の容貌の特徴は聞いている。ジェニーが兄の手を振りきって王城に残る選択を取ったことも、当時は半信半疑ながら、ライアンから聞いて知っている。

 そのライアンがしっかりと頷いた。

「彼は妹のことをまだあきらめてはいまい。大会時の混乱に乗じて、彼女を再び取り戻しに来たのかもしれない」

 その意見にはまったく同感だ。

 運悪く、ジェニーは大会観覧のため、王城を出て闘技場に向かう。彼女のいるのは貴族席で、庶民とは画されているとはいえ、王城よりはかなり手が届きやすい場所にいることになる。

 今のジェニーは、王と同様に、王とは離れたくないようだ。お互いに側にいたいのに、離れていることを選ぶ自分とアリエルとは逆だ。

 不意に舌先ににじんだ苦味に顔をしかめ、サンジェルマンはアリエルへの想いを振り払った。無理やりに、闘技場にいるジェニーと、そこへ彼女の兄が乱入する情景を想像する。

(ユーゴ殿には片時もジェニーから離れずにいてもらわねば。もしくは、最初から最後まで、彼女とは離れた場所にいてもらうか……。誰かが、ジェニーの兄をユーゴと勘違いして彼女の席まで案内してしまわないように)

 ユーゴはジェニーの兄に反感を持ち、彼女を手元に置きたがっている。サンジェルマンやライアンに協力的な態度をとるだろう。

 その後、サンジェルマンは、ライアンが続けた言葉に耳を疑った。

「彼女の周囲には、観客に身をやつした近衛を数人配備する」

 驚きだ。ジェニーの護衛に近衛を使うのはまっぴらだ、と怒鳴っていた彼にあるまじき、ジェニーに好意的な科白だ。だが、彼は冗談を言っているようにはとても見えない。

「本人にも短剣を持たせ――サンジェルマン、どうされた?」

「いえ。……近衛を配備するのですか?」

「貴族席に見知らぬ顔が入りこむことは少なかろうが、念のための処置だ」

 ライアンは神妙な表情でサンジェルマンを見返した。彼は大真面目だ。

 ――そういった意味ではないのだが。

 サンジェルマンは戸惑ったが、ライアンが自分の放った言葉の意味にまったく気づいていないようなので、それ以上の追求を避けることにした。


 ライアンが近衛兵たちの練習場を指し示し、サンジェルマンに尋ねた。

「今日は誰に用事だ?」

 ちょうど通りかかったベアール家出身の近衛兵をやり過ごし、サンジェルマンは笑顔で答えた。

「久しぶりに一戦、交えてみませんか?」

 ライアンは首をかしげてサンジェルマンを見つめていたが、それから、長い息を吐き出した。

「わかった。練習場内の休憩場で話を聞く」

 二人は練習場に入った。十人以上の男たちが二人組となって練習に励んでいる。二人に気づいた彼らは、最初こそ軽く目礼したが、ほとんどは自分たちの練習に集中していた。練習場に近衛兵以外には当然誰も入ってこず、多数の者に囲まれながらも、二人の会話は干渉されないのだ。


 日除けの屋根に丸太の表面を削っただけの椅子を置いた、休憩場とは名ばかりの場所で、ライアンは長い椅子の端に腰掛けた。屋根の下で、秋の午後の光を遮断されるだけで、ずいぶんと肌寒く感じられた。頬にふれる空気は、昼間でも十分に冷えている。厚手の上着が恋しくなる日も、そろそろだ。

 立っているとライアンを見下ろす格好になるので、体ひとつ分あけ、サンジェルマンも彼の隣に座る。彼が怪訝そうにサンジェルマンを見た。

「深刻そうだが、まさか、女の話か?」

 サンジェルマンは彼の言葉にまた驚かされた。彼とは二十五年以上の付き合いがあるが、子ども時代から数えても、彼から家族以外の女の話題を挙げられたことは、一度もない。それが冗談だと分かるまで、三秒は要したと思う。そして、生真面目な彼が冗談を口にした事実に、サンジェルマンは驚きをあらたにした。

「いえ。そういった話なら、日が暮れてから話しますよ」

 ライアンは、彼の切り返しに含み笑いで応えた。


 サンジェルマンは緊張感を抑えるため、軽く咳払いをした。慎重にならざるを得ない話題だ。正面で剣を手に動きまわる男たちの姿を目にしながら、サンジェルマンはライアンに言った。

「五十二号の件です」

 ライアンの膝が動揺したように大きく揺れた。サンジェルマンが彼に向くと、目の前で、彼が顔を引きつらせている。

「……五十二号? ああ、ケイ――」サンジェルマンはライアンの横に滑り寄り、素早くそれを制した。「名前は口にされないで下さい」

 ライアンははっとして、口を閉じる。

「彼は五十二号というのです」

 言い聞かせるようにサンジェルマンが告げると、ああ、と気後れしたように、ライアンが間延びした声を出した。

 彼には、必要に迫られて、王弟ケインが生存している経緯を簡単に教えてある。同時に、きつく口止めもしてある。だが、ケインとジェニーが死んだとみなされた後、もう一年以上も、サンジェルマンとライアンはケインの話題からは遠ざかっていた。

「五十二号がどうしたって?」

 いく分、元気を回復したようにライアンが訊いた。

「王命で、貴公が彼の捜索を続行しているのは知っている。まさか……遺体でも見つかったか?」

 ライアンは死体でなく、遺体と言った。罪人相手なら決して使わないだろうが、やはり、彼は気兼ねしているのだろう。サンジェルマンはさりげなく言葉を訂正した。

「いいえ、今のところ、死体は見つかっていません」

 ライアンの顔がゆるむのを、サンジェルマンは気づかないふりをして見逃した。

「では、新しい情報でもあったか」ライアンは声をひそめる。

 サンジェルマンは彼の目を見て頷き、再び、彼の部下たちが練習に熱中していることを確認した。

「新しいといっても、つい先日入ってきた情報に関しては、真偽のほどは定かではありませんが」と、前もって断り、サンジェルマンは話を続けた。「彼の行方について有力な情報を得たのは、私がカロリーヌ様を引き取りに、ラニス公所有の農園を訪れたときです。ええ、そうです、川で衰弱していたジェニーを発見し、その後世話をしていた農園主からです」

 疑わしそうに、ライアンは彼の顔を見つめる。それも、無理はない。



 あの日、モーリス宅でジェニーの娘を初めて見たときのサンジェルマンの感動は、数分後に農園の主人から語られたなにげない言葉で、あっという間に打ち砕かれた。幼い娘を見て、父親にそっくりだ、娘に会えばきっと喜ぶ、と洩らしたサンジェルマンを前に、主人は人のよさそうな笑顔を向け、こう言ったのだ。

「おお、それはよかった、ご無事だったのですね。うちの使用人が発見したとき、それはひどい怪我を負っていたようでしたが、どうしてもマリーを先に救助するようにとおっしゃられたそうで……。その後川に戻ってみたら、ご主人はどこにもおられず、皆で心配していたのですよ」

 その目撃情報がそのまま、ケインが今も生きている証にはならない。重傷を負ったのなら、誰からの救助も受けられず、川に流されていってしまったのかもしれない。

 サンジェルマンは思わぬ衝撃を受け、動揺した。

 だが、彼らの持つ情報はそれだけだった。モーリスがジェニーの夫だと勘違いしていた男が、主人への腹いせに彼女を誘拐した罪人だと、サンジェルマンはモーリスの間違いをやっとのことで訂正した。そして、もし同じ男を見かけることがあれば、真っ先に連絡してもらうよう、モーリスに強く頼んだのだ。

 ジェニーとケインが落ちた崖から川までの距離はあったが、川は雨水で氾濫しているとはいっても、普段はそれほど深く大きな川ではなかった。二人が行方不明となった川を、サンジェルマンは実際に何度か目にしている。川面を見るたび、二人にあざ笑われるような気分に陥ったのを、彼は今でもよく覚えている。

 王のもとに戻る道すがら、馬に揺られながら、サンジェルマンはケインが生存している可能性を、自分の心だけに秘める決心を固めた。ケインのためではなく、王の心を安らかに保つために。



 モーリスからの書簡が、数日をはさみ、続けて届いた。二通目の書簡は三日前だ。サンジェルマンが急いで開封すると、「失踪」という言葉が目に飛び込んできた。

「……では、その田舎貴族の夫の方が、もしかしたら五十二号だということか?」

 ケインを川で見つけたドゥーヴル親子が、国境に近い山地で居を構えている三流貴族の主人が、彼とそっくりだとモーリスに報告したそうだ。三年前に大病を患ったという主人は、治療のため半年間ほど家を空けていて、家に戻ったときには、様々な記憶が欠落していたという。

 ケインが行方知れずとなった時期とはぴったり合うが、その妻も使用人たちも口をそろえて、彼はドゥーヴル親子の探す男とは違うと否定した。その夫婦が、行き先も告げずにいきなり消えたのは、親子が貴族の館を訪ねてから三日後のことだ。

「今となってはわかりません。昔から仕えている使用人たちが、多少おかしな部分があっても、彼を主人と信じていたのですから、五十二号ではないのかもしれません」

 モーリスからの第一報を受けた時点で、サンジェルマンは辺境に住む貴族の館に、部下を放っていた。部下には、彼らの身辺を探るように命じてある。

 ケインには生きていて欲しくなかった。生きていれば、サンジェルマンは再び、彼に手を下さねばならない。身を持ってジェニーの命を守ったと満足しながら死んだ方が、ケインも幸せだ。

 サンジェルマンが足元の地面から顔を上げると、ライアンが眉をひそめ、額に手をやりながら彼に鋭い視線を返した。

「国境を越えたと考えるべきか……それとも、こちらに向かっているのか」

「こちらに? なぜです?」

 ライアンが不満そうに眉を押し上げる。

「もうすぐ闘技大会が開かれる。もしその男が本当に五十二号だとすれば、おそらくは、かつて一緒に逃げた女が今は城に連れ戻されていると知っているだろう。混乱に乗じて“彼女”に会いたいのは、兄だけとは限らぬのではないか?」

 考えもしなかった展開だ。だが、妙に説得力がある。

「そうですね、もし――もし男が五十二号であれば」

 ケインが死んでいる、という希望は捨てていない。だが、それは今や、願望に近いものに変化してきている。

 嫌な予感だった。王がときどき呼ぶように、ケインはその優しそうな外見に似合わず、「しぶとい」人間かもしれない。


 警備をいっそう強化する、とライアンが言った。サンジェルマンは、ケインが近衛隊の手にかかって死ぬようなはめにならないことを願いながら、ライアンに協力を要請する。

 サンジェルマンの依頼を快諾したあと、ライアンがぽつりと言った。

「しかし、女というのは解せぬ生き物だ」

「はい?」

「ほかの男と手を取り合って逃げておきながら、しばらくたてば、別の男に心変わりしている。一途なように見えても、時がたてば、再び同じことをやりかねぬとは……恐ろしい! 私にはとても、理解はできぬ」

 ライアンの妹でサンジェルマンの恋人だった女が亡くなって八年あまり、それ以降、ライアンがくだけた調子でサンジェルマンに話をするのは、これが最初だ。しかも話題は、ライアンが嫌っているはずのジェニー。

 ライアンは不愉快そうに顔をしかめ、頬を指で掻いていた。最初は呆気にとられたサンジェルマンも、ライアンの様子には微笑みを禁じえない。

「そんな女性ばかりでもないと思いますよ」

 サンジェルマンが心に思い描いたのは、もちろん、誠実なアリエルだ。

 ライアンが不信そうに眉を寄せた。サンジェルマンがそれを目にすると、なぜか唐突に、ケインに手をひかれ、ジェニーが名残惜しそうに王城を立ち去る情景が胸に迫った。

「――ですが、当の彼女と五十二号が心を通わせていたかどうかは、私は疑問です。特に五十二号の方は……無意識かもしれませんが、王から彼女を奪いたかっただけだと私は思っています」

 ライアンは納得しきれない表情だ。

 だが、実はそれが真実に近いのだと、サンジェルマンは、ケインとジェニーが二人でいる印象を口にしてみて初めて、胸に抱き続けていた疑問がやっと解決されたような気がした。

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